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ラドゥと旅路と獣狩り  作者: あびすけ
【ラドゥと少女と獣憑き】
4/15

ラドゥの放浪






 その朝、ラドゥは村を後にした。

 ほとんどすべての村人がラドゥを見送ってくれた。



 その村に辿り着いたのは、偶然だった。

 その日、ラドゥは深い山の中を歩いていた。〈砦〉でジャックたちと別れてから数日間、ラドゥは街道を使っていた。しかしひとりきりの旅人というのは恰好の獲物、頻繁に野盗につけ狙われ、襲撃された。ラドゥは盗賊に忠告し、それでも駄目なら叩きのめした。そんな事を繰り返しているうちに、ラドゥは面倒臭くなってしまった。

 街道を歩いているから目立つんだ。

 そう気づいた彼は、道なき道を行くことにした。


 たまたま目についた山にふらりと足を踏み入れた。山中は穏やかだった。鳥の囀り、虫の鳴き声、そして風が樹葉きのはを揺する音。歩きながら木の実を拾い、目についた野草を口にした。やがて空に薄暮が迫った。手頃な場所で夜営をした。焚き火にあたりながら、ラドゥは〈夜霧ヨギリ〉のない森というものがこんなにも心地よい場所なのだと驚いていた。あたりは水底のような闇に包まれ、静寂がすべてを満たしている。時折ぜる焚き火の音だけが、ラドゥの鼓膜を震わせる。〈澱底オリゾコ〉にも鬱蒼と茂る森はあった。山林での夜営ならこの前ジャックたちとしたばかりだ。だが、どちらもケモノの脅威にさらされていた。気が休まる暇などなかった。特に澱底での生活は酷かった。すべての物を観察し、すべての音を警戒していた。五感のすべてが獸の襲撃を察知する為に働いていた。起きている時間は鍛錬に費やされた。剣術、体術。あらゆる狩りの技術を叩き込まれた。そしてひとたび獸が現れれば、殺した。何匹も、何匹も。剣を手に、ガロと共に、獸の血にまみれながら。


 焚き火を見つめながら、ラドゥは苦笑した。

 あまりにも劣悪な環境だった。

 あまりにも危険な日々だった。

 だからこそ、あらためて実感している。獸のいない夜の平穏さを。



 三日間、ラドゥは山を歩き続けた。

 深い山奥だ。誰にも出会わなかった。ここがどこなのか見当もつかなかった。が、ラドゥは気にしなかった。どうせ当てのない旅路だ。勝手気ままに歩くのも悪くない。いずれ人里にでも行き着くだろう。

 その煙がラドゥの目に飛び込んできたのは、そんなことを考えていた時だった。

 樹葉の隙間から覗く青空に、一条の煙が立ちのぼっていた。

 ラドゥは繁茂する草叢を掻き分け、山の斜面に出た。

 ひらけた谷間たにあいに村があった。家屋が点在していた。炊事でもしているのか、家々からは白い煙が立ちのぼっていた。村の半分ほどを占める畑で人影が動いていた。

 陽は高い。抜けるような青空が頭上に広がっている。今から目指せば、陽が暮れる前には着くだろう。

「今夜は野宿をせずにすみそうだな」

 ラドゥはそう呟いていた。




 最初、ラドゥは村人に警戒された。深い山の中の小さな聚落。そういった場所は得てして閉鎖的なものだ。よそ者の姿はよく目立ち、村に立ち入ったラドゥは、瞬く間に村民の男たちに取り囲まれた。遠巻きに女や子供たちがラドゥを見ていた。みな、剣呑な目つきをしていた。男たちは威嚇するように拳を振りあげ、斧や桑を構える者さえあった。

 だが、しだいに村人たちは警戒を緩めていった。

 ひとえに、ラドゥの容姿ゆえだ。

 ラドゥは自分の年齢を知らない。いつ両親に捨てられたのか覚えていない。物心ついた時にはひとりだった。盗みや物乞いで糊口をしのいだ。やがてガロに拾われ、澱底へ降りた。そこから十数年、師の元で生きてきた。これまでの記憶を辿り、ラドゥは自分の歳が十五から十八の間だろうとあたりをつけている。だが、小柄な彼は、実年齢よりも幼く見られる。

 その容姿は、時に野盗などを招き寄せてしまう。だが、良い面もある。

 村人たちの目に映るラドゥは、薄汚れた外套マントを羽織った少年だった。とてもではないが、自分たちに危害を加えるような類いの人間には見えない。実際、その通りだ。自分ではまったくそんな風には思っていないが、ラドゥは善良な人間だった。

「どうした、道にでも迷ったのか?」

 ひとりがそう問うと、村人たちは次々にラドゥを気遣うような言葉をかけてきた。

 ラドゥは自分は旅人だと説明した。野盗を避け山に入った。最近は野宿ばかりしている。できれば一晩泊めてもらえればありがたい、と。

 村人たちは快く了承してくれた。

 ラドゥは頭を下げた。



 ラドゥは村長宅の納屋で寝起きをした。人ひとりが生活するには十分すぎる広さだった。

 村長夫婦は子宝に恵まれており、家の中はがやがやとやかましかった。これでは休まらないし、それに部屋も用意できそうにない。

「納屋でもかまわないだろうか」

 村長は申し訳なさそうにとラドゥを見た。

 その提案は、ラドゥには願ったり叶ったりだった。

 ラドゥは素性を隠したかった。躯に刻まれた幾つもの傷痕を見せたくなかった。ガロの剣を人目に晒したくなかった。〈外〉で狩人がどう扱われるのかはわかっている。獸は忌み物。その獸を殺す狩人も、また忌み者。ラドゥは〈協会〉に所属しているわけではない。だが、狩人だ。村人たちがどのような反応をするのかわからない。もしかしたら、彼等はそんなことを気にしないかもしれない。だが、隠せるなら隠しておくにこしたことはない。


『無用ないさかいをするな』

 ガロの言葉が蘇る。

『自分から厄介事に首を突っ込むな。それが長生きするコツだぜ』


 師の教えは正しい。

 外の世界は澱底ほど単純ではない。

 獸狩りに明け暮れていたラドゥには、この世界は複雑に映る。

 だが、その複雑さこそが人の営みというものなのだろう。

 そんなことを考えながら、ラドゥは壁にもたれた。村長夫人が運び込んでくれた寝具は使う気になれなかった。横になるのは落ち着かない。剣を抱き、マントを深く羽織り、ラドゥは目を瞑った。

 この癖は当分抜けそうにない。



 気がつけば、ラドゥは十日程も村に逗留していた。

 村の人々はいくらでも居てくれて構わないと言ってくれた。特に急ぐ旅でもなし、ラドゥはその言葉に甘えた。


 ラドゥは村の仕事を手伝った。水を汲みに行き、野兎や野鳩を狩った。薪を割り、草を刈り、畑仕事にも精を出した。男手がひとり増えたと、村人たちは喜んでくれた。

 平和な生活だった。

 ゆるやかな時間が流れていた。

 こういう生活も悪くないのかもしれない、とラドゥは思った。

 どこかに落ちつき、何かの仕事に従事し、妻をめとる。いずれは子が産まれ、そして孫が産まれ、静かに歳をとっていく。外の世界ではありふれた営み。そういう生き方は、きっと幸せなのだろう。


「いや、俺には無理か」


 その夜、納屋に戻りそんな事を考えていたラドゥは、そう呟いていた。

 折り畳んだマント、その隙間に隠しておいた剣を取り出す。獰猛な面構えの豺狼さいろうが彫り込まれた鞘。その鞘に収まるのは、分厚く、幅広の、重厚な刃。ガロの形見。〈重剣ジュウケン〉と呼ばれる、獸狩りに特化した狩人の武器。

 ラドゥは剣をくと、そっと納屋を出た。

 音ひとつ立てず、森に入る。

 山道を下り、川辺に出る。

 月明かりに川面がきらめいている。心地よい夜気が肌を撫でる。満点の星空の元、ラドゥは剣を抜き、刃を振るった。踊るように軽やかに、かと思えば戦士が斧を扱うように力強く、剣を振り下ろす。重心、足捌あしさばき、剣筋など、あらゆる技術を確認する。澱底を出た当初は、剣を封印していた。外の世界では使うことなどないと思っていた。野盗程度なら素手で充分だった。最初に外で剣を抜いたのは、ジャックたちの仕事を引き受けた時だ。ラドゥは狩人の荷物持ちとして雇われた。出発前に、念のため自分の腕前を確認した。なまってはいなかった。汗を拭いながら剣を鞘に納めた時、また当分のあいだ抜くことはないだろうと思った。

 それは間違いだった。

 訪れた森林で、ラドゥは最悪の獸と遭遇した。

 一晩で町一つを喰らうといわれる、赫いの獸。

 オリから発生する規格外の化け物。

 弐號種ニゴウシュ

 あの獸との死闘以来、ラドゥは三日に一度は剣を抜くようにしていた。

 澱底にいた頃ほど気を張っているわけではない。だが、外の世界にも脅威はある。

 緩めるわけにはいかない。にぶらせるわけにはいかない。

 先ほど、ラドゥは気づいたのだ。

 なぜ自分がこの村で精力的に働いていたのか。

 躯を動かす為だ。筋力と体力を衰えさせない為だ。

 何時何時いつなんどきであろうと、対応できるように。

 どのような敵が来ようと、戦えるように。

 たとえ今、弐號種に襲撃されようと、負けないために。

 だからラドゥは納屋で呟いたのだ。俺には無理か、と。

 こんなにも平和な村の中にあっても、ラドゥは狩りを、戦いを見据えている。

(俺は平然と獸を殺せる。どころか、必要なら躊躇いなく人も殺せる)

 ラドゥは動き続ける。剣術。体術。躯を完璧に操る。神経を研ぎ澄ませる。ガロに教わった狩りの知識。受け継いだ殺しと暴力の技術。

 何時いつしか夜は深まっている。

 鍛錬を切り上げ、ラドゥは帰路についた。

 木立の隙間に家々が見えた。

 此処ここでは夜霧が発生しない。獸の気配は欠片もない。安全だ。平和だ。人々は怯えずに眠ることができる。

 ラドゥはその光景を眺めながら思う。

(俺は此処にいるべきではない)



 翌朝、ラドゥは村を後にした。

 ほとんどすべての村人が見送りに来てくれた。

 ラドゥはいくらかの銀子を村長に渡そうとしたが、断られた。

 村人たちはラドゥの肩を叩いたり、その手を握ったり、抱きしめたりした。ラドゥはどう反応してよいかわからず、されるがままだった。だが、嫌な気分ではなかった。むしろ温かかった。そしてその温かさは、彼にはまったく馴染みのないものだった。

 ぎこちなく笑い、ラドゥは彼等に礼を言った。

「さよなら、達者でな」

 村人たちの別れの言葉を背に受けながら、ラドゥは旅路に戻った。

 麓までの山道は教えてもらっていた。それは山道とは名ばかりの、獣道のような杣路そまじだった。数刻も歩けば街道に出るという。黙々とラドゥは歩いた。やがて勾配が緩やかになってきた。木々がまばらになり、視界が開けてくる。山道が終わろうとしていた。

(さて、どうするか)

 何処どこを目指すか。何をするか。俺は何をしたいのか。

 ぼんやりと、そんなことを考えていた。


「はやく、お逃げくださいッ!」


 怒号のような大声に、ラドゥは想念から引き戻された。

 続けざまに声が響いた。声は先ほどより不明瞭で聞き取れなかった。だが、その響きには異様なほどの切迫感が込められていた。前方、おそらく街道の方からだろう。

 ラドゥの歩みが速くなる。駆けるように草叢を抜けていく。

 なめらかな動作だ。物音ひとつ立てない。

 すぐに街道が見えてきた。

 気配を殺し、ラドゥは素早く樹の陰に身を隠す。

 わずかだが、血の臭いがする。

 警戒心が鎌首をもたげた。

 ラドゥは鋭い眼差しを街道へ向けた。

 道の真ん中に、男がうずくまっていた。ラドゥは眼を凝らす。初老の男だった。躯は筋張り、顔には深い皺が刻まれていた。そしてその顔が、苦痛に歪んでいた。自らを抱きかかえるように、左手を腹部に押し当てている。

 足下に血溜まりができているのを、ラドゥは見逃さない。

 男に寄り添うように、少女がいた。無地の寛衣を着ていた。闇のような長い黒髪を綺麗に結い上げ、眉上に額布を巻いていた。ラドゥよりいくらか年下だろうか、幼さの抜けきらぬ童顔を不安げに歪め、少女は男の腕を追うように、その腹部に手を伸ばしていた。

「何を、しているのですッ」男は唸った。「奴等が、来ます、はやく、お逃げくださいッ」

「あなたを置いて行ったりしないッ!」

「今の私では、貴女あなたを守りきれそうに、ありませんッ」

「なら、わたしがゴドを守る」少女は男の眼を見つめた。「わたしが戦う」

「なりません」

「わたしだって、戦える。アレ・・べるかどうか、わからないけど、でも、わたしだって」

「シムカ様」少女の言葉を遮り、男は彼女を抱き寄せた。血に濡れた指先が少女の頭を愛おしげに撫でた。「貴女がその力をいとうているのを、私は誰よりもよく知っています。使う必要など、ないのです」男は優しく微笑んだ。「幼少の頃から貴女に仕えてきました。シムカ様が誰よりも優しことを、私が知らないとでも思いますか。それに、私は貴女の近衛剣士です。使命を全うさせてください」

 男は少女を離し、立ち上がった。

 血塗ちまみれの手が腰から剣を引き抜いた。

「私が時間を稼ぎます。だから、どうかお逃げください」

「そんな……」

 一陣の風が吹き、ふたりの会話が掻き消えた。 

 もう一度抱擁を交わす彼等の姿を、ラドゥは黙って見つめた。


『自分から厄介事に首を突っ込むんじゃねぇぞ』

 師の言葉が脳裡をよぎる。

『それが長生きするコツだぜ』

 ガロの教えに従うなら、今すぐこの場を離れるべきだ。



 不意に少女の躯が固まった。

 男は彼女を庇うように前へ出た。

 少女の眼に怯えが滲む。男の眼で敵意が燃える。ふたりの視線は街道の先へと向けられている。

 その視線をラドゥは追う。

 正午の陽差しに照らされた街道を、二つの人影が駆けてくる。

「〈鬣犬ハイエナ〉め」剣を構えながら男は吐き捨てた。「もう、追ってきたのか」

 疾風の如く駆けてきた二つの人影は、標的の姿を認めたからか、歩調を緩めた。

 ひとりは長身。

 ひとりは短躯。

 どちらも黒い外衣マントに身を包んでいた。頭巾を深く被っているため顔立ちはわからない。だが体格は隠せていなかった。マント越しでもわかる。屈強だ。それも野盗や破落戸ゴロツキなどに特有の、大雑把な鍛え方ではない。鍛錬と戦場によって作り上げられた、実戦的な躯つきだった。

「まったく、手間をかけさせてくれる」長身の男が忌々しげに吐き捨てた。「俺たちから逃げ切ることなどできぬと、わかっているだろうに」

「同感だ」短躯の男は頷き、くつくつと嗤う。「また逃げられても面倒だ。脚の一本でも斬り飛ばしておくか?」

「やめておけ。大事な商品・・だ」

「冗談だ」

「老いぼれの方は殺して構わんが、小娘は無傷で連れ帰る」

「わかっている」

「もし小娘が喚んだ・・・ら」

縛る・・、だろ? それもわかっている」

 黒衣の二人組はゆっくりと少女たちに近づいてゆく。

 ラドゥは溜め息をついた。

 今なら、引き返せる。

 その気になれば音ひとつ立てず、気配の余韻すら残さずに、この場から立ち去ることができる。

 そうすべきだ、とラドゥは思った。人助けなど柄じゃない。俺はそんな人間じゃない。確かに外の世界に出てきてから何度か人を助けた。隊商の世話になっている時、野盗に襲われた。護衛が皆殺された為、ラドゥが野盗の相手をした。あるいはこの前の獸狩り。弐號種に強襲された狩人を逃がすために、ラドゥは剣を抜いた。

 だが、それらはラドゥ自身が巻き込まれていた。

 降りかかる火の粉は自分の手で振り払うのがラドゥの性分だ。

 あくまで成り行きだ。

 結果的に人助けのような形になっただけ。

 しかし、今回は違う。ラドゥが狙われているわけではない。関われば、面倒なことになる。今すぐここから立ち去るべきだ。


『自分から厄介事に首を突っ込むんじゃねぇぞ』


 再び脳裡を掠めた師の言葉。

 不意に、ラドゥは苦笑した。

「ガロ、あんたは見抜いていたんだろうな。俺の性格を」マントの中で、ラドゥは拳を握った。「だから俺に、何度もそう教え込んだんだろうな」



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