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勇者の剣が魔帝の胸を貫く。
互いに満身創痍だったが、この一撃が決め手となって魔帝は倒れた。
「やった…………のか?」
見守っていた弓兵の一人が呟く。弓は弦が切れ、矢はとっくに使い果たしている。
「…………ソフォス。永遠の探究者、真理の導き手よ――――」
十七歳の《鑑定士》リリシャは《鑑定》した。
もうこの一回が最後だと、霊力と体力が訴えている。
「鑑定による生気の反応は…………皆無です。そこにあるのは、ただの屍…………偽装でも幻惑でもない…………魔帝は本当に死んでいます――――!」
『若き秀才』と謳われる鑑定士は、かすれた声をはりあげて断言した。
「死んだ…………魔帝が…………」
わっと歓声があがる。
「死んだぞ! 魔帝は死んだ!! 俺達は勝ったんだ!! 家に帰れるぞ!!」
「人間の勝利だ!! 勇者様、ばんざい!!」
そこかしこから喜びの声があがり、拳をつきあげ、魔帝城の広間は一転して明るい空気がひろがっていく。
リリシャもどっと全身の力が抜けた。
これで自分達は使命を果たした。誰かの言ったとおり、家に帰れるのだ。
故郷に帰ったら、母の苺パイとウサギのパイを丸ごと食べたい。魔帝を倒したのだから、約束どおり国王から褒美をもらえるはず。金貨五百枚はなにに使おう。とりあえず弟は上の学校に行かせて、妹は少し早いけれど嫁入り道具を予約させて、父と母には新しい服や飾りを贈ろうか。家の壁や戸など、古くなっているところもまとめて修理して――――
「大丈夫か? リリシャ。歩けるか?」
つらつら想像しているうちに、リリシャは意識が飛びかけていたらしい。ふらついたところを勇者に二の腕をつかまれ、支えられた。
「神官達に看てもらえ。ここにいると検分の邪魔だし…………」
勇者がうながした時、ぱし、ぱしっ、と小さいが鋭い音が響いた。
「なんだ!?」
魔帝の屍に集まって検分していた、目付け役の騎士達が声をあげる。
喜び合っていた兵士達も動きをとめる。
魔帝の屍をとりまくように、赤いような黒いような火花が無数に散っていた。
魔術師の一人が叫ぶ。
「全員、離れろ! 魔帝の魔力が暴走しかけている! 魔帝の体内に溜まっていた魔力が、あふれ出すぞ!!」
その場にいた、生きている人間全員に緊張と恐怖が走る。
次の瞬間、動ける者はいっせいに広間の出口めざして走り出した。
床には魔帝との戦いで命を落とした仲間達の遺体も転がっているが、今はどうしようもない。
「リリシャ、走れ!」
勇者がリリシャの手を引いて走り出そうとした。
リリシャもこんな所で今さら死ぬ気はなかった。
しかし。
「あっ…………」
どんな運命の神のいたずらか、嫌がらせか。
《鑑定士》の証である白水晶の耳飾りの金具が片方、壊れて、白水晶が大理石の床を転がってしまう。
魔帝の屍のそばへと。
「やめろ、リリシャ!!」
勇者の制止を聞かずに、リリシャは白水晶へと駆け寄った。
おそらくは油断があったのだ。
すぐに行ってすぐに離れれば、間に合うだろう、と――――
それがリリシャの運命の分かれ道となった。
「リリシャ!!」
あと一秒で、落ちた白水晶に手が届く。
そこでリリシャの記憶は途切れた。
「キリトさん、お疲れさまでしたぁ」
「お疲れさん」
後輩の声を背中で聞きながら、キリト――――伊藤桐人は店を出た。
時刻は午後の一時すぎ。閉店後、後輩達と行きつけの店で昼食をとったところだ。
いつもの駐車場にむかっていると、ふと、視界の隅に違和感を覚えた。
気になって数歩戻ると、違和感の正体はすぐに判明した。
せまい路地に積まれた白いビニールのゴミ袋の上に。
投げ出されるように、一人の人間が横たわっていた。
長い髪、のびやかな白い肢体、あどけない寝顔。
ぱっと見、十代に見えた。
ただし、乱れまくった髪は茶色がかった灰色で、脱力した体を包むのは、あちこち汚れてほつれた、膝下丈の詰襟のワンピースだ。
RPG系ゲームの神官や賢者キャラが着ている『ローブ』にちかい。それもメインではなく、下級のモブ神官っぽい、飾り気のないデザインだった。
「コスプレか…………」
まあ、この近くにはそれを売りにした店もいくつもある。
ただ、こんなに汚れているのはさすがに尋常ではない。ローブに包まれていない手や顔にも、手当てされないままの細かな切り傷や痣が無数に浮かんでいた。
(よっぽど性質の悪い客にあたったな)
放置するのは、さすがに後味が悪い。しかし面倒に巻き込まれるのも御免だ。
となれば。
桐人はスマホをとり出し、110番しようとする。
その時。
かすかなうめき声が聞こえた。
『0』を押そうとしていた桐人の親指が止まり、少女と目が合う。
少女は花のようなピンク色の瞳をしていた。
はじめて見る色合いに桐人は息を呑む。
ピンクの瞳が淡く光ったように見えた。
血の気を失った少女の唇が、かすかに声を紡ぐ。
「キリト…………イトウ、ユイト…………?」
ぎょっと、桐人は心臓をつかまれた気がした。
「おい、アンタ。今なんて――――」
桐人は思わず少女の肩をつかんだが、少女はふたたび目を閉じて、ゆさぶっても起きようとしない。
「…………っ! ああもう!!」
桐人は強く頭を掻いて、スマホをしまった。