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 それから十日ほどして。

 桐人は店で、唯愛の三度目の指名をうけた。

 唯愛はすっきりしたほほ笑みを浮かべていた。


「キリトさんからいただいた折り紙は、もらった翌日に母の見舞いに行って、本やお菓子と一緒に渡しました。それから一週間くらい、母からは音沙汰無くて…………一昨日、顔を出したら、母が泣き出したんです」


 唯愛が言うには、唯愛の母は「お母さんと会えないのに、どうして、そんなに楽しそうなのよ!!」と怒り、泣いたのだと言う。


「自分では自覚なかったんですけど、母からの連絡がなくなって、笑顔が増えたみたいなんです。会社の同僚からも『最近、すごく雰囲気が明るくなった』って言われます。…………だから、思いきって母に言いました。『私を産んでくれたこと、ここまで育ててくれたことには感謝している。でも、お母さんの娘であっても、私の人生は私のもの。お母さんとはこれ以上、一緒にいることも、お母さんに合わせて生きることもできません。私は、私の選んだ道を進みます』…………って」


「…………お母さんの返事は?」


「大泣きです。『出て行け、親不孝者!』って。『私がこんなに愛しているのに、どうしてアンタは、いつもいつも私から逃げようとする!!』って叫んでいました。…………リリシャさんの話を聞いたせいでしょうか」


 唯愛いわく、一瞬、母が別の人間に見えたような気がしたという。

 それはリリシャから聞いていた下女や侍女、令嬢だったかもしれないし、もっと観念的な『妄執の化身』とでも表現するようなものだったかもしれない。そう、唯愛は語った。


「以前の私なら、母にそこまで言われると、しぶしぶ母のもとに戻っていました。でも、もう母のもとには戻りません。私は、私の人生を歩みます。昨日、引っ越しも終えました」


 小刻みだった引っ越しもやっと終えて、桐人のもとに礼を述べに来る余裕ができたのだと言う。

 たたずまいは清楚だが、唯愛の瞳には確固たる意志の光がまたたいていた。


「スマホの番号はそのままですから、連絡はとれます。私からも、母からも。でも、住所を教える気はありません」


「…………縁を切るのか?」


「…………わかりません。とりあえず、今は必要がない限り、会う気はないです。ひょっとしたら、結婚とかをきっかけに、また普通に会うようになるかもしれないですけど…………母次第ですね」


「お母さんの今の様子は?」


「メールも電話も、すべて無視されています。看護師さんに訊いた話では、一日中黙り込んで、食事以外、なにもしないでいるそうです。申し訳ないとは思いますけど…………でも、前言を撤回することはできませんね」


 唯愛は困ったように笑った。

 桐人の『縁切り』がどこまで効いたのか、桐人自身は感知することはできない。

 ただ、これからの唯愛は、母がどれほど哀れにすがってきても、ゆらぐことはないのだろう。そう、確信させられた。

 脳裏によみがえった桐人自身の過去の光景を打ち消して、唯愛の笑顔に、桐人もひかえめな笑みで応じる。


「それと、これ…………」


 唯愛は持っていた紙袋を桐人に差し出した。

 有名な高級菓子店のロゴがプリントされている。


「その、キリトさんのお好みがわからなくて。でも、お酒だと体に良くないかと思ったので、チョコレートに。リリシャさんと召し上がってください。占いのお礼と言うか、お詫びです。視ていただいたのは私なのに、料金は桐人さんに払っていただいたので…………」


 唯愛が頬を染める。

 桐人も困った。


「あれは気にしないでほしいな。俺の『縁切り』が中途半端だったせいで、唯愛さんを無用に怖がらせた責任をとっただけだし」


 実は、リリシャが唯愛の《鑑定》をした際、鑑定料を負担したのは桐人だった。

「私が払います」という唯愛を制して、リリシャに受けとらせたのだ。

 リリシャは「そういうことなら」と平然と受けとったが(あとで訊くと「男が『筋をとおす』『自分の失態の責任をとる』と言っているのだから、黙って受けとるべきでしょう?」と言っていた)、唯愛は二人が帰るまで恐縮しっぱなしだった。


「でも、リリシャさんの鑑定は高いんですよね? 私が払うお金だったのに…………」


 たしかに、高い。どこかの有名な占い師のように何十万円もとるわけではないが、そこらの数千円単位の一般向けの占い師とも異なる。

 とはいえ、そこそこの客がついている桐人なら、『懐を痛める』というほどの金額でもない。

 まして、自分の非力が一因で起きた事態なのだから…………と桐人は思っているのだが。


「じゃあ、リリシャさんを連れて来てくれた桐人さんへのお礼とか、プレゼントということで。客がホストにプレゼントするのは、大丈夫ですよね? あ、でも、プレゼントなら、もっと高級品にするべきだったかも…………」


 今更ながらに、おたおたしはじめた唯愛は可愛らしい。二十代のはずだが、少女めいた素直さというか、裏表のない感じが好印象だ。

 桐人も、『礼だ』と言われれば固辞するのも良くない気がして、「じゃあ」と受けとることにした。もともと、プレゼントはされる機会の多い職業である。

 桐人が礼を述べると、唯愛はほっとしたように笑って、時間いっぱい楽しんで帰って行った。






 桐人が仕事から帰宅すると、リリシャの姿はなかった。

 といっても、出て行ったわけではなく、仕事で留守にしているだけである。

 荷物も部屋に置かれたままだ。

 桐人は唯愛からもらったチョコレートの紙袋をテーブルに置き、リリシャが作った昼食を食べて、スマホをいじってから洗濯や掃除を済ませると、夕方、着替えて外に出た。

 リリシャの仕事場であるカフェへ車を走らせていると、行く手に『工事中』の看板が見えて、しかたなく迂回する。

 いつもと違う道順でカフェへ向かっていると、不意にその店が目に入った。






「お疲れ様でしたー」


 鞄を持ち、リリシャがいつもどおり一声かけて帰ろうとすると、店からカフェ『フォルチューヌ』の女店長が出てくる。


「お疲れ様、理子さん」


『理子』は桐人が便宜上つけた名前で、本名は『リリシャ』だ。

 が、この女店長に限らず、出会う人々は『理子』が本名で、『リリシャ』は仕事上の偽名と思っているようだ。

 女店長は手を合わせて、リリシャに訊ねてきた。


「理子さん、ちょっといいですか? 相談なんですけど、もう少し占いの日を増やすか、時間を延長することって、できませんかね? 最近、理子さんの鑑定目当てに来る人が多くて、理子さんがお休みだと、がっかりされるんです。というか、がっかりされるだけなら、まだマシで…………」


 女店長は言葉をにごしたが、どうやら最近、たてつづけに「良い占い師がいるって聞いたから来たのに、休みって、どういうこと!?」「いないなら、呼び出しなさいよ!!」とクレーマーめいた客に迫られたらしい。


「それでなくても、けっこう遠くからいらっしゃるお客様とか、あまり休みをとれないお客様もいて。視てもらえなくて、がっかりして帰るのが気の毒で…………」


 リリシャはうなった。


「体力や集中力の問題上、こちらとしては、これ以上の人数は捌きにくいんですが…………」


 とはいえ、金銭の問題もある。

 今回は桐人の家を出て行かずに済んだとはいえ、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。

 稼げる内に稼いでおいたほうが、いざという時の選択肢は増えるはずだ。


「…………ちょっと、考えさせてください」


 リリシャの返事にかぶせるようにクラクションが聞こえ、道路を見ると、桐人の車が停まっている。

 リリシャは女店長に挨拶して別れ、桐人の車に駆け寄って、ドアを開く。

 すると、いつもリリシャが座っている助手席に先客がいた。

 紙袋である。


「なんですか、これ?」


 桐人が紙袋をとり、リリシャは助手席に座って、仕事道具を詰めた鞄を膝に置く。

 紙袋から桐人がとり出したのは、輪を二つ、つなげた形をした物だった。


「『めがね』ですか? 目が悪い人が使う、視力を矯正する道具ですよね?」


「これは伊達だから、度は入っていないけどな」


 先ほど工事現場を迂回した際に通った道で偶然、店を見つけて、寄ってきたのだ。

 桐人は黒縁の眼鏡を、ていねいな手つきでリリシャにかけさせる。

 茶色がかった灰色の前髪をかきあげると、ピンク色の瞳がレンズの奥から不思議そうにこちらを見ていた。

 本人で試さずに買ってしまうのは…………と迷った品だったが、なかなかどうして、似合っているではないか。

 桐人は自分のセンスに自信を持つ。


「これから、外に出る時はそれをかけろ。で、それをかけている間は、勝手に他人の《鑑定》をするな。緊急事態をのぞいて、だ」


 リリシャは両手で眼鏡の左右をはさみながら、小さく首をかしげる。


「これは《鑑定》を抑える作用があるんですか? 封印の道具ですか?」


「ただの眼鏡だ。そういう効果はないし、俺にもその力はない。でも、無いよりはマシだろ? 要は気分だ」


 そう言って、桐人は笑った。人差し指で、かるくリリシャの白い眉間を押える。


「これをかけている間は、そのピアスを両方つけている時と同じ効果があると、自分で暗示をかけろ。それで少しでもリリシャが落ち着けば得だし、俺だって安心できる」


『異世界から来た』と自称する少女はぽかんと桐人の顔を見あげ、それから少し、視線を落す。


「…………そういうことですか…………」


 色白の顔に、ゆっくり笑みがひろがっていく。

 ほんのりピンク色に染まった頬が、とてつもなく可愛らしかった。

 うっかり抱きしめてしまいたくなるレベルで。

 桐人は雑念をふり払って、ハンドルをにぎる。


「じゃ、帰るか」


 桐人は前を向いてアクセルを踏み、リリシャも座りなおして前を向く。

 暮れゆく街の中、車は住処であるマンションの駐車場にむかって走り出した。

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