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金曜日の夕方。リリシャは宮原唯愛との一ヶ月ぶりの再会を果たしていた。
「お久しぶりです、リリシャさん。その節はどうも」
唯愛の最寄駅で会った唯愛は、またもや印象が変わっていた。ホストクラブで会った時の、清楚でも華やかなワンピース姿とはうって変わって、タートルネックにロングスカートとハイヒールを合わせた、落ち着いた知的な女性の雰囲気をただよわせ、明るめのサーモンピンクのリップが似合っている。
対するリリシャはいつもの黒縁眼鏡に、片耳に白のスティック状の石のピアス。長袖ニットとダウンベスト、ロングスカートにロングブーツを合せ、外見からは占い師にも《鑑定士》にも見えない。
ちなみに、日本でのリリシャはずっとロングスカートで通している。何故なら、リリシャの故郷では、性差や職業差による服装の区別が日本よりはっきりしており、平たく言うと『女性はスカートが当たり前』『足を見せるのは商売女だけ』なのだ。
日本に来て三ヶ月以上が経つ今でもその感覚は抜けず、リリシャは今もミニスカートやパンツスタイルには興味を示さない。桐人としては「もう少し色々な服を着せたい」という下心もあるが、本人が嫌がっている以上、無理に着せる趣味はない。
なので桐人としては、よほど奇抜なデザインやTPOにそぐわない服を着るのでない限り、リリシャのコーディネートにあれこれ口を出すつもりはなかった。
問題があるとすれば、
(仮に、来年の夏まで理子がここにいるとして…………水着はアウトなのかセーフなのか)
という点である。
それはさておき。
「お久しぶりです、唯愛さん。ずいぶん雰囲気が明るくなったんですね」
「よく言われます。最近は、服とかコスメを見るのが、すごく楽しいんです」
唯愛は笑った。
「今までは、母の勧める服や、勝手に買ってきた服を着ることが多かったんです。メイクにもあれこれ口出しされて。でも今は、自由に選んでいます。母も内心はどうかわかりませんけれど、私が買ってきた服に口に出して不満を言うことはなくなりました。今は色々なお店をまわって、自分に似合う物を探すのが楽しいんです」
そう語る唯愛は本当に楽しそうで、実母に抑圧されてきた過去を感じさせない。
過干渉な親のもとで一から十まで口を出されて育った結果、何事も自分で決められなくなる、自分で自分の好みがわからなくなる子供は少なくないと聞くが、唯愛に限っては、そういう悩みとは縁遠そうだ。
生まれ持った性格もあるだろうが、母親に強烈に執着、干渉されながらも、けして自分の心を見失わない。それが宮原唯愛という人間の芯であり、強さでもあるのだろう。
この強さ、明るさが唯愛を母親の束縛から守り、また、母親に唯愛を手に入れようと躍起にさせた一因でもあるのだろう。桐人は思った。
(どちらにしろ、俺とは真逆だ)
自分は母親の干渉をうけていない。干渉してきたのは別の人間達だし、自分に自由を与えてくれたのは母親のほうだ。
なのに母に感謝しきれない自分がいるし、むしろ六年が経った今でも、母親への気持ちをつかみ損ねている自分がいる。母親への、そして父への――――
「キリトさんから聞いているかもしれませんけれど。母は今、舞台にハマっているんです。こう言うと、薄情かもしれないけれど…………母が、私以外のものに興味を持ってくれたこと、本当にほっとしています。私への過干渉が減ったというだけでなく、私がいなくても、人生を楽しく過ごせる方法を見つけてくれた、というのが嬉しいんです。リリシャさんの《鑑定》おかげです、本当にありがとうございました」
ふかく頭をさげる唯愛の言葉に、桐人も意識を現実に引き戻された。
頭を切り替え、桐人はリリシャと共に、唯愛の案内で彼女の今のマンションに移動する。
マンションは典型的なワンルームマンションで、唯愛は二階だった。
「どうぞ。せまいですけど」
少し照れて唯愛は言ったが、ワンルームとしては一般的な広さだ。室内はきれいに整頓され、ほのかにアロマの香りもただよっている。
「きれいにしてるね。なんか唯愛さんらしいな」
「そうですか?」
電気ポットのスイッチを入れる唯愛が恥じらう。当たり前のように褒め言葉を吐き出すのは、この仕事に就いて以来の職業病みたいなものだ。
唯愛が二人分のコーヒーとココアを用意し、三人で小さなテーブルを囲んで座る。
ココアに一口、口をつけると、リリシャがさっそく切り出した。
「桐人から聞きました。呪われているかもしれない、とか」
笑っていた唯愛が、さっと表情をくもらせる。
「証拠はないので、妄想と思われてもしかたないんですけれど…………」
「唯愛さんはそう感じているんです。詳しい事情を教えてください」
唯愛はうなずき、話しはじめた。
概要は先日、桐人がホストクラブで聞いた時と同じだ。なにもない所で怪我をしたり、幻聴や悪夢に悩まされたり。ただ、先日よりも説明が詳細になっている。
「キリトさんから連絡をいただいてからも、つづいています。書類を受けとった時に、紙で指先を切るとか…………一つ一つは小さな傷ですけれど、たてつづけだから不思議で。自分で言うのもなんですけど、そこまでうっかりした性格ではないつもりなんです」
「悪い夢も見るとか」
「はい。昨夜も見ました。おかげで最近は、寝るのがおっくうで…………」
「具体的に、どんな夢ですか?」
「追いかけられるというか…………まとわりつかれる夢なんです。正体はわからなくて、黒々とした靄だったり、人の形をした影だったり…………それが、とにかくまとわりついてくるというか、からみついてきて…………振りほどくのに必死になっていると、目が覚めるんです」
「ふむ」とリリシャはうなずき、ココアを一口飲む。
「あの…………なにか、わかりますか?」
「《鑑定》しないことには、なにも。ですが」
リリシャは意味ありげなまなざしで唯愛を見た。
「唯愛さんは、心当たりがあるのでは? 夢の原因に」
桐人も驚いたし、唯愛にいたっては心臓がとまったような顔になった。真っ青になり、けれども指摘されたことでかえって踏ん切りがついたのか、唾を飲んでから口を開く。
「実は…………声が聞こえたんです。意味がわかる言葉が」
「言葉、ですか」
「最初の頃は、すべったり転んだりしても、なにも聞こえなかったんです。だから、自分のうっかりと思ったわけで。でも…………ここ数日は…………声が聞こえるんです。怪我をすると『ざまあみろ』とか『当然の報いだ』とか…………私が怪我をするのを喜ぶような、そんな声なんです。それで…………昨夜と、その前の夢では…………人に抱きつかれた感触が、はっきり残っていて…………それで…………声が…………」
唯愛は唾を飲み、テーブルの上で組んだ指先をふるわせながら、声をしぼり出す。
「…………『どうして』って…………『どうして私を愛してくれないの』『こんなに愛しているのに、どうして』って…………!」
唯愛は身を乗り出した。テーブルがなければ、リリシャの肩をつかんでいただろう。
「リリシャさん! ひょっとしてこれは、母の…………母由来のなにかですか!? 母はやっぱり、私をあきらめていないんですか!? それとも母との縁を切ったから…………罰が当たったんですか!?」
唯愛の顔は必死だった。対するリリシャは冷静だった。
ここだけ見れば、どちらが年長か、判断に迷ってしまいそうだ。
リリシャは淡々と応じる。
「その場合、頼るべきは、わたしよりも桐人だと思います。でも、唯愛さんのお母さまは最近、舞台観賞に目覚めたのでは?」
「私も、そう思っていました。でも、ひょっとしたらそれは見せかけで、内心では、やはり変わっていないのだとしたら…………」
「その点は、唯愛さんのお母さま本人を《鑑定》しないことには、断言できません。そもそも、まだ唯愛さんのお母さまのせいと決まったわけではないですし。まずは《鑑定》しましょう。それで本当に呪いなら、呪い用の対処を、そうでなければ、それ以外の対処をすればいいだけです」
「お願いします」
二十三歳の唯愛は、十七歳の《鑑定士》に深く頭をさげた。
リリシャは黒縁眼鏡を外すと、テーブルに仕事用の紺のテーブルクロスをひろげ、持参していた小箱からクリスタルのカードをとり出す。そして唯愛に自由に並べさせ、並べ終えると一枚のカードをとりあげて「このカードで間違いないですね?」と念を押し、つられて顔をあげた唯愛の瞳を見つめて《鑑定》を済ませる。
リリシャは一旦、読み取った情報を頭の中で整理するように黙り込み、それから口を開く。
「結論から言います。呪いか否かで言えば、『呪い』です」
唯愛が息を呑む。桐人もコーヒーカップを持っていた手をとめる。
「ただし」とリリシャは付け加えた。
「これを『呪い』と表現すべきかは、迷います。わたしの国で本職に見せれば『これは呪いを真似た、お遊びだ』と断じるはずです。それくらい、つたない。未熟です」
ばっさりだった。
「ですが、現実に唯愛さんに影響が出ている以上、放置することもないです。相応の処置はしましょう。あ、それと」
リリシャは唯愛がもっとも知りたがっていたであろう、一言を告げた。
「唯愛さんのお母さまは無関係です。唯愛さんの魂は呪われていることを認識していますが、それがお母さまによるものなら、唯愛さんの魂が判別できないはずがありません。お母さま以外の人間によるものだと、断言できます」
唯愛は明らかにほっとした笑みを浮かべた。