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「キリトさん、指名です」


 ぎらつくシャンデリアの下、そこここからあがる歓声や嬌声。

 その夜、伊藤桐人が何度目かの指名をもらってテーブルを移動すると、待っていたのは覚えのある顔だった。


唯愛ゆあさん、久しぶり」


 ホステスやキャバ嬢がメインの客となる『二次』と呼ばれる時間帯にはそぐわない、セミロングの黒髪の、いかにも『清楚で真面目なOL』然とした女性。

 宮原唯愛だった。


「お久しぶりです、キリトさん。その節は、ありがとうございました」


 唯愛はかるく頭をさげる。

 彼女は実母との関係に問題を抱え、桐人の『縁切り』を求めてやって来た客だった。もう一ヶ月前になるだろうか。

 桐人は素直に驚かされた。


「雰囲気が明るくなったね。一瞬、人違いかと思ったよ。その服もリップも、唯愛さんによく似合ってるよ」


「え、そうですか? 前に来た時、場違い感がすごかったんで、少しお店の雰囲気に合わせてみたんですけど…………良かった」


 唯愛が本気で、ほっとした表情になる。

 ホストクラブの営業時間には夕方から深夜までの一次、日の出から昼までの二次、昼から夕方までの三次の、三パターンがある。桐人はもっとも稼げる二次で働いているが、この二次は時間帯上、ホステスやキャバ嬢がメイン客となる。

 前回の来店では、実母との『縁切り』という一大決心、人生の分岐点に立っていたせいか、唯愛の服装は清潔感はあっても飾り気とは無縁で、メイクもひかえめだった。それだけ思いつめていたのだろうが、ただでさえ華やかなキャバ嬢達の中では、浮いていたのも事実だ。

 今回、その点を考慮して来店したということは、大きな問題が片付いて、周囲を見渡す余裕ができた表れなのだろう。

 今夜の唯愛は淡い色のワンピースにハイヒールを合わせ、ラメ入りのローズピンクの口紅が、ワンピースの色と唯愛の肌の色を同時に引き立てている。

 キャバ嬢達に比べればぐっとシンプルな格好だが、その分、清楚さが際立っていた。

 ホストという立場を抜きにしても、桐人はお世辞ではない称賛の言葉をくりかえし、唯愛もひとまずは弱めの酒を楽しみながら、最近はじめた一人暮らしについて、あれこれ報告してくる。一人暮らし()()()のは桐人も同様なので、はじめたばかりの頃にやりがちな家事の失敗や「自分は時短にこういうことをやっている」という話題は盛り上がった。

 頃合いを見て、唯愛に切り出す。


「その後、お母さんの様子は、どう?」


 何気なさをよそおった明るい口調だったが、声とは裏腹に、桐人の胸には一抹…………いや、二抹、三抹の不安が生じていた。

 唯愛の母は娘に異常なまでに執着し、その執着を重荷に感じて、唯愛が母との『縁切り』を桐人に頼みに来たのだが、『縁』を切られた唯愛の母親は、わずか三日で娘への執着を復活させるという、半人前を自覚する桐人から見ても驚異的な最短記録を出していた。

 今回の唯愛の来店で(また母親の執着が復活したのでは?)と疑ったのだが。


「良好です。今、舞台にハマっているんですよ」


「舞台? 演劇の?」


「友達に誘われて、しぶしぶ行ったらしいんですけど。予想外に気に入ったみたいで、今は上演DVDを借りて来たり、ネットで俳優さん達のブログやツィッターをチェックしています。もともと、誘ってくれたお友達がディープなファンだったらしくて。やり方を教わって、ネット予約とかもしているみたいですよ。私も、頼まれてネット通販の方法を教えました」


「へえ、楽しそうだね」


「はい。おかげで、私も安心して離れていられます」


 唯愛の笑顔は屈託がない。本気で、母親が楽しんでいることを喜んでいる。

 自分から決意して『縁切り』し、距離を置いても、娘として、母親への愛情や気遣いは失われていないのだろう。

 優しい娘だと思うし、愛情深い子供だとも思う。


(俺とは正反対だな)


 桐人はここまでまっすぐに母親を案ずることも、慕うこともできない。

「母は自分のためにしてくれたことだ」と知りつつ、桐人の心の奥底にはいつも、母を詰問する思い、母に対する疑い気持ちが居座っている。

 桐人は(仕事中だ)と気持ちを切り替えた。リリシャではないが「代金を受け取る以上は、相応の商品を返さなくては!」だ。

 桐人は唯愛に明るく確認した。


「じゃあ今日は、お母さんの件でまた問題が起きて、とかじゃないんだ? 良かった、気になってたんだ」


 だが、唯愛は表情をくもらせた。

(まさか)と桐人もふたたび不安がわく。

 唯愛はあちこちに視線を走らせ、おずおずと切り出してきた。


「あの…………キリトさんは、呪いって信じますか?」


「呪い?」


「その…………リリシャさんは、呪いは《鑑定》できるんでしょうか?」


 どうやら、これが唯愛の本題のようだった。






 鍵を回して、玄関に入る。今日はリリシャは仕事なので、室内は無人だ。

 だが、その無人の空間にも自分以外の誰かがいた気配が残っていて、その気配がほのかにあたたかくただよっている気がする…………と言ったら、おおげさだろうか。

 桐人はジャケットを脱ぎ、スマホやキーケースを置く。リビングのテーブルの上には『桐人へ 食べられます。食べない時、わたしが食べます』のメモと一緒に、ポテトサラダとハムのサンドイッチがラップをかけて置かれていた。

 メモの前半はおそらく『食べていいよ』の間違いだろう(でないと恐ろしい)。

 皿の脇には『ホテル代』二千円。相変わらず、律儀にコンスタントに払いつづけている。


(本当に、いくら稼いでいるんだ…………?)


 桐人が知る限り、知人のカフェで占い師をはじめて以来、リリシャが金銭で困っている様子はない。高額の品を必要としないせいもあるだろうが、それでもリリシャの《鑑定》料や繁盛ぶりを考えると、空恐ろしいものがあった。

 桐人は頭をふって二千円を自分の財布にしまう。

 リリシャから『ホテル代』が払われるようになってから、桐人は新しい口座を作った。

 リリシャ自身は『身元を証明できない未成年』のため、名義は桐人だ。リリシャから支払われた『ホテル代』は、すべてこの口座に入金している。

 リリシャは「桐人に渡した宿代ですから、桐人が好きに使ってください」と言われている。けれど桐人は、強引にリリシャにカードを渡し、暗証番号も教えていた。

 自分達は、いつ別れてもおかしくない関係なのだ。金は少しでもあったほうがいい。

 桐人はコーヒーを淹れた。昼食は外で食べてきたが、せっかくなのでサンドイッチを少しいただくことにする。スマホをいじりながら、つらつら考える。


(冬物のコート…………そろそろ理子に買わせないと。セーターにマフラー、手袋もあったほうがいいな。というか、この先は店外で営業できるのか? 冬の間は店内で《鑑定》するよう勧めたほうが…………)


 そんな風に、自分が名付けた少女の世話をあれこれ焼いていると、想像だけでも、どんどん楽しくなってくる。心が躍る。


(『源氏物語』で、源氏が若紫を育てた理由がわかる…………ヤバいな)


 だが、若紫とリリシャの間には、決定的な違いがある。

 若紫は、源氏の庇護と援助を失えばどこにも行くあてのない、孤児同然の少女だった。

 リリシャは自力で稼ぎ、情報さえ入手できれば、どこへでも行くことができる。

 リリシャが若紫のように、おとなしく育てた男のものになる未来は来ないだろう。

 そして桐人自身、そこまでリリシャの面倒を見きれる自信と余裕はない。

 リリシャの世話を焼くのは楽しいが、それは今だけの関係だからであって、一生、責任を持つとなれば、また違う気持ちが生まれるはずだった。

 営業メールを送信し、適当にスマホをいじって時間を潰す。以前は家事にあてていた時間帯だが、今日は留守の間にリリシャが掃除を済ませてくれたようで、することがない。

 桐人は時刻を確認すると、キーケースを手にとった。

 かなり早いが、迎えに行ってしまおう。あちらのカフェで時間を潰せばいい。

 リリシャの仕事ぶりも見たいし、久しぶりにカフェの店長と話すのもいい。


(唯愛さんからの相談もあるしな…………)


 桐人は部屋を出て、駐車場にむかった。






「理子は、呪いは《鑑定》できるのか?」


 帰りの車の中で、桐人は、鞄を抱えて助手席に座る少女に質問する。


「どうしました? 藪から棒に」


 桐人はさっさと本題に入った。午前中に宮原唯愛が来店し、リリシャへの依頼を伝言されたことを説明する。

 いわく『自分が呪われているか《鑑定》できないか』。


「なんでも、最近、妙に嫌なことがつづいているらしい。一つ一つは小さいが、たてつづけなので違和感が拭えない、そう言っていた」


「たとえば、どんな?」


「なにもない階段ですべって足をひねった、とか。料理の最中にいきなり手がすべって、危うく包丁が足に落ちるところだった、とか。呼ばれた気がしてふりむいても、誰もいない。部屋に一人でいるのに、視線や気配を感じる…………特に、ここ一週間は毎晩、悪夢を見て、よく眠れないそうだ」


「悪夢、ですか。どんな感じの?」


「本人もうまく説明できないみたいだったな。暗い恐ろしいなにかが、しきりにまとわりついてくるとか、なんとか」


「ふむ」とリリシャは膝に置いた鞄の上に肘を乗せ、真面目な目つきで正面を向く。


 そうしていると、黒縁眼鏡をかけたその横顔は『少女探偵』とでも言うべき趣があった。


「なにか、わかるか?」


「いえ、全然」


 桐人は肩透かしを食らう。


「わたしの《鑑定》は、対象者の魂の情報を読み取る能力ですから、相手が目の前にいない限り、どうにもできません。話だけでは『呪いだ』とも『呪いではない』とも判断できません。そういう資質や能力は、万能の神から授かっていないんです。ですが、マクリアの神官や呪術師達なら『呪いだ』と判断する可能性はあります。あくまで『マクリアでは』ですが」


「というと?」


「すべったくらいなら、本人のミスの可能性もあります。慎重な人でも、多忙で疲れたりすれば、ミスを連発することはあるでしょう。ただ『誰もいないのに視線や気配を感じる』『呼ばれた気がする』『悪夢がつづく』。このあたりは少しひっかかります。むろん、疲れが原因の可能性も捨てきれませんが」


「そういうものか?」


「そこの判断も含めて、呪術師達の分野です。彼らにも能力の差はありますが、術師によっては、話を聞いただけで真偽を判断できる人もいます。呪いの痕跡や残り香が視えるそうですが、わたしは実物が目の前にないと、無理ですね」


「無理って…………呪いも視えるのか?」


「唯愛さん自身が影響を受けているなら、《鑑定》は可能です。魂に影響をうけた記憶が残っていますから、それを読み取ればいいんです」


「けど、唯愛さんは『霊感とかはない』と言っていたぞ? 今まで幽霊を見たり、心霊体験っぽい経験をしたことはないって。理子の《鑑定》は『相手が認識している情報』しか読みとれないじゃなかったか?」


 たとえばストーカー被害を受けていても、《鑑定》する対象者がそのストーカーの顔を知らなければ、《鑑定》してもストーカーの顔は読み取れない。

 リリシャの《鑑定》も万能ではないのだ。


「そのとおりですが、『認識していない』と判断するのは早計です。わたしや、マクリアのその分野の専門家達の間では、霊的な攻撃や守護は『表層的に自覚や認識ができていなくとも、魂のレベルではすべて感知している』というのが共通見解です。魔術や呪いも、ここに入ります。つまり唯愛さん自身は『霊感がないのでわからない』と思っていても、唯愛さんの魂は、呪いによる攻撃をうければ、それを認識しているんです」


「深層意識というやつか? じゃあ、唯愛さんを《鑑定》すれば、呪われているかどうか、判断できるんだな?」


「はい。仮に呪われていなくても、それならそれで『杞憂です』と安心させる材料になります。どのみち《鑑定》して損はないと思いますよ。唯愛さんに連絡してください。『《鑑定》依頼、承りました』と」


 マンションに戻るとさっそく桐人は唯愛に電話し、リリシャの言葉を伝えた。唯愛は喜び、彼女が確実に《鑑定》を受けられるよう、リリシャの定休日に『特別予約』を入れる。

 前回は唯愛の家を訪ねたが、今の唯愛は実家を出て一人暮らししており、自宅には母親がいるはずだ。

 相談の結果、桐人がリリシャを連れて唯愛の部屋を訪問する、という形に決定した。

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