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【第二章】銀色の髪の少女7 殺人者


 手を引かれて走り始めた俺は、すぐに泣きごとを言いたい気分になる。


「早っ!?」

「イカゥ?(何?)」


 アンズはその短い脚からは想像できない歩幅と速度で走りながら、止まることなくちらりとこちらに目を向け俺に問いかけた。

 一方の俺は、もやしなのもあるだろうが全力で走ってようやくといった速度。

 当然「なんでもない」と返答する余裕すらない。

 彼女はすぐに視線を正面へと戻すと、そのまま何も言わずに手を引き続ける。

 俺が話せる状態ではないことを悟ったのだろう。


(や、やっぱり亜人ってやつか!?)


 ドワーフ的な種族だったりするのだろうか。


「はぁ、ぜはぁ……!」


 最近は畑仕事の手伝いで多少はマシになってきていたとはいえ、体力はないほうだ。

 あっという間に息が上がってしまって、質問したくてもそうできるだけの余裕はなかった。

 まあ今はなにより身を隠すのが優先だということだろう。

 その意見には俺も賛成だ。




 俺たちはボロボロで壁やドアもないような、屋根だけの住居が並んでいる貧民街を縫うようにして縦横に走り回る。

 いくつかの角を曲がったところで廃墟のような煉瓦造りの建物が見えた。

 その建物に入ると、階段を上っていく。

 のぼりきったところには粗末な扉があった。

 あまり頑丈そうには見えない木の扉で、痛みが酷く、脆そうだ。

 本気を出せば俺みたいなもやしでも蹴破れそうに見える。

 アンズは躊躇いなくその扉をあけ放ち、俺を招き入れた。

 奇跡的になのか、或いはアンズが意図した事なのかは解らないが、誰にも出くわすことなく落ち着ける場所に辿り着けたようだ。

 俺は荒い息を整えながら周囲を見回した。


「はぁっ、はぁ……」


 うっかり日本語が出そうになったが、すんでのところで口を噤む。

 解ってはいたが、内装もぼろい。

 床はフローリングだが、今にも底が抜けそうにギシギシと音を立てている。

 もとより建築技術も十分とはいえない感じなのが素人目からも見て取れる。

 アンズは扉を閉めると、閂をかけた。

 そして俺の方へと向き直って言った。


「……ユィケブ?(……なぜ?)」


 これからどうするべきかとか、そういうことを相談するのかと思いきや、アンズの口から出たのはまず『何故?』だった。

 主語もなしに、いきなり何故と問われてもどう返答すべきか困る。

 察するに、何故助けたのかということだろうか?

 しかし俺の語彙力でそれをうまく伝えられるとは思えない。

 むしろ、日本語が通じる相手にすらきちんと伝えられないかもしれない。

 なので、俺は少なくとも売り飛ばす為ではないということをなんとかして伝えたかった。

 そこで、ふと教会で銀髪の少年の頭をなでたときのことを思い出していた。

 銀髪は死の象徴。

 触れるものなど殆どいないといわれている。

 銀髪の少年、ヴァープローヴィクの反応を思い出し、俺は彼女の頭をやさしく撫でた。

 それに対して、あんずは驚いた表情をしながら飛び退った。


「ユ、ユィケブ……!?(な、なんで……!?)」


 顔を真っ赤にして、戸惑いの表情を浮かべている。

 瞳にはこれまでと違って、絶望に染まっていない、彼女の意思が宿って見える。

 もしかしたらいきなり異性に触れられた警戒もあるかもしれない。

 でも、さっき助けに入った時のような絶望で埋め尽くされた瞳ではなくなっていることにはほっとした。


(……それにしても、どう弁解すべきか)


 かけるべき言葉を探しているうちに、俺は徐々に冷静さを取り戻していく。

 そして、ふと先ほど殺した男達の事を思い出した。

 思い出してしまった。

 急激に頭が冷えていく。

 そうだ、俺は、やったんだ。

 やってしまったのだ。


(殺した……)


 あの時は夢中だった。

 でも改めて思い出すと、じわじわと嫌悪感が沸き上がってくる。

 肉を切り裂くあの感触と、むせ返るような血の臭い。

 その臭いはまだ、俺の衣類に残ったままだ。

 あいつらにも親はいて、これまでの人生があり、これからの人生があった。

 それを俺は自分の裁量ひとつですべて摘み取ったのだ。

 俺はもう、まぎれもなく殺人者なのだ。


 ――不思議と吐き気などは催さなかった。

 お世辞にもグロ耐性が有るほうではなかった俺だったのだが、もしかしたら自ら決めた殺すべき相手を、自らの手で殺したからなのかもしれない。

 自分の排泄物にいちいち吐き気を催さないように、自らの行いにいちいち吐き気を催さないということだろうか。

 或いはもとより俺は異常者であったのか。

 ただ、殺しをしたこと自体に対する罪悪感のようなものが、微かに、だが簡単にはこそぎ落とせない程頑固にこびり付いて取れない。


(でも、あいつらは……仕方ない……よな……?)


 自分に言い聞かせる。

 あまり深く考えているとろくなことにならない。

 きっと前に進めなくなる。

 現実から逃げるのは得意だ。

 俺は努めて別の事を考える事にした。

 そういえば銀貨も回収しわすれた。

 でも今更取りに行けない……

 そんな事を思っていたら、小さな手が目の前に広げられた。

 そこには先ほど俺が投げつけたと思われる血糊付きの銀貨が収まっていた。

 7枚ある。

 拾っておいてくれたらしい。

 俺はそこから4枚とろうとして、やっぱり3枚だけ受け取った。

 残りの4枚の銀貨をあんずに握らせる。


「……ユィケブ?(……なんで?)」


 また眉をハの字に歪ませて、悲しいのか、不機嫌なのか、いぶかしんでるのか、よくわからない表情をするあんず。

 何でと問われれば、まぁ……少しでも不自由なく生きて欲しいし、多く渡したのは格好をつけるためだとしかいえないが。

 それに、銀貨がたったの4枚だ。

 それでどれほど生きられるっていうんだろう。

 心底自分が格好悪いと思う。

 だからといって金さえ持っていればかっこいいのかと問われれば『くそくらえ』と言いたいわけだが。

 ともかく、俺は彼女に対する返答を見つけられず、苦笑するしかなかった。


 あんずの服装はワンピースというには烏滸がましい程のボロ布の服に、その上から羽織ったボロ布の外套であった。

 そのボロ布のスカート部分をたくし上げはじめたので、思わず視線をそらした。


「ゆ、ゆぃけぶ!?(ナ、ナンデ!?)」


 さっきからお互いにこれしか言ってないと思いつつも、俺は思わず叫んだが……すぐにその理由は解った。

 カランカランと、金属音が室内に響いた。

 スカートの下に、2本の剣を隠してもってきていたのだ。

 先ほどの男達のものだろう。

 ご丁寧に鞘まである。

 あんずを助けるのでいっぱいいっぱいで、終わった後はへたり込んでしばらく茫然としていた俺とは大違いだ。

 なんともたくましいものである。

 あの時の絶望に染まった瞳が嘘のような行動力だ。

 本来はそういう子なのだろう。


「ユィンナイ・ヤイウ(待ってて)」


 そういうと、ぱたぱたと奥へ向かうあんず。

 しばらくすると、木桶を持って戻ってきた。


「ヤウェト……、デファウヴェ・イウィヴ・アルテフィオウヴ……(水……、貴重だから……)」


 つまり無駄遣いするなということだろう。

 そういうと、木桶の水にぬらしたボロ布で血にまみれた銀貨や剣の汚れを落とし始めた。

 まさか血まみれのお金を街で使うわけにもいかない。

 当然か。

 それが終わると、また奥からボロ布を持ってくるあんず。


「イウィヴ・デュウェト・ヲ・イェアト……(着た方がいい……)」


 俺は手渡されたボロ布をみやる。

 くたびれた布団カバーを切り裂いて作ったような服だ。

 正直かなり抵抗はある。

 しかし血まみれの服を着たままこの街を出る事は出来ないだろう。

 俺は言われるがままに着替えることにする。

 ……さすがに下着は脱がなかったが。

 衣類を脱ぐと、左肩の傷の手当をしてくれた。

 といっても、新しい水で洗い流して、比較的清潔な布を包帯代わりにしただけだが。

 ちなみに痛みは少なく、骨にも異常はなさそうだった。

 本当に運が良かった。

 その後、渡されたボロ布の衣服を着ると、アンズが自分では見えない場所の皮膚や髪についた血糊をふき取ってくれる。

 アンズの事は俺が拭くべきか、でもさっき頭撫でたときかなり驚かれたしなーと思案していると、彼女は桶に張った水で自らの身体を確認しながら、手ぬぐいを器用に使って自分の力だけで体を綺麗にしていった。

 それくらいできねばここで銀髪の人間が生きていくことはできないのかもしれない。

 そうしてお互いに血が拭えたところで、ようやく一息つくことができた。


 あんずはいくら尋ねても答えの帰ってこない問を俺に問いかけることはもうやめたようで、その表情からあんずの中で一つの結論か、結論まではいかなくとも行動指針のようなものが決まったように見える。

 あの時の彼女は何だったのかという程の、強い意思を感じる目をしていた。


「アラト」


 あんずは俺の名前を呼ぶと、一つの提案を口にした。



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