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昼。桐人が帰宅すると、同居人の少女がリビングのソファで丸くなって寝ていた。
カフェの定休日はリリシャの仕事も休みだ。
桐人が買ってきたユ○クロの上下を着て眠るリリシャの寝顔は平穏で、茶色がかった灰色の髪をのぞけば、そこらの女子高生と特に違いがあるようには見えない。
むしろ一般的な女子高生より色が白くて顔立ちも整っており、モデルという程ではないが、何十人もいるアイドルグループなら、ステージで踊るくらいはできるかもしれない。
うっかり、平和に眠りこけるやわらかそうな頬や髪を撫でたい衝動に襲われて、桐人はぐっとこらえた。
(やっぱり、これは危ないな…………)
今更ながらそんなことを考えつつ、静かにコーヒーを淹れていると、リリシャが目を覚ました。むっくり起きあがって、コーヒーメーカーの前の桐人に声をかけてくる。
「おかえりなさい、桐人」
「…………ただいま」
ちょっと恥ずかしそうに、寝乱れた髪を手で梳く少女の姿と反応は素直に可愛らしく、(帰った時に「おかえり」と言ってくれる誰かがいるのは、いいものだ)と実感させられた。
三日後。桐人は店で「母との縁を切ってほしい」と依頼された客の再訪をうけていた。
「本当だったんですね、さっそく、効果ありました!」
桐人が席に着くなり、ぱあっと明るい表情で報告してくる。
「キリトさんに縁を切ってもらったあと、帰って塩をふって、髪を捨てたんです。そうしたら翌日、母が事故に遭って」
「事故!?」
桐人は肝が冷えた。
客は慌てて手をふる。
「おおげさなものじゃありません。自転車に乗っていて、角を曲がり損ねて電柱にぶつかったんです。スマホを見ながら乗っていた母のほうが悪いし、人とぶつからなかったのが不幸中の幸いです。それで足と手を骨折したので、一ヶ月間入院になって」
客は嬉しそうに、安堵するように笑った。
とても母親が重傷を負った娘のものではない。
ただ、そういう反応をしてしまう理由を、桐人は三日前にすでに説明されていた。
彼女は『宮原唯愛』と名乗った。
「私の母はとにかく過干渉なんです」
三日前、唯愛はまっさきにその一言を述べた。
「過干渉で、過保護で…………とにかく、私を片時も手放そうとしないんです。子供の頃なんて、私が隣の部屋に行っただけで『唯愛はどこ? 唯愛はどこ?』って…………友達の家に遊びに行こうとすると母がついてきましたし、二十三歳になった今でも、門限は七時で、少しでも遅れるとメールがきます。遅れなくても連絡してきます。『今どこ?』とか、『夕食なにが食べたい?』とか、『誰といるの?』とか…………授業中とか仕事中とか、関係ないんです。無視したら、私が返事するまでメールを送りつづけて、電話をかけてくるし…………一度、スマホの電源を切って放置していたら、学校に直接、電話してきました。『電話に出ないけれど、娘は大丈夫なのか』って。…………授業中って、わかるはずなのに…………」
唯愛は怒涛のように語っていく。
「高校生の時、一度、彼氏ができました。でも、それを言ったら『まだ早い!!』と、すごい剣幕で怒りだして…………あげく、最初のデートにずっとついてきて、横からあれこれ口出しして…………当然ですけど、ふられました。私が怒ったら、母は『あの程度であきらめるような、いい加減な男だったんだ』の一言で…………自分が悪いことをしたなんて、微塵も思ってないんです」
「だから縁を切りたいと?」
桐人の問いに唯愛はためらうことなくうなずいた。
「このままでは、私は駄目になります。就職しても、相変わらず母はひんぱんにメールや電話をしてきて、毎日毎日、息がつまります。一度、母に黙って一人暮らしをしようとしたら、母は私の鞄やスマホを勝手にあさって、不動産をまわっていることに気づきました。私が怒ったら、逆に何時間も大泣きされて『母親を捨てるのか、親不孝者!』と罵倒されました。母は『我が子に対する愛情だ』『母親が娘のことを知ろうとして、なにがおかしい』と主張しますが、今は私にもわかります。母は度が過ぎています。母は自分のために、私を手に入れていたいだけ。私のためではなく、自分の気持ちが最優先です」
唯愛の物言いはしっかりしており、視線もまっすぐ桐人を見つめている。言葉の端々に怒りともどかしさをはらみながらも、けしてとり乱したりしない。
その態度が、この若い女性の凛とした心根を暗に主張していた。
唯愛は悲痛な表情で頭をさげてくる。
「お願いです、キリトさん。本当に縁を切れるなら、私と母の縁を切ってください。私と母はもう、これ以上一緒にいるべきではないんです。このままだと私――――近い将来、母をどうにかしてしまいそうで――――」
ストーカーとの縁を切るのとは、意味合いが異なる。母娘の縁は本来、切っても切れぬ絆であるべきだろう。
しかし桐人は唯愛の言葉に、偽りでなく、実母をうとむ気持ちを見た。
そのさらに奥に秘めた、それでも捨てきれぬ娘としての愛情も。
桐人は唯愛の依頼を受け容れ、彼女と母親の縁を切ったのだ。
そして今夜の、この報告である。
「そうか、入院中はスマホ禁止か」
「いえ、起床時間内なら、メールや通話は可能です。ただ、手を骨折してギプスを嵌めているので、指がうまく動かせないうえに、短いメール一つにも痛むらしくって。だから昨日今日は、メールの回数がすごく少ないんです」
唯愛の表情は明るく活き活きしている。実母が入院して、連絡が激減した娘としては冷淡すぎる反応だが、それだけ今までの束縛が重荷だった証だろう。
実の子といえど、束縛が過ぎれば反発されるのはいたしかたないことだ。子供でもうんざりするのに、まして二十三歳の、就職もした大人となれば。
桐人は唯愛の話を笑顔で祝いつつも、釘も刺しておく。
「喜んでもらえたのは良かったけど。前にも断ったように、俺の『縁切り』はあくまで、素人に毛が生えたレベルの術だから。唯愛さんのお母さんが、なにがなんでも唯愛さんとの縁を切りたくないと願えば、また縁がつながる可能性があるのは頭に入れといて。実際、退院すれば戻ってくるわけだし…………」
「はい、わかっています」
唯愛は元気よく答えた。
「だから今、いそいで一人暮らしの準備を整えているんです。よさそうな物件も見つかったし、母には住所を教えずに、退院前に引っ越してしまう予定です。乱暴なやり方だとは思いますけど、こうでもしないと、母は離れてくれないと思うから…………」
住所は教えなくても連絡はとれる状態にしておくし、年末年始は家に顔を出す予定だ。そう、唯愛は笑った。
それから話題は唯愛の引っ越しの件に変わり、唯愛は最初に出会った時とはうって変わって笑みを絶やさず、その笑みにつられて桐人も念入りに接客する。
依頼は完了した。
そう思われた。
さらに三日後。
「キリトさん…………助けてください…………!」
指名をもらった桐人がテーブルに顔を出すや否や、周囲のヘルプの目と耳もかまわず、唯愛は苦悩の表情で訴えてきた。
「唯愛さん? なにがあった?」
戸惑う桐人に、唯愛は自分のスマホを見せる。
ずらりと並ぶ文字、文字、文字。唯愛をどれほど愛しているか語る文章の塊。
「お願いです、もう一度、縁を切ってください…………!」
唯愛は血の気の引いた額に手をあて、かすれるように声をしぼり出した。




