前編
『忘れ物を届けに来ました』
そう主張する客が来ている、と店の後輩がキリトに伝えてきた。
「どう見ても高校生なんで『ウチは未成年NG』って言ったら『じゃあ呼んできて』って。かなりブリーチかけた、可愛いカンジの娘っすよ」
『未成年』『ブリーチ』『可愛い』
桐人はうっかりグラスを落としかける。
「ちょっとゴメン」
常連客のアケミに断って、いそいで店の入り口にむかった。
はたしてそこにいたのは予想どおりの、けれど歓迎はできない人物だ。
「キリト。お仕事中、失礼します」
「理子!」
困り果てた様子のボーイ達とは対照的に、平然とこちらに手をふるミルクティー色(と桐人が勝手に呼んでいる)の髪の少女――――異世界『マクリア』から来たと主張する《上級鑑定士》リリシャが桐人を見た。
黒縁の大きめの眼鏡。片耳に白いスティック状の耳飾りをゆらし、髪をハーフアップにして桐人が見立てた焦げ茶色のコートを着た姿は可愛いらしいが、どう見ても高校生だ。実際、日本なら高校生の年齢である。
ちらりと、桐人は派手な看板の並ぶさわがしい通りを見やり、重いため息をついた。
「悪かった、あとは俺がやる」
ボーイ達に謝って、自分が名付けた少女を引きとると、少女は悪びれもせず言ってきた。
「忘れ物を届けに来ました。はい」
桐人の鼻先に見覚えある物が突き出される。
「間違いなく、届けましたよ?」
白くて小さめの両手がさし出したのは、桐人の運転免許証だった。
「大事な物ですよね? これがないとクルマを運転できないはずです」
「ああ…………」
桐人は半分脱力する思いでそれを受けとった。たぶん、昼間に財布の中身をすべて出して整理した際、戻したつもりで忘れていたのだろう。たしかに大事なものだが。
「これのためだけに、ここまで一人で来たのか?」
「だって身分証明書は大事じゃないですか。わたしもデンシャの乗り方は覚えましたから、大丈夫です」
(論点はそこじゃない)と桐人は深刻な頭痛を覚えた。
酔客が行き交い、客引きもあちこちに立つ、夜の繁華街。制服でないとはいえ、十代の少女が一人で訪れるには危険すぎる。ましてリリシャは眼鏡で素顔が少々隠れているとはいえ、ちょっとしたアイドルもやれそうなレベルの美少女だ。
「送る。駅まで一緒に行くから、まっすぐ家に帰…………」
「キリトの職場って、どんな感じですか? 『ほすとくらぶ』と言うんですよね?」
言って、リリシャはするりと入り口をくぐってしまう。
「待て、理子!」
慌てて桐人が追うと、ミルクティー色の頭が店内で楽しげにぴょこぴょこ動いていた。
「へえ。本当ににぎやかですね。耳が痛くなりませんか?」
「こら、理子…………!」
桐人はいそいでリリシャの肩をつかんだし、扉のそばに待機していたボーイもリリシャの存在に気がつき、ぎょっとする。
「えっ、ちょっと君、駄目だよ、うちは未成年禁止! 大人になってからおいで」
「あら。私はこれでも成人してますが?」
リリシャは平然と胸をはる。
「じゃ、じゃあ、年齢確認できるものを…………」
「理子、帰るぞ!」
「あれはなんですか?」
ボーイと桐人の声を無視して、リリシャの白い指が店内の一点を指した。桐人達もつられてそちらを見てしまう。
「ああ…………」
桐人もボーイ達も思わず声が出た。
テーブルの一つで二十代後半と思しき女と、同年代のスーツ姿の男がやりあっている。いや。女の声は騒がしい音楽にも負けぬ音量で響き、その内容から判断するに、むしろ女が一方的に男を責めている。男はどうにかなだめようと苦心しているのだ。
「よくあるやつだ。お気に入りが全然いてくれない、ってクレーム」
「どういう意味ですか?」
「つまりだな。ここは、気に入ったヤツ…………ホストを指名すると、そいつがテーブルについて相手するシステムになっているんだが。人気のホストはあちこちから指名されるから、当然一つのテーブルに長居はできない。だから、ああやって『高い料金を払ったのに、全然相手をしない』って怒る客が出るんだよ」
「なるほど」
若干の疲れをにじませた桐人の説明に、リリシャはうなずく。
「そういうことでしたら、人気のあるほすとは他のほすとより料金を高く設定してみては? 高くなった分、呼び出す客は減ると思いますよ?」
「一理あるが、それを決める権限があるのは、オレじゃない。もういいだろ?」
桐人はリリシャの肩に手を置き、そのまま出口へと方向転換させようとするも、リリシャはするっとその手をすり抜けて、ずんずんと問題のテーブルに近づいて行ってしまう。
「おい、理子!!」
桐人は血相を変え、ボーイ達も慌てて年齢確認の済んでいない客(?)のあとを追う。
近づくごとに金切り声が大きくなった。
「今月、あたしがいくら使ったと思ってんの!? 今日なんて、一時間も」
「ちょっといいですか?」
わめく客の肩をリリシャがぽん、と叩く。
「なによ!! うるさ」
むにっ、と、ふりむいた女の頬にリリシャの人差し指が突き刺さった。
今時こんなことをするやつがいるのか…………と、桐人のみならず居合わせた全員が思った。
「え…………『フォルチューヌ』の占い師のリリシャさん?」
「占い師ではありません、鑑定士です」
ぴっ、と手をあげ、リリシャは訂正する。
(理子の客か!)
桐人は意表を突かれ、困ったように事態を見守っていた周囲の男達も少し表情が変わる。
「こんにちは。いえ、こんばんは、ですね。立原佳奈美さん」
「え、あの、どうしてリリシャさんがここに。お客だったんですか?」
「偶然です。でも、どうせですから少しお話しましょう」
「それは…………」
立原佳奈美と呼ばれた女はようやく周囲を見渡し、まわりの視線が自分に集中しているのを自覚すると恥じらいの表情となった。
が、指名したホストの顔を見ると、きっ、と眉をつりあげる。
「場所を変えましょう。どこか近くに、静かに話せる場所はないですか?」
「でもあたし、まだこの人に言いたいことが…………!」
立原佳奈美は渋ったが、リリシャが「さあさあ」と強引にテーブルから離れさせる。
桐人は駆けつけた店長に、リリシャを「人気の占い師だ」と手早く説明し、立原佳奈美とリリシャが話す席を用意してもらう。
店長としても騒ぐクレーマーが静かになってくれるのはありがたいので、店側からのサービスという体で、離れた席とジュースをふるまった。
再度トラブルが起きた時の用心のため、少し離れた位置にボーイが立つ。
桐人も席に戻って仕事に集中しようとするが、意識の隅はやはりリリシャに向いている。
アケミは桐人の焦る気持ちを察してくれたようで、いつもより早く切りあげてくれた。
彼女の配慮に、今度あらためて埋め合わせをしなければ、と思いつつ桐人が見送りから戻ってくると、立原佳奈美も席を立ってリリシャに何度も頭をさげていた。
そのまま会計を済ませ、店を出ていく彼女の横顔はすっきりしている。
「終わったか、理子」
桐人が声をかけると、リリシャはなんてことないようにふりかえった。
「はい、終わりました、キリト。立原さんは納得してくれましたよ」
「じゃあ、今度は理子が帰れ。駅まで送るから…………」
「すいません、ちょっといいですか?」
ボーイが割り込んでくる。
「他のテーブルに、リリシャさんを知ってる人が何人かいて。『呼んでほしい』って言われてるんですけど」
「理子は従業員じゃないし、ここは占いの店じゃないだろ。もう帰らせ…………」
「いいですよ」
「理子!?」
反対する桐人の言葉をさえぎり、リリシャが勝手に引き受ける。
「仕事道具は持っていないので、普通のおしゃべりだけですが。それでいいなら行きます。『指名』、でしたっけ?」
「おい、理子…………!!」
「いやあ、申し訳ありません、リリシャさん。今度ぜひ、お礼をさせてください。ね?」
(お前は未成年だろうが!!)
叫びたい桐人を押しのけ、店長がとろけるような笑顔でリリシャを『指名』の入ったテーブルへと案内する。最近、売り上げがぱっとしないので、『格好のイベントが来た』と思っているのだろう。二人が並んだ様は、見るからにパパ活だ。
不安と焦りを押し殺して、桐人もしぶしぶ次のテーブルにむかった。
背後で「うわ、ホントにリリシャさんだー!」と歓声をあげるのが聞こえた。
桐人が最後の客を見送って店内に戻ると、リリシャは最後に話していた客のテーブルで、奢ってもらったフルーツをつまんでいた。そののんびりと落ち着いた態度に、桐人は焦っていた自分が馬鹿らしくなる。
(どこにいても、理子は理子だな)
さすがは勇者と共に魔帝退治に従軍した上級鑑定士、といったところか。まあ自己申告だが。
「悪かったな、理子。こんな時間まで残らせて」
「かまいません。これはこれで、有意義な時間でしたし。このフルーツ、盛りつけはきれいですけど普通の味ですね」
それは、少しでも経費を浮かせて売上げを増やすため、料金の割に普通の食材を使っているからだよ…………と心の中で返答しつつ、桐人はリリシャをうながす。
「帰ろうぜ。店長から今日の後片付けはいい、って言われたんだ」
するとリリシャの手をとって立ち上がらせようとした桐人を押しのけ、男達が集まってリリシャを囲む。
「いや、すごかったっすよ、リリシャさん! 大当たりだったじゃないっすか!!」
「オレ、占いって信じないけど、マジで当たるんすね! オレも占ってくださいよ!!」
「オレもなんか言ってください! 将来のこととか、競馬や宝くじの当りとか!!」
「キリトさんとは、どういう関係ですか!?」
「お前ら…………!」
「いやあ、今夜は先生のおかげで大変助かりました。今度ぜひ、お礼を。ぜひぜひ、またいらしてください」
『先生』ときたものだ。
「帰るぞ、理子!!」
(また来させるわけにはいかないんだよ! 未成年なんだよ、理子は!!)
桐人は心の中で叫びながら、最後のフルーツをもぐもぐ食べているリリシャの手をつかみ、力づくで男達の囲みから引っぱり出した。
「お疲れ様でした! また明日!! 理子、忘れ物はないな!?」
桐人はリリシャをロッカー室まで引っぱって行き、いそいで自分の荷物を手にとると、ふたたびリリシャの手をとってまっすぐ玄関にむかい、同僚達が声をかける隙を与えなかった。
外に出ると他の店も閉店の支度をはじめており、ネオンの何割かが消え、喧騒も減っている。
「寒くないか?」
「大丈夫です。フルーツを食べたのでお腹は減っていないし、ジュースもいただいたので喉も渇いていません」
電車に乗り、街灯に照らされたアスファルトの道を並んで歩いて、桐人のマンションへ戻った。
部屋に戻り、荷物を置いて二人分のコーヒーを淹れると、やっと落ち着いてリリシャに訊ねる余裕が生まれた。
「あの立原って客、どうやって説得したんだ? 鑑定したのか?」
「認識をあらためてもらっただけです」
「どういう意味だ?」
「立原さんは、認識が間違っていただけです。彼女のあのほすとへの執着は、恋ではありません。ですから、その認識が誤解だと納得してもらいました。時と場合にもよりますけど、人間は自分の執着の理由や正体を分析することができれば、意外とそれを手放すこともできるんですよ」
自分で選んだ自分専用のマグカップを受けとりながら、リリシャはなんてことないように答えた。
「あの人は自分があの『ほすと』の人に恋していると認識していました。それ故に、彼に執着しているのだと考えていました」
一口、コーヒーを飲む。
「というと?」




