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短編のはずだったのに、長くなったので分けます。
それでも長いです……。
たった一つの出会いや選択で、その後の人生が正反対の結果になる。
安藤エミリにとって、あの時の《鑑定》がまさにその『運命の岐路』だった。
その女性を最初に見つけたのはリリシャだった。
平日の昼。都心の高級感とオシャレ感を売りにした地区での出来事だ。リリシャと桐人、双方の休日が重なったため、リリシャの『社会勉強』を兼ねて歩きつつ、手ごろなランチの店を物色している最中だった。
通りの先に白っぽいデザインの教会の屋根がのぞき、その教会の門から、一人の女性が教会をにらみつけるようにのぞいている。
「のぞくなよ? その眼鏡をかけている間は、勝手に《鑑定》しないって約束しただろ?」
『異世界から来た異世界人』を自称するリリシャは、他人の魂の情報を読み取る《鑑定士》だ。簡単にいうと『透視』と『過去視』に『前世視』を足したような能力、と桐人は解釈しているが、この能力が厄介で、リリシャの《鑑定》は一般人が想像する『占い』の域をはるかに超えている。
桐人自身、自分が忘れていたような昔の情報を引っぱり出されたり、隠していた本名を暴かれたりしているのだ。
なので桐人はリリシャに度が入っていない黒縁の眼鏡を買い与え、「これをかけている間は、勝手に桐人を含めた他人の《鑑定》をしない」と約束させ、リリシャ自身、本職の自負とプライドに従い、その約束を呑んだ…………はずだったのだが。
「約束しましたよ。でも『緊急事態をのぞいて』という条件付きでした」
桐人の注意に、リリシャは眼鏡をずらしながら返事する。片耳に白い石のピアスがゆれ、太めの黒縁からピンク色の瞳がのぞく。
「……緊急なのか?」
「魔帝退治の時に、ああいう表情と目つきをしている人を、よく見ました。命を捨てて相手を殺す覚悟を決めている時の顔です」
リリシャの指し示す先で、女性は食い入るように教会を見つめ、教会では今まさに、正面扉が開いて花婿花嫁が出てきたところだ。参列者がめいめい花を降らせる。
説明されずとも、事情が想像できそうな状況だった。
「止めたほうがいい気がしますが。あの女性、さっきからずっと片手を鞄に入れています。この国では、人間を害するのは、どの程度の罪になるんでしょう?」
桐人は天を仰いだ。昼ドラ展開らしい。
いたしかたない、と腹をくくる。
知ってしまったからには見過ごせない、というお節介精神があったかもしれないし、可愛い女の子(生意気だが、悔しいことにリリシャは可愛いのだ。アイドルもやれそうなレベルで)の前でいい格好をしたい、という下心もあったかもしれない。
とにかく、桐人は厄介ごとに足を突っ込む覚悟を決めた。
二、三、リリシャと言葉を交わすと、リリシャが大股で先行する。
「失礼。悩みがあるなら、相談にのります」
他の声のかけ方はなかったのか、と少し離れて見守っていた桐人は思う。
十代の美少女でなければ、宗教かセミナーの勧誘と思われて終わったはずだ(あとで本人に訊ねると「だって、いきなり『そんなことはやめなさい』と言っても、警戒されるか拒絶されるかですよ?」と、割と理にかなった返事がかえってきた)。
「えっ、な、なんですか!?」
『ギクリ』という擬音すら聞こえそうなほど動揺を明らかにして、女性はリリシャをふりかえった。右手を突っ込んだ鞄を、左腕で隠す仕草を見せる。
「追い詰められたからといって、今やろうとしていることは、本当にあなたのためになることですか? かえって、ますます苦しみ、不幸になる選択をしていませんか? 今なら、まだ引き返せます。もっと、いい方法をさがしましょう? あなたが幸せになれる方法を」
見守る桐人は、リリシャの外見が可愛らしい事実に感謝した。どう聞いても、怪しいセミナーの勧誘だ。普通の成人なら、警察を呼ばれて終わっていたかもしれない。彼の本業といい、外見は重要だ。
「ほ、ほっといて! なにも知らないくせに!!」
「わかりますよ。失恋したんでしょう?」
硬直する女性に、リリシャは一歩、近づいた。
「さんざん『僕達の出会いは運命だ』『君は僕の運命の人だ』『結婚しても、君の名字でかまわない』とくりかえしておきながら、お金持ちの若いお嬢さんを選んだんですよね? そんな男、捨てたほうがいいです。もっとすてきな男性が現れます」
「どうして、それを…………」
具体的な描写に、女性が不審と疑惑と警戒を露わにリリシャを見つめる。
リリシャは眼鏡を外していた。ピンク色の瞳が露わになっている。
桐人は、リリシャがすでに《鑑定》を終えていると察しながら、女性の横を通り過ぎる。
「やめたほうがいいです。こんなことをしても、彼は悔やんだり心変わりしたりしないと思います。逆に、あなたが罪人となって牢獄に入れられ、彼は悩みの種がなくなって、思う存分、新妻との幸せな新婚生活を味わうだけですよ」
女性が、はっ、としたのが、彼女の背後に立った桐人にも伝わってきた。
そこまで考えていなかった、もしくは、その予想はなかったのだろう。
犯行に手を染めようとする人間の多くは、不思議なほど計画の成功ばかり前提に考え、失敗の可能性を忘れている。
「べ、別にいいわよ! 捕まっても、あの人に思い知らせることができれば…………!」
「ですから、思い知りませんって」
「きゃあ!!」
女性が悲鳴をあげる。
背後にまわり込んでいた桐人が、うしろから彼女を抱きしめるような恰好で両腕を固定し、動けなくしたのだ。
「放して! 誰!? 変態!! 痴漢!! 誰かぁ!!」
「痴漢はひどいなぁ、先週、会ったばかりじゃん。昨日、来てくれるっていうから、オレ、ずっと待ってたんだぜ?」
桐人はとびきり甘い声を出した。
案の定、予想外すぎる返答に、相手はきょとんとした顔で桐人をふりかえる。
間近で見れば普通の女性だった。アラサーのキャリアウーマン風、というところか。
桐人は最大級の仕事用の顔と声、すなわち彼に作れる『最高級の甘く優しい笑顔』を作った。幸い、相手は気勢を削がれたようだ。自分の顔の良さは、こういう時に役に立つ。
「よっ。オレの顔、忘れた?」
「え? ええと…………ええ?」
女性がまばたきする。数秒間、本気で桐人の顔を記憶と照合する表情になる。
その数秒の隙にリリシャが、鞄に隠していた彼女の右手を両手でつかまえ、親指を力いっぱい関節とは反対の方向に曲げた。
「痛い!!」
たまらず女性は声をあげ、右手に持っていた物を放す。
リリシャはすばやく、それを鞄ごと奪いとって彼女から離れた。
「返して!」
女性は青ざめ、とりかえそうとするが、桐人ががっちり彼女を拘束して放そうとしない。
ちょうどその時、別の第三者が現れた。
「あのー、何事ですか?」
「痴漢って聞こえたんですけど…………」
二人の男性だった。どちらも晴れ着用のスーツを着ており、結婚式の参加者だろう。女性の悲鳴を聞きつけ「晴れの日に警察沙汰が起きては」と確認に来たのだろうが。
「あ」と、桐人に捕まった女性の顔を見るなり、声をあげた。
「いやいや、安藤さん、なんでここに。招待されてないよね? 帰ったほうがいいよ」
「嶋田達は婚姻届も出して、式も終わって、このあと披露宴だし。気持ちはわかるけど、帰ったほうが安藤さんのためだよ」
男二人が口々に勧めてくる。どうやらこの女性は『安藤』という名字で、彼女と新郎の共通の知人であり、二人の間になにが起きたか知っているようだ。
「余計なお世話よ、私は――――」
「てか、うしろの人、誰?」
男の片方が桐人を指さす。
安藤と呼ばれた女性も今の自分の体勢を思い出し、「とにかく放して!」と、ふたたび桐人に訴える。
さてどうしたものか、と桐人が判断に迷っていると、さらに別の声が割り込んできた。
「どうしたんだ、悲鳴はなんだったんだ?」
特になんの気負いもなく、教会の門から顔を出したのは、白いタキシードを着た新郎。その隣からひょいっと、純白のウェディングドレスとヴェールとティアラを身に着けた花嫁も顔を出す。
そして両者ともに「あ」という顔になった。
「安藤さん…………!」
「エミリ…………」
「拓真…………っ」
花婿が呟き、安藤の体が緊張にこわばる。
すかさず花嫁が花婿を押しのけるように前に出て、安藤と対峙した。
「なんの用ですか? 見てのとおり、あたし達、もう結婚して、あたしが拓真の妻になったんですけど?」
なかなか可愛らしい花嫁だった。アラサーっぽい安藤に対し、二十三、四歳というところか。たっぷりのレースとフリルを用いた、やや少女っぽいデザインのウェディングドレスがよく似合っている。
ただ、『結婚』とか『妻』という単語をことさらに強調して、これ見よがしに花婿と腕を組んだ顔は、最高の優越感と意地の悪さに彩られていた。
桐人は、いまだ両腕をつかんだままの、安藤エミリの「ぎりっ」という歯ぎしりの音を聞いた気がしたし、先に現れた二人の男も「うへぇ」「女って」という表情になる。
「拓真のことはあきらめてください。あたしが拓真の妻ですから。安藤さんも、いい人が現れますよ。いっそ、私が何人か紹介しましょうかぁ? 安藤さん、仕事はできる人だから、三十目前の、二十九歳のオバサンでも妥協するって人はいますよぉ」
「茉莉絵!!」
「この…………!」
「はいはい、エミリさんには俺がいるじゃない」
耐えきれず花嫁につかみかかろうとした安藤エミリの体を、桐人がいっそう力を込めて、がっちりホールドする。事情を知らない人間が見れば、ただのバックハグだろう。
花嫁も花婿も怪訝そうな顔になる。
「エミリ…………その男は?」
「え、その、これは」
「はじめまして。エミリさんの、今の恋人です」
桐人は思いきり、にっこりと笑ってやった。少し離れた位置でリリシャが半眼になる。
「はあ!?」
「エミリ!? 恋人って…………!」
安藤エミリは目を丸くして声をあげたし、花婿も動揺の声をあげる。
「違っ…………嘘よ、離して!!」
桐人は自分に出せる、最大限に甘くて切なくて真剣な声を作った。
「え、なんで? エミリさん、オレのこと好きって言ったじゃん。あんな浮気な男は要らないって。ひどいなぁ、あんなに真剣に本気で愛し合ったの、オレ、エミリさんが初めてだったのに」
「はあああ!!?? なんの話よ!!」
安藤エミリは真っ赤になって大きな声を出す。
その反応に、桐人は演技でなく面白くなって笑ったし、(女性向けの漫画でこの手のシーンがあるな、それっぽくなってきたな)と頭の隅で考えているし、リリシャから冷ややかな視線が送られてくるのを、ひしひし感じる。
「エミリ、今の恋人って…………」
「ち、違う! 人違いよ! 人違い!!」
あ然とする花婿に、安藤エミリは激しく首をふって否定する。
「そこでどうして、驚く必要があるんです?」
割って入ったのはリリシャだった。眼鏡をかけなおし、安藤エミリの鞄を持った手は、うしろにまわしている。成人ばかりの中で、十代の彼女はちょっと浮いていた。
「あなた、エミリさんを捨てて、その女性と結婚したんですよね? なら、エミリさんが新しい恋人を作るのは、あなたにとっていいことですよ。だって新しい恋人がいれば、この先、エミリさんがあなたを追ってくることはないです。『新しい人が見つかって良かった、彼と幸せになってくれ』と祝福するべきではないですか?」
「それは…………」
うろたえる花婿に、花嫁が食ってかかる。
「そうよ、拓真!! どうして、焦るの!? 拓真の妻は、あたしでしょ?! 安藤さんとは、もうなんでもないんでしょ!? 安藤さんなんて、どうでもいじゃない! ホストとでも誰とでもくっつけばいいのよ!!」
茉莉絵と呼ばれた花嫁は、かなきり声をあげる。
リリシャがエミリをうながした。
「とりあえず、ここを離れましょう。こんな男、捨てられたのではなく、エミリさんのほうから捨てたんだ、くらいの気持ちでいればいいんです。『粗大ごみを引きとってもらった』と思っておけばいいですよ」
耳ざとく茉莉絵がリリシャをにらみつけてきた。
「はあ? あんた、いきなり出てきて、何者? 拓真のなにを知ってるのよ? 拓真はね、おじい様の会社の若手で一番の出世頭で、大学も公立をトップで卒業しているし、スポーツもできて、女子社員の人気も一番だし、おじい様にも気に入られていて、あたしと結婚したおかげで、将来は社長の椅子が約束されてるんだからね。大和田グループって知ってるでしょ。あたし達はそこの未来の社長夫妻なの。セレブなのよ。あんた達とは、住む世界が違うのよ。そんな、いかにも馬鹿みたいな髪色に染めて、どうせ底辺の男としか付き合ったことないんでしょ」
「経歴は知りません。でも、そちらの女性とのやりとりを見れば、推測できるものはあります。結婚したのに、前の恋人に未練たらたらの男は、ろくな男ではないです。別れた恋人から恨まれている男も、ろくな男ではないです。男の度量は、別れ際に現れます。本当にいい男なら、自分が悪者になっても道化になっても、相手の女性が最速で自分を忘れて次の恋をさがしに行けるよう、最大限に気遣うものです。恨まれて結婚式に押しかけられるなんて、たいした男ではないと、《鑑定》せずとも、この数分間で立証されています。あと、わたしの髪は地毛です」
リリシャはどこ吹く風で、毛先をいじりながら反論した。なお、今日のリリシャは茶色がかった灰色の髪を、桐人が買ったシュシュで一つにまとめて、左に流している。
「言っとくが、それはハードル高い要求だぞ」
リリシャの『いい男』論に、桐人は安藤エミリをホールドしたまま呟いた。
まあ、実際、客ときれいに別れているホストはもれなく、上級者ばかりだが。
「ガキが偉そうに!! 大和田グループ会長の孫娘のあたしにむかって…………!!」
「こら、茉莉絵!」
「おじいさんの威を借る孫娘はみっともないですよ。偉いのはおじい様で、孫じゃないです」
十代の少女につかみかかろうとする花嫁を花婿がとめ、リリシャはしれっと花嫁に指摘すると、彼女を無視してエミリに提案する。
「能力上、未来は視えないので、将来の確約はできませんが。ご依頼があれば《鑑定》します。前世の恋人くらいはお教えできるかもしれませんよ?」
「は…………? 鑑定?」
「○○区の××通りにある『フォルチューヌ』というカフェの前で《鑑定士》をやっています。リリシャと言います。お見知りおきを」
リリシャは、ぴっ、と名刺を差し出した。「あったほうがいい」という桐人の助言を受けて刷った、仕事用の名刺である。『リリシャ』という仕事用の名前(実際は、こちらが本名だが)と、仕事場であるカフェの住所、それから開店日だけが印刷されている。
「はあ…………」
気の抜けた声で、安藤エミリがなんとなくその名刺をうけとった。
『占い師っぽい雰囲気で』という基準で選んだデザインだが、月や星がプリントされたカラフルなそれは、アラサーのキャリアウーマンの目には、女子高生が友達にばらまく用に作ったそれと大差なく映っただろう。
リリシャ本人からは「わたしは占星術師とは違います」と言われながらも「筆で描いた絵より精緻で、色がきれいです!」と高評価だったのだが。
むしろ反応があったのは花嫁のほうだった。
「え!? ××通りの『リリシャ』!? 知ってる!! 占いの人でしょ!? 」
白い手袋をつけた手が、まっすぐリリシャを指さす。
「友達が占ってもらった、って言ってた! よく当たるって…………」
ミーハーな声の語尾が弱り、ヴェールとティアラに飾られた顔が嫌そうにゆがむ。
「言っとくけど。あたしと拓真の相性は最高だから。有名な先生に何人も占ってもらって、そう出てるんだから。拓真は将来、すごく出世するし、あたしは拓真に一生、愛されて、幸せな人生が約束されてるのよ」
茉莉絵はぴたりと拓真の腕にすがりついた。
どうやらリリシャの『こんな男は捨てた方がいい』という台詞が気にかかったらしい。『ただのガキ』の台詞は聞き流せても、『当たる占い師』の言葉は別のようだ。
「占い師…………だったんですか?」
安藤エミリがリリシャを見る。こちらは花嫁とは正反対の声音だった。
『もっといい男性が現れる』という言葉を信じたいのだ。傷を癒すために。
「占いではなく、《鑑定》です。詳しい説明は、あちらで」
リリシャは安藤エミリを教会の反対側へと誘う。エミリをホールドしたままの桐人も、彼女の体をそちらへむかせようとする。
そこへ何度目のことか、まったく異なる声と人物が割り込んできた。
「茉莉絵、拓真君、なにをしている? 客達が不思議がっているぞ?」
新郎新婦の背後、教会の門から、恰幅のよい老人が姿を現した。こちらは紋付きの羽織袴姿だ。「おじい様!!」と茉莉絵が明るい声をあげる。どうやら、例の『大和田グループの会長』らしい。
「申し訳ありません、会長。すぐ戻ります」
「おじい様、助けて! あの人達が、結婚式を邪魔しようとするのよ!!」
いかにもできるビジネスマンらしく頭をさげた新郎、嶋田拓真の言葉をさえぎるように、花嫁の茉莉絵が、安藤エミリと桐人とリリシャを指さした。
「そちらは?」
「あ、ええと…………」
「拓真の元カノよ。拓真とはとっくに終わっているのに、あたし達の結婚に文句をつけに来たのよ」
「『とっくに』じゃないわ! 親に会う日の相談までしていて、突然、連絡のとれない日がつづいたと思ったら、いきなりカフェに呼び出されて『君とは結婚できない』『彼女との結婚が決まった』って、納得できるわけないでしょう!?」
茉莉絵の勝手な説明に、落ち着きかけていたエミリがふたたび声を荒げた。
「エミリ、それは…………」
「関係ないわよ、結婚したのは、あたしだもん! 勝ったのは、あたしよ!! ねえ、おじい様、この人達を追い出して!! この人、あたしと拓真の結婚が不幸だって言うの! よく当たる占い師だって言うのよ!!」
茉莉絵は特にリリシャを指さして訴えたが、老人はさすが大企業の会長だけあって、安直に話にはのらなかった。
「占いなぞ、信用するな。大事なのは当人達の努力だ。未来など、努力でいくらでも変えられる。見たところ、大学も出ていないような子供だろう。こんな子供の言葉を真に受けるほうが、どうかしている。さっさと式場に戻りなさい、客が待っているぞ」
老人はちらりとリリシャを見て、孫娘を教会に戻そうとする。
桐人は、リリシャのほうから『かちん』と音が響いた気がした。
茉莉絵も祖父と夫、二人からうながされて、エミリとリリシャに一度は背をむけたが。
「やっぱり、納得できない! アンタ! 今ここで、あたし達の未来を占いなさいよ!!」
茉莉絵はリリシャを指さして要求した。
「あたし達の相性はばっちり、未来は神様に祝福されてるって、有名な占い師達がそろって保証したんだから!! アンタの言うとおり、あたしと拓真の相性が悪かったら、アンタに十万…………ううん、百万、払ってやるわ!! そのかわり外れてたら、アンタは土下座して『私は無能な占い師です』って宣言するのよ! それをネットにアップしてやる!!」
「ネット…………」
リリシャが呟き、桐人をふりかえった。
「つまり?」
「動画サイトとか見ただろ? あそこに載せるって言っているんだ」
「それはよくない事ですか?」
「全世界中につながっている。宣伝としては、最悪だ。わかるか?」
「そういうことですか」
「むーん」とリリシャは考え込む。
桐人は「彼女、ネットを知らないんですか?」と不思議そうにする安藤エミリに「あ、この子、留学生で、日本語がわからない時があるので」とごまかす。
「相性…………なにを持って『相性が良い』とするのか…………その定義は?」
「え?」
「正規の料金を払うなら、依頼には応じます。ですが『相性を視る』というのは、わたしの《鑑定》の範疇外です。能力外、とも言えます。わたしの《鑑定》はあくまで、その人の魂に刻まれた情報を読み取るものです。そもそも『相性がぴったり』というのは、なにをもって、そう定義するのですか? 生まれた時刻の星の運行? それとも血液型とやら? それでしたら、その筋の専門家に依頼してください。話が合うとか趣味が合う、ということであれば、そういう事柄は付き合っているうちにわかってくるもので、わざわざ《鑑定》することではないのでは? あなたの依頼は漠然としています。もう少し内容を具体的に定義してください」
「そ、それは…………だから…………」
茉莉絵がもどかしげに顔をゆがめる。今までの占い師は『相性を占ってください』で通じたはずだ。まさか『もっと具体的に』と返答されるとは予想しなかったに違いない。まして、言語表現能力があまり高そうでない人物である。
「先に断っておきますが、わたしの《鑑定》は未来を視るものではありません。わかるのは、過去と現在だけです。ですから『どうすれば道が開けるか』という類の質問には、応じられません」
「はあ? それでよく、占い師を名乗れたわね?」
「占いではなく、《鑑定》です。占いも《鑑定》も千差万別、人それぞれ得意分野が異なるというだけです。そして魂に刻まれた情報を読み取る技術でしたら、わたしはそこらの《鑑定士》とは一線も二線も画す自信があります。これでも《上級鑑定士》ですから」
リリシャは薄い胸をはった。
茉莉絵はますます反発する
「占いでも鑑定でも同じよ! あたし達の相性は最高だし、一生の幸せを保証されてるんだから!! …………そうよ!!」
むきになった茉莉絵が、はたと表情を明るくする。
「拓真が本当にハイスペックな、誰よりすてきな旦那様だって、占いなさいよ! あたしにふさわしい、最高の男だって!! これなら具体的でしょ!!」
「それはできません」
リリシャは即答した。
「わたしの《鑑定》は、本人からの依頼しか受けません。『他人を《鑑定》してほしい』という依頼はお断りしています。わたしがその人の許可なく《鑑定》すれば、それは『覗き見』になります。それだけの正確性があると、自負しています。だから、あなたの依頼で《鑑定》するのは、あなた自身だけです」
「はあ!? お金は出すって言ってるでしょ!!」
「いくら出されようと、駄目です」
「だったら、どうやって証明するのよ!! あたし一人しか占わないんじゃ、二人の相性なんて証明できないじゃない!! 拓真を占って! そうすれば彼が最高の男性だって、あたし達が運命の二人だって、すぐにわかるんだから!!」
「まあまあ、茉莉絵」
「いい加減にしなさい、茉莉絵。まだ披露宴があるだろう」
拓真と大和田会長がたしなめるが、茉莉絵はおさまらない。
桐人は安藤エミリをホールドしたまま、ぼそりともらす。
「なんで占い一つに、ここまで本気になれるんだろうな…………」
桐人はリリシャの《鑑定》を信用しているだけで、占い全般は信じているわけではない。
ホールドされたままの安藤エミリも、桐人の意見にひそかに賛成だった。
「しかたないな。じゃあ、僕がこの子に依頼しよう。茉莉絵の望みどおり、僕を占ってくれ。僕からの依頼だ。それなら問題ないよね? 若手の占い師さん」
拓真がリリシャに提案してきた。顔がにこやかなのは、新妻の褒め言葉に気をよくしているからだろう。
(これも『馬鹿な子供ほど可愛い』って、やつか?)
桐人はぼんやり、皮肉気に考えた。そろそろ帰りたい。
拓真の口調はやわらかく、リリシャを見る表情も優しげなものだったが、そのまなざしは子供を見るものだった。
つまり、リリシャを侮っているのだ。
「かまいません。あなたご自身が納得できるなら」
拓真のまなざしの意図が伝わったのだろう。リリシャの返答も冷ややかだ。
「いいの? 拓真」
「ああ。だって、そうしないと茉莉絵は納得しないだろう?」
「でも、もし悪い結果が出たら…………」
あれだけあおっておいて、今さら茉莉絵がそんなことを言い出す。
「大丈夫だよ。占いなんて、気休めだ。僕は、この手のものは信じていない。占いなんて、不安をあおるだけあおって、肝心な対策は壺やお守りに丸投げだ。口先で人の心の弱さにつけ込む、インチキだよ。汚い商売だ」
(それを言うと、高名な占い師に何度も占ってもらった妻の行動も、否定することになるぞ)
腹の中で、桐人は拓真の意見にツッコむ。
「ああ、そうだ」と拓真はリリシャに確認する。
「占うのはかまわないけれど、結果については、いろいろ確認させてもらうよ? 本当に信用できるかどうか、こちらとしても料金が発生する以上、納得いくまで確認はしたいしね」
「かまいません。料金を受けとる以上、料金の範囲内で納得のいく説明を行うのは、こちら側の義務です。疑問点は、遠慮なく訊ねてください」
「ありがとう。僕個人としては、こういうことはお遊びだと思っているんだけれどね」
「わたしにとっては、立派な生業、本職です。ですから、そちらにその気がなくとも、売られた喧嘩は高価買取り、情け容赦遠慮なしの十倍返しです」
ピンクの瞳が物騒な光を放ち、片方だけのピアスの白い石がゆれる。
「まだ帰れないのか…………」と桐人はぼやき、「なんでこうなるの…………」と安藤エミリが呟いた。老人がため息をつく。
場所が変えられた。教会の門から、花嫁の控え用の部屋に移動する。
大きな鏡が設置された一室に集まったのは、リリシャと桐人、花嫁の大和田茉莉絵と花婿の嶋田拓真、花嫁の祖父の大和田会長、それから安藤エミリだ。エミリがいるのは「あたしと拓真が最高の相性だってわかれば、安藤さんだって、いい加減、あきらめがつくでしょ」という茉莉絵の意向によるものだった。
「まったく…………」と大和田老人がため息をつく。
「さっさとすませなさい。客を大勢、待たせているんだ。期限は二十分。二十分経ったら、結論が出ていようがいまいが、披露宴会場に移動するぞ」
「充分です」
リリシャは言いきった。桐人から約束の印に贈られた黒縁の眼鏡を外す。
『本職ですから』と折に触れて自負する彼女の態度は、大企業の会長を前にしても堂々として、そこらの十七歳とは比べものにならない。桐人はひそかに彼女の度胸に感心する。
「このテーブルをお借りします」
リリシャは奪っていた安藤エミリの鞄を桐人に預け(エミリは渋ったが、まだ返すわけにはいかない)、自分が持っていた小さなバッグから青い布をとり出し、テーブルにひろげる。
三枚のクリスタル製のカードを並べた。カードにはそれぞれ、金で文字が書かれている。
「時間がないので、今回は簡易版でいきます。簡易でも、必要な情報は読み取れます。では、嶋田拓真さん。このカードを、好きな順に三角に並べてください」
リリシャはテーブル上のカードを示した。
この手順自体に意味はない。リリシャの《鑑定》能力をカモフラージュするための、完全なフェイクだ。実際は、リリシャは相手の瞳を視れば、魂を《鑑定》できる。
「こんな感じかい?」
嶋田拓真は特に迷う風もなく、三枚のカードを三角形に並べた。本人から見て三角形、むかいのリリシャから見ると逆三角形だ。
「このカードは、その人の一番知られたくない秘密を示唆します。嶋田拓真が一番知られたくない秘密は、このカード。間違いないですね?」
リリシャは一枚のカードをとりあげ、拓真へとかざす。
カード越しに彼を見ると見せかけて、カードに気をとられた拓真の視線と自分の視線を重ねたはずだ。桐人の目に一瞬、リリシャのピンク色の瞳が淡く輝いたように映る。
と、予想外の反応が起きた。
リリシャは数秒間、拓真を凝視し――――ピンク色の目を大きくみはった。そして表情を、顔色を変えた。
「理子?」
桐人は自分がつけた、日本で暮らす用のリリシャの名を呼ぶ。
リリシャの変化は、見てはならないものを見てしまった時の変化だった。
無言で拓真から視線をそらし、額から血の気が引いて、冷や汗まで浮き出している。
「どうした、理子」
「なによ、なんだっていうのよ」
リリシャは数十秒間、考え込むように沈黙し、やがて決意のまなざしで顔をあげた。
「先に断わっておきます。わたしの《鑑定》は依頼した本人しか視ませんし、読み取った情報を伝えるのも、本人のみです。これは、わたしの《鑑定》の正確性を考慮したうえでの対応です。ですが例外として緊急事態、具体的には人の命や健康、安全に関わる場合は、その原則を曲げることもあります。今回は、その例外の事態です。まず、安藤エミリさん」
「はい?」
突然、指名され、安藤エミリは驚く。
「あなたは即刻、この男から離れるべきです。この男と結婚しなかったのは、幸いです。引っ越しでもなんでもして連絡を絶って、絶対に二度と会っては駄目です」
「ええ?」
「おいおい」と拓真が苦笑いの表情になるが、リリシャはとりあわない。くるり、と今度は茉莉絵にむきなおる。
「あなたにも忠告です。わたしは未来は視えませんから、あなたにまで危険が及ぶかはわかりません。ですが、あなたがわたしの妹なら、わたしは絶対にこの男とは結婚させないです。この男は大きな災いを抱えています。それがいつ表面化するか、一生しないままなのかはわかりませんが、巻き込まれたくなければ、離婚して完全に縁を切ることです」
「はあ!? 冗談じゃないわよ、いい加減なこと、言わないで!! 土下座したくないからって、嘘はやめなさいよね!!」
「わかっただろう、茉莉絵。こういう人種は、人の不安に漬け込むのが商売なんだよ。これからは、占いはほどほどにするんだな」
茉莉絵はリリシャを怒鳴りつけ、拓真は軽蔑と侮りのまなざしでリリシャを見る。
リリシャは平然と――――いや、堂々としていた。
「占いではなく、《鑑定》です。わたしは自分の能力を信じたまでです。そこから導き出した結論です」
きっぱりした言い様に、安藤エミリが戸惑いの表情を見せる。
桐人は割り込んだ。
「理子、いやリリシャ。それじゃ、誰も納得できないぞ。根拠を説明してやれ。なにを視て、別れたほうがいいと思ったんだ?」
「それは言えません」
きっぱりと言いきった。
「わたしの《鑑定》の結果を話せるのは、依頼者本人だけです。それ以外の人が勝手に聞いたら、覗き見や盗み聞きになってしまいます。それだけの正確性を自負しています」
「それはわかっているが」と桐人はもどかしくなった。
拓真が高らかに笑う。
「ほら見ろ。わかっただろう、茉莉絵、エミリ。これが、この手の人種のやり口だ。不安をあおるだけあおって、肝心な証拠は何一つ見せない。見せられないからだ。それでも客は信じる。馬鹿だからだな。君達は信じるなよ、馬鹿じゃないなら」
心底、人を馬鹿にした笑いだった。
リリシャは氷の表情でその笑いを流す。
「根拠なら見せられます。わたしは『他の人には勝手に教えられない』と言ったんです。あなた一人にこっそり教えるなら、なんの支障もありません」
「へえ? じゃあ、教えてもらおうか? むこうの部屋に行くかい?」
桐人はすかさずリリシャと拓真の間に立った。
《上級鑑定士》だろうが《異世界人》だろうが、リリシャは平均的な体格の十七歳の少女だ。明らかに反感を持っていると知れる大人の男と、二人きりにすることはできない。
「いや。ここで明かすべきだな」
重厚な声が割って入る。
「おじい様」
「ここで、その《鑑定》とやらで判明した事柄を明かすべきだ。それでこそ信憑性が保証されるし、インチキかどうかも、わかるだろう」
「会長」
「拓真君もかまわんだろう? 明かされて困る秘密など、ないはずだ」
「それは、もちろん」
一瞬、拓真の返事に間があった。
それはこの場の何人が聞きとったか。
少なくとも桐人は(実は、安藤さん以外にも二人目、三人目の女がいるんじゃないか?)と考えた。でなければ、リリシャがあそこまで拒絶反応を示す理由がわからない。
桐人は一般的な占いには懐疑的だが、リリシャの《鑑定》に関しては、かなりの信頼を置いていた。
リリシャが拓真に確認する。
「カイチョウはこう言っていますが、どうしますか?」
「かまわないよ。エミリや茉莉絵が僕から離れるべきだという、その根拠を教えてくれ」
「いいんですか? あとで『お前のせいで人生がめちゃくちゃになった』と言われても、責任はとれませんよ?」
「ああ、かまわない。ただし、みなにわかる言葉で説明してくれ。占い師がよく使う、専門用語やあいまいな表現じゃなくて、具体的にね」
「占い師ではなく、《鑑定士》です」
リリシャは、ちらり、と桐人を見た。
桐人もうなずく。ここまできたら、明かさないことには帰してもらえそうにないし、明かさなければリリシャの信用性に関わる。
「では」とリリシャは集まった全員を見渡した。
(ミステリー物で、探偵が推理を披露するシーンだな)
桐人は思う。
リリシャは具体的に述べた。
「わたしが『この男から離れるべきだ』と主張した理由は、簡単です。この男が罪人だからです」
「罪人とは?」
「『あんどうえみり』さんを殺しました」
「はあ?」
「私?」
安藤エミリが自分の胸に手を置く。
拓真がすかさず言った。
「ああ、エミリの心を傷つけた、その傷が殺人に等しい痛みだった、という意味か。たしかに、そこは否定できないが…………」
安藤エミリが拓真をにらむ。
だがリリシャは否定した。
「わたしが言うのは、言葉どおりの『肉体を殺した』という意味です。殺したのは、十七年前の『あんどうえみり』さんです」
拓真の動きが止まる。
「十七年前。あなたが、まだ成績に悩む学生だった時。あなたは『あんどうえみり』さんを殺したんです。偶然出会った、幼い女の子を」