幕間:どうして神はフラグを建てるのか。
――オーデンの執務室。
玉座をイメージした背もたれが豪快な椅子で頬杖を突いて、オーデンはフッと笑った。
今、彼の前髪の奥でその双眸は伏せられ、使い魔カラスから送られてくる映像を見ている。
そこに映っているのは、笑顔で泣きじゃくりながら親の胸に甘えすがる、ただの幼子。オーデンが奪ってしまった日常を取り戻した、かつて魔王だった幼女の姿だ。
「……喜んでもらえたようで何よりだ」
まず最初にやるべき事は済ませた、とオーデンは前髪の奥で瞼を上げる。
デスクを挟んで彼の正面には、燃える岩石の塊――否、燃える岩石の塊と見紛うような姿の神がいた。
巨神・スルトン。
溶岩質の身体を持つ巨体の神。今はオーデンの執務室を壊さぬように体積を調整し、「かなり大柄ですねおい」と言う感想で済む程度の体格までサイズダウンしている。
「例の幼女は無事、親元に帰ったッスか。まったく……主神とは言え、私情で生者と死者を再会させるなんて無茶苦茶をするッスね。しかも、本来予定に無い無関係な魔人まで一緒に天界に連れてきて……天界司法局に知れたらお説教ものッスよ?」
呆れたように言うスルトンだが、その表情には穏やかな笑みが浮かんでいた。彼も事情は把握しているのだ。
「なに。その時はまた手が滑った事にする」
「ナイアルなんちゃらの一件での反省はどこいったんスか」
「いやまぁ、メイドの方を巻き込み召喚してしまったのは本当に事故だが……冗談だ。冗談」
さすがに私もナイアルラトの件では反省した、とオッディは苦笑。
「裁判所でお叱りを受ける程度の代償を払う事になってでも、私にはこうする責務があったのだよ。幼きアゼルヴァリウスから、親と、親に甘える権利を奪ったのは、間違いようもなく私のこの手なのだから」
取り返しなどつくまい。許されるはずなどあるまい。
それでも、アリスを親と巡り合わせる手段と口実がある以上、オーデンはそうすべきだと考えた。
「本当、義兄殿はろくでなしなのか、良い神なのか、わらかんッスね」
「私は自分の納得を最優先にしているだけだ。道徳的な良し悪しには最低限の拘りしかない。私の行動がどう評価されるかは、時勢と成り行き次第だろう」
とにかく第一目的は達成された。
そう言う結論でひと区切りを付け、話題を切り替えるようにオーデンは頬杖を解いて姿勢を正した。
「次は第二目的――【終炎放つ巨神の剣】の回収だな」
オーデンの言葉に、スルトンは「たはは……」と困ったように笑って巨体をすくめる。
「すんませんッス……ウチの嫁が軽率な事を……」
「まぁ、反省しているのなら責め立てるつもりはない。あれは私たちの許可が無ければ実質ただのマッチ棒と大差が無いからな。紛失しても、大事にはなり得ない。だが、宝物の管理不行き届きが他クランに知れ渡るのは、体面的な問題がある。よって秘密裏かつ可及的速やかに回収したい」
……そう、紛失。
実はスルトンの妻である女神・シェモーラは私的理由で【終炎放つ巨神の剣】を持ち出し、あまつさえある強い鶏にそれを強奪されてしまったのだ!!
しかし、ラグナロク学園の青春イベント景品になっているのは何故か?
景品に設定した矢先に失くしてしまった――否。順序が逆である。
失くしてしまったから、景品として設定したのだ。
「それで、【転送儀式】ッスか」
――【転送儀式】。
設定された条件に適合する代物を、指定領域内から手元に召喚する事ができる術式の事。
「指定領域は天界全域、転送対象が宝剣と言うスケールのせいで儀式を組むのも儀式を発動するリソースの確保もかなり苦労しそうだと思ったが……ラグナロク学園、天界全域を指定した遊戯結界領域はとても都合が良かった。今回の催しは、我々に取っても渡りに舟だった訳だ」
……ラグナロク学園の第一目的はアリスへの贖罪だが……実は隠された第二目的があった。
ラグナロク学園の構築式に、オーデンは素知らぬ顔で宝剣回収用の転送儀式を紛れ込ませたのである!!
「しっかし、よくこんなやり方を思い付いたッスよねぇ……友達認定発生時に、その神の神エネルギーをバレない程度に吸い上げて友達メダルを生成。友達メダル九九枚分のエネルギーを術式起動の補助リソースにして転送儀式を発動させ、あたかもクエスト達成の報酬のように【終炎放つ巨神の剣】が召喚されるように仕向ける……やっぱ義兄殿の発想はろくでなしのそれッスね」
友達数は九九柱で良いのに一〇〇柱を指定したのは、単純にキリが良いのと神エネルギーを持たないアリスのメダルが混ざる可能性を考慮しての事。どこまでも計算づくである。
「アゼルヴァリウスのためのイベントを物探しに利用したと知れれば、確実にフーを筆頭とする【アリスちゃんきゃわわ教団】の不興を買う。くれぐれも内密に進めるぞ。上に立つ者として叱責を受ける覚悟は必要だが、いかにしてそれを回避するかの知略も重要だ。主神だって叱られるのは嫌だ」
「うーんこのろくでなし義兄」
「耳によく馴染む」
もう無敵じゃん、とスルトンは呆れ溜息。
「……しっかし、そんなろくでなし義兄殿の腹立たしいほどに数多い取り柄である索敵能力にまったく引っかからないとは……一体、【終炎放つ巨神の剣】は今どこに在るんッスかね?」
「ふむ……」
オーデンは二羽のカラスと二頭のオオカミからなる使い魔を保有している。
それらに世界中を駆け回らせ、あらゆる情報を智慧として蓄えられるのが彼の権能のひとつだ。
天界、そこが他クランの領域であっても、オーデンの情報収集能力は変わらず発揮されるはずなのだが……。
「あれだけ徹底的に走査しても見つからんと言う事は、もはや断定して良いだろう。ゼロアスター・クランの【悪神群領域】だ。あそこだけは、悪神以外の出入りが完全にシャットアウトされていて手が出せない」
ゼロアスター・クランは善悪二元論をこの星に定めた二柱の神を主とするクランである。
その悪を定めた神を筆頭とする悪神群は、天界の中でも一線を画した閉鎖領域に引き籠っているのだ。
「まぁ、連中は【善・悪の規範となる事】を掲げているクラン。悪神だからと言って性質が悪と言う訳ではない。あくまで悪の見本を演じ、反面教師の役割を意図的に担う神々だ。不必要な混乱を招くような事は絶対にしない。あそこに【終炎放つ巨神の剣】があったとしても、悪用を考える事は無いだろう。もっとも悪用しようとしても実質マッチ棒でどうすると言う話だが」
悪神群領域は極・寒冷地だと聞く。
暖にくべる薪を求めてこっそり領域外周をうろちょろしていた悪神が、偶然に燃え滾る宝剣を見つけて「お、あったけ~」くらいのテンションで持ち帰り、今も暖炉に放り込まれている……なんて可能性も大いにある。
ゼロアスターの悪神連中が【終炎放つ巨神の剣】を保有しているのなら、まぁ、今はそれで特に問題無いだろう。
「もしゼロアスターの善神側なら【天の法】が【終炎放つ巨神の剣】の封印を解くのに必要な最低条件を満たしてはいるが……まぁ、何かの間違いで彼の手に渡っても、あの潔癖な正義の権化が悪用など考えまい。不安要素と呼べるものは今のところ無きに等しい。事は、順調に推移している」
オーデンは椅子から立ち上がり、窓辺へ向かう。執務室があるアスガルド地方中枢からではさすがにラグナロク学園の様子は伺い知れないが、彼と視界を共有するカラスの瞳がその光景を捉えている。
今の所は言葉通り、すべてが順調。
何の問題も無く、ただただ平和なイベントが始まった。
「今日キミを呼び出したのは、ラグナロク学園がついに稼働し始めたのを機に『くれぐれもこの事をフーたちに知られるなよ』と言う釘刺しだ。シェモーラにも念を押しておけ」
「うッス。承知ッス」
……オーデンとスルトンはまだ知る由もない。
自分たちが着々と、言霊と言う形でフラグを積み上げていた事を。