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【第二章】銀色の髪の少女5 助けたい想い、そして自暴自棄



 異邦人がギェグらしいので、とりあえずギェグの意味をどうにかして知らなければならない。

 しかしイティークは頼れない。

 なんとかしてコミュニケーションを取れる相手を見つけなければならないが――


(公的機関はなぁ……)


 どう考えても貴族の権力が深く食い込んでおり、異国の……というか、この世界のどこにも国籍を持たないという後ろ暗い所を持つ自分としては、嫌な思い出も手伝って頼る気にはなれなかった。

 恐らくろくなことにならない。

 牢屋にぶち込まれるどころか、最悪死刑もありえる気がする程度には嫌な予感がするのだ。


(それにこの国の銀髪に対する扱いにも思うところがあるしな……)


 まあ明確な敵があるほうが政治というものは円滑に進むのかもしれないが。

 そして、それをより円滑にするための潤滑油が宗教なのだろう。


(罪のない人間を人身御供にしながら『世はなべてことも無し』ってか。どんな世界でも下層の人間は犠牲を強いられて当然、というわけだ)


 心がささくれ立ってくる。

 日本にいるときもそうだった。

 世界がひっくり返ればいいといつも思っていた。

 富裕層も、権力者も、綺麗に全部なくなってしまえばいいと思ったこともある。

 一方で、自分の努力不足や、逃避癖が現状を産み出したのだという強い後悔と自己嫌悪もあった。

 だからといって、その後の人生の全てを使ってももう何も取り戻せないっていうのは、受け入れがたい。

 かといって、富裕層や権力者達にとっては『そのほうが都合がいい』のだから、そうした社会が改善されるとも思えなかった。

 だってそうだろう。

 ゴミのような人件費で使いつぶされる人間がいるからこそ色んな部分が成り立っているのだ。


『選ばなければいくらでも仕事はある』


 なんていうのは、裏を返せば選ばずに仕事をしてもらわなければ困るということだ。

 それが切欠で人手不足に陥って、深刻な奴隷・家畜不足になりましたというのはあまりにも身勝手だ。

 貴族達が威張り散らすこの世界と、何が違うというのか。


(同じだ……どこへ行ったって、俺達の居場所はない……)


 先ほどの浮浪者達の姿が思い浮かんだ。

 近い将来、俺もそうなるのだろうな、という思いが俺の胸中を埋め尽くそうとしていた。




 ――その時、視界の端に嫌なものが映った。




 数人の男が、食うのに困っているであろう子供を連れ去ろうとしている。

 助けようとしているのかもしれない、と初めは思ったのだ。

 しかしこんな世界で慈善事業なんて、そうそうできるものではない。

 なにより連中の風貌だ。

 お世辞にも礼儀作法がなっているようには見えない。

 おまけに剣を抜いている。

 あれでは脅しをかけているようにしか見えない。

 実際、そうなのだろう。

 でも、何の力もない自分には何もできない。

 ろくに食い扶持も稼げない俺では、子供を救う事すらできない。

 何もしてこなかった自分には、ただ見なかったフリをする事しか――

 その時。

 男達の立ち位置が変わり、子供の全貌が見えた。

 まず認識できたのは、その異常に低い身長だ。

 相当に幼い様に見える。

 しかし、幼い上にまともな食事もとれていなかったであろうくたびれた風貌に反して、その歩き方はしっかりとしていた。

 あれくらいの年齢の子は割とフラフラ歩くものだが、大幹が据わっている。

 髪も不自然なほど長い。

 幼子ではなく、そういう種族なのかもしれない。

 薄暗いこの裏路地にわずかに零れた陽光に照らされてキラキラと輝き、水のように流れる銀色の髪。

 そして空よりも青く、海よりも深い、蒼き輝石のごとき双眸。

 天使のようだと思った。

 その天上で創られた至高の芸術品のような容姿とは裏腹に、瞳をたたえる意思はくすんで、輝きを失っていた。

 胸がざわめく。

 きっとあの子は高値で取引されることだろう。

 それとも銀髪だからゴミのような価格で売り飛ばされるのだろうか。

 ――許せるわけがない。

 それに、あの日だって思っていたではないか。




 ――それでも俺は生きている。世界では、俺なんかよりもっと生き残るべき人が何人も死んでいるというのに――と。




 そう思った瞬間、俺は理性を失っていた。

 武器もなしに、3人相手に勝てるわけがない。

 理屈ではない。

 勝算もない。

 ただ、自分のゴミのような命など天秤にかけるのも烏滸がましいものが、今摘み取られようとしている事に抗えない強迫観念を抱いていた。

 自分はゴミだ。

 ならば消えていい。

 だが――


「その子は、ダメだ……ッ!!」


 弾かれる様に飛び出した。

 自覚はなかったが、俺がこれまで生きてきた中で一番の速度で駆けていた。

 肌が粟立つ。

 アドレナリンが異常に分泌されているのが自覚できる。

 恐らく、殺さなければ殺される。

 だから今から俺は犯罪を犯すことになるだろう。

 だが、争うことになる恐怖や、人を殺そうとしている事に対する嫌悪感も、全て頭の中から消え去っていた。

 報復を受けない為にもやるなら徹底的にやらなければならないし、全員やらねば奴らの仲間に情報が洩れるかもしれないといった理性的な理由に加えて、あの子を救いたいという気持ちと、自分なんていらないという自暴自棄。

 そういったものがマーブル状に混ざり合って、冷静さを失っていた。


 深く何かを考えて動いたわけではない。

 ただ、俺は一人を倒す時間を稼ぎたいとだけ思って、残っていた銀貨を狙っている男以外の二人にめがけて散弾のように投げつけた。

 少女に夢中だった連中はそれで浮足立ち、投げつけられたのが金だと気づいて拾うべきか、怒りをあらわにすべきかという心の天秤を傾けている最中だった。

 その間に、俺は狙いをつけていた男、抜身の剣を肩に乗せている軽薄そうな男に近づき、そのまま剣を首筋まで押し込んだ。

 その事に気づいた男が慌てて抵抗しようとするが、その前に両手で男の剣を引いた。

 首がぱっくりと斬れ、血が噴き出す。


「がヒュッ――」


 悲鳴は喉が潰されたことでまともに発することが出来なかったらしい。

 それと同時、たまらず男は傷口を両手で抑えた。

 つまり、剣は俺の手の中に。

 後には風切り音と血が噴き出る音だけが響く。

 人を殺した――

 そういう意識も今はなかった。

 胸中を支配するのはただ一つ。


(やらなければやられる、俺もこの子も――!)


 剣を携え、次の標的を目指す。

 視界には二人の男。

 数的優位を覆すためには、一刻も早く数を減らさねばならない――

 などと、頭で考えられたわけもない。

 一瞬でそこまで考えられる程俺は頭がよくないし、戦いにも慣れていない。

 ただ、近場の相手を強迫観念に突き動かされるまま殺しにかかった。


「なっ!?」


 狙うは首。

 狙いがあからさますぎたのか距離をとられ避けられる。

 馬鹿正直に急所を狙うのはまさに下手な考えを持つ素人そのもの。

 急所を狙わず、得意な間合いを常に維持して、確実に当てれる場所に攻撃をあて、腱を斬り、動きを止め、仕留める。

 そうした技術も知識もなかった。

 だから俺はただつっこんで、もういちど首を狙う。

 今度は相手も余裕ができたのか、躱された上で蹴り飛ばされる。


「がはっ!?」


 一撃で痛みに支配され、頭が冷えていく。

 俺を蹴ったのとは別の男が、俺を殺すべく追撃にやってくる。

 先ほどまでの強迫観念が鳴りを潜め、恐怖に支配される。


(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、殺される――)


 必死で立ち上がり、目を開ける。


(逃げ――)


 少女の顔が目に入った。

 美しい双眸が死んだ魚の目のように光を失っている。

 その目で、俺を見ていた。

 ああ、この人は死んでしまうな、どうして助けられもしないのに命を捨てようとしているのだろう?

 そんな声が聞こえてくるようだった。

 痛みも、恐怖も、その瞳の悲しさを消すには至らなかった。

 何もできない俺だけど。

 何の役にも立たない俺だけど。

 恐怖をねじ伏せろ。

 怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い、怖くて怖くて仕方がない。

 逃げるべきだ、逃げよう、今すぐなにもかも投げ出して――

 でも――

 俺は剣を構えた。

 目を見開く。


「おああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 その場で咆哮をあげた。

 恐怖を振り払うように。

 力みすぎだ。

 感情に任せすぎだ。

 冷静さなどなかった。

 でも、再びアドレナリンが充填される。

 恐怖は消えない。

 でも全身が粟立つ。

 根拠のない全能感を奮い立たせて、恐怖を無理やりねじ伏せる。

 この瞬間、俺はあらゆるものが本来の俺の限界を超えていた。

 ゴミが限界を突破したところで、所詮はゴミだ。

 それでも――


(守りたい――)


 こんな先のない俺なんかの命でなく、まともな世界に生まれてればきっと輝かしい未来を幾らでも選べたであろうあの命を。

 再び駆ける。

 先ほど俺を蹴り飛ばした男に向けて剣を投げつけ、そのままもう一人の男に突っ込んでいく。

 男が俺に切りかかってくる。

 俺は避けるのではなくさらに踏み込んだ。

 下がるという意思はなかった。

 アンデッドの如く死を恐れないその動きに、眼前の男が驚愕に目を見開く。

 更に、運が俺に味方をした。

 偶然にも俺を蹴った男の顔に向けて投げた剣が、ノーコンがいい様に作用して頸動脈を貫通していた。

 しかしその事にも気づかないまま、俺は眼前の男の股下をくぐる。

 男の斬撃は、俺の背中を掠めるにとどまる。

 視界には首を抑えて蹲る男と、そいつが持っていただろう剣。

 状況を十分に認識しないまま俺は迷わず剣を拾うと、追いすがる最後の一人に向けて反転し、突撃した。

 既に男は剣を振りかぶっている。

 だが俺は止まらない。

 死んでもいい、でも殺さなければ彼女が死ぬ。

 相打ち上等、俺は前に出た。

 一方相手は相打ちはゴメンだったらしい。

 まるで止まらない俺相手に、攻撃よりも守りを意識した。

 俺が殺した二人はどちらも上半身への攻撃だったからか、男は上半身への守りを意識した動きだった。

 一方俺は下半身への攻撃をはじめから狙っていた。

 それに気づいた男が慌てて俺を斬りつけに回るが、一度防御に回った剣だ。

 躊躇う事なく男の股間を串刺しにしていた。


「ぎゃああああああああああぁぁぁぁ!?」

「あぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!」


 股間から夥しい血を流しながら絶叫し、頽れる男。

 一方の俺も左肩を襲う激痛に悲鳴を上げる。

 男が中途半端に振るった剣だ、切り裂かれるまではいかなかったが、鈍器で左肩を殴られたかのような痛みが広がる。

 涙で視界がゆがむ。

 それでも俺は剣を構えた。

 が――


「あたってたのか……」


 先ほどなげた剣は牽制と割り切っていた。

 しかしここにきてようやく今手に持っている剣が、先ほど投げた剣で死んだ男が持っていたものだという事に気が付いた。

 少女の横で絶命していた。


「は、はは……」


 奇跡が起きた。


「守れたのか、俺は……うっ……!!」


 左肩の激痛が増していく。

 見れば血が流れていた。

 腫れも酷い。

 俺は壁に背を預け、座り込んだ。

 そんな俺の様子を、少女はじっと見つめていた。

 そんな少女に俺は、痛みに歪んだ顔のまま、無理やり微笑みかけた。

 あまりうまく笑えていないのは解っているが、敵意はないと伝えたかった。

 少女が俺に近づいてくる。


「ライクフン?(痛む?)」

「べぶ……(アア……)」

「ユィケブ?(なぜ?)」


 さっき剣で斬られたのは見ているはずだ。

 つまりこの何故は、どうして助けたのかってことだろう。


「えい、ごくー、むこい、うぉー……(ジブンモシラナイ……)」


 少女は俺の返答を聞くと、男達が使っていた剣を拾って、男の服を切り刻んだ。

 その布を使って俺の肩の止血をしてくれる。

 その動きがあまりにも迷いなく、身長から推測される通りの年齢には思えなかった。


 やはりそういう種族がいる世界なんだろうか。

 あるいは、そういう病気なのか。


「ジョー(いく)」


 さっきから文章単位でしゃべらないところを見ると、この少女もしゃべるのは苦手なのかもしれない。

 痛みのせいで動きたくはないが、確かにここでじっとしているのは得策でない。

 この少女が売られたのか、それともストリートチルドレンの連れ去りが珍しくないのかは知らないが、連中の同業者に目を付けられるのは避けたい。

 しかし行く当てがない。


「いけーて?(ドコヘ?)」

「アイルコクェ(あなたの家)」


 この世界に俺の家などない。

 かといって迷惑をかけない為に飛び出していったイティークの家に転がり込むのはありえない。

 バレたら迷惑がかかるのもそうだが、城壁を越えなければならない。

 この血だらけの恰好のままで。

 状況を説明したいが、細かく説明できるほどにこの世界の言葉に精通していない。

 今は時間がない、とりあえず家が無い事だけでも伝えておこう。


「くぉ(ナイ)」

「!?」


 少女は俺の言葉に驚いたようだった。

 あまり大きく表情が変わったわけではないが、息をのんだのが解る。

 そしてなぜか、頬には一筋の涙。


「……ユィケブ?(……なぜ?)」


 なぜ、か。

 それは俺が君に聞きたいことだ。

 どうして泣いているのかって。

 俺は痛みに歪む顔を抑え込みながら、なんとか笑顔を見せる。


「……ユィケブ」


 何も答えられない俺に、少女はもう一度つぶやいたのだった。







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