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「え…………」
「はあ?」
女二人は目を丸くしたし、桐人も聞き違えたかと思った。老人も無言だが驚いている様子だ。(大丈夫か、これ)と不安がよぎった桐人は、思わず拓真を見た。そして仰天した。
嶋田拓真は、およそ人間とは思えない形相をしていた。
怒っていたのではない。その逆だ。
完全に、完璧に冷ややかな無表情だった。人間味のすべてを消したような。
「訴える。名誉棄損だ。証拠も無しに人を殺人犯扱いなんて、占いにしても…………」
「《鑑定》です。あなたの魂から読み取った情報ですよ」
リリシャは冷ややかな重々しさで訂正した。
「魂は、経験したすべてを記憶しています。表面上の意識では忘れた情報も、魂には刻まれています。まして、殺人。忘れるはずがありません。特にあなたは、その殺人に快楽を覚えたのですから」
全員の視線が拓真に集中する。
「十七年前の秋、あなたは精神的に疲弊しきっていました。成績はふるわず、親からはプレッシャーをかけられ、同級生はどんどん先に進み…………逃げ出したい、すべてを終わりにしたいと、日々苦しんでいました。そして、実際に家を出たんです。終わりにするために」
ピンクの瞳がまっすぐに拓真の目を射抜く。
「本当に死ぬつもりだったのか、それとも、遠くに行くだけのつもりだったのか。そこは、わたしには読み取れませんでした。あなた自身、明確ではなかったのかもしれません。でも、とにかく家を飛び出してさ迷ったあなたは、出会ったんです。最初の『あんどうえみり』さん。十一、二歳の『あんどうえみり』さんに。人気のない、草だらけの空き地で」
リリシャは一呼吸置く。
「あなたは最初、彼女を犯すつもりで近づきました。自分がこんなに苦しみ、努力が報われないのに、彼女は呑気に楽しそうに遊んでいる。それが憎らしかったんです。彼女は幸せそうだから、少しくらいひどい目に遭わせても、問題はない。そう思ったんです」
淡々と語るリリシャは、神託を告げる巫女のような空気をまとう。
「あなたは彼女に近づき――――でも、彼女は逃げようとしたんです。あなたを一目見ただけで。あなたはとっさに彼女を捕まえて――――殺したんです。彼女の首を絞めました」
リリシャはそっと息を吐く。人間らしい、ため息を。
「彼女が逃げるままにしておけば、あなたは今後も堂々と生きていけたのに。でも、あなたは彼女を殺しました。十二歳の女の子を。気に入らなかったから、ただ、それだけで。そして彼女を殺したあなたは、とてつもない快楽を味わったんです。人生がひっくりかえるほどの快楽を」
エミリが、茉莉絵が、愛した男を見あげる。
「以後のあなたは急速に、順調にエリートの道を進んだようです。『あんどうえみり』さんを殺した罪悪感と快楽の前では、試験や両親の期待のプレッシャーなんて、小石ほども重くなかったんです。あなたは良い学校に入り、良い職場に入って――――二人目の『あんどうえみり』さんと出会いました。あなたが『運命の人』と呼んだ、『安藤エミリ』さんと」
「…………っ!」
安藤エミリが息をとめ、茉莉絵もエミリを見る。
「あなたが安藤エミリさんを選んだのは、彼女の名前と年齢です。かつての『あんどうえみり』さんと同じ名前、同じ生まれ年。…………あなたは『運命』と確信したんです。『あんどうえみり』さんがよみがえって、ふたたび自分の前に姿を現した。あのすばらしい快楽をもう一度、自分に与えるために。そう直感したんです。あなたは『あんどうえみり』さんを殺すために、同僚の安藤エミリさんと交際し、結婚を申し込んだんです。嶋田拓真」
《鑑定士》は断言した。
…………しばらく、誰も二の句を告げなかった。あまりに意外な、予想外すぎる話だった。突拍子がないと表現してもいい。桐人も、リリシャの《鑑定》の正確さを知らなければ一笑に付していたはずだ。
実際、女達はまず、そういう反応を示した。
「馬鹿馬鹿しい! 大嘘にもほどがあるわよ、こんなインチキ! 土下座したくないからって、いい加減なことを言ってるのよ、ねぇ、拓真?」
「さすがに…………嘘よね? 拓真。あの、リリシャ? さん? いくらなんでも、これは悪質な…………」
二人の女が左右から拓真に問いかける。
「ふっ」と拓真は唇から空気をもらし、ついで大声で笑い出した。
「面白いな! 即興で考えたにしては、なかなかドラマチックで人を惹きつける! 意外性があるよ! 君、作家か脚本家の才能があるんじゃないか? 占いより、そちらで食べていけばいいのに」
「占いではなく、《鑑定》です」
「いや、失礼。だが本当に、うまいところをついているよ。だって、考えてご覧よ、茉莉絵、エミリ。彼女の話には証拠がないじゃないか」
二人の女が「はっ」とした表情になる。
「『十七年前』という古い話に設定することで、『もう証拠は処分されて立証はできないけれど』という言い訳が使えるんだ。そして僕も『やっていない』と立証することはできない。本当にやっていないからだが、『やっていない』と立証するのは存外、難しいんだ。十七年も前じゃあ、記憶もアリバイもあてにならないしね。僕は『やっていない』と主張し、彼女は『やった』と主張する。どちらも立証はできない。うまいやり方だよ、水掛け論に持ち込もうというわけだ。どうせ『真実は、あなたの心がご存じのはず』とか言い出すんだろう?」
最大限に人を馬鹿にした笑い方だった。
「そうね、そうよね」と茉莉絵も追従する。
「これでわかったわ! アンタはやっぱり、インチキ占い師よ! 今すぐ、土下座しなさい!! 違うなら、証拠を見せなさいよ!!」
白い手袋をはめたままの人差し指を、リリシャに突きつける。
「証拠ですか」
「むーん」とリリシャがうなる。桐人は焦った。
「なにもないのか?」
「あるにはあったんですよ、一つ。でも、紛失しているんです」
「それみたことか」という風に、すかさず拓真が割り込む。
「インチキ占い師の常套句だ。『失くした』といえば出す必要がない、という理由だろう?」
「遺品なんですよ。殺された女の子の。犯行の記念に、『あんどうえみり』さんの持ち物を一つ、持ち帰っているんです。よくわからない絵の布」
「よくわからない絵?」
「こう、茶色い丸に黄色い三角がとり巻いていて、緑がひょいひょいと…………あ」
リリシャが自分のバッグをさぐった。割とひんぱんに使用しているメモ帳とボールペンをとり出し、空白のページを開いてボールペンをすべらせる。
「こういう感じの、ここが茶色で、ここが黄色で…………」
リリシャの絵は下手ではなかった。むしろ、シンプルながらも特徴をとらえた、わかりやすい画風だった(あとで聞くと、今回のように《鑑定》結果を絵で説明することは、よくあることらしい)。
桐人はすぐに、描かれたものの正体を見分ける。
「なんだ、ヒマワリか」
『ヒマワリ』の一言に、拓真の笑みがこわばる。
「ヒマワリというんですか、これ。なんなんです?」
「花だよ。夏に咲く。夏を代表する花だな」
「花? これが? おかしくないですか!? どうして真ん中の花芯部分が、こんなに巨大なんです!?」
「さあ。そういう花なんだよ」
「わたしの国では、こういう花は見かけません」
リリシャは不思議そうに自分が描いた絵をながめつつも、拓真にむきなおった。
「こういう『ヒマワリ』? ですか? この花が描かれた布を、あなたはつい最近まで、所有していたはずです。『あんどうえみり』さんを殺した時の記念、彼女を思い出すよすがとして。布には彼女の名前も書かれていた。違いますか?」
反応したのは茉莉絵だった。後退した拍子に椅子にぶつかり、その音でみなの注目を集める。茉莉絵は青ざめていた。
「知ってる…………それ…………」
「茉莉絵?」
「ヒマワリの絵の、『あんどうえみり』って書かれたやつ…………拓真の部屋で、見つけた…………」
「茉莉絵!?」
拓真が仰天する。桐人やエミリ、大和田老人も動揺した。
「クローゼットの奥に…………冬服を詰めた衣装ケースの奥、服の底に、紙袋に入れて…………」
「茉莉絵!!」
拓真が新妻の肩をつかむ。
「どういうつもりだ!? お前、妻のくせにそんな…………!!」
「だって!! だって、安藤エミリの、その女の物だと思ったんだもん!! 『別れた』って言ったくせに、その女の物を持ってるなんて、まだ未練があるのかと思ったから…………!!」
茉莉絵はエミリを指さす。
「おかしいと思った…………その女の物だと思ったのに、その女はカタカナで『エミリ』だって、いうから…………あっちの『えみり』は漢字で…………」
「ああ、これか」
桐人が、やや雰囲気の違う声を出す。検索をすませたスマホ画面を見つめて、確認した。
「十七年前の十月…………『安藤英美里ちゃん殺害事件』。記事では『えみり』は英語の『英』に『美しい里』と書いて、『英美里』になっている。そちらが見た『えみり』の漢字は?」
桐人の問いに、茉莉絵は顔色を失くす。それが答だった。
「まさか…………」
老人がひび割れた声をもらす。
茉莉絵の、エミリの、その場にいた全員の視線が拓真に集中する。
拓真は一瞬、憎悪の表情を浮かべ――――にっこりと笑った。
誰もが度肝を抜かれる。
「そうか。わかったよ、茉莉絵」
拓真は茉莉絵の肩を解放し、さわやかな明るい笑顔で「やれやれ」と首をふった。
「要は、君は僕と結婚したくなくなった、というわけだ。だから、そんな嘘をついて僕を殺人犯に仕立てあげ、結婚を無効にしようとしているんだろう? まったく残念だよ。挙式一時間で離婚を切り出されるなんて。インチキ占いに便乗するなんてね。そんなに僕が信じられなかったのかい? エミリとのことを、そこまで気にしていたのか?」
拓真は笑って腕をひろげ、茉莉絵に歩み寄る。その笑みに、桐人は(こいつは普通じゃない)と確信した。
この状況でこんな風に笑えるのは、普通の人間ではない。殺人犯に仕立てあげられようとしているのだ。良くも悪くも、普通の人間ならもっと焦り、怒り、動揺するはずだ。
「つまりあなたは、わたしだけでなく新妻の言葉まで、嘘と主張するんですね?」
リリシャが冷ややかに問う。
「むろんだ。僕の家に、そんなタオルがあったことは、一度だってない。いや。むしろ逆かな? ヒマワリ柄のタオルなんて、誰でも一度や二度は買う物だよ。よくある柄じゃないか。茉莉絵は勘違いしているんだ」
「タオル? ハンカチじゃなくて?」
桐人の質問は何気ないものだった。
が、拓真の口がとまった。
「桐人のいうとおりです。あなたがその持ち物を見たことないなら、どうしてタオルと知っているんです?」
「…………たしかに、小学生が持ち歩くなら、タオルよりハンカチのほうが自然な発想かもしれん。夏ならともかく、十月は涼しい」
大和田老人が言葉を添えて、室内の温度が一気に下がる。
茉莉絵が、エミリが、老人が拓真から離れた。
桐人もリリシャの前に出て、拓真から彼女をかばう位置に立つ。
拓真は冷ややかな無表情だった。それがゆっくり、憎悪の形相に変化していく。
眉間にしわを寄せ、眉をつりあげ、牙をむいたその様はまさに『鬼の形相』だった。
「…………証拠はどこにある」
地獄の底から響くような声だった。
「タオルはとっくに失くした。持っていた僕がいくら探しても、出てこなかったんだ。証拠も無しに立件できると思うのか? まして、占いだぞ?」
「今の台詞は充分、犯人の台詞ではないですか?」
桐人もまったく同感の、リリシャの言い分だったが、残念ながら録音はしていない。
万策尽きた、これ以上の追及は無理か、と桐人があきらめかけた、その時。
「…………ある…………」
意外な人物が声を出した。
「ある…………そのタオル…………」
「茉莉絵?」
「拓真のクローゼットから…………持ち帰って…………あたしの部屋に隠した…………」
「なんだと!?」
拓真がふたたび茉莉絵の肩をつかみ、激しく花嫁をゆさぶる。
「どういうことだ!?」
怒鳴られ、花嫁は半泣きの顔と声で訴えた。
「だって! だって、そこの安藤エミリの持ち物だと思ったんだもん! あの女が忘れられないんだと思ったから!! だから…………だから、いざって時は浮気の証拠になると思って!! だから…………!!」
桐人が指摘する。
「日本の科学鑑定の技術は進んでいるからな。現物が残っているなら、汗とかからDNA鑑定くらい、できるんじゃないか? そうでなくとも、名前入りだろ? 被害者の親に見せれば、被害者の物だと確認できるだろ」
拓真は激高した。
「この馬鹿!! なんてことを!!」
「やめたまえ、拓真君!」
しばし、拓真と茉莉絵と大和田老人がもみ合う。安藤エミリは呆然と立ち尽くしている。
拓真が新妻に拳をふりあげ、老人が孫娘をかばおうと、間に割って入った。
桐人は完全にノーガードになっていた背後から、思いきり強烈な一発を、拓真の横っ面に叩き込んだ。「うぐっ」という潰れたような声と共に、拓真は絨毯の上に転がる。
さらに、とどめの一発を放つ。
「今、警察に連絡した。110番じゃなくて、事件の情報を集めるために設置された、直通の番号のほうだ。タオルの件もあんたの名前も、この式場の場所も、あんたの妻の名前も伝えておいた。嫁側の家の力でもみ消そうとしても無駄だぞ、すぐに警察が到着する」
殴られた頬を押えながら、拓真が愕然と桐人を見あげる。
桐人はひらひらと、警察につながっていることを示す液晶画面を拓真に見せた。
拓真が茉莉絵達ともみあっている間に、記事のサイトに載っていた直通ダイヤルへ通報したのだ。
拓真の罪と凶暴性が判明した以上、一刻も早く、安全にこの場を立ち去る必要がある。そのためには拓真を、しかるべきところに引きとっていただく必要があった。
拓真は『信じられない』という風に、しばし呆然とし…………笑い出した。
「くっくっくっ」という笑いから、あっという間に「はははは!」という哄笑に変化し、リリシャや桐人、新妻や元カノ、義理の祖父の前で、ひとしきり笑いつづける。やがて苦しそうに腹を抱えながら、すっきりしたように顔をあげた。
「失敗したなあ…………本当に失敗したよ。まさか占いなんてものが、こんなに的中するなんて。いや失礼、《鑑定》だったね?」
すさまじい視線でリリシャをにらむ。
リリシャのピンク色の瞳は、負けじとその視線を受け止めた。
拓真は茉莉絵に視線を移す。
「馬鹿な女だから、いいように操れると思ったのに…………飼い犬に手を噛まれるとは、このことだな。馬鹿すぎて、僕のようなエリートには予想がつかなかったよ、まったく」
吐き捨てる。そして最後に、安藤エミリを見た。
「君のことは…………本当に愛していたよ、エミリ。今だって愛している。君は僕の運命だ。僕は何度だって君と出会い、何度だって君を殺す。そのために、君は生まれてきたんだ。『あんどうえみり』は僕の『運命の女』なんだ」
愛しげなまなざし、愛しげな声音だった。
「こうなるとわかっていたら、先に君を殺しておいたのに…………楽しみをとっておいたばかりに、味わい損ねるなんて…………不倫なんて、まどろっこしいことを考えるんじゃなかったよ、こんな小娘のおかげで…………!!」
愛した男の、憎悪と狂気をはらんだ瞳と顔つきに、安藤エミリは声も出せずに後退する。
「君と結婚したかったよ、エミリ。本気でね。君と結婚して、君に新しい『あんどうえみり』をたくさん産んでもらって、ぼくはその『えみり』達を順番に味わう。それが僕の夢…………」
足の力が抜ける。元婚約者が、結婚後に夫の姓ではなく妻の姓を名乗りたいと言っていた真の理由を悟って、安藤エミリは絨毯の上にへたり込んだ。
拓真はその彼女に手を伸ばそうとして…………控室のドアがノックされる。
「失礼します。あのう、そろそろ新郎、新婦様のお支度をはじめませんと。お客様がずっとお待ちで…………」
式場のプランナーと思しき男女が入室してくる。
「…………披露宴は中止だ。事情の説明は後日、おこなう。食事会に変更してくれ」
老人が苦しげに指示を出した。
拓真が「ふっ」と笑い、茉莉絵が純白のドレスの裾をひろげて、絨毯の上に膝と手をつく。整えた頭から、ヴェールとティアラがずり落ちる。
「どうして…………なんで…………」と、さめざめ泣く花嫁の声が控室に満ちた。
「おかえりなさい、桐人」
リリシャが玄関まで出迎える。
平日の正午過ぎ。桐人は店を終えて帰宅したところだった。
リリシャは休みで、朝からずっと、家にいたと言う。
「ニュースを観ていたのか?」
リビングに入ると、液晶画面に『安藤英美里ちゃん殺人事件の犯人逮捕』というテロップが、でかでかと映っている。
「大騒ぎみたいですね」
「そりゃ、迷宮入りになっていた事件が突然、犯人が逮捕されればな」
桐人は部屋に戻って荷物を置き、ジャケットを脱いでリビングに戻ってくる。
ニュースはここ数日間、十七年前の殺人事件でもちきりだった。
桐人も、ネットや週刊誌をこまめにチェックしている。
幸い、リリシャの存在は、どこの記事でも明らかになっていない。
桐人とリリシャは、安藤エミリや大和田老人に、自分達のことを警察に伝えないよう念を押して、警察が到着する前にあの式場を立ち去っていた。
なにぶんリリシャはこちらの戸籍を持たず、身分証明もできず、さらには未成年で、水商売の男と同居している…………という、二重三重に警察には関わりたくない状況だった。
まあ、仮に彼らがリリシャのことを話しても、『占い師が占いました』と言って信用されるとは思えないし、警察だって『占いが当たりました』とは発表できないだろう。
ニュースでちらりと報道されていたように、『匿名の通報がきっかけ』として、この件は終わるだろう。
「夫婦の間は半眼で、か」
ドリップコーヒーを用意する桐人の呟きを、リリシャが拾う。
「なんですか?」
「全部見てしまっても、いいことはない、という意味だな。知らなければ、大和田茉莉絵と嶋田拓真は今頃、幸せな夫婦、自慢の夫でいたはずだし」
「この仕事では、よくあることです。誰もが、望む真実だけを得られるわけではありませんから」
リリシャの返答はそっけないほど迷いがなかった。
「黙っておくべきだ、と思う時はないのか?」
「ありますけれど。…………でも、依頼されたら、わかる範囲のことは告げるようにしています。真実は、知りたくない人もいますけれど、それを知りたがっている人がいるのも事実です。けっきょく、それぞれの扱い方次第です」
リリシャはテレビを見やる。
画面では、白髪交じりの男女が泣きながら「捕まってよかった」「英美里も浮かばれます」とインタビューに答えている。
安藤英美里の両親だ。
「安藤エミリさんも、知って良かったと思いますよ? あの男は、エミリさんをあきらめていませんでした。出世欲から会長の孫娘と結婚しましたが、頃合いを見て、エミリさんと連絡をとるつもりだったんです。そのうえで彼女を殺すか…………彼女とも家庭を持って、娘を産ませるつもりだったんです」
「とんでもない執着だな…………」
電気ポットのお湯を注ぎながら、桐人はぞっとした。
「それほど、最初の安藤英美里から味わった快楽が忘れられなかったんです。…………魂に刻まれるほどに…………」
画面を観ていたリリシャの言葉がとまり、嫌そうに、なにかを堪えるように、自分自身をそっと抱く。
『魂を《鑑定》する』という彼女は、その魂に刻まれた快楽までも《鑑定》してしまうのだろうか。
桐人は寒そうなリリシャを抱きしめそうになったが、大人の理性を総動員して抗った。
相手は十七歳。未成年だ。
かわりに別の報告をして、話題を変える。
「今日、店に安藤エミリさんが来た」
「《縁切り》ですか?」
「ああ。俺にできる最大限の力を込めておいた」
淹れたてのコーヒーを渡しながら、桐人はリリシャと向き合う形で座る。
桐人は、人と人の関係を断ち切る《縁切り》の能力を持っている。
桐人本人にいわせれば「プロとしては、やっていけないレベル」だが、効果はあるので、知っている者達からは定期的に依頼がくる。なにしろ業種が業種だ。
安藤エミリにも「エミリさんが望むなら、あの男との縁を切ってあげるよ?」と店の名刺を渡し、リリシャも「そのほうがいいです」と勧めていたのだ。
「髪は切ったけれどな。念のため、銀紙のほうも渡しておいた」
「あら。使っているんですね、あの術」
銀紙を刃物の形に折って用いる《縁切り》術は、桐人の実家に伝わる術で、実家との関係が良くない桐人には印象が悪い。そう、リリシャは思っていたのだが。
「事情が事情だからな。それに、使えるなら使ったほうがいい。選択肢は多い方が、稼ぐ方法も増える」
「つまり、銀紙のほうは別料金、ということですか」
にやり、と笑ってコーヒーに口をつけた桐人に、リリシャも「心配することはなかった」と肩をすくめて、自分のコーヒーに砂糖とミルクを加える。
「まあ、そのほうがいいです。あの男がいつまで牢獄に入るのかは知りませんが、『あんどうえみり』については、あきらめることはないと思ったほうが無難です。安藤エミリさんは、どこかまったく違う所に引っ越しして、《縁切り》も定期的にやるくらいがいいかもしれません」
「…………今後一生、『運命』の単語は聞きたくないって言っていたな。理子にも礼を言っておいてくれ、と伝言された。『もし、あの時、止めてもらわなければ、今頃は私のほうが刑務所にいました』って」
そして嶋田拓真は誰にも真実を知られることなく、今も自由な状態で、堂々と茉莉絵と幸せな新婚生活を営んでいただろう。
『運命って、紙一重ですね――――』
それが、店を出る時の安藤エミリの一言だった。
桐人はコーヒーを片手に、リリシャに笑いかける。
「完璧な倍返しだったな。いや、十倍返しか? ――――嶋田拓真が怪しいと、最初から知っていたのか?」
「まさか」
リリシャは甘いコーヒーを飲みながら、きっぱり否定する。
「本人の許可なく、《鑑定》はしないですよ。桐人とも約束しましたし。ろくでもない男とは思っていましたが、今回の件については、完全に偶然です。まあ、本当になにも後ろ暗い情報が出て来なかったら、どうしよう、とは心配していましたけれど」
「していたのか…………」
まったく、そうは見えなかった。
桐人はあらためて、目の前の少女の度胸に舌を巻く。
そしてコーヒーのカップを置き、「ほら」とリリシャに手をさし出した。
「なんですか?」
「髪。嶋田拓真や、大和田茉莉絵との縁を見る」
「もう、《縁切り》はしましたよ?」
「またつながっていないか、確認する。大和田茉莉絵は逆恨みしていないとも限らないし、特に嶋田拓真は理子を恨んでいないはずがない。大和田会長だって、金持ちが優秀な占い師を抱えたがるのは、実はよくあることだぞ?」
「そういうことですか」
リリシャはコーヒーを置き、素直に桐人に髪を触れさせる。
桐人はその茶色がかった灰色の髪を、とてもていねいに触れた。
「明日も仕事でしたよね」
「ああ」
「わたし、観たい深夜番組があるので、今日は遅く寝ます。だから、夜明け前に桐人が出かけても、見送りはできませんよ?」
「深夜番組を覚えたのか…………いつも言っているけど、いちいち起きなくていいぞ?」「偶然、目が覚めるだけです」
ふい、とリリシャはそっぽをむく。
その反応がとてつもなく可愛らしくて、桐人は再度、理性を総動員して髪を放した。
「…………縁のほうは、今のところ大丈夫そうだな。一休みしたら、一緒に買い物に行くか? 夕食は、なにが食べたい?」
これまで、食事は外やコンビニで済ませることも多かった桐人だが、リリシャを住まわせるようになってからは、なんとなく一緒にとることが多くなっている。
「むーん」とリリシャは考え、提案する。
「この前、桐人が作ってくれた、野菜の煮込み。『ぽとふ』でしたっけ? 作ってくれるなら、あれがいいです。マクリアでの味に似ていました」
「そうか? 割と適当に塩こしょうして、少しハーブを入れただけなんだが…………まあ、思い出してみる」
「起きたら、声をかけてください。わたしも少し寝ます」
「今日はずっと家にいたんじゃないのか」
「深夜番組のために、昼寝しておくんです」
「わかった、わかった」
他愛ない会話に、仕事帰りの疲れた精神が優しくほぐされる。
今度、リリシャに予約録画と再生の仕方を教えよう。
そんなことを考えながら、桐人は自分の部屋に引っ込み、一時の眠りを貪った。