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「じゃあ、これを折ってください」
ガラステーブルの上に並べていたクリスタルのカードと紺のクロスを鞄にしまい、代わりにリリシャがとり出したのは、折り紙だった。そこらの文具店で普通に売っている、十二色で数百円のタイプだ。
そこから銀色の折り紙を抜き出し、桐人に差し出す。
「お手本を見せますね」
言って、自分も青い紙を抜き出してテーブルに置いた。
リビングのガラステーブルの上で折り紙をする、高校生くらいの少女と成人男子。
絵ヅラとしては、なかなかのものではなかろうか。
だが桐人はそれどころではなかった。
リリシャの手本を見ながら折っていくうちに、記憶がよみがえる。
(この折り方は…………)
「唯愛さんが無事に縁を切れるよう、心から祈ってあげてくださいね」
リリシャに念を押された。
数分後、折り紙が完成する。
細長い形で、半分は銀色の表面、半分は裏の白い面が外側になっている。
「これは…………なんの形ですか?」
「刃物です。この国では物を『切る』道具である刃物を贈ることは、相手との縁を『切る』ことにつながるので不吉だ、という考え方があるようですが、一方で、刃物は運命や未来を『切り』開く、魔を『切る』ことにもつながる、とも考えられています。その考え方にあやかります」
「見せてください」とリリシャが手を出してきたので、桐人は折り終えた紙を渡す。
リリシャが折り紙を《鑑定》したのを察する。
「大丈夫です。いい出来栄えです」
太鼓判を押して、リリシャはそれを唯愛に渡す。
「これに『お母さまから自由になりたい』という思いを込めて、お母さまに渡してください。面と向かって渡すのが難しいなら、お見舞いの品にこっそり添えるのでもかまいません。唯愛さんからお母さまに渡した、というのが一つの意志表示であり、術となります。お母さまとの縁を『切り』つつ、よい方向にお二人の未来や運命を『切り』開くよう、作用するはずです。あとは、唯愛さん自身がお母さまに負けずに、離れる努力をつづけることです」
「――――わかりました」
リリシャの説明に唯愛は真剣なまなざしでうなずいた。
訪問はそれで終了となり、リリシャと桐人は唯愛に別れを告げて宮原家を出た。車を停めた駐車場までは少し距離があるので、並んで歩くが、どちらもなにもしゃべろうとしない。
桐人は不機嫌と不審と「訊くべきか訊かざるべきか」という迷いの中にあったし、リリシャは「どうせ訊いてくるだろう」という予測から沈黙している。
数百歩進んだところで先に口を開いたのは、リリシャだった。
「なにか言いたいことがあるんじゃないですか?」
十七歳の少女のほうから二十四歳の男がこう訊ねられてしまう。
水商売をやっている男の身としては、なんとなく情けなさを覚えつつも、桐人はもう単刀直入に訊くことにした。
「――――さっきの折り方は、どこで知った? あれは俺の実家で使っていた術だ。外の人間が知っているはずがない」
「もちろん、桐人からです。他にいません」
桐人は足をとめ、隣を歩いていた少女を見おろす。
ピンク色の瞳も桐人を見あげていた。
「はじめて桐人に会った時です。あの時は、私も自分がどこにいるかわからなくて、体は動かないし、意識も朦朧として、かなり焦っていたので。うっかり、かなり深くまで《鑑定》してしまったんです。そこで視ました」
「…………俺は、あの折り方を覚えていない。ずっと前に忘れていた」
「それは表面的な記憶です。桐人の肉体の頭脳が忘れても、魂は経験したすべてを覚えていて、基本的に消えることはありません。そして私の《鑑定》は、魂の記憶を読みとる能力です。桐人自身は思い出せない事柄でも、私は引き出すことが可能です。その程度の実力はありますから」
さらりと最後に自画自賛を混ぜて、《鑑定士》の少女は青年に説明する。
桐人は反論の方向を迷う。
いや、結論はわかっている。
「こちらの許可なく、勝手に人の深い事情までさぐるな!」と怒ればいいのだ。
それでなくとも、どこまでこの少女に自分の情報を知られたのか、確認する必要がありすぎる。
実際、桐人の胸にはこの時、怒りに似た熱が生じていた。
断りなく、個人情報をさぐられたのだから当然だろう。
リリシャの《鑑定》の実力に対する感嘆より、プライバシーを侵害された怒りが上回っている。
「私のこと、不気味だと思いますか?」
リリシャのほうから訊ねてきた。
ピンクの瞳はなんの感情も映していないように見える。
「気持ち悪い、一緒にいたくないと思うなら、遠慮なく言ってください。出て行きます」
「出て行くって」
「桐人の家を。新しい家を見つけます」
「宛てはあるのか」
ひょっとして、鑑定で知り合った客の中に懇意になった者がいるのか、と考えたが。
「自分で見つけます。家を貸す商売をしているところがあるんでしょう? 占いの仕事でまとまった金額を貯められたし、常連もついてきたので、どうにかなると思います」
「待て」
まだ二ヶ月経つか経たないかという頃なのに、もう部屋を借りられる程度に貯めているとは、いくら鑑定料を高額に設定しているとはいえ、どれだけ儲けているんだ、客がついているんだ…………と内心でツッコみつつ、桐人は『異世界から来た』と自称する少女を引きとめざるをえない。
「まともな不動産屋が、未成年に部屋を貸すか。十七歳だと、理子はこちらでは未成年だと教えたよな? この国では未成年は部屋を借りたり、家を買ったりできないんだ」
ピンク色の目がかるくみはられ「聞いてないぞ」という表情を見せる。
「保証人だっていないだろ。…………いいから、ウチにいろ」
言いながら「あ、これ、情に訴えられてうやむやになるパターンだ」と桐人は自分でも思うが、いたしかたない。どう考えても、十七歳と自称する行く宛てのない少女を、そこらに放り出すわけにはいかない。
そもそもリリシャは、こちらの戸籍すら持っていない。そういう少女が自分の正体を隠した状態で、可能な限りひっそり生きて行こうとするならば、行きつく先は売春を含めた水商売か、未成年の体を求める男達の家を泊まり歩くか、くらいだ。
まあ、リリシャは《鑑定》で稼ぐことができるので、今すぐ体を売る必要性は皆無だが、未成年ではホテルに泊まることもできない。となると、漫画喫茶やネットカフェにでも住みつく他ないが、若い娘が一人で長期間住むには、安全上の面からもお勧めできない方法だ。
まだ当分は自分が面倒を見てやるほかないだろう、と桐人は覚悟を新たにしたのだが。
「でも、桐人は嫌でしょう。その気になれば、自分の過去も秘密も、なんだって見透かしてしまう人間と一緒だなんて」
リリシャは引き下がらなかった。
「私の心配なら無用です。これは私に限らず、すべての《鑑定士》が背負う『宿命』ですから」
「宿命?」
「言ったように、《鑑定》というのは相手の魂の情報を読みとる能力です。そして魂には、相手が経験したすべての記憶が刻まれています。つまり《鑑定士》は、視た相手が経験したこと思ったこと感じたこと、すべてを知ることができるんです。それ故、マクリアでは実力ある《鑑定士》ほど、人には忌避されます。誰だって、勝手に自分の過去や内側をのぞかれたくはないですからね。それが当然なんです」
「理子の住んでいた世界でも、なのか? 理子の世界は《鑑定士》が普通にいたんじゃないのか? それでも避けられるのか?」
「普通に避けられます。上級の《鑑定士》ほど、そうなります。下級なら、健康状態を視るとか、その程度ですけれど。私は魔帝退治にも選抜された上級者ですから。王族や貴族なんて、《鑑定士》と会う時は、あらかじめ《鑑定封じ》をほどこしてから姿を現すんです。あの人達は秘密のかたまりですから」
十七歳の少女は「はっ」と吐き捨てそうな表情を見せる。
「というか、《鑑定士》だって、用も必要もないのにそんな四六時中、会う人会う人、片端から《鑑定》したりなんかしませんよ。術の行使にも、体力も集中力も霊力も使うのに。でも、内面を勝手にのぞかれたくない、という気持ちは私達も理解できます。《鑑定士》自身、必要ないのに自分が《鑑定》されたいとは思いませんし。私達も積極的に人に忌避されたいわけじゃないんです。だから、普段は弱い封印というか、制御をかけているんです」
言って、リリシャは形良い左耳を指した。ピアスの細長い結晶らしき白い石がゆれている。
「この白水晶は、正式に《鑑定士》として認定された証です。同時に『必要な時以外、むやみに《鑑定》を行わない』という誓いの証であり、実際に、弱いですが、《鑑定》の霊力を抑える効果もあります。マクリアでは正規の《鑑定士》は全員これを着けて、勝手に他人を《鑑定》しないと誓い、その誓いがあるからこそ、人々も《鑑定士》を迫害せずにいるんです。まあ、上級になるとこの制御も効果がなくなるので、人前に出る時は男女関係なく、ヴェールをかぶって出るんですけど」
「理子もヴェールをかぶっていたのか?」
「王族に会う時や、街中では。上級と認められてからは、そうしていました。魔帝退治の道中は山道や獣道も多くて、足元が見えないと危険だったので、ほとんどやめていましたけれど。――――でも、こちらではヴェールをかぶって目を隠す習慣がないようですし、私自身、この白水晶を片方、失くしてしまいましたから」
「それ、はじめから左耳だけじゃなかったのか」
「違いますよ。左右そろって、封印も完成するんです。でも、あの時…………」
「あの時?」
「こちらに来る直前、右の石が落ちたんです。たぶん、その前の戦いで金具が壊れて…………桐人が私を見つけた時、周囲に落ちていなかったのなら、あちらに置いてきてしまったんでしょう。マクリアにいたなら、新しい物を支給されたんですけれど…………」
けど、こちらではそうはいかない。
ということは、リリシャの《鑑定》の能力を抑える効果も期待できない、ということだ。
つまりリリシャは今、好きに《鑑定》し放題。
だから「出て行く」と言い出したのだ。
桐人にとって、油断ならない存在になってしまっているから。
ため息と共に左耳の白い石に触れたリリシャの顔には、憂いが浮かんでいた。
そのくせ、同情や慰めを求める甘えは皆無だった。
この期に及んで、本職としての自負やプライドを手放していなかった。
桐人は息を吐き出し、覚悟を決め直した。
もし、ここでリリシャが「こういう事情で、《鑑定》を制御する力はないの。でも行く宛てはないから、桐人の所にいさせて」と媚びたり、すがってきたりするような人間だったら、あるいは桐人も「出て行け」と言えたかもしれない。
だが「本職である以上、そのプライドに恥じるような真似はしない」という態度とまなざしを保ち、そのために障害の多い選択をしようとしている姿を見せつけられると、こちらとしても逆に口と手を出さずにはおれなくなってしまう。
「出て行かなくていい」
桐人はピンク色の瞳を見すえて、はっきりと言いきった。
「最初の時はしかたない。理子も身の危険を感じていたんだ。そうせざるをえなかったんだろう。だから、もういい。ただ今後、俺を《鑑定》する時は、必ず俺に断りを入れろ。それだけだ」
そうして、リリシャの手首をつかんで歩き出す。
『予想よりも細くてどきっとする』という想像、もしくは期待に反し、リリシャの手首はそれほど細くはなかった。平均的な十七歳の手首だろう。
それだけに今、この少女をなんの対策もなしに放り出すことは、《鑑定》の能力の件を知っていても、桐人には困難だった。
「帰るぞ」
少女を引っぱりながら、駐車場へと少し大股で歩いていく。
「あの、桐人」
困ったような、なにか反論したそうな声が聞こえる。
桐人は無視した。
「でも、桐人」
「帰るぞ」
今、桐人はリリシャの主張を聞くつもりはなかった。
その断固とした心持ちが伝わったのだろう。
リリシャもなにか言おうとして、口をつむぐ。
二人、手をつないで駐車場まで歩く格好となった。
まあ、正確には『連行』かもしれないが。