【第二章】銀色の髪の少女6 今日から君は
つい後先考えずに少女を助けてしまった俺だが、よくよく考えれば頼らずともイティークに迷惑がかかる可能性がある。
関所で俺の事が覚えられていたのだ。
俺が何かをしたと連中にばれれば、最悪イティークに類が及ぶのだ。
かといって、どうするべきかの解決策も見えてこない。
(やっちまったなぁ……)
頭を抱えてしまう。
後悔が無いとは言えない。
でもあのまま放置したとしてもきっと後悔した。
イティークと目の前の少女、どちらかを選ぶなんて大人な事、精神年齢が子供のまま身体だけ歳を重ねた俺に出来るはずがなかった。
俺にはただ目の前に訪れた出来事を、思った通りにやる事しかできないのだ。
「テイテウ?(後悔?)」
少女がたどたどしい言葉で俺に何かを尋ねた。
しかし聞いたことのない単語だった。
「ふぁくーう、うくげっばーぐ(リカイデキナイ)」
今の俺ではそうとしか返せない。
(とにかく、急いでこの場を離れないと……)
たとえこっちに非がなくとも、権力をもつ者が黒と言えば黒いことにされてしまうのが封建社会というものだ。
ここが本当に封建社会であるかどうかは解らないが、街並みを見る限りはそう遠くないだろう。
表通りとは絶望的なまでの貧富格差が伺える貧民街に、少女を攫おうとしていた女衒と思しき連中。
『特権階級の者の庇護下に生まれなかった』という本人ではどうしようもない事が悪となる社会の闇が垣間見えた事を鑑みれば――
「……クァペ(名前)」
ふいに少女がつぶやいた。
一刻も早くこの場から逃げ出すべきだというのに、血糊のついたこの格好をこの街の治安維持を務める者達に見とがめられるわけにはいかないというのに、その為の方策が浮かばず、現実逃避のように俺は自分の名前を口にした。
「アラト。アラト・アラセ」
「アラト……」
「いかぅ・あいる・くあぺ?(キミノナマエハ?)」
俺の問いに微弱でありながらも複雑な、読み取れない負の感情がにじむ。
悲しんでいるのか、苦しんでいるのか、それとももっと別の何かなのか。
少しの後、
「クォウ・ジョーグクェッヴ(善無き者)」
銀髪の少年、ヴァープローヴィクの名前の意味をイティークに訪ねたとき、あまりにも酷い意味に眩暈がしたものだ。
その時、銀髪の子供達につけられる名前に使われそうな単語をいくつも教えてもらっていた。
だからこの名の意味はすぐに解った。
解ってはいた事だが、およそ名前とは思えない言葉が飛び出してきた事に胸が痛む。
名前というのは本来、親から子へ与える最初の祝福であるはずだ。
しかしこれでは祝福ではなく呪いだ。
この名前を聞いただけでも、これまで幾つもの辛い経験に耐えてきた事は想像に難くない。
「いかぅ(ナニ)」
おかしな言葉遣いになってしまったが、正しく問う為の単語が解らない。
そんな俺の事情を察してくれた少女は、再び自分の名を口にした。
「クォウ・ジョーグクェッヴ」
残念ながら、聞き間違えではなかったようだ。
「くぉあー(いや)」
だから俺はそれを否定した。
稚拙な語彙の中からなんとか通じそうな言葉を探し出し、必死に頭を回転させて自らの意思を紡ぐ。
そんなおかしな言葉を使う俺を、自分の名前を名乗っているにもかかわらずそれを否定する訳の分からない奴を、助けられたからか、嫌な顔一つせず、ただ不思議そうに小首をかしげて見つめる少女。
周囲の建物の隙間から木漏れ日のごとく降り注ぐ陽光を反射した少女の髪が、淡く七色に煌いた。
銀髪だと思っていたが、こうなるとまるで天然のユニコーンカラーだ。
「…………」
なんと返事をしたものかを考えていたことも忘れて、しばし見入ってしまう。
その神秘的な色彩を表すこの世界の言葉を俺は知らない。
この世の者とは思えない、それこそ天上のものにさえ思える程の美しい髪色。
或いは『天使の如く』とでもいうべきか。
しかしそのいずれも、この世界の言葉でなんと言うのかを知らない。
(いや……)
そもそも、この世界の言葉である必要はないのかもしれない。
――よし、決めた。
「あいる・くぁぺいぶ・あんず(キミノナマエハアンズ)」
天使のごとく。
或いは白き花弁に淡い桜色のグラデーションを持つ杏の花がごとく。
この名前こそが、美しい髪を持つこの少女にふさわしい名前に思えた。
これが正直気持ちの悪い押し付けなのは解っているが、今の幸運を吸い上げられた出がらしのような名前のままでいるよりはずっといいだろう。
「イトクィ、クォウ・ジョーグクェッヴ(違う、善無き者)」
俺の言いたい事が伝わっていないのか、訂正する少女。
「くぉあー、あいる・くぁぺいぶ・あんず(イヤ、キミノナマエハアンズ)」
「イトクィ――」
再び否定し、何かを続けようとする少女――いや、アンズの言葉を俺はさえぎって言った。
「ぶわといくじ・うぉがぶ!(キョウカラ!)」
「ヴワトウィクジ・ウォガブ……?(今日から……?)」
その言葉の意味を理解する為に、正しき発音で復唱するアンズ。
そんなアンズに俺は肯定を返した。
「べぶ(ソウ)」
「アンズ……エイル、クァペ……(アンズ……私の、名前……)」
ようやく俺の言いたいことが伝わったのか、少女――あんずは、俺に勝手に名付けられたその名を口ずさんだ。
言葉の意味も解らないのだ、別段嬉しそうな表情でもない。
ただ、その表情を引き締めて――
「ん……」
と、だけ声をだし、頷いて見せてくれた。
「アラト」
「うん?」
「ジョー(行く)」
アンズが俺の手を引き始める。
先ほどから思っていたが、発音は流暢なもののネイティブにしてはしゃべり方がぎこちない気がする。
文章ではなく、単語単位での会話。
それはこの体系から想像しうる年齢であればそう不自然な話でもないように思えたが、それにしてはやけにしっかりとした体幹、すっと伸びた美しい姿勢などに人生経験のようなものを感じる。
しかしその事を深く考えるのは後だ。
早く身を隠すべきだったのに、のんきに自己紹介なんてしてしまっていたのだ。
その小さな手に促されるように俺は少女を追いかけた。
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