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【第一章】オノイェッドゥヌープの少女6 関所


 イティークとの共同生活が始まってから、恐らく二月くらいは経った。

 人はヤウェト無しでは生きられない。

 ヤウェト――すなわち水だ。

 生きられないということは必需品であるということ。

 水を運ぶには水筒が必要だ。

 この世界……とまではまだ言い切れないが、少なくともこの地域でヤウェト・ドゥーネ(水筒)といえばネアヴジェト、すなわち革製だ。

 革製の水筒なんてまともに保冷できるはずもなく、ぬるい水を飲む羽目になる――

 と、この時は思っていた。

 しかし、これが想像をはるかに超えた冷たい水を提供してくれるのだが……これは余談だったか。

 ともあれ俺とイティークは水筒を持ち、弁当箱にはロワヲで作られたマッシュポテト的な料理を詰めて、領都フンヌドゥヌープへと赴く。

 荷車にはキャベツもどき(ファッダジェ)とじゃがいももどき(ロワヲ)が大量に載せられている。

 今日は納税の為にフンヌドゥヌープへ向かうのだ。

 荷車は俺が引くことにになっている。

 もともとはイティークが自分で引いていくつもりだったようだが、俺が引かせてくれと強く頼んだのだ。

 最初は抵抗していたイティークだったが、最終的には折れてくれた。

 イティークは俺の命の恩人である。

 これぐらいはしないと罰が当たるというものだ。

 荷車の準備も整った。

 水も大丈夫。

 あとは出発するだけだった。


「ニューヴ・ジョ」

「べぶ」


 ニューヴ・ジョとは、行こうという意味だ。

 こうして俺たちは集落を出立し、一路、フンヌドゥヌープへと向かうのだった。




 道中は特に大きな問題はなかった。

 ラノベでは定番の魔物と遭遇、なんてイベントも発生しない。

 というか、そもそも魔物は居ないか、居てもこのあたりには出ないようだ。

 というのも、この二か月、ヴォウーケック・ラトゥ(南部)ではそれらしいものは見なかったからだ。


(野生動物なら何度も見たけどな……)


 しかし、どうにも地球の動物と大差ない。

 全く同じとは言えないし、地球の基準で言えば、細かいディテールがほかの動物とあべこべになっていて、まるでキメラを見ているかのような気分になることはあった。

 しかしあれは魔物ではない。

 なぜなら、イティークが見ても怖がる様子がなかったし、向こうも襲ってくる様子がなかったからだ。

 人里を恐れて森に潜んでいる、そういう印象を受けた。


(ほんと、なんなんだろうな、この世界は……)


 つくづく不思議であった。

 俺がイティークと出会う事に特別な意味があるとは思えない。

 もちろん俺にとっては救いになったが、一方この世界にはどんな利がもたらされたというのか。

 世界が俺を呼んだとするなら、世界にはなんらかの利があるはずだ。

 しかしそれが見えてこない。

 やはり俺は偶発的にこの世界に来てしまったのだろう。

 現状を再確認してみても俺の存在の必然性は皆無だ。

 魔物もいない。

 魔王もいない。

 勇者もいない。

 魔法もない。

 飯は食材や調味料が不足しており、普通に不味い。

 いや、今のは取り消す。

 流石にイティークに失礼すぎだった。

 自分で言ってて胸が痛くなった。


(美味しいです。いつもありがとう……)


 そうだ、美味しい。

 元の世界の飯があまりにも美味すぎた、ただそれだけなのだ。

 それに飲まず食わずで倒れたときにイティークにもらったあのスープ。

 味付けは薄かったが、空腹だったせいか素材の味を強く感じた。

 贅沢に慣れ過ぎて思わず胸中で文句をつけてしまったが、改めて考えてみれば十分美味しかったのだ。

 最近はこの薄い味付けにも慣れてきて、普通に美味しく食べられるようになってきている。

 いや、この言い方はまたしても失礼だった。

 ともかく美味しいのだ。


(まあ、こっちに来る直前なんかは今と大差ないもん結構食ってたけどな……)


 だからこそ、こっちに来てからもイティークに食事で文句をつけるような愚行を犯さずに済んだのかもしれないと思えば、元の世界での生活もまぁ意味があったと言えなくもないのかもしれない。


(……やっぱ意味ねーわ)


 そんなに簡単に納得できるなら、俺はゴミ人間になんぞなっていなかっただろう。

 いや、ゴミ人間だからこそこうなったというべきか。


(どうでもいいわ……)


 我ながら無為な思考だった。

 こう、漫然と荷車を引き続けているから余計なことを考えてしまうのだ。


(腐ってばかりいるよりは、この気持ちをもっと何かの為になるような方向に向けていければいいな)


 そう思う。

 まずは手始めに感謝を告げよう。


「イティーク」

「イカゥ?(何?)」

「ありがとう」

「……?、?」


 まだ、ありがとうという言葉を俺は知らない。

 だから日本語で。

 イティークはなんだかわからない風で、小首をかしげていた。

 でも今はまだ『ありがとう』の言葉の意味を知らないほうが却ってよかったのかもしれない。

 イティークは知らない言葉でも、きちんとヒントを出して伝えればちゃんと理解してくれる察しの良さを持っている。

 そんな彼女にこんな気持ちで『ありがとう』を伝えたと知れたら、俺のこのぐちゃぐちゃな気持ちも伝わってしまうかもしれないから。




「はぁ、はぁ……しんど……イティーク、これまで、一人でこれを運んでたのか……?」


 思わず言葉にしてしまうほどに疲れていた。

 地球と一日の長さが同じかをきちんと調べる術を俺は持たないが、昼頃に出発して日が暮れかけようという今になって漸くもう一息という距離だった。

 遠くからでも小さく城門が見えていたからもう少し早くたどり着くものだと思っていた。

 電車や車のある地球を基準に考えすぎていたらしい。

 しかも荷車は重い。

 引き始めはたいして感じなかったが、これだけ距離を引いていると嫌でも実感する。

 何気に掌にかかる負担も大きい。

 普段から引きなれていれば別だろうが、ニートだった俺の手には豆でも出来そうだった。

 ふと、代り映えしない城壁の中に一か所だけ大きな門がしつらえられているのが見えた。


「あれが関所か……」

「ウカウィヴ・ウケ・フケフミクジ・ヴワウィオク(あれが関所だよ)」


 イティークが関所をここの言葉でなんというのか解るように補足してくれる。

 フケフミクジ・ヴワウィオクというらしい。


(日本語だと平仮名でも四文字なのにどうしてこうなった……)


 異世界の言語は不思議がいっぱいだ。

 当の関所の方はというと、門は開かれているが門番が二人立っている。

 立っているのは二人だが――


(あの堅牢な門構えを見るに、城壁内部に詰所がありそうだな。そこにもう何人か詰めていそうだ……)


 そう感じる。

 何かあっても一人では強行突破など無理に違いない。

 この世界に来てから久しく感じていなかった恐怖がじわりと湧き出してくる。


(大丈夫だ、俺にはイティークがついてる……)


 自分にそう言い聞かせる。

 イティークに迷惑をかけたくないという想いは、目の前の恐怖によって随分と縮こまってしまっていた。


(情けねぇ……)


 俺が暗い顔をしながら荷車を引いていると、イティークが声をかけてきた。


「アテ・アイ・ヘーニクジ・イェンヌ?」


 知らない単語が多いが、その様子から心配してくれているのが伺える。


「べぶ」


 俺は努めて笑顔を作って返事をすると、そのまま荷車を引き続ける。


「ヨウンガイ・ニメ・ヲ・テヴー?」


 言葉が解らなくとも、イティークがなおも心配してくれていることくらいは解っている。

 が――


「ふぁくーう、うくげっばーぐ」


 それを理解しておきながら『言葉が解らない』という表向きの理由を盾にして荷車を引き続けた。

 今足を止めてしまえば、怖くてあの門をくぐれなくなる気がしたから。


(イティークに迷惑をかけたくない……)


 そんな俺をみてイティークは――


「アラト……」


 そうつぶやいた。

 その表情がなんだか悲しそうで逆に迷惑をかけているような気分になってきてしまったが、なんとかそれをねじ伏せた。




 やがて門までたどり着いた。

 幾人かの人や馬車が順番待ちをしており、俺たちはその後ろに並んだ。

 俺たちは丘を下ってきたが、他の人達は皆街道を通ってきているようだ。

 順番待ちの間は特に何事もなく、やがて俺たちの番が回ってきた。

 イティークが前に立ち、門番と話をつけてくれる。

 しばらく言葉を交わした後、イティークがいくつかのキャベツもどき(ファッダジェ)とじゃがいももどき(ロワヲ)を門番に引き渡す。

 納税にやってきてるのに入国にまで税を課すとは……なかなかえげつない。


「ジョ・ウクトウイク(通ってよし)」


 門番が何事かを言うと、イティークは俺に言った。


「ニューヴ・ジョ(行こう)」


 俺はイティークの後ろをついていこうとする。

 が――


「ヤイウ!(待て!)」


 そう叫ぶ門番に荷車を掴まれた。

 恐怖に叫び声をあげそうになるが、必死に自分を落ち着ける。


(大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫……ッ!)


 心拍数が急激に上昇し、呼吸が浅くなる。

 そんな俺の様子に、ますます門番たちが不振がっている。


「イコアテ・アイ?(誰だ貴様?)」


 詰問されそうになっている俺を守るように、イティークが俺と門番の間に割り込んでくれる。

 頼もしすぎる。

 後光が差して見えた。


「ケイヴ・オ・ホテイジクェト・ユィコ・カヴ・グチフウェグ・ヲ・ウケ・ヴォウーケック・ラトゥ(彼は南部に流れてきた異邦人です)」

「ホテイジクェト?(異邦人だと?)」


 ネイティブ同士の会話は流れるような発音で、おまけに解らない単語もたくさん飛び出すので何を言っているのかほとんど判別できない。


「クォユィヴ・エイル・ハピンブ(今は私の家族です)」


 必死に俺を庇ってくれているようだが、その言葉も解らなければ、どうすればいいのかも解らない。

 それに――

 少しだけ冷静さを取り戻した俺がイティークを観察してみれば、その体が俄かに震えている事に気づいた。

 そうだよ、イティークは女の子だぞ。

 屈強そうな門番が相手で怖いに決まってる。

 なのに、俺はそんな女の子の背中に隠れて更に小さくなって震えている事しかできない。

 俺はゴミだ。

 情けなさ過ぎて泣けてくる。


「エイ・カクセ・クォウ・アヴメグァイ!(お前には聞いてない!)」


 門番に怒鳴られてビクンと震えたイティークは、ついにはうつむいてしまい、涙目で数歩下がった。

 どうやら良くない流れのようだったが――

 これまで俺を支配していた恐怖が、今のイティークの姿を見ることで逆に落ち着いてきた。

 いや、落ち着いてきたのだと自分に言い聞かせていた。

 本当は恐怖が消し飛んだはいいものの、感情の波が何週か回り、今すぐにでも殴り飛ばしてやりたい程頭にきていた。


(イティークは俺の命の恩人で、優しくて、頑張り屋で、凄い奴だってのに……ッ!それを、こんな、泣かせやがって――!!)


 が、冷静でなければイティークに迷惑をかけてしまう。

 だから冷静に。

 俺は、怒りによる震えを恐怖による震えに偽装して、顔を覆った。


(イティークはずっと俺を守ってくれてたんだ、それを無駄にするわけにはいかない……)


 これまでの、異世界会話経験を必死にかき集めて、正しい会話の流れを作らなければならない。

 先ほどのイティークと門番との会話で、俺が理解できた単語も多少はあったはずだ。

 圧倒されていて頭に入ってきていなかったが、思い出せ、何か鍵があるはずだ。

 何か、何かあるはずだ――


「ほていぜくと……」

「イカゥ(何?)」


 そうだ、門番が聞き返していたのがこの『ホテイジクェト』だ。

 恐らくイティークが俺の境遇として伝えてくれた単語のはず。


「えい・ほていぜくと(オレ・イホウジン)」

「クァペイヴ?(名は?)」


 クァペイヴは、俺とイティークが初めて理解した、お互いの国の言葉だ。

 忘れるはずがない。


「アラト・アラセ」


 なんとなく英語で言うように、苗字を後ろにもってきた。

 多分このほうが正しいはずだ。


「「「!?」」」


 俺の名をきいて、門番二人に加えて、何故かイティークまで驚いた顔をした。


「ク、クォヤベ……オククォ、アテ・アイ・クォドネフ?(そ、そんな……まさか、貴族なのか?)」


 なにやら少し青い顔をしだした。

 苗字付きだったから、もしかしたら貴族と勘違いしているのかもしれない。


「ファンク・ゴユィク!ファク・ヴローオ・アヴ・パクブ・アヴ・ニメヴ・ウカウ・クァペ!(落ち着け!名前ぐらいいくらでも詐称できる!)」

「ウカウ・パメヴ・ヴェクヴェ……ヅゥ・ノーム・アウ・ウカウ・ウクィスエ・ジェウアー(なるほど……だが、あの珍しい服装を見ろ)」


 話し込み始めた門番二人の会話に何かを見出したのか、イティークは震える声で、それでも割り込んだ。


「ア、アラト・ワウイクー・エイリス・フカタフェト(ア、アラトは私に文字を教えてくれました)」


 口をはさんできたイティークに顔をしかめていたが、内容を聞いて更に渋面になっていく門番たち。


「フカタフェト……(文字……)」

「カクセ・オ・ロッヴィドネ……フムム……(可能性はある、か……)」

「イーイゥ・ゲクセノア・イクゥーオ・ホテイジク・アッハイッヴ、ユィエ・ユィンヌ・デ・ケング・ニアドネ(外交問題に発展した場合、俺たちは責任を問われることになる)」

「……アヴム・ウケ・ヴュレティオッヴ・ホト・ルギペクゥ?(上に判断を仰ぐか?)」

「イーアイ・ワメ・テヴロクヴィディニゥブ(お前が責任を取るならな)」

「……」

「……」


 二人の門番はしばし見つめあった。

 しばらくの後、彼らは握手をして頷きあった。


「ジョ・ウクトウイク!(通ってよし!)」


 なんだかよくわからないが、通っていい事になった。

 何を言っているか解らないと思うが、俺も何がどうなったのか解らなかった。

 頭がどうにかなりそうだった俺とは違い、門番の言葉を聞いたイティークはすぐにその意味を理解したのか、弾けるように飛びついてきた。


「アラト!」

「うわ、イティーク!?」

「ジョーグ、イゥ・ヤヴ・ジョーグ!(よかった、よかったね!)」


 イティークが、俺の無事に涙を流してくれている。

 俺なんてほんとはどうしようもないゴミなのに。


「べ、べぶ……」


 俺は馬鹿みたいに肯定の言葉を返すことしかできなかった。

 俺たちが(というかイティークが。俺は正直頭がついていってない)喜んでいる間、当然列が進まない。

 門番の空気がまた剣呑なものに変わりつつあった。


「ジョ・ハヴー!(早く行け!)」

「わぅ!?」


 その声に驚きの声をあげるイティーク。

 どうやら我に返ってくれたようだ。


「えへへ……アラト、ニューヴ・ジョ(アラト、行こう)」


 そういって涙を拭いながら笑うイティークを見ていたら、俺も遅ればせながら嬉しくなってきた。


「……べぶ!」


 俺は返事をしながら気合を入れなおすと、再び荷車を引き始めた。


 

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