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「今度は立場が逆転しています。時代は…………百五十年ほど前でしょうか。お母さまと唯愛さんは、なにかのパーティーで出会いました。二人とも貴族です。今度はお母さまのほうが名門の令嬢で、唯愛さんは没落しかけた家の貧乏学生という感じです。出会った時、お母さまは表面的には理由を知らなかったでしょうが、『やっと再会できた』という気分だったんじゃないでしょうか。もう『一目惚れ』とも言えないかもしれません。お母さまからすれば『約束された出会い』でしょう。ただし、唯愛さんにとっては真逆でした」
唯愛の顔はこわばり、唇も血の気を失っている。
桐人もその顔を見て、同情した。本人達は自覚していなくとも、前世もここまでくると『憑りつかれた』レベルだ。
同時に、嫌な予感がした。この状況で身分が逆転ということは…………。
「お二人の間は、けっこう身分差があったようです。ですが、お母さまが積極的に唯愛さんに迫って、最終的には婚約までこぎつけています。たぶん、唯愛さんの家に援助を約束して、それで唯愛さんの当時のご両親も…………という形だと思います。事情はどうあれ、身分の高い相手に熱心に求められることは、身分社会においては幸運なことですし」
「ただ」とリリシャは付け足した。
「唯愛さんは留学を希望していて、婚約後、お母さま側からの援助でそれを叶えたようです。留学後はお母さまの家を後ろ盾に、高い地位を約束されていたようですが…………」
「が?」
「唯愛さんは戻ってこなかったようです。留学先で現地の女性と恋仲になり、お母さまとの婚約を解消する手紙を送ったあと、彼女と結婚して、でもすぐに流行り病に罹って、帰国することなく亡くなった…………というのが私の《鑑定》結果です。おそらく二十五歳より前のことでしょう」
なにやら古典文学のような展開だが、唯愛は目に見えて安堵の表情となった。
「四度目は説明の必要はないでしょう。唯愛さんは『宮原唯愛』として生まれ、お母さまは唯愛さんの母親として生まれた、というわけです」
《鑑定士》の長い語りを聞き終え、唯愛は呆然と息を吐き出した。
「それが…………母の私への過干渉の理由だったんですか…………」
「大きな原因だと思います」
「まあ、たしかに、前世からの絆とか因縁とは言うが…………実際、それはそんなに強いものなのか?」
「少なくとも、こちらのお二人の間では――――特にお母さまのほうでは、強いものだと思います」
リリシャは説明した。
「お母さま本人を鑑定したわけではありませんから、これを完全にお母さま側の理由と言いきるのは危険ですけれど。大きな原因とは推測できます。前世や生まれ変わりといった概念は、この世界では信じる者とそうでない者がいるようですが、お二人の間ではそれが『存在する』という前提で事態が進んでいる以上、今回は『あるもの』として話を進めます。少なくとも、唯愛さんの魂はそういう風に認識していますし、おそらくはお母さまのほうも同様でしょう。そしてお母さまは唯愛さんに、より正確には唯愛さんの魂を手に入れることに執着している。たぶん、意地にもなっているんでしょう」
「意地…………」
「わかる。むきになっている部分は大きそうだよな。『私がこんなに愛しているのに、どうしていつまでも嫌がるのよ!』って」
桐人も店で時々見かける光景だ。
唯愛は混乱と動揺の様子を見せる。
「私が何度も拒絶してきたから…………母は、なにがなんでも私を手に入れようと、意固地になっているんでしょうか。母の過干渉は、それが原因なんでしょうか? …………そもそも、どうして母は、そこまで私にこだわるんでしょう? 私はもう、前世の貴公子とは姿も身分も、性別自体、まったく違いますよね? なのに、どうして…………」
「そのあたりは、お母さま本人を《鑑定》しないことには、確実なことは言えません。ひょっとしたら、お母さまご自身も明確には把握していないことかもしれません。人を好きになるのに、必ずしもはっきりした理由や条件は存在するものではありませんし」
困惑する唯愛に、「ただ」とリリシャは付け足す。
「勝手な推測でしたら、多少はできます。私が《鑑定》した限り、お母さまと唯愛さんは基本的に真逆です。そこがお母さまを惹きつけたのかもしれません」
「真逆、ですか?」
「視る限り、唯愛さん――――唯愛さんの魂は、外向的な性質のようです。『宮原唯愛』の人生では、お母さまにかなり抑圧されてきたようですけれど、本来はどんどん外に出て行く性格で、人見知りせず、新し物好きで、次から次へと知らないものに手を出すのが楽しい、そういう人柄です。飽きっぽいと言われるのでは?」
「あ、はい、それは友達にもよく…………スイーツとかステーショナリーとか、新商品を見つけると、試さずにはいられなくて…………」
唯愛はちょっと恥ずかしそうにする。そういう表情をすると、とても可愛らしい。
「本当は、唯愛さんはお母さま以外にも、前世からの縁がある人達と何度か出会っています。ですが唯愛さんの場合、今その時の自分の気持ちが最優先ですから、前世からの縁がある人でも、嫌だと思えば付き合わないし、逆に縁がない人でも、好きと思えば積極的に親しくなるんです。そういう点がお母さまとは正反対」
「ああ、言われてみれば…………」
「お母さまは逆に、生き方にしても人付き合いにしても、なかなかそれを広げられず、新しい選択肢を選ぶのにとても時間と勇気を要する。いったん『これ』と思ったら、そこで固定して、新しいものを探したり選んだりしない。そういう人柄では? 一度『この人!』と思ったらそれ以外を見ないから、唯愛さんに拒絶されても、すがるしかないんでしょう」
「ああ…………わかります。たしかに母は、交友範囲がせまいです。母の実家とか、パート先の人とも特別、仲良くしている様子はないし、学生時代の友人もほとんどいないみたいで…………同窓会にも行きません。基本的に家にいます。私が時々『たまにはカフェにでも行って来たら』『新しく友達を作ったら』と言っても、『唯愛がいればいい』の一点張りで。…………たしかに、母のそういう性格も私に執着する一因かもしれません。他にやることがないから私一人にかまっていられる、というか。そういうところも、私が母を拒否してしまう一因です。世界がせまいというか…………」
視線をさまよわせて記憶をさらう唯愛は、どんどん点が線へとつながっているようだ。
「インドア派が悪いわけではないですけど…………母がもっと外に目をむけられる人だったら、ここまで執着されることはなかったのかもしれません。私も、もう少し気が楽だったかも…………」
唯愛は肩をおとした。
「で、それがわかったとして。このあとは、どうしますか?」
「このあと…………ですか?」
「どうにかしてお母さまを《鑑定》して、執着の理由をもっと深く調べますか? それとも浅からぬ縁ということで、このままお母さまとの関係をつづけますか?」
「無理です」
唯愛は即座に断言した。
「前世からの縁があろうとなかろうと、今の私はもう、母の過干渉には耐えられないんです。ずっと想ってきてくれた母には申し訳ないですけど、もう母の気持ちを受け容れることはできません。母から自由になりたいんです」
ふるふると首をふる唯愛の顔つきは切実で、悲壮感さえただよっている。
「となると、きっぱり『縁を切る』他ないでしょうね」
ここでやっと、桐人の存在と能力が思い出される。
「でも…………大丈夫でしょうか。キリトさんにはすでに一度、縁を切っていただいて、それでも三日間でもとに戻って、二回目を切ってもらったばかりなんですが…………」
「そうですね」
リリシャはピンクの瞳で唯愛を見ながらいった。
「唯愛さんとお母さまの『縁』は、まだ完全には『切れて』いません。お母さまはなにがなんでも、唯愛さんを手放す気はないんでしょう。なんといっても今生は母娘で、伴侶にはなれなくとも、共にいるには絶好の大義名分です」
「そんな…………」
「ただ」
リリシャは重々しく語る。
「人間関係において、一方的な想いというのは、重荷になりやすいと思います。想われるほうはもちろん、想う方にとっても、です。『想っていられるだけで幸せ』というのは、きれいな理想でしょう」
(たしかに)と桐人も胸の内で同意する。
『想っているだけで幸せ』。それが成立しない男女の関係を、今の仕事に就いて散々見聞きしてきた。
「何度も言い寄られて、唯愛さんは疲れてうんざりしていると思います。唯愛さんが男性でないのも、お母様から逃げたいと願った結果かもしれません。でも、お母さまもまったく平気とは思えません。下女だった頃から拒絶されつづけ、高貴な身分と育ちを得て強引に婚約にこぎつけても、けっきょく逃げられて。親子という、本来、とても強い絆で結ばれるはずの関係に生まれ変わっても、唯愛さんからは拒絶されるばかり。お母さまとしても意地になる一方で、いいかげん楽になりたいというか、どこかでふっきれたいと望む気持ちはあるんじゃないでしょうか」
「そう…………でしょうか」
唯愛の顔に困惑がうかぶ。実感がないようだ。
「本気でお母さまと縁を切る気があるなら、もう一度、桐人に『縁切り』してもらうことをお勧めします。特に今は、縁切りして弱まっている状態のようですから、今のうちにたたみかけたほうが効果的だと思います。縁が復活してからでは、桐人の負担が大きくなると思いますから」
「いや待て」
桐人が口をはさむ。
「言いたいことはわかるが。俺の『縁切り』は、切っても三日間しかもたなかったんだぞ? またやっても、効果が出るとは…………」
「大丈夫です」
リリシャのピンクの瞳が桐人の瞳を見あげる。
「今回は、もっと効果の強いやり方を、私が教えます。桐人は、唯愛さんが無事に縁を切れることを祈って、私の指示に従ってください。――――どうしますか? 唯愛さん」
再度、リリシャが唯愛に訊ねる。
唯愛も、もう迷わなかった。
「お願いします。私と母の『縁』を『切って』ください」
またまた、長いので分けます……。