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「じゃあ、このまま玉ネギを炒めつづけてくれ」
「了解しました」
桐人から木べらを受けとったリリシャが場所を交替して、オニオンスープになる予定の、深鍋の中の輪切りの玉ネギを炒めはじめる。手つきに危なっかしい動きはなく、玉ネギはリリシャに任せて、桐人はサラダの用意にとりかかる。炒めるのを任せる相手がいるだけでも、料理にかかる手間と時間は違う。
トマトを輪切りにしていくものの、頭の中はつい、宮原唯愛の件を考えてしまう。
キャバ嬢や同業者達に頼まれ、個人で『縁切り』をするようになって、数年。その間、『切った縁が復活』するのは何度かあったが、さすがに三日で効力が切れるというのは、はじめてのケースだ。宮原唯愛の母親はよほど娘から離れたくないのだろう。
一応、桐人は話を聞いたあと、もう一度、今度はさらに念を入れて縁を切った。
が、それで事態が好転したかはわからないし、その保証もない。
これで解決するのか、それとも、さらに別の対策をしたほうがいいのか。
桐人には予測できないし、できないがゆえに、唯愛に対して「申し訳ない」という罪悪感を覚える。
(俺が半端なことをしたばかりに…………?)
そんな考えがよぎってしまう。
頭の表面では、自分のやるべきことはわかっている。
このまま定期的に『縁切り』をつづけて、唯愛に『お得意様』になってもらえばいい。
しかしそう結論を下すには、桐人はいささか事情を抱えすぎていた。
これまで縁切りの依頼を受けてきて、これといった大事になった経験がないので安心していたが、手を出してはならない領域に踏み入ってしまったのだろうか。
背筋にひやりとした感触が流れる。
と、場違いなまでにのんびりした声に物思いを覚まされた。
「これ、いつまで炒めればいいんですかー?」
リリシャだ。
十代の可愛い女の子が、茶色がかった灰色の髪をうしろで一つに結んで、桐人のエプロンをつけて真剣な表情で台所に立つ姿は、お世辞抜きにいろいろ可愛らしいと思う。
桐人はいろいろな意味で現実に引き戻された。
「まだまだ、あと十分は炒めないと。もっと飴色になるまで炒めてくれ」
「飴色…………茶色ですか?」
「そう。半分以下にちぢむ」
「焦げるんじゃないですよね?」
「全然違う」
断固、強調しておいて、桐人は一つの案が脳裏に浮かぶ。
(でも)と思いつつも、(ひょっとして)と一縷の希望を賭けて、木べらを動かしつづけるリリシャに訊いてみた。
「訊いていいか?」
「どうぞ」
「リリシャは…………リリシャの《鑑定》は、人の『縁』は視えるのか?」
「その人が誰と仲良くしているのか、という情報であれば、相応の実力があれば視えますよ」
「じゃあ、視た相手が誰かに熱烈に愛されている、みたいな情報も?」
「視た相手に、愛されている認識があれば」
「認識?」
「たとえば、視た相手に気づかれないよう、姿を現さずに想いを寄せている場合とか。『あいどる』? でしたっけ? ああいう、大勢に愛されている人だと、一人一人までは把握していないでしょうから、そういう場合は《鑑定》では詳細な情報を視ることは不可能です」
「ああ、そういうことか」
「なにかありましたか?」
逆にリリシャが手は動かしたまま、桐人のほうを見つめてくる。
リリシャには、桐人が水商売をしていることも、桐人が多少、人とは違う能力を持っていることも話してある。
というより、リリシャの《鑑定》によって初対面で暴露されたのだ。
桐人は駄目もとで話をしてみる気になった。
「昨日…………いや、はじめから話すと、一週間前からの話だけど…………」
桐人は、切ったトマトとモッツァレラチーズを交互に皿に並べていきながら、唯愛と彼女の母親の件をリリシャに話した。
唯愛に頼まれて、過干渉な母親との縁を切ったこと。母親が入院したと思った矢先、たった三日間で、唯愛の母親の過剰な連絡が復活したこと…………。
リリシャは桐人がひととおり語り終えるまで、神妙に耳をかたむけていた。
「それは単に、桐人の実力が不足していただけの話では?」
リリシャは鍋と玉ネギから目を離さず、感想を述べてきた。
「…………まあ、突き詰めればそういうことだろうけど」
ドレッシングの瓶をふっていた桐人の手がとまる。
なにか言ってやりたいが、反論のとっかかりが見いだせない。
納得はいかなかったが、無理やりあきらめてドレッシングをかけていると、『魔帝退治に選抜された《鑑定士》』を名乗る少女が提案してくる。
「一応、視てみましょうか?」
「ん?」
「その桐人のお客様を。《鑑定》しましょうか?」
桐人は意表をつかれる。
リリシャは断言はしなかった。
「『必ず解決できる』とは、お約束できません。ただ、問題の女性と、その母親本人を《鑑定》すれば、『なぜ母親は、そこまで娘に執着するのか?』くらいはわかるかもしれませんよ? しないよりは、してみたほうが有意義、という話です」
玉ネギを炒める手はとめないまま、顔だけこちらをむいたリリシャの表情は知性的で、本職としての自負や威厳をただよわせている。桐人はなんだか、ライトノベルなどに登場する美少女探偵と話している気分になった。
けっきょく、たいした時間もかけず、桐人はリリシャの提案を受け容れた。
どのみち桐人一人ではこれ以上の案も出ず、できることもない。
ならばリリシャの提案に乗ったほうが、まだ道は拓ける気がしたのだ。
リリシャの《鑑定》の能力の精度は、桐人が身をもって知っている。
母親の過干渉の理由や原因が判明すれば、唯愛にとって大きな助けとなるだろう。
料理の途中だったが、桐人は時刻を確認して唯愛に『今、少しいいか?』とメールを送る。すると意外にも即レスで『大丈夫です』と返ってきた。
なにか、桐人に相談したくなるような出来事があったのか。
一瞬、嫌な想像がよぎると、電話の着信音が鳴った。
唯愛だった。
桐人は電話に出る。
同時に、なんとなく居心地の悪さを感じてキッチンを出ようとしたのだが、リリシャにシャツの裾をつかまれ、引き止められた。
リリシャは桐人のスマホに耳をよせてくる。しかたなく、スマホをスピーカー状態にした。
『こんばんは、キリトさん。どうしました?』
「こんばんは。夜にいきなり、ごめん。その後、お母さんの調子はどう?」
昨日今日、出会ったばかりの他人というにはなれなれしく、けれど、踏み込み過ぎというほどにはべたべたしていない口調で、桐人は話す。
『今日は特に。今のところ、メールも数件ですし…………』
唯愛の声にかすかなふるえが混じる。
『あの、キリトさん。ひょっとして、母の件でなにか…………』
桐人はもう、本題に入ってしまうことにした。
「実は、知り合いに唯愛さんの縁切りの件を相談して。知り合いといっても、そちらも――――縁切りはしないけれど、同業者…………のようなもので」
『同業者、ですか?』
「占い師なんだけれど、俺から話を聞いて一度、唯愛さん達を視てみたいと」
『占い師、ですか』
顔は見えない。が、唯愛の声はけして、馬鹿にしたり怒ったりするような響きではなかった。
ひょっとしたら、占い師も霊能力者も似たようなものと認識しているのかもしれない。
そういえば、霊能力者の中には『依頼人の過去や未来を透視できる』と自称する者もいるから、詳しくないであろう唯愛は混同しているのかもしれない。
「ちょっと違う」と言いたくなった桐人だが、逆に「それならチャンスだ」と切りかえた。
「唯愛さんは知らないと思うけど、実力は保証できる。視てもらえば、唯愛さんのお母さんの過干渉の理由について、なにかわかるかもしれない。だから、もし唯愛さんさえ良かったら…………」
『なんていう占い師さんですか? 有名な方?』
「○○区の××通りにある『フォルチューヌ』ってカフェの前で、『リリシャ』って名前で視ている。ネットでの宣伝は全然やってないから、検索してもあまり出てこないし、まあ『知る人ぞ知る』という感じだけど、そのぶん、能力は本物だから…………」
『わかりました』
唯愛はほとんど迷わなかった。
『キリトさんがわざわざ紹介してくれるからには、きっと優秀な方なんですよね? 会ってみます。母が私から離れてくれない理由――――それだけでも、私、知りたいんです』
話はとんとん拍子に進んで、ちょうど桐人とリリシャの仕事が休みの明日、唯愛の家に二人が赴く、という形でまとまる。待ち合わせの場所と時間を決めて、電話を終えた。
「今のが、問題のお客さんの声ですか」
「なにかわかったか?」
「いいえ。本人に会わなきゃ、なにも鑑定できませんよ?」
「じゃあ、なんで話を聞きたがったんだ?」
「魔術や精霊を介していない一般人が、遠くの人間と会話できる道具なんて、本当にすごいなぁ、って」
桐人は肩透かしをくらった。
そのあとは簡単だった。
唯愛の件に目途がついたことで桐人は少し肩の荷がかるくなり、きれいに飴色に仕上がった玉ネギに水を加えて火を強め、手早く鶏肉と付け合せの野菜を焼く。
オニオンスープと鳥の照り焼きが完成して、夕食となった。
「世界を構成するすべての精霊と、偉大なる創造と万能の神よ。御名において授けられた今日の糧に感謝し、我らの血肉とさせていただきます」
リリシャが故郷式の祈りの言葉を唱える。
同居するようになって一ヶ月間。
食事に限らず、リリシャはふとした拍子にあちら式の作法を見せるが、桐人は特に咎めない。「他の人間の前では気をつけろ」と伝えただけだ。
なんとなくリリシャの祈りが終わるのを待ち、二人で一緒に食べはじめる。
はじめこそリリシャが日本の食事を受けつけるか心配した桐人だったが、今のところ大きな抗議を受けたことはない。
今夜もフォークとスプーンを駆使して、よく食べていた。
ちなみにここに住みはじめた当初、リリシャはナイフとフォークを扱えなかった。
白い肌に茶色がかった灰色の髪、ピンク色の瞳と、西洋人っぽい見た目から箸に関しては期待していなかったが、ナイフとフォークが使えないのは意外だった。
「故郷では、ナイフやフォークは貴族の使う食器でした。私達、庶民はスプーンです」
というのが、リリシャの言い分だ。
「スープ類はそれでいいとして…………じゃあ、こういうサラダはどうするんだ? 炒め物とかは?」
「スプーンで食べます」
「肉や魚は?」
「同じです。スプーンで食べます」
「いや、スプーンだと切れないだろ?」
「皿に盛る前に、包丁で適当な大きさに切っておくんです。そもそも、肉や魚はお祭りとかお祝いの時のごちそうですから、我が家だと月に一、二回、食べる程度です」
「果物は?」
「丸ごとかぶりつけばいいじゃないですか」
桐人は悪い意味で驚かされ、うなった。
同じ美少女ならやはり、最低限のテーブルマナーは身につけていてほしい。むしろ美少女でも、マナーがなっていないのは御免だ。食事のたびに見苦しい光景を見せられるなど、不快の種にしかならない。同居するなら、なおさらだ。
いくら行くあてのない十代の少女とはいえ、物事には許容できる限界というものが存在した。このへん、育ちはいい桐人の許容範囲は、けして広くない。
特にリリシャに関しては、こちらが住処を提供する以上、常識の範囲内では桐人の方針に従うよう、要求する権利はあると思う。
桐人はさっそくネットで動画を探し、仕事の合間をぬって実際に箸やナイフ、フォークを並べて、異世界からやって来たと自称する少女に一通りのテーブルマナーを教授した。
リリシャも嫌がらず、むしろ真剣に練習した。
結果、現在のリリシャは箸の使い方は危なっかしいものの、ナイフとフォークはすっかり慣れて、桐人との食事でもスプーンとナイフ、フォークを常用するようになった。
箸も使いこなせるようになってほしいが、リリシャ本人がきちんと練習をつづけている以上、これ以上せっつくつもりはない。
「この料理、いいですね。かぷ…………かぷ…………かぷら?」
「カプレーゼ。トマトが好きなのか? それともチーズ?」
「簡単にできるのにおいしくて、見た目がきれいで、凝ったものを出したように見えるのがいいです。一見、私にもできそう」
「あのな」
「甘やかしたら駄目だな」と桐人は思う。
「簡単にできるものほど、食材の質と、料理した人間の腕が試されるんだぞ? そんなことを言うなら、自分で作るか?」
「うーん…………私が作っても食べませんね」
リリシャは真面目に返答した。
「だって、桐人が作ったほうがおいしいとわかっているし、二人で作ったほうが楽しいとわかっているし、『こんびに』や『すーぱー』に行けば、惣菜がたくさん売っているってわかっているし。私が一人で作る意味がないです」
桐人は反論の術を見失う。
「でも、マクリアに帰って、貴族とかにこの料理を教えたら、喜ばれると思います。あの人達は、こういうきれいな盛り付けの料理が大好きだから。あ、じゃあ、私一人でも作れるようになっておいたほうがいいのかな? 私が作ったら、桐人も食べてくれますか?」
ピンク色の瞳がこちらを見つめてくる。
(この小娘、彼女だったらいろいろ言ってやれるのに)
桐人はため息をこらえた。