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「唯愛さんは黒い鞄をお持ちですか? これくらいの、大きな…………」


「これのことですか?」


 リリシャの質問に、唯愛がベッドの横に置いていた鞄をとりあげる。


「通勤に使っている鞄です。母が就職祝いに買ってくれた物で、大きくて色々入るし、色やデザインも派手でないので、重宝しているんです」


 鞄を受けとったリリシャは、それを開いて手を突っ込む。


「こら、理子…………!」


 桐人が叱りかけたその時、鞄から()()は現れた。

 鞄の内側に縫いつけられた、複数のポケット。紙くらいしか入らない、ぴたりとしたそこから、折りたたまれた一枚の白い紙が出てきた。


「これ、なんですか?」


「え? さあ、なんだっけ…………?」


 唯愛も首をかしげる。


「ここは、使っていない部分なんですけど…………」


 リリシャが紙を開く。


「え…………なんだろう、これ…………?」


 唯愛の当惑が深まる。

 紙には模様が描かれていた。文字はなく、何を描いたのかも判然としない、『絵』とさえ表現できないような、記号めいた模様が数点。

 唯愛は困惑するが、育ちの関係で、桐人は「ん?」とよぎる推測があった。

 リリシャの言葉がその推測を確証に変える。


「『呪具』ですよ。呪いの道具です。正確にはその模倣品というか、お遊びの道具程度の物ですけれど」


 辛辣に採点しながら、リリシャは愕然とする唯愛の前で、紺のテーブルクロスの上にその紙を置き、クリスタルのカードを数枚、並べては引っ込めていく。こんな時でもフェィク工作を忘れない、その几帳面さに桐人は感心する。

 いや、それより。


「紙も《鑑定》できるのか? 人間相手しか駄目なんじゃないのか?」


「人間というか『魂を持つ存在』限定です。わたしの《鑑定》は『魂の情報を読み取る』能力ですから。ですが、呪いや魔術の道具は、また別です。長くなるので詳細は省きますが、こちらで『魔力』とか『霊力』と表現される力や概念は、わたしの国では『魂の細分化された一部』と解釈、理解されています。ですから《鑑定》は可能です。もちろん、どの《鑑定士》でも、というわけではないですが」


 リリシャはカードを置き、紙を唯愛に見せた。


「わかりやすく説明すると、これは呪いの道具の、とてもお粗末な模造品です。『呪い』と言うより、年頃の女の子が友達と遊び半分で行う『おまじない』です。ただ、行使した側に少しだけそういう系統の素質があったのと、とにかく心の底からしぼり出すように念を込めたため、唯愛さんにも影響が出る仕上がりになったんです」


 さらりと辛辣な評価を下しながら、リリシャは静かに説明を進めていく。


「この方法自体、本当に効果があるのか、判然としません。実行者は正式に本格的な魔術や呪術を修めたわけではなく、たぶん、そこらで偶然、見つけた本に載っていた方法を、そのまま用いたんだと思います。本自体が、いい加減な代物だったと思います」


 散々である。


「けど、効果は出ているんじゃないか? 現実に、唯愛さんは怪我や悪夢をくりかえしているんだろう?」


「ですが、『効果が出ている』とは言いがたい状況です。こののろい、本来は恋愛成就のまじないです」


「えっ…………」


「はあ!?」


 唯愛も桐人も耳を疑った。


「ですから『恋のおまじない』と。でも、まったくそちらの方向に作用していない以上、失敗と断言して問題ありません」


 紙を見おろすリリシャのまなざしはひたすら冷ややかだ。

 唯愛は感情も頭も混乱する。


「あの、『恋のおまじない』って…………」


「あれ? こちらでは、そういうのはありませんか? 『これをやると、好きな人に思いが届く』とか『将来の恋人を夢に見られる』とか…………」


「こちらにも、その手のまじないはある。けど、状況が違いすぎるだろう。恋愛成就のまじないで、どうして唯愛さんが怪我や悪夢をくりかえすんだ」


「そこが、素人の素人たる所以ゆえんですね」


 リリシャは呆れた表情で自身の分析を解説する。


「この術そのものは、恋愛成就のおまじないのようです。少なくとも、実行者はそのつもりで行っています。ですが、なにぶん本人が未熟なのと、念だけはばっちり込めているのと、やり方自体が不完全だったのとで、完全に違う方向に働いてしまっているんです」


「それは、たしかに失敗だな」


 同じく呆れの表情となった桐人に、リリシャは生真面目に反論する。


「効果は出ている以上、完全に失敗とも言いきれません。やり方は正しくても、効果がまるで出ない場合もありますから。それに今回の場合、必ずしも幸せな結果を望んだ、とも言いきれません。そういう意味では、むしろ成功しています」


「? どういうことだ?」


「始まりは恋のおまじないです。ですが実行者には、それ以外の気持ち…………唯愛さんに対する苛立ちや憎しみも含まれています。唯愛さんに悪影響が出ているのは、そのためです」


「憎しみ……ですか? どうして…………」


 唯愛が、きょとんと首をかしげる。


「ふりむいてもらえないからですよ。『こんなに愛しているのに、どうして自分の気持ちを受け容れてくれないんだ』『気づいてくれないんだ』。そういう想いや念が高じて、『手に入らないなら、いっそ』という苛立ちや憎しみに変わってしまっているんです」


「ああ…………」


 桐人は納得する。店でもよく見るパターンだ。


「この実行者は、おそらく唯愛さんの、かなり近い立場にいて…………ですが、なんらかの理由で、気持ちを伝えられないのだと思います。そのため苛立ちが募り、いっそ『唯愛さんのほうから気づいてくれないか』と祈るも、まるで気づかない唯愛さんを恨んでいるんです」


「…………中井課長…………!?」


 紙を見ながら語るリリシャの推測に、唯愛が一つの名前を出した。


「職場の、私の直属の上司です。けど…………」


 唯愛は打ち明けた。


「実は…………今、中井課長から、セクハラ? のような感じを受けていて…………」


 自信のない口ぶりで、唯愛は詳細を説明した。

 いわく『彼氏の有無や、唯愛の誕生日、趣味、空いている日など、唯愛の個人情報をしつこく訊いてくる』『食事にしつこく誘われる』『仕事中でも、どうでもいいような理由で話しかけてきては、唯愛の席に居座ろうとする』…………。


「完全にセクハラだよ。下心ありまくりだ」


 桐人は断言した。むしろ、そこまでやられて、まだ「考えすぎかも?」と考える、唯愛の防衛本能が心配だ。だが当事者の認識は存外、こんなものかもしれない。

 だからこそ、桐人は強い口調できっぱりと客観的意見を述べ、唯愛も「やっぱりですか…………」と肩を落とす。


「でも、課長はたしか四十過ぎで既婚で、子供もいるはず…………あ、『気持ちを伝えられない』って、そういう意味ですか? 妻子がいるから、伝えたら不倫になる、みたいな…………」


「それだけあからさまにからんでいて、『伝えられない』も何もないと思うけどな」


 でもまあ、加害者の認識なんて、そんなものかもしれない。あくまで当人は『さり気なく』『自然に』『違和感なく』『周囲に怪しまれない範囲で』『スマートに』『それでいて相手の心にはしっかりと好印象を残した』つもりなのだ。

 リリシャは慎重に言葉をつむぐ。


「今は、断言できません。念がこもっているとはいえ、道具を《鑑定》するのと、本人を《鑑定》するのとでは、読み取れる情報に大きな差があります。ですが、上司がそれでは、仕事に支障が出ませんか?」


「出ます。今は菊池さんや内藤さん達がかばってくれているので、どうにか、ですけれど」


「『キクチ』さん」


「同じ課の同僚です。私が課長にからまれていると、菊池さんや内藤さんが割り込んでくれるんです。特に菊池さんは、派遣だけれどすごく優秀で、私も色々教えてもらいました。この前、芸能人の不倫騒動があった時も、課長の前で菊池さんがさり気なく『宮原さんは不倫は絶対、無理でしょ?』って振ってくれて。『あそこで嫌と言っておけば、けん制になるから』って。年齢的にも私の母にちかいから、正直、キリトさんに母との縁を切ってもらうまでは、菊池さんみたいなお母さんだったら、と何度か考えました。でも…………」


 その『菊池さん』達の助力をもってしても、中井課長は難敵らしい。

 唯愛は肩を落とした。

 もともと清楚な美人なので、そうしていると、職業柄もあって、桐人はうっかり肩を抱いてしまいそうになる。


「リリシャさん…………私、妻子ある人との不倫なんて、絶対に嫌です。課長本人も、そういう対象として見たことはありませんし」


 眉間にしわを寄せた唯愛の苦悩の表情を見るに、よほど悩まされ、魅力も感じていないと察せられる。


「お願いです、リリシャさん。呪いを解くなり消すなり、してもらえませんか!?」


「それは《鑑定》とは別の分野だ」と桐人が言う前に、リリシャが了承する。


「成功の保証はありませんが、可能性は低くありません。幸い、今はまだ、子供のお遊び程度の効果です。今のうちに対処しておきましょう」


「呪いを解けるのか!?」


 桐人は偽りでなく、驚いた。

《鑑定士》としての実力は本物と思っていたが、解呪の術まで心得ているとは。

 しかしリリシャが告げたのは、まったく予想外の台詞だった。


「『解く』のではなく、『縁を切る』んです」


「は?」


「出番です、桐人。唯愛さんと呪いの『縁』を『切って』ください。おそらく、それで問題は解決するはずです」


「待て待て待て!」


(こっちにふるな!)と桐人は心から思った。


「無理だ! 俺の『縁切り』は、そういう使い方はできない」


 唯愛には申し訳ないが、はっきりと宣言する。


「俺の『縁切り』は、人と人の間の『縁』を切る。それ以外は切れない。『物と人』は無理だし、第一、呪いや『呪い返し』に関しては、素人だ。下手に『切る』と、かえって唯愛さんのほうに悪影響が出る可能性がある」


 呪いも『呪い返し』も、そう単純な話ではない。

『呪い』そのものは専門外だが、実家の関係上、概要程度の知識は学んでおり、素人が安易に手を出していい分野でないことだけは、頭に叩き込んでいる。

 そもそも桐人の『縁切り』は、そう強い力ではない。だからこそ『指名客へのサービスの一環』に位置づけ、それ単体では対価を得ていないのだ。

 下手に対価を受けとっても、なにかあった時に責任をとれる自信がないのである。


「唯愛さんの安全を考えるなら、専門家に任せるのが一番だ。専門家を探すのは俺も手伝うから…………」


「大丈夫です」


 リリシャは断言した。


「呪いやまじないも、突き詰めれば人と人の『縁』です。唯愛さんも、まじないの実行者と『呪い』という形で『縁』がつながっているんです。だから、桐人なら『切れ』ます」


 桐人は言葉を失った。

 年下の少女といえど、《鑑定》の実力を認めるリリシャに、そこまで見込まれるのは光栄だが『見込み過ぎ』でもある。


「理屈ではそうかもしれないが、あのな、理子」


「桐人」


『呪い返し』の危険性を一から説明しようとした桐人の言葉をさえぎって、リリシャが桐人の目をまっすぐ、のぞきこんだ。ピンク色の瞳が真剣な光に輝き、この上なく美しい。


「わたしも『呪い』の恐ろしさ、面倒くささは学んでいます。根拠なく、こんな提案はしません。なにかあったら、一番に被害をうけるのは唯愛さんですし。これは、唯愛さんの呪いを実際に《鑑定》し、桐人の能力も《鑑定》したうえでの、総合的な判断です。わたしは桐人の『縁切り』の力を信じていますし、さらに言えば、自分の《鑑定》の力を信じているんです。それが仕事ですから」


 リリシャの瞳と顔つきに圧倒され、桐人はなにも言えなくなる。


「あの…………私からも、お願いします」


 唯愛が横から言葉を添えた。


「これが本当に課長からの『呪い』なら、早く解放されたいんです。悪夢を見るのも、怪我をくりかえすのも、もう嫌なんです。私、キリトさんの力を信じています。キリトさんは、私と母の良くない『縁』を切ってくれました。仮に失敗しても、恨んだりしません。だから…………」


 清楚かつ必死な表情に、ますます桐人は反論の術を失う。


「大丈夫です、桐人」


 リリシャがさらに根拠を述べた。


「『呪い』に『縁切り』という、分野自体は異種ですが、『力』そのものの強さや技術、経験、それらを総合した実力では、桐人が明白に上です。いつものように慎重にていねいに、心を込めて行えば、悪影響が出るような失敗はありません。例えるなら、実行者は『才能アリ』を五回以上出してやっと特待生、桐人は特待生二級か三級です」


「そこか!」


 思わずツッコんだ。

「ぷ」と唯愛が吹き出すのが聞こえる。唯愛もあの番組を知っているらしい。


「だって、桐人は本職プロではないですから」


 リリシャは「しれっ」と反論する。


「ちなみに桐人が特待生二級なら、わたしは名人五段か、六段はいけます」


「自分だけ評価が甘くないか!?」


「それだけの実力はあると、自負していますので」


 可愛い顔が「つーん」と、そっぽを向いた。

 実際、己の実力に言及する時、リリシャが過剰な遠慮や謙遜を混ぜることはない。

 お国柄かもしれないが、はっきり『それだけの結果は出せます』と言いきる。

 以前、その点を指摘したら『それだけの結果は出してきましたし、修練も経験も積んできたと、自負しています。遠慮することに、なんの利点があるんですか? 『自分は未熟だから』と安値で満足するのは、謙虚であり美徳かもしれませんが、一度でも自分を安売りすれば、欠けた自尊心を満たすのに何倍もの努力や結果を必要とします。そもそも世の中には、そういう遠慮につけ込む悪徳な客が、無限に存在するんですよ!!』と力説された。

(今まで、どんな客に接して来たんだ)と不安になったものだが、それはさておき。

 リリシャは『呪いの道具』とされる紙を、桐人に見せる。


「やることは同じです。もともと桐人は、依頼者さえ目の前にいれば『縁』を『切れる』んですから。不安や迷いを感じる必要はないです。大丈夫、わたしの《鑑定》を信じてください」


 リリシャが笑う。

 悔しいが、桐人への信頼をはっきりと浮かべた、非常に魅力的な笑顔だった。


「…………信じるぞ?」


 桐人も腹をくくる。そして唯愛を見た。


「じゃあ、その中井課長って人の、フルネームを…………」


「いえ」


 リリシャが桐人の言葉をさえぎる。


「『縁』を『切る』のは、こちらです」


 差し出したのは、問題の『呪具』である紙。

 桐人は戸惑う。


「呪っているのは、その課長だろ? 課長と唯愛さんの『縁』を切ればいいんじゃないのか?」


「それでは、この『呪具』との『縁』が残ります。状況にもよりますが、『呪い』は適切な解呪の手順を踏まないと、術者がやめただけでは、呪い自体は残って、相手に影響を及ぼしつづける場合があります。ですから、まず、この『呪具』との『縁』を切ってください」


 差し出された紙を、桐人は受けとる。


「この『呪具』と唯愛さんの『縁』を切れば、『呪具』に送られていた『念』が行き場を失い、実行者に返ります。そうすれば『呪い返し』になります。唯愛さんと実行者の『縁』も『切れる』はずです。ですから、こちらを先に」


《異世界》と日本の差はあれ、この手の分野に関しては、リリシャのほうが知識も経験も上だ。

 桐人はリリシャの指示に従い、唯愛と向き合うように座り直して、ポケットからハサミと紙と糸を出す。そして努めて、普段の『縁切り』の感覚を思い出す。


「課長の名前は、いったん忘れてください。この紙に集中して。必要なら、紙に触れてください」


 リリシャに助言され、桐人は左手で唯愛の髪を一束にぎり、右手で『呪具』に触れて、そちらから伝わってくる感触に意識を集中する。

『物と人の縁は切れない』と言ったのは桐人だし、それを疑ってもいなかったが、紙に触れていると一瞬、左手にいつもの『つかんだ』感触がよぎる。

 桐人はその一瞬を逃さず、即座に唯愛の髪を用意していた糸で結び、ハサミで切った。


「完了です。大丈夫、完璧な仕上がりです」


 唯愛をじっと見つめたリリシャが明るい声を出す。

 桐人はほんの数秒の出来事なのに、どっと力が抜けたし、唯愛も実感がわかない様子だった。


「あの…………これで大丈夫ですか?」


「大丈夫です。このあとは、唯愛さんが特別なことをしなくても、呪ったほうから離れていくはずです」


「良かった…………」


 唯愛の顔がほころぶ。清楚な雰囲気が何倍にも強調されて、可憐な笑顔となった。

 そのあとは、手順に従って、桐人が唯愛の髪を捨てた。三人で外に出ると、唯愛が「お礼に夕食を奢ります」と言い出す。近くに良い店があるらしい。

 リリシャは「鑑定料はもらったんですから、お礼はけっこうですよ」と言い、桐人も「今度、店で指名してくれればいいから」と辞退する。

 けっきょく、唯愛お勧めの店でそれぞれ自腹の、少し早い夕食となった。

 イタリアンの店で、ワインが安くておいしいと聞き、桐人は唯愛と共に一杯、注文する。

 なお、リリシャはジュースだ。

「わたし、成人してますよ!?」と抗議の声があがったが、日本の法律では飲酒は二十歳からだ。十七歳のリリシャには断固、辛抱してもらった。

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