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「悪い意味の…………『運命の人』?」
「はじめから説明します」
リリシャはカードをいじりながら、読み取った情報を提示していく。
「まず、『愛しているけれど結婚はできない女性』…………長いですね。仮でいいので、名前をつけていただけますか?」
「え? ああ、亜也霞だけど」
それが本名か仮名かを確認することはせず、リリシャは先に進む。
「では、もう一人の『結婚できるけれど、アヤカさんほど愛してはいない女性』…………」
「真実だ」
「アヤカさんとマミさん。お二人はどちらも、橋本さんの数代前の前世からの縁です。特にアヤカさんは毎回、恋人になっていたようです」
「…………っ」
直也の表情が動く。嬉しいような苦しいような「ああ、やっぱり…………」というような。
「ただ、アヤカさんとの関係は、悪い意味で強く長くつづいています。有り体に言えば――――悪党仲間でした」
「えっ…………」
「かなり長い間、何代にも渡って彼女と悪事をくりかえしていたようです。主に、金銭目当ての結婚詐欺や美人局です。男女が逆転している前世もあります。片方が平穏に暮らしていても、出会ってしまうと惹かれあって、そのまま悪の道に入ってしまうようです」
橋本直也は絶句する。
リリシャのピンク色の瞳が、じっと彼の瞳を見つめる。
「アヤカさんとあなたは、一緒にいると楽な方向へ流れる癖があるようです。お互いまっとうな家庭に育ったのに、二人で駆け落ちしてお金に困ると、まともに働いたり、贅沢を我慢するのではなく、窃盗に走る。アヤカさん以外の相手といれば、しぶしぶでも働く選択をするのに、アヤカさんといるとそうなってしまう。…………あなたとアヤカさんは、良くも悪くも性質が似ているようです。基本的にアヤカさんといると、居心地がいいんですね」
「…………そうかもしれない…………」
うつむいて、直也は呟いた。
「亜也霞とは本当に…………二人でいるのが自然なんだ。居心地がいいとか安らぐとか、そういう状態を超えて…………もう、寄り添っているのが当たり前のような…………なにも言わなくても、お互い相手のすべてがわかるような…………そういう存在なんだ。『半身』とでも言うような…………でも、亜也霞は…………」
「だから、良くないのだと思います」
遠くを見るまなざしで語る直也の言葉を、リリシャがばっさり切った。
「善人が似た者同士で結ばれるのと、悪人が似た者同士で結ばれるのとでは、起きることが違います。失礼を承知で言います。橋本さんの場合は後者です。楽な方に流れて悪事を働くことに抵抗がない者同士で結びつくので、互いに背を押し合い、励まし合いながら悪事をくりかえして、ますます悪事をくりかえして抵抗がなくなり、人に言えない罪を抱えた者同士、結びつきは強くなる。そういう悪循環におちいっています。それゆえの『運命の人』です」
「…………」
「許容できる悪事の度合いも、お二人は近いようです。『詐欺や窃盗はOK、でも殺人まではやらない』『標的は大人だけ、子供は相手にしない』、という風に。それも、長くつづいた一因だと思います」
橋本直也は押し黙る。「信じられない」と口ではなく、その顔色が語っている。
やがて呆然と訊ねてくる。
「じゃあ…………じゃあ、真実は…………?」
「マミさんは、橋本さんにとって、アヤカさんの対極にいる存在です」
橋本直也は顔をあげた。
「マミさんと橋本さんの関係がはじまったのは、アヤカさんより数代あとの前世からです。ただし彼女は、一度も悪い方向に誘ってはいません。マミさんはあなたの『導き手』の役目を担った運命の人のようです」
「導き手?」
「こちらでは、どう表現するのか知りませんが。人間として正しい方向に進むよう、指導する存在、とでも言うか。マミさんは、わたしの国なら『魂の格が高い』と表現される魂のようです。勤勉で理性的で、でも人間味にもあふれていて…………」
「ああ…………」と橋本直也は、また納得の声をあげる。
「たしかにそうだ。真実は…………良くも悪くも亜也霞とは対照的だ。優しくて気配りができて真面目で、理不尽なクレーマーにもていねいに応じるような…………だからといって、クレーマーの言いなりになるわけじゃない。譲れない一線はしっかり持っていて、相手がそこを越えると毅然と戦うんだよ。職場では部下に慕われ、上司の信頼も厚い。男にも女にも好かれて…………本当に、三十一歳なのに『人格者』という表現がぴったりなんだよ」
「そのマミさんが、橋本さんの『導き手』です。お互い合意の上で、橋本さんを人間として正しい方向に進むよう、指導する役目を担っているんです」
「つまり、真実は俺の人生の教師?」
「『教師』というと語弊がありますが…………橋本さんは三、四代前の人生で出会ったマミさんに、自分から『導き手になってほしい』と依頼し、マミさんも了承したようです。自分一人では正道に戻るには難しいと自覚していたので、マミさんの力を借りることにしたんです。そういう意味での『運命の人』です」
「ああ…………」
直也の顔が納得と内省の表情を浮かべる。
「言い得て妙な話だ。亜也霞は半身のような存在で、一緒にいることが自然な相手だ。一人じゃない、と安心できる。それに比べると真実は、好きだし、人格者の部分も尊いと思うけれど…………亜也霞のような安らぎは感じない。真実と一緒にいると、いつもどこか緊張するような…………気が抜けきれないんだ。周囲も、俺と真実じゃ合わない、無理があるって言う。…………そうか、あれは真実が俺の先生だからか…………なんか納得だよ」
「教師といっても『上から目線』というのとは違いますよ。マミさんも橋本さんもアヤカさんも、いわば『人生』という長い修業の旅をしているんです。橋本さんと付き合うことで、マミさんも人生や他者を学んでいる最中なんです」
「わかっている。真実は一度だって俺を否定したことはないし、自分の考えを押し付けてくることもない。ただ、俺の前で正しく在るだけだ。…………そうやって、俺に正しい道を示しているんだろう。わかっている。でも…………」
橋本直也はテーブルに肘をつき、組んだ指の間に額を埋める。
とうに帰宅の時間帯だったが、リリシャはいそがず、依頼人の気持ちが整うのを待つ。
どんどん冷えてくる夕方の空気の中、さすがに(一枚、羽織ろうかな)と思った時、橋本直也は顔をあげた。
「つまり…………俺は、真実を選ぶのが正しいのか? 真実を選べば、正しい幸せな未来が待っているのか?」
「未来に関しては、わたしに教えられることはありません。それは、わたしの能力の範疇外です。ただ、仮にマミさんを選んでも、それで終わりではない、とは言いきれます」
「どういう意味?」
「ある選択をしたからといって、それで残りの人生が自動的にすべて決まる、ということはありません。もちろん、大きな選択ほど大きな影響を及ぼしますが、それでも、人生はやはり、その人の努力や行動の積み重ねです。仮にマミさんを選んでも、彼女と共に幸せになる努力を怠れば、正しい道に戻ることは困難だと思います」
「じゃあ…………真実と結婚しても、まっとうな人間になるとは限らない。そういうことか?」
「橋本さん次第です」
「それじゃ、真実を選ぶメリットはないわけか」
「人は、メリット、デメリットだけで相手を選ぶわけではありませんが。それを言えば『アヤカさんを選ぶメリットはあるのか?』という話にもなります。アヤカさんを選んでも正道に戻ることは可能ですが、その場合、マミさんを選んだ時以上の、努力や労力を要すると思います」
「あ…………」
「アヤカさんを選べば、これまでの前世と同じように、今生も楽な方向に流れる可能性が高いです。特に、アヤカさんのほうは『正道に戻るべき』と考えていないようですから、まず、そこからの説得が必要です。そして、正道に戻ろうと努力する橋本さんを、アヤカさんが魅力的と感じる保証もありません」
「あっ…………そうか…………」
橋本直也は額に手をあてる。
「けっきょく、橋本さんが今後どのような人生を歩みたいか、どのような人間になりたいか、ということです」
ピンク色の瞳が直也を見すえた。
「まっとうな人間に変わりたいなら、それにふさわしい相手を選べばいいし、そうでないなら相応の相手と結ばれるでしょう。そもそも『運命の人』が二人いても、選択肢が二つとは限りません。アヤカさんと二人で正道に戻る選択もありますし、どちらも選ばず、第三の女性が現れるのを待つ、という判断もあります」
「ただし」とリリシャは付け加えた。
「マミさんへの対応には、細心の注意を払ってください。もっとも新しい前世で、橋本さんとアヤカさんは彼女をとても傷つけ、つらい思いをさせています」
「?」
「前世では、橋本さんとアヤカさんは今と同じ性別ですが、マミさんは男性でした。マミさんは橋本さんの恩師で、アヤカさんの夫です」
「えっ?」
「自分が先にアヤカさんと結婚することで、橋本さんがアヤカさんと結ばれて悪い方向に流れるのを、阻止しようとしたんだと思います。『さすがに恩師の妻は奪えないだろう』。そう考えたんでしょう。ですが、橋本さんはアヤカさんと出会って即、恋に落ち、あっさり駆け落ちしています」
橋本直也は目を丸くする。
「…………マミさんの魂自身は、そうなる可能性も考慮したうえで、アヤカさんと結婚したのかもしれません。ですがけっきょく、橋本さんはマミさんを手ひどく裏切る形で、彼女の導きを拒絶しています。そもそも橋本さんは、自分から依頼していながら毎回、『導き手』のマミさんの努力や誠意を裏切っているようです。――――マミさんの魂は限界かもしれません」
「限界…………」
「先ほど、マミさんを『魂の格が高い』と表現しましたが。マミさんも、橋本さん達よりは人格者だとしても、完璧な人間ではありません。そもそも『人格者』も、無限の忍耐は持っていません。マミさんにとって、橋本さんとの関係が傷つくばかりのつらいものであれば、距離を置きたくなるのが自然です。つまり『導き手』の役目を終える」
リリシャは一息、置いた。
「前世で、愛する妻を信用していた弟子に奪われたマミさんの苦痛や悲嘆は、深かったと思います。その後、橋本さんは風の噂で、マミさんの自殺を知っています」
「えっ…………」
「橋本さん自身、彼女の自殺に深く悲嘆したようです。だからこそ今生では、いえ、今生こそ変わろうと、今の状態に生まれてきたんです。アヤカさんとの関係は、その決意の表れです」
「…………っ」
「この先は《鑑定》ではなく、忠告です」
ピンク色の瞳がまっすぐ、この上なく真剣に橋本直也を射抜く。
「橋本さんがどのような人生を歩むか、それは橋本さんの自由です。ただ、表面上の意識では自覚できなくても、橋本さんの魂は正道に戻ることを望んでいるし、そのためにアヤカさんとも、今の状態で生まれてきました。マミさん本人を《鑑定》したわけではないので、彼女に関しては、あくまでも橋本さんから読み取った情報からの推測ですが。マミさんのほうも、何度も裏切られたことで、橋本さんから心が離れている可能性があります。『導き手』のマミさんを失えば、この先はもっと簡単に堕落していくでしょう。今生は『正道に戻る最後のチャンス』くらいの覚悟をもって選択することを、忠告しておきます」
三十五歳の男は、十七歳の少女から念を押される。
「どの道を選ぶにせよ、マミさんに対しては誠意と思いやりをもって対応してください。それだけでも、未来は違うかもしれません」
リリシャはブラウスの胸ポケットから一枚の名刺をとり出し、橋本直也に差し出す。
「自分一人の力では解決できそうにない、と思うなら、このキリトという『ほすと』を訪ねてください。彼は、人と人の縁を切る『縁切り』の力を持っています。彼に頼めば、橋本さん一人で努力するよりも楽に、アヤカさんとの関係を『切る』ことができます。――――同じく、マミさんとの関係も」
名刺を受けとった直也は唾を飲む。
「他に質問は?」
「いや…………もういいよ」
橋本直也は立ちあがる。
と、スマホの着信音が響く。
直也はスーツの胸ポケットからスマホをとり出し、画面に表示された名前を視認した。
少し迷った末に、スマホを切る。
「お話ししても、かまいませんよ?」
どうせ、もう《鑑定》は終わったのだ。
リリシャは勧めたが、橋本直也は「いや」と首をふった。
「いいんだ」
直也は財布から万札を一枚出すと、リリシャの前に置く。
「意外に――――いや、予想以上に刺激的な時間だった。嘘か本当かは、俺には分からないけれど…………これまでとは違った考え方をする材料をもらったよ、ありがとう」
直也は鞄を持ち直し、手をふって駅の方向へと去って行った。
その背中に、酔いの名残は見当たらない。
リリシャもピンク色の瞳に憂いと不安をにじませ、しばらくその背中を見送ったものの、やがてベールを脱いで『占い』の看板を伏せ、帰り支度にとりかかった。
「ああ。そういや『客が来るかも』って言っていたな。先週か?」
桐人も思い出したようだった。
「けど、あのあと、それっぽい客は来なかったぞ? まあ、男じゃホストクラブには入りにくいだろうけど…………」
桐人もテレビを見る。
画面の中では、男性アナウンサーが淡々とニュースを読みあげていた。
『…………橋本直也容疑者は、被害者の吉川真実さんと婚約していましたが、吉川さんから別れを告げられたことで逆上、妹の亜也霞容疑者と共に被害者を殺害し、被害者の現金や通帳、貴金属類を盗んで強盗に見せかけようと――――』
「…………この『橋本亜也霞』が、『本当に愛しているけれど、事情があって結婚できない相手』のほうか?」
「そうです。実の兄妹に生まれてくることで、今生では彼女と結ばれない道を選んだはずだったんですが…………」
桐人の質問に答えるリリシャの声は暗い。
「《鑑定》によれば、真実さんは亜也霞さんの職場の先輩で、亜也霞さんを通して橋本さんは真実さんと知り合いました。そして、親の遺産を継いだ彼女の財産を狙って、交際をはじめたけれど、橋本直也はだんだん彼女に本気になり、真実さんとまっとうな家庭を築くことを夢見るようになったんです。ですが、そのためには妹を切り捨てなければならない。橋本さんと妹さんは、世間に公表していないというだけで、内実は恋人同然でしたから。橋本さんが真剣に真実さんと結婚して家庭を築くなら、亜也霞さんの猛烈な反発は避けられない。そう悩んでいる時に、わたしの所に来たんです」
「そういうことか…………」
「せめて、真実さんに対してだけは、誠意と思いやりをもって対応してほしいと。それだけで未来は違うものになるかもしれないと。そう、伝えておいたんですが…………」
画面を見つめるピンクの瞳には、憂いと悔いが浮かんでいる。
悲惨な結果を避けられなかった己を、不甲斐なく感じているのが見てとれる。
桐人は少し考え、口を開いた。
「あまり気にするな。理子は全力を尽くしたんだろ?」
リリシャが桐人を見る。
「橋本直也だって大人だ。それも三十五なら、理子の倍以上の年齢の成人だ。大の男が自分で出した結論なんだ。周囲が止めて効果があったとは限らないし、本人も相応の報いや責任は覚悟していたはずだ。『自分だったら止められていたはず』というのは考えすぎ…………いや、相手の意思の力を舐めすぎだと、俺は思うぜ?」
アナウンサーが次のニュースを読みあげだす。
「理子は《鑑定士》として、できる範囲のことをしたんだろ? だったらそれ以上は、橋本直也本人の選択だ。理子から忠告されていたのに、本人がこの道を選んだ。悪いのは橋本直也自身だ。違うか?」
リリシャは少し考え――――首をふった。
「…………そうですね」
黒縁の眼鏡越しに、ピンクの瞳がいつものリリシャの瞳に戻る。
「たしかに、未来は視えない以上、わたしもあれ以上の忠告はできませんでした。あそこが、わたしの限界です」
桐人もうなずく。
「理子の《鑑定》はすごいが、万能じゃないってことだ。橋本直也は、忠告をもらっても妹を選ぶ男だった。そういう魂だった。それだけだ。――――食おうぜ」
勧められ、リリシャはちょっと苦いものを含んだ笑みを浮かべた。
「今の話、できれば忘れてください。依頼人の情報を、許しなく他者にしゃべるのは掟破りですから。…………ちょっと愚痴りたかったんです」
「愚痴か」
桐人も苦笑した。
『本職』を自認する彼女にしては珍しい失態というか、ルール違反だ。マクリアには『守秘義務』の概念がないのか? と不思議だったのだが、謎が解けた。
桐人は中断していた夕食を再開する。
リリシャもスプーンで味噌汁にとりかかった。
味噌は慣れたが、海藻は駄目な彼女のため、具は豆腐とネギである。
山と野に囲まれた田舎の村育ちのせいか、リリシャは海鮮類は苦手なようだった。
桐人は訊ねる。
「明日の夕食は、なにが食べたい?」
「今、夕食を食べているのに、明日の夕食の話ですか?」
「作る側としては、そんなもんだ。早めに決めてくれたほうが、ありがたい」
桐人の言葉に、リリシャも「うーん」と首をひねる。
「まだ、はっきりしませんけれど…………食べるなら、牛でも豚でも鶏でもウサギでもいいので、肉がいいです。とにかく肉」
「ウサギは日本のスーパーでは、まず売っていない。というか、肉ばかりだな、理子は」
「マクリアでは、肉は貴族や金持ちの食べ物でした。こちらでは安くておいしい肉が、たくさん売っています! マクリアに帰るまでにたくさん食べて、食いだめしておくんです!」
「わかった、わかった」
本気のまなざしで力説され、桐人はちょっと呆れた。
テレビ画面でアナウンサー達が別れを告げ、MCが高らかに次の番組の開始を宣言する。
「はじまりました」
リリシャの表情が明るくなる。桐人は感心した。
「理子は俳句に興味があるのか? もう、そこまで日本語のテロップが読めるのか?」
「俳句というより、この先生が面白いんです。鋭い舌鋒です。桐人に『ろくが』を教えてもらったので、何度も観かえして研究しています」
「俳句を?」
「いえ、先生の舌鋒のほうです。わたしも参考にしたいんです」
「しなくていい! 今現在、『辛口占い師』で評価されているだろ!!」
ピンクの目を輝かせたリリシャに、桐人は本気で制止の言葉を投げる。
すっかり定着した、二人での夕食の時間だった。