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イリガミ ~魂の残り香~  作者: 早田アキ
第1章 渋駒口第二小学校編
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第01話 始まりの朝



 黒。



 現実では目にする機会の少ない。


 完全なる闇。


 それは瞼流れる赤みさえ感じる事のない暗闇。


 それほどに濃い黒で塗りつぶされている視界。

 だからこそ、これがいつもの夢である事を男に教えていた。


 懐かしくて、悲しくて、終わりのある、夢。


 そう。

 これは夢。



 もう気が付いてしまった。自覚してしまった。

 なら、もうすぐ眠りから覚めてしまうのだろう。

 また、あの悪夢が始まってしまうのだろう。


 男には自分の胸が締め付けられる音が聞こえてくる気がした。



 その時、目の前に小さな光の玉が浮かびあがった。


 光から感じる温かさ。

 同時に込み上げる懐かしさ。

 愛しさ。


 光を包み込もうと、そっと両手を伸ばしてみる。

 すると、ゆっくり、光は人の頭へと形を変えていく。

 伸ばした手に触れた頬は柔らかくて温かかった。


 やがて光は広がり、女性の形を作り上げていく。


 そっと、壊れないように、そっと。

 光を包み込む両手を引き寄せる。


 懐かしい笑顔。

 愛しい、君。


「……んね……に……で……」

 聞き取れない程の細い声。

 しかし、男には女が何を言いたいのか、十分に分かっていた。


「分かってる。分かってるから。もう苦しまないで」

 だから、もう少し、もう少しだけ傍に。


「……んね……きに……んで……」

「分かってるよ」


「ごめんね」


 そう話す女が、笑顔に、涙を浮かべた時。


 その右腕が、千切れた。



 さっきまでの温かな笑顔が嘘だったように。

 表情は苦悶へ、声は絶叫へと変わってしまう。

 腕が千切れた肩からは噴水のように血が勢い良く噴き出していく。

 男が両手で必死に抑え込もうとしても指の隙間から飛び溢れ出てしまう。


 次に左腕が。

「やめてくれ……」

 抱き締めるように、必死に両肩を抑え、噴き出す血を少しでも残そうともがく。



 しかし……



 右脚が。


 左脚が。


 順に千切れては闇へと消えて行く。

「もうやめてくれ……」



 そして首が。



「やめてくれえええぇぇっ!!」



 男は叫び、五体を失い首だけになってしまった彼女の頭部を抱き締める。



 しかし、その首も小さな光となり、粒となり、消えていく……。





 頬にぬちゃ、と粘りつくような、それでいてザラザラとした感触。

 男が目を開けると視界の端に真っ白い毛が見えた。


「マヤ、おはよう」

 そう声をかけられた犬は「バウッ」と短く鳴いてから再び頬を舐めまわす。

 夢を見ながら泣いていたんだろうか。男は目尻から流れる涙の痕を感じた。頬を濡らし苦しんでいる主を、マヤは心配して起こしに来てくれたのかも知れない。


 男が大きな頭を全力で撫でまわし礼を言ってから、冷蔵庫の横にある新しいドッグフードを箱から取り出し皿に盛ると、マヤは嬉しそうに再び短く鳴いてからそれを食べ始めた。


 男はコーヒーメーカーの電源を入れてからテレビを点けると、いつも見ているニュースの時間よりも、少し早く目が覚めている事に気が付いた。

 前日、少し疲れていたせいか、かえって目が覚めてしまったのだろうか。それなら。と、男がのんびり歯を磨いてから顔を洗っているとインターフォンが鳴った。と同時に玄関の鍵が開けられドアが開く音が聞こえた。


「あ、もう起きてる? おはよ~」

 玄関から飛び込む明るい声。男はタオルで顔の水分を拭きリビングに戻り答える。

「おはよう。なんとなく目が覚めて。菜月(なつき)も早いね」

「良かった~。今日はお昼前からロケがあるから少し早くって。起こしたくないなって心配してたんだよね」

 まだ靴を脱ぎながら話してるのだろうか。声は玄関から聞こえていた。

「忙しいんだろう? 直接現場に行けば良いのに」

「ちょっと、そんな寂しい事言わないでよ。ご飯食べれる?」

「うん。ありがとう」


 菜月(なつき)と呼ばれた若い女は、紙袋に大量の食糧を持ってきたようで、そのまま台所に立つとテキパキと朝食の準備を始めた。男は菜月(なつき)が「最近、深夜番組の司会が決まったから忙しい」と言っていた事を思い出し、少し申し訳ない気持ちになった。


「コーヒーは?」

「飲もうとしてたんだけど、先にご飯頂こうかな」

「おっけー。スープ温めてるからもう少し待っててね。それと、移し替えたロケ弁、冷蔵庫に入れておくから夜にでも食べてね」

「うん。ありがとう」

「あ、マヤいたんだね。おはよう」

 ドッグフードだけでは足りなかったのか、料理の臭いが気になっただけなのか。マヤはいつの間にか台所に立つ菜月の傍に歩み寄っていた。

「マヤ、菜月の邪魔をしたらダメだよ」

「おはようって言いに来てくれたんだよね。おはようマヤ!」

 菜月はそう言いながらマヤの顔をくしゃくしゃに撫でまわす。するとマヤは、尻尾を立たせ横にふってから、大きな体をすり寄せ気持ち良さそうに喉を鳴らしていた。


 その時、テレビからニュース番組の開始を告げる音楽が流れてきた。男はリビングのソファーに腰を下ろすとテーブルに料理を運ぶ菜月に礼を告げ、テレビを見始める。


 最近、その規模を拡大しつつある新興宗教の信者と家族の間でトラブルになっているらしい。心酔し切って入信した子や親が家に戻らなくなるとの事で、事件性は無いものの解決策が見出せていないようだ。

 それとは直接の関係は無いが、帰宅しない人々、として、都心で急増しているプチ不良と呼ばれる現象と、中高生の家出について取り上げられていた。足取りが掴めず、SNSで出会った人の家に着いて行ってるのだろうか。とまとめられている。

 また、連日話題になっている帰宅途中に行方不明になった女子高生についても取り上げられていたが、こちらは帰宅後に友人とカラオケに行く約束があった事から家出の可能性は無いとの事だった。


 「プチ不良」なんてテレビらしいネーミングセンスに男は短い溜息をこぼした。


「女の子、まだ見つかってないんだね」

 菜月は料理を運び終えると男に箸を渡しながら隣に座る。

「みたいだね。いただきます」

「どうぞ、召し上がれ。スープどうかな?」

「うん。美味しい」

 テーブルの上には、手作りのスープに目玉焼きと、ロケ弁から取り出したひじき等、幾つかの総菜に白いご飯が並んでいた。


 男は、いつも朝から豪華過ぎる気がする、と思っていたのだが菜月が言うには、

「毎回何人かは忙しくて食事を取れないスタッフがいるし、かと言って用意しない訳にもいかないでしょ? どうしても大量に余るし、出しっぱなしで傷む事もあるから長く置けないし捨てられちゃう。捨てちゃうの勿体無くない? だから、冷蔵庫がある時は様子を見ながら幾つか入れておくの。そんで、余ったの持って帰れば、私と(りょう)ちゃんのご飯になるし環境にも優しいでしょ」

 と説得され今に至っていた。


 家族が多いスタッフや生活に余裕の無い出演者も持って帰るとは聞いていたものの、若くして親元を離れてはいても稼ぎのありそうな菜月が、毎回のように大量の弁当を持って帰っている事を周囲はどう思っているのか。(りょう)はそれが心配だった。



「ご馳走様でした」

 一足先に食事を済ませた(りょう)がそう手を合わせていると、再び部屋のインターフォンが鳴った。来客の予定は無かったはずだけど。と不思議そうな顔をしていると、食事をしながら似たような顔をしている菜月(なつき)と目が合った。


 時々、二人の暮らしを心配している菜月の実家から食料等が届く事があった。仕事で自宅にいる事が少ない菜月より、隣に住んでいる(りょう)の部屋に送ってしまえば受け取ってくれるし一緒に食べてくれるだろうとの事から習慣化したものではあったのだが、獠が思い出す限り、そんな予定も今日は無いはずだった。


 獠が伸び放題の髪の毛をかき上げながら玄関を開けると、制服姿の見知らぬ学生が立っていた。見た目からは高校生くらいだろうか。

「あ、あの。初めまして!」

「あ、はい。初めまして」

 元気良く挨拶をしてきた学生は緊張からか目を伏せてはいるもののかろうじてその顔を覗き込む事が出来た。しかし獠はその顔に見覚えが無かった。相手が要件を話し出すのを待っていたが話さず。妙な間が空いてしまう。


「えっと、何か用ですか?」

「いえ、用は無いです。あ、いや、用はあるんですけど」

「お財布いる~?」

 着払いの荷物だとでも思ったのだろうか。菜月が部屋の中から大きな声で聞いてきた。

「いや、大丈夫。そういうのじゃないみたい。ですよね?」

 獠がそう促すと、学生は伏せていた目を上げ話し始めた。

「あの。偶然なんですが、昨日、公園で、見ちゃったんです」

「公園で?」

「はい。私も、その、見えるんです。霊が。あれって除霊してたんですか?」


 獠は、学生が緊張からか突然大きな声で話し出した事に驚いた。しかし、それ以上に、昨日の出来事を見られていた事、そして何より、自分以外にも見えている人がいる事に本当に驚いた。これまで、そんな人間に出会うような事は稀だったから。


 しかし、そうだとしても玄関の前で話す話題でも無いだろうと思ったのか、獠は家の中で学生の話を聞く事にした。

「ごめん、玄関の前で大きな声はちょっと」

「す、すみません」

「どうしようかな。家の中は、まずいかな。玄関のとこでも良いけど」

「あ、いえ。女性もいるなら大丈夫です」

 女性もいるなら、か。そう思わず苦笑いしてしまった獠の表情に気が付いた学生が申し訳なさそうに慌てた。

「あぁぁ、ごめんなさい。」

「大丈夫。入って」


 ドアを大きく開けて中へと促すと、獠は一足先に部屋の中へと入りながら、菜月を見られるのはまずいと気が付き声をかけた。

「菜月ごめん、お客さんだから奥の部屋に……」

「なんで? 私はご飯食べ終わって無いし嫌だよ。って誰よその女……」

 リビングへと戻った二人を箸を持ったままの菜月が驚き睨みつけながら出迎えた。


 突然現れた制服姿の若い女性に動揺を隠せないようだったが、それ以上に驚いていたのは、その学生本人の方だった。


「え? えぇぇっ? アイドルの乃中菜月(のなかなつき)ちゃん?」

「獠ちゃん! 誰っ!」



 こうして悪夢から始まった一日は獠が思ってた以上に騒がしく加速していった。




「ちょっと! 獠ちゃん!」




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