第02話 来訪者の相談
「嘘! 本物?」
夏の強い朝日が降り注ぐ明るいリビングを切り裂く大きな声が響き渡った。
「私、菜月ちゃんの大っファンなんですっ!」
沸騰したような熱量を持った突然の訪問者は、引き気味な表情を浮かべている獠も、その獠へと詰め寄っている菜月さえも気に留めず、早口で一方的にその熱い気持ちを語り出す。
「あっあっ。どうしようスゴい可愛い!! デビュー当時のツインテールも真似してたし、部活あるからリアルタイムでは見れないんですけど、最近始まった深夜番組の『こんくらい分かってNight♡』も毎週かかさず見てるんです! この間のコメントも、さっすが菜月ちゃんって、もうサイッコーでした!!」
訪問者の熱く長い台詞の隙にキッチンへと避難した獠は、3つのマグカップへと順にコーヒーを注ぎながら二人のやり取りを眺めていた。先ほどの不機嫌からは一転。菜月は照れながらもまんざらでもないらしい表情を浮かべている。
「あ、あのね。ツインテールは、その、キャラ付けって言うか…… ちょっと今は後悔してて恥ずかしいから言わないで欲しいんだけど」
「ごめんなさい。そうだったよね! あ~もう分かってたのに、ごめんなさいっ!」
「あ、ううん。番組見てくれてありがとう」
「ご、ご迷惑じゃなかったらサイン頂けますか?」
「うん。もちろん。えっと何に書こうかな」
(なんだろう。これ)
既に無関係な傍観者となったかのように、行く当ても無く台所で立ち尽くしたままコーヒーを飲む獠の口内には、困惑がコーヒーの苦みと共に満たされていった。
「はい、どうぞっ!」
「ありがとうございますっ! ノートで本当にごめんなさい」
「こちらこそ写真撮れなくてごめんね。メイクも簡単にしかしてないし」
「もうぜんっぜん。それにスッピンでも超カワイイですよ!」
「一応メイクはしてるから……」
「ううん。先週のSNSのも見てたから」
「あ、あれは光の当て方がね……!」
(なんだろう。これ)
獠はボサボサに伸び切った前髪を掻き分けてから、自分のマグに二杯目のコーヒーを注ぎ直すと、温くなってしまった二つと共にトレイでリビングへと運んだ。
(温め直した方が良かっただろうか)
獠は立ったまま話し続ける二人を背に一人、テレビのワイドショーを見始める。内容は先ほどと変わらず、行方不明の女子高生についてコメンテーターが語っている所だった。
女子高生は日曜早朝に学校での部活を終えると昼過ぎには帰宅。しかしその途中、友人と駅の近くで別れ、そのまま電車へと乗り込み、自宅の最寄り駅で降りた姿が防犯カメラに収められたのを最後に、一切行方が分からなくなってしまったらしい。番組では家出なんて考えられないと涙ながらに語る父親の姿が、同じく涙ながらに女子高生の人柄の良さを語る同級生の姿と共に繰り返し放送されている。
電車を降りた最寄り駅からの家までの間には人通りの多い大きな商店街もあった。しかし、そこに幾つも設置されている防犯カメラには映っていない上に、友人以降の目撃証人が一人もおらず捜査が難航。警察は早い段階で公開捜査に踏み切った。
不謹慎な一部の週刊誌では、現代の『神隠し』か、なんて取り上げ方もしていた。
「獠ちゃん、この子、相談があるんだって」
ひとしきり話し終えたのだろうか。菜月は真剣な顔で獠に声をかけた。
「相談?」
「うん。あ、この子は䒾日花ちゃん。珍しい名前だよね」
サインの時にでも名前を聞き出していたのだろうか。菜月からの紹介を受けた䒾日花は、先ほどとは打って変わった神妙な面持ちで自己紹介を始めた。
「急にお邪魔して申し訳ありません。初めまして。宇柯野 䒾日花と言います」
「あ、初めまして。狗飼 獠です。相談って?」
「えっと。私も、霊……だと思うんですけど、たまに見えるんです。その、亡くなってそうな人と言うか、亡くなった人と言うか……」
宇柯野 䒾日花と名乗った女子高生の告白に獠は素直に驚いた。
「それは珍しいですね。だから昨日、俺を公園で見た、と?」
「あ、はい。私、自分以外に、その、見える人って初めて会ったんです。学校に向かう途中で偶然。しかも霊に近寄って行くなんてってびっくりして。あれって除霊ってやつですか?」
獠は(どこから説明すれば)そう悩みながら、ふとリビングを見ると、残った食事を口に詰めながら仕事の支度を始めている菜月が目に入った。二人の会話が気にはなっているのか、チラチラと獠を見てはいるが、仕事の時間が迫っているのだろうか少し慌ただしく動いていた。
「実は、除霊がどういうものなのか、正直俺にも良く分からないんです。ただ、その、霊にも色々いるでしょ? 色の濃いのとか薄いのとか。後は古いのとか」
「え? いえ、私はいつも薄く見えるだけです」
噛み合わぬ話に少し困惑しながらも、獠は質問を重ねる。
「たまに見えるって話してたけど、見えない日とかもあるのかな?」
「はい。えっと、2、3日に一人? 居たり居なかったり?」
獠は不思議そうな顔で答える。
「随分少ないですね。見えて無いのがいるのかな」
「そうなんですか? そんなにいるんですか?」
「ここから渋駒口駅まで徒歩5分ぐらいですよね。その間に平均3~4体くらいかな。あ、動物も含んでだけど」
「え? 動物も?」
「えぇ。野生動物とかは珍しいんですが住宅街だとそれなりに。たぶん、飼われてたペットとかは残りやすいんだと思います。それと新しい霊、と言うか魂も、濃くハッキリと見えている事が多いです」
「あ、じゃあ私が見ているのはハッキリと見えている……」
「最近亡くなった新しい魂だけなのかも知れないですね」
「だから事故現場とか行くと見えるんだ……」
そう呟くように口にした䒾日花の姿は、その声のトーンとは違って、晴れやかで生き生きとさえしてきたように獠には見えた。
自分が見えているモノについて誰にも話せず、それが何なのかさえ分からないまま、モヤモヤとした不安を抱え日々を過ごしていた経験が獠にもあったから。
映画や漫画のような不思議な能力だと言ってしまえば、魅力的に感じる事もあるかも知れない。けれど実際は、自分がオカシイのでは無いだろうか。と、まずは自分自身を疑い、その異常性を思い悩む事になる。
実際、菜月の家族が居なかったなら。と獠は今でも恐ろしく思う事がある。
悩み、挫折し、屈折していてもおかしくはないだろうな。と。
「公園のも事故だったんですよね? 近くのコンビニの店員さんが教えて下さって」
「そうみたいですね。一昨日、誤ってアクセルを踏み込んでしまい暴走した車が、運悪く、ちょうど通行していた親子をベビーカーごと電柱に」
「可愛そう…… ねぇ、あれはやっぱり除霊なんですか?」
䒾日花さんは覗き込むようにキラキラと大きな目で獠を見つめ問いかけた。
「俺にも良く分からなくて。ただ、新しかったり強い意識を持った、濃い魂って時々こっちを見て来たり、気にする素振りを見せる事があって。小さい頃、話しかけた事があったんです」
「あ、見て来るの分かります。って、え、話しかけたんですか!? あ、公園でもやっぱり話しかけていたんですね!」
そう早口で話し驚く䒾日花の横に、気になっていたのか菜月も腰を下ろした。
「まだ時間あるしちゃんと聞いた事あんまり無いから」
「そうだっけ? まぁ、どうぞ」
うん。と深々頷く菜月と、一緒に頷きながらも、菜月に隣に来られ緊張した表情の䒾日花さんの構図が獠には少し微笑ましく見えた。
一口、コーヒーをすすると獠は思い出を懐かしむように語り出した。
「子供の頃。良くお菓子をくれた近所のじいさんがいてね。俺には優しくて良いじいさんだったんだけど、若い頃は短気だったらしくて。喧嘩して出て行った息子さんと仲直りがしたいって連絡を取りたがっていたんだけど、そのうち体調崩してしまって。結局、最後まで間に合わなくてさ。亡くなる直前も、亡くなった後も、早朝や夜中に息子さんの名前を大きな声で呼びながら家の近くを何度もウロウロと探しては迷ってて」
獠は砂糖も何も入れていない黒いコーヒーを眺めながら言葉を続ける。
「何日も何日もさ。その姿が、声が、たまんなくてね。何となく見かねて、声をかけてみたんだ『息子さん見つかるかな?』って」
「俺の言葉が分かったのかどうか。言葉は返って来なかったけど、じいさん、寂しそうに顔を横に振ってさ。その時はそれだけだったんだけど、なんかその顔が忘れられなくてさ。近所では生前、ウロウロされて迷惑だったって嫌ってる人もいたんだけど、俺には優しい人だったから。ある日、大人の真似して線香を持ってったんだよ。見よう見まねで束ねた線香にライターで火を点けて『なんまいだ』って適当な事を言いながら。そうしたら、じいさん手を合わせて俺を拝むんだ。嬉しそうな顔でさ……」
獠が思い出しながら、こう、と両手を合わせると、何故か䒾日花も菜月も同じように手を合わせて見せたから、獠は少し微笑みながら話を続けた。
「後は、たぶん䒾日花さんが見たのと同じ。じいさんは線香の中に吸い込まれるように消えた後、ゆっくりと煙に混ざって、空へと昇って行ったんだ。俺にはそれが正しい除霊や成仏ってものなのかは分からないし、もっと良いやり方もあるんじゃないかとは思うんだけど……」
そう言いながらコーヒーを口にしていると、
「簡単には誰かに相談したり出来ないですよね」
と䒾日花が同意し、菜月も頷いた。
「まぁ、たぶん、じいさん喜んでくれてたから大丈夫だと思ってるんだけど。疲れるから気が向いた時にだけ、そんな風にね。あ、それで、相談って?」
話を聞くのに夢中になってしまい、すっかり油断していた䒾日花。自分の番が来たと緊張したのか、大きく深呼吸を何度か繰り返してから話し始めた。
「えっと。何日か前に、同じ公園で小学生の男の子が同じ学校の男の子達数人にいじめられてる現場を見ちゃって。服とか引っ張られてて、どんどんムキになって乱暴になっていったから、危ないと思って止めに入ったんですよ。そうしたら虐めっ子が『こいつが幽霊を見たって嘘を付くから!』って。虐められてた子もムキになって『嘘じゃない! お前らに才能が無いかバカなだけだ!』なんて言うから、本当に殴り合いになりそうだったんです。それでなんとか他の子達を無理やり帰してから、虐められてた子の話を聞いたんです」
つまり、自分のように見えてしまっている子で、その事が原因で虐められているのだとしたら「放っておけなかった」という事のようだった。そしてそんな気持ちは獠にも十分理解は出来たが……。
「でも、それって、本当に見えてるかどうか分からないよね?」
そう、獠の気持ちを代弁したように菜月が答えた。
「そうなんです。私の友達にも霊感があるとか、占いが得意って子がいたから、それもあるかなって気はしたんです。でも、その男の子、凄く真剣な顔で『いる』って。それでつい、私も見えるから一緒に行ってあげる。って。でも、本当に霊がいたとして、私も男の子も見えたとして、その後、何も出来ないしどうしようって思ってた時に偶然……」
「除霊している獠ちゃんを目撃したんだね」
「うん」
わざわざ獠の後をつけてまで押しかけて来た理由は分かった。けれど、実際に居たとしても居なかったとしても、獠には䒾日花が語る男の子の友達付き合いまでを改善してあげられるような自信は無かった。
結局の所、感知できない物を感知している事を周囲に隠しながら、孤立してしまわぬよう、自分だけが見えている事実に慣れながら上手に生きていくしかないのだから。
(とは言え…)
いつかの自分にも気持ちを共有してくれる人がいたら。そう思い、何かしてあげたくなってしまった䒾日花の気持ちは獠にも十分に理解出来るものだった。
「ちなみに、その、幽霊を見たって場所は?」
「この近くの、渋駒口第二小学校です」