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【第一章】オノイェッドゥヌープの少女8 教会と銀髪


 逃げるように宿へと帰った俺達は、荷車を物置小屋に置かせてもらった後、盗難対策に野菜を部屋に運び込んだ。

 ようやく一息つけたが、どうにも落ち着かない。

 ベッドが一つの二人部屋にドギマギするところなのだろうが、先ほどまでの光景が瞼に焼き付いていてとてもそんな気分ではなかった。

 関所でも、納税でも、何かするたびに俺はイティークに迷惑をかけている。


(俺は疫病神だ……)


 どうして自分はこうなんだという嫌悪感がぬぐえない。 

 何処へ行っても、何処に居ても、俺は誰かに迷惑をかけなければ生きられないらしい。


「アラト……」


 イティークはベッドに腰かけながら心配そうに俺を見ている。

 俺は同じベッドに寝るわけにもいかないので、壁際に座り込んでいた。

 イティークは自分だってとても怖かっただろうに、今はただ俺を心配してくれている。

 今はその優しさに強い痛みすら感じていた。

 そんな俺の様子をどう思ったのか、自分の隣をポンポンと叩きながら、イティークは言う。


「ニューヴ・ヴニール・ウォジェウケテ(一緒に寝よう)」


 俺はその言葉に、首を左右に振った。


「アラト……」


 俺のその様子に、少し苦しそうな表情をしたイティークは、そっと俺の頭を抱きしめてくれた。

 もうだめだった。

 俺はしばらくの間、イティークの胸を借りて泣いた。




 翌朝。

 あの後、また一緒に寝ようと誘われたが、流石に床で寝た。

 初めのような態度だとまた心配させると思ったから、恥を忍んで自らの股間を抑えながら拒否した。

 最初はそれが何を意味するのか解らず怪訝そうな表情をしていたイティークだったが、少ししてそれが意味することを悟ったのか、さっと顔を赤くした後、納得して床で寝させてくれた。


 目を覚ました俺達としては、色々と気まずい事もあったし、すぐにでもヴォウーケック・ラトゥに逃げ帰ってしまいたかったが、そういうわけにもいかない。

 というのも、納税の時に少し笑ってしまいそうになった単語である、フクッフク。

 あれが実は教会という意味らしく、そちらにも納税が必要ということらしい。

 それを聞いた俺は――


(寄付じゃなくて納税かよ……国との癒着とか大丈夫なのか……?)


 という疑念だった。

 実際、教会についてみればその装飾は華美であり、その壮麗な佇まいで汗や泥にまみれる農民から作物を巻き上げる姿は歪に過ぎるように思えた。

 教会への道すがら、こうした税により教会に付随する孤児院などの運営がスムーズに行われているとの説明を受けたが、税などなくても運営できそうに見えた。

 イティークを困らせるだけなので口には出さなかったが。




 イティークが教会の扉をノックすると返事があり、しばらくの後扉が開いた。

 顔を出したのは修道服に身を包んだ壮年の女性だ。

 この教会の教えによるものなのか、修道服には殆ど白が使われていない。

 代わりに派手にならない程度に紺地にいくつかの色が盛り込まれている。


「オッゲート、ユェンフォペ、ヴァク・イティーク(あらあら、イティークさん、ようこそいらっしゃいました)」

「ケンノ・デン。ヴォ・ウォガブ――(こんにちは、デン。それで、今日は――)」


 そういって俺の引く荷車に視線を向けるデン。


「ベヴ、エイ・ファペ・ヲ・ラブーケ・ワズ(はい、納税に来ました)」

「ウカクェマイ、エイ・フォクォーイップ。(ありがとう、確認するわね。ところでそちらの方は?)」

「ヴァク・アラト、ウー……ニメ・オ・ボウクィエッドトゥケト(アラトさん、えっと……弟みたいな人です)」

「オマブ・ウカウィヴ・ティークゥ。クィフェ・ヲ・ボウ・ウォー、ヴァク・アラト(あらまあ、そうなんですね。よろしくお願いしますね、アラトさん)」


 俺の名前にも、イティークの名前にもヴァクがついている。

 今までこんな言い方をしてこなかったという事は、こういう場での敬称なのかもしれないな。

 こちらも同じように返すことにしよう。


「きーふぇ・を・ぴーう・ぼう・をー、ばく・でん(コチラコソヨロシク、デンサン)」


 挨拶を済ませると、デンは税の確認を始める。


「ヴュテ・エクォウジク・アーウェッアイル・ラテクゥーヴ・ユェクゥ・ヲ・ウケ・ルディフ・グーブケ・スアクゥイウブ・カヴ・ゲフテアヴェグ。イヴァイル・ニクスィクィ・オマブ?(やはり、ご両親がご奉公に出られてから量が減りましたね。生活のほうは大丈夫ですか?)」

「ベヴ、ホックォイ・ヴォペコイ(はい、今のところはなんとか)」

「エイ・コレ・ケ・ユィン・ヴュッロトゥ・アイ(彼がこれから貴方を支えてくれることを願っています)」

「ヴュテンビヒゥヴ・ヴァク・アラト、ウケテヴ・クォルトドネプ(きっとアラトさんなら大丈夫です)」


 会話の半分も理解できない為、二人が話すのを横目に俺は教会の中をきょろきょろと見まわした。

 孤児院が併設されているというわりには、子供の声が響くこともない、静かな空間だ。

 壇上まで伸びる赤塗りの絨毯じゅうたんに、同じく赤塗りにされた布の駆けられたベンチ。

 ここからではベンチの座り心地は解らないが、イティークの家のモノよりはよさそうだ。

 御祈りの最中に納税者がくるのがいつものことなのか、中に数名いるお祈りポーズをとっている人たちはこちらに見向きもしない。

 そんなに真剣に祈って、なにかあるのだろうか。

 こちらの神様は地球の神様と違って何かしてくれるっていうんだろうか。


(だったら、この世界はもう少し格差の少ない作りになっているはずか……)


 あまりこの世界の神様もいいものではないらしい、と結論付けた。




「アラト」


 イティークに呼びかけられてそちらを向けば、話は既に終わったようだった。


「ヴァク・イティーク、ファクァイ・ヴコイ・ウケ・ハフェヴ・ヲ・フキングテク(イティークさん、子供達にも顔を見せてくれますか?)」

「オー・フォウッヴェ。ニューヴ・ジョ、アラト(もちろんです。行こう、アラト)」

「べぶ(ハイ)」


 イティークに先導され、併設されている孤児院にやってくる。

 普通はもっと賑やかというか、五月蠅い感じがするものだと思うのだが、さっき教会の方でも感じた通り静かなものだった。

 見れば、皆机に向かってなにかをしているようだった。

 砂を敷き詰めた器が置いてあり、そこに鉛筆サイズの棒を使って何かを書いたり消したりしている。


「ふかたふぇと?(モジ?)」

「ベブ(そうだよ)」


 俺の質問に笑顔で答えてくれるイティーク。


「イー・アイ・ゴクゥ・テペプデト、アイ・ヨクゥ・デ・アドネ・ヲ・テアグゥーケ・ディドネ、ヴォ・フキングテク・ユィコ・ゲフィゲ・ヲ・デフォペ・オ・ルティエヴー・ファク・ネアック・フカタフェッヴ・ケテ。イェ・ハッペッヴ・ゴクゥ・カクセ・ウィペ・ヲ・ゴ・ウカウ(覚えないと聖書が読めないから、聖職者を目指すことにした子たちはここで文字を教えてもらえるんだよ。私たち農民にそれをする時間はないけれどね)」


 そう少しだけ悲しそうに言うイティークだったが、


「デュー・デファウヴェ・エイ・ヤヴーアウィクゥ・ウケ・フカタフェッヴ・オー・アラト。エイ・ヤッヴォ・カールビ・ウカウ・エイ・フォウング・テアグゥーケ・フカタフェッヴ(でも、アラトの文字を教わったから。私も文字が読めるようになって、とっても嬉しかったんだ)」


 そういって笑顔を向けてくれた。

 半分くらいは意味を取りこぼしたが、平仮名だけでも文字が読めるようになって嬉しいと言ってくれているのは解った。


「……えいべー(……ソッカ)」


 俺との生活で少しでもイティークに得るものがあったのなら、救われた気持ちになる。

 照れ隠しに子供たちのほうを見てみると、ひとりだけ孤立しているようにみえる少年がいた。

 銀髪の少年だ。

 彼の周囲だけ不自然に空間が開いている。

 その姿が学生の頃の自分と重なった。


「イティーク」

「うん?」


 どういえばいいのか解らず、指をさすのもはばかられ、俺は銀髪の少年に目を向けて無言で訴えた。

 その俺の視線の先を辿っていき、その少年に行き当たると


「あ……」


 と小さく声を上げたイティーク。


「ヴィンゼッカイト……」

「え?」


 その言葉の意味が解らず聞き返す俺に、


「アラト……」


 そういって首を横に振るイティーク。

 深入りはだめだってことだろうか。

 それは、何か俺には想像できないような根深い理由があるということなのかもしれない。

 でも、見ず知らずの男の俺に、あんなによくしてくれたイティークなら、あの少年に救いの手を差し伸べるに違いないと思っていた俺は、なんだか裏切られたような身勝手な気持ちになっていた。


(それに――)


 少年の、あの目。

 あの目だ。

 知っている。

 世界を呪っている目だ。

 すべてをあきらめている目だ。

 終わりの日を求めながらも、自らの命を絶つことは恐ろしくてできない。

 だから、何もかもから目をそらそうとして、現実を見ていない、その目を知っている。

 

(あれは、俺だ……)


 鏡にいつも映っていた、濁り切った目。

 もしイティークが俺と同じクラスにいたら救われていたのではないかと、勝手な幻想を抱いていた。

 それが幻想に過ぎなかったと気づいて、それで勝手に機嫌を悪くするなんて、自分勝手すぎる。

 湧き上がってくる身勝手な感情を俺は押し殺し、俺は少年に近づいた。


「アラト!」


 静止するような、咎めるような声。

 イティークにそんな声で呼ばれるのは初めてだったかもしれない。

 だが、俺はそれを無視して少年の正面に立った。

 イティークは心配そうにおろおろしているが、もう俺を止めるのはあきらめたようだ。

 この時の俺はそれ以上イティークに気を割かなかったが為に気づけなかったが、どうやらこれ以上騒ぎになるのを避けたというのが正確なところだったようだ。

 そうしたイティークの様子に気づかないまま、俺は銀髪の少年に声をかけた。


「ふぃー(ヤア)」



 うつろで、世界を映していない、空想に埋もれている目がこちらへ向けられる。

 返事はなかった。

 かつてこの目をしていた俺は、どんな言葉を求めていただろうか。

 いや、言葉など不要であっただろう。

 ただ心安らかでいられる場所が欲しかっただけだ。

 しかし俺がこの少年の居場所になることは出来ない。

 自分もイティークの世話になっている身分で、彼を引き取ることなど出来はしない。

 望んでいるはずのものは与えられない。

 ただ、この世界には敵だけではなく、同じ苦しみを抱える同志もいるのだということだけでも伝えたかった。


 俺はこの世界では使い物にならなかったコンパスを取り出した。

 ろくなものを持っていなかった俺に、彼にあげられる金銭的価値のあるものはない。

 方位を示さない方位磁針などゴミにも等しいかもしれない。

 でも、子供にとってモノの価値とは役に立つかどうかや、金銭的価値が高いかどうかではないはずだ。


「えいん・じくせ・あい(キミニアゲル)」


 少年は俺の差し出した、どこも指示さないコンパスをぼんやりと見やる。 


「いけく……うけ、うぃぺ……ふぉぺぶ、いぅ、いぶ、うぇあふ、あい……とあ、ぶこうん……を、じょ(ジ……カンガクレ……バ、イクベ、キミチ……ヲ、オシエ……テクレル……)」


 たどたどしく、知っている単語だけで無理に意思を伝えようとした、不格好な言葉。

 特別な力などなにもないコンパスだが、けれど彼の空想の世界でだけでも、道しるべとしての力を示してくれればと思う。

 俺の気持ちは正しく伝わっただろうか。

 俺があの目をしていた時を思えば、そう簡単ではないだろう。

 ただ、俺は異邦人だ。

 それがこの俺の虚言に、もしかしたらという小さなリアリティを与えてくれていれば――

 彼の心が穏やかな時間が少しでも増えてくれれば。


「テアン?(本当に?)」

「べぶ(アア)」


 彼はきっと心の中では馬鹿馬鹿しい、そう思っているだろう。

 もしかしたら子供だましだと、その本質を見抜いてもいるかもしれない。

 それでも、少年は俺の差し出したコンパスを受け取ってくれた。

 あとは、教会に生きる彼へ語るべきではない言葉かもしれないが、一言、言っておきたかった。

 きっと彼は神様を信じていないし、いたとすれば呪っているだろうから。

 でも聞かれると困るから、彼の耳元でそっとつぶやいた。


「うけて・いぶ・お……やぶ・えくぜく・いうこうー・じょぐ……(カミサマハ、イナクテモ……ミチハアル……)」


 俺の言葉に、はっと顔を上げる少年。

 きっと彼の周りに神様を信じない人はあまりいないだろうから。

 ここに要る人の殆どは信じることで救われている人たちだろう。

 でも否定することで救われる者もいるのだ。


「エイル・クァペイヴ・ヴァープローヴィク。パベイ・アヴモティル・クァペ?(ぼくの名前は罪の刻印。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?)」


 ヴァープローヴィクという名前が何を意味するところなのか、この時の俺は知らなかった。

 だからその事には触れず――


(パベイ?アヴモティル?なにかわからないけど、最後にクァペで疑問形。名前きかれてるって事か……?)


 そう判断し、名前を名乗る事にする。


「アラト。えいる・くぁぺいぶ・アラト(アラト。ワタシノナマエハアラトデス)」

「ノッグ・アラト……エイン・クェクセ・ホッジェウ・ウォガッヴィウ(アラト様、今日のことは決して忘れません)」


 何を言われているのかはよくわからなかったが、元気になってくれているのならよかった。

 俺はどう返事したらいいのかもわからなくて、努めて微笑みかけながら髪をなでた。

 その俺の行動が、どう少年の琴線に触れたのか……

 彼は嬉しそうに涙を流した。

 正直ここまで彼の心に何かを残せると思っていなかったので、なんだか照れくさいが……


「アラト」


 そこで、やり取りが一息ついたと感じたのかイティークが俺に声をかけてきた。

 その表情は複雑そうだ。


「ジョー(いこ)」


 何か焦っている様子だ。

 どうかしたのだろうか。

 その時、デンが孤児院の中に入ってきた。

 イティークは少しビクリとしていた。


(どうして、デンさんにそんな反応……)


 そこで、俺は自分の常識に基づいて動いていた事に気づき始める。


(ここは教会だ、そして優しいイティークが放置したイジメ……デンさんも黙認していた……?むしろ、推奨していたとすれば……?)


 そう、宗教的理由で少年が迫害されていて、それを何処の誰とも知れない人間が異を唱えた。


(まさか、異端審問沙汰ってことか!?)


 俺はちらりと先ほどの少年の顔をみやる。

 デンの顔を見るなり、死んだような無表情に戻っていた。

 やはり、デンは彼の救いにはなりえないのだ。

 いや、デンは今入ってきたところだ。

 俺と少年のやり取りを見ていたわけではない。

 もし隠れていたとしても、見られていたわけではなく聞かれていた程度のはずだ。

 あのやり取りを聞かれていただけで、どれほど俺の立場が悪くなるのかは解らない。

 ただ――


(また、イティークに迷惑をかけて……俺は……疫病神かよ……ッ!)


 自分で自分の事が嫌になってくる。

 でも、そんな姿は少年に見せたくない。

 俺は決して少年に顔を向けようとせず、軽く少年の髪をぽんと撫でると、イティークの元へと歩いた。

 あくまで冷静に、落ち着いている自分を装って。


「ヴァク・イティーク(イティークさん)」

「……イカウィヴ・カレック?(……どうかなさいましたか?)」

「エイ・ヤクゥ・ヲ・ワンム・ユィウク・ルヴー・オ・オクン・アイ……(あなたとだけ話したいのですが……)」


 そう言って、俺の方に視線を向けるデン。

 イティークは少しだけ悩んだものの、すぐに外を指さして俺に言った。


「ルニェーヴェ・ヤイウォウーヴィゲ(外で待っていて)」


 ヤイウォウーヴィゲ……?ヤイウで待っていてって意味があったから、恐らく、外で待っててってことか。


「べぶ(ハイ)」


 俺は返事をすると、イティークの言うがまま、外へと出た。


(この世界の常識がない俺が残って何かを言うのは、多分逆効果だろう……)


 何もできない自分を正当化する言い訳を探している自身の小ささに、顔がうつむきそうになる。

 しばらくすると、イティークも外に出てきた。

 その顔からは少し疲れたような印象を受けた。

 無理もない。


(俺のせいで――)


 際限のない自己否定の言葉が胸からあふれ出しそうになり、必死に押しとどめる。

 胸が苦しい。

 逃げ出したい。


(世界は変わっても、俺は変わってない……結局、俺はこうなのか……?)


 叫びだしたい気分だった。

 後ろめたくて仕方がない。


(もう何も考えない方がいい……)


 そう考えて、俺は目の前の仕事に取り掛かる。

 荷車を引くことだ。

 ただ、そのことだけを考える事にした。






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