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「本当に助かりました!」


 秋の夕方。いかにも女性向けの、可愛らしい外見のこぢんまりしたカフェの前で。

 紺のテーブルクロスをかけた丸テーブルをはさみ、二人の人物が座っている。

 五十代前半の『こぎれいな主婦』といった感じの女は感激を露わに、向かいのべールをかぶった人物の手をにぎっていた。


「お医者さんにも言われたんですよ。初期のうちに見つかったおかげで、大事にならずにすみましたって。今の段階で見つかって、ラッキーだったって。やっぱり健康診断は受けないと駄目ね。とにかく、本当にありがとうございます。リリシャさんのおかげで命拾いしましたわ!」


 女は『リリシャ』と呼んだベールの人物にくりかえし礼を述べ、ようやく、丸テーブルから去っていく。その足どりのかろやかなこと。

 残ったベールの人物が一息ついて時計を確認すると、閉店時間を八分過ぎていた。

 ベールの人物は丸テーブルに置いた『占い』の小さな看板をたたんで、べールも脱ぐ。

 茶色がかった灰色の髪がふわりとあふれて、左耳で細い棒状の白い石がゆれた。

 ベールを脱いだ娘は、かたわらの椅子に置いていた鞄から小箱をとり出し、丸テーブルに並べていた特注のカードをしまっていく。

 すると、ブランド物の秋用コートを着た中年の女が、客用の椅子にどっかと腰をおろした。


「ああ、間に合った。まだ、やってるでしょ! 友達からあなたの話を聞いてね。よく当たる占い師ですって? やっと来られたわ。夫が浮気していてね。離婚するかしないか、正解を教えてほしいのよ。あ、離婚しなくても、夫にはペナルティは負わせてやりたいし、相手の女からも慰謝料はとっときたいのよね。だから、今度いつ、どこで女と会うのかも教えてちょうだい、証拠をにぎりたいから」


 女は一方的にしゃべった。

 対する、ベールを脱いだ占い師の返答はシンプルだった。


「今日は閉店です。明日、十一時から五時までの間に、またいらしてください」


 女は目を丸くした。


「閉店ってなによ! 客が来てるのに、追い返す気!?」


「五時が閉店ですので。明日、またいらしてください」


「なによ、その態度!!」


 女は宝石つきの指輪をはめた手でテーブルを叩いた。


「こっちはお客様よ!! お金を払う立場なのよ!? お客様がわざわざ来てやったんだから、『占わせてください』くらい言うのがプロでしょ!!」


 しかし占い師の言い分はゆらがなかった。


「今日は閉店です。私も疲れておりますので、お手数ですが明日もう一度、いらしてください」


「疲れがなによ! プロならそれくらい、根性でどうにかしなさいよ!! いいから視なさい! こっちは客なんだから!!」


「では、特別料金として倍額払っていただきます。それなら視ます」


「はぁ!? 倍!?」


 女は目をむいた。


「アンタ、ただでさえ高い金額とるんでしょ!? それを倍って、どういうことよ!! ぼったくるにもほどがあるわ!!」


「高い分、正確な結果を出していると自負しておりますので。ルールを破って閉店後に視る以上、相応のペナルティは負っていただかないと。ルールを守って開店時間内に来ていただいているお客様に対して、不公平になります」


「いい加減にしなさいよっ!!」


 女が再度、今度は両手でテーブルを叩く。


「人がわざわざ来てやったのに、閉店だのペナルティだの、図々しい!! プロなら、黙ってお客様に従いなさい!! ここで私を占えば宣伝になるし、客も増えるんだから、いいことずくめでしょ!!」


「宣伝になるほど、知名度や影響力をお持ちで?」


「なんっ…………!!」


 女は真っ赤になる。

 対する、ベールをたたむ占い師の表情は冷ややかだった。特に、花のようなピンク色の瞳は氷のように冷たい。

 女は怒りに任せて怒鳴りつけようとして、動きをとめた。

 口を開いたその時、ピンク色の瞳が光った気がしたのだ。

 一瞬だけ。ゆれるように。

 だがほんの一瞬だったので、「見間違いではないか?」と問われれば、自信はない。

 女の気勢が削がれたわずかな隙に、占い師は淡々と告げる。


「ご夫君の浮気の証拠をさがすのはけっこうですが、ご自分が優位に立っていると確信しすぎでは? ご夫君があなたの浮気を知っている可能性もあるのに」


 女は口を閉ざした。すうっと、燃え盛っていた炎が、文字どおり『冷水を浴びせられた』ような変わりようである。


「…………なんの話? なにを証拠に、私が浮気してるって言うの?」


「ただの仮定です。お金持ちの男性の細君が、夫君のお金で若い男性と呑んで貢ぐパターンもある、という話です」


 占い師は丸テーブルにかけていた紺のクロスもたたんで、カードを収めた箱やベールと一緒に鞄に詰める。

 女は数秒間、沈黙していたが、すっと立ちあがると言った。


「帰るわ。占ってないんだから、お金は払わないわよ。もう二度と来ないし、今回の件はネットに書くから。『占い師リリシャ』は、お客様を追い返すブラック占い師だって」


「そんな言葉もあるんですね。どうぞ」


 商売道具をしまい終えた占い師は、薄手のジャケットをはおって鞄を手に持ち、背後のカフェの扉を開けて「それでは店長、ありがとうございました。明日もまた、よろしくお願いします」と挨拶する。


「理子ちゃん、お疲れさまー」という、店長と思しき返事を聞くと、そのまま立ち去ろうとした。


「あなたね…………!」


 女はなおも収まらず、くってかかろうとしたが、クラクションにさえぎられる。


「理子」


 車の窓から青年が顔を出して、店じまいしたての占い師に声をかけた。


「悪い。遅くなったか?」


「大丈夫です。今、閉店したところですから」


 茶色がかった灰色の長い髪を夕風になびかせ、娘は当たり前のように車に歩み寄る。


「さっさと帰ろうぜ。そちらは? 客?」


 青年の顔がブランド物でかためた中年女にむけられる。

 チャラそうな雰囲気の青年だった。名乗らなくても、どんな職業に就いているのか想像できるような。

 だが美形イケメンだった。チャラくて甘くて艶っぽい、中年女の恋人と同種の匂いがする美青年だ。


「いいえ。通りすがりです」


 占い師の娘は断言して助手席に乗り込み、ドアが閉められると車はすぐに走りだして、女の視界から見えなくなった。

 とり残された女は思う。

 危なかった。あんな水商売の男がついている女だったなんて。

 考えてみれば、若い娘が個人でこんな露店をやっているのだ。()()する男の一人や二人、いるのが普通だろう。あの男がいるから、あの占い師はあんな客を舐めた態度でいられるのだ。

 女は舌打ちしてブランドバッグを持ち直し、手を挙げてタクシーを拾う。

 運転手に行く先を告げると、バッグからスマホをとり出して打ちはじめた。






「いつも、あんな接客してるのか? 理子。いや、リリシャか」


「好きなほうでいいですよ。見てたんですか? 桐人きりと


『理子』と呼ばれた占い師――――リリシャは運転席の伊藤桐人を見た。


「あのオバサンが座ったあたりからな。全然、気づいてなかったな」


「『くるま』はみんな同じに見えます。いつもというか、あの人は特別、失礼だったので。閉店だと伝えているのに、聞かないから」


 リリシャの左の指がピアスの白い石をいじる。

 苛立った時の彼女の癖だと、桐人は今は気づいている。


「まあ、時間を超えて居座る客は迷惑だな。こっちも終わったら、さっさと帰りたいし」


 桐人の車は宵の道路をすいすい進んで、とあるマンションの駐車場にたどり着く。

 はじめて見た時、リリシャが「あなたは王宮に住んでいるんですか? 王族だったんですか!?」と仰天したマンションだ。都心に近いとはいえ、普通のマンションである。

 共にエレベーターに乗り込み(このエレベーターにもリリシャは驚愕した。仕組みを知ると『すごく便利だ』と感心した)、七階のボタンを押す。

 待つわずかな間に、桐人はスマホをポケットからとり出して操作しはじめる。

 その様子を(こちらの人間は、時間が空くとすぐ『すまほ』だなぁ)と思いながらリリシャが見守っている。


「ああ、やっぱりだな」


 エレベーターを降りて廊下を歩いていると、桐人が声をあげた。


「書き込んでる、あのオバサン。投稿時間と内容からして、間違いない。リリシャの悪口だ。断られて頭にきたんだろ」


 リリシャは首をかしげる。


「私、お店の『さいと』とか『ついったぁ』は、やってませんよ?」


「リリシャのツイッターや店のサイトその他が見つからなかったんで、占い師のレビューを集めたサイトや、リリシャに占ってもらった感想をアップしている個人のツイッターに、否定的なコメントを載せている。『初めて行きましたけど、帰れと言われました』『こっちはお客なのに…………』だと」


「ふーん」


「落ち着いてるな。ヤバい、とか思わないのか?」


「最近、お客が増えて手が回らなくなっていたので、ちょうどいいです。一日に視れる数は、限りがありますし」


 桐人は自宅の鍵を開けながら笑った。


「余裕だな。俺もそういう自分優先(ファースト)の商売をしたいぜ、羨ましい」


「できないんですか? 『ほすと』とやらは」


「客の機嫌をとっていくら、の世界だ。ほとんどは可愛くて聞き分けのいい、女の子ばかりだけどな」


 まんざらでもない笑みを浮かべつつ、桐人は靴を脱ぐ。片手はスマホを操作しつづけている。リリシャも靴を脱ぎながら、ちょっと呆れた。


()()は、そんなに楽しい物ですか?」


「んー? ちょっとしたクレーム対応ってとこだ」


 歩きながらも桐人の指の動きはとまらない。リビングの電気をつける。


「完全にほっとくのも良くないからな。あのオバサンが断られたのは、閉店後に来て強引に占わせようとしたからだ、ってことくらいは説明しておく」


「…………ありがとうございます」


 スマホやネットに関してはリリシャの手が出ない領域なので、素直にお礼を言っておく他ない。

 リリシャは借りている部屋へ行き、商売道具を詰めた鞄を置いて、桐人から買ってもらった室内用のニットとスカートに着替えて、髪を梳く。

 リビングに戻ると、すでにキッチンで桐人が夕食の支度をはじめていた。


「手伝います」とリリシャが言うと「座ってていい」と返される。


 これも、()()()に来てうけたカルチャーショックの一つだ。

 リリシャのいた世界、正確には、暮らしていたマクリア王国では、料理は基本的に女の役目だった。王宮や貴族の館、大衆食堂の料理人の大半は男だが、庶民の家庭で料理を担当するのはまず、その家の母親か娘だ。だからリリシャの家では料理は母の仕事だったし、リリシャも母から習って、母の料理は一通り作れる。

 でも桐人は料理人でもないのに、料理を作るという。

 桐人の家で暮らしはじめて間もない頃、不思議に思って訊ねたら、「一人暮らしだから作れたほうが便利だし、節約できるからな」と答えられた。

 まあ、マクリアでは理解されにくい感覚だが、こちら――――『にほん』ではそういう習慣なのだろう。

 リリシャは置き場所を覚えた皿をとり出して、テーブルの上に並べていく。

 気づけば、リリシャと桐人の奇妙な同居生活は二ヶ月が過ぎようとしていた。

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