闇夜の空、闇夜の侵入
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息苦しさに目を覚ますと、テントウムシが俺の顔に張り付いていた。こいつは優しく起こすことは出来ないのだろうか。ご機嫌にワサワサと足を動かすテントウムシをどかす。どうやら俺の指定した時間ピッタリに起こしてくれたようだ。周囲には夕日の光と濃い影が支配している。
「くっ、うんんんんー」
横になって固くなった体を、一度大きく伸びをして体を解す。内側の筋肉が緩み、体に残った疲れが消えていくようだ。
荷造りの準備をしに、干していた洗濯物を確認するため、岩場に向かう。日の光をたっぷりと吸収した洋服はカラッカラに乾いて、良い匂いがする。予想道り、真夏の日差しは短時間で洗濯物を乾かしてくれたようだ。
手早く洗濯物を取り込み、洋服を小さく畳む。洋服とは地味に嵩張る為、コンパクトに纏める事が旅の最中には重要だったりする。
荷物が纏め終われば、自分が居た痕跡を極力消して、出発に備える。
日が完全に落ちて、周囲が暗くなってから行動を開始する。これからの移動方法は極力人目には付きたくない。
俺はいつも移動の時に頼りにしている相棒がいる。人が走るよりも、馬に乗って走るよりも、遥かに早く快適な相棒。
その名は、リンド。種族で言えばドラゴンフライと呼ばれている。ドラゴンと名前についてはいるが、実際にドラゴンらしい姿も、強さもない。(配下にいる虫の王と呼ばれるインセクトドラゴンと比較して)
その姿は、洗練された顔立ちに周囲を見通す複眼。体の大きさは優に3メートルを超えているが非常にスリム、体色は闇に溶けやすい黒色で、優美に広がる四枚の羽根がその存在感を主張する。見た目は完全にトンボである。いや、名前もか。
ただ、その能力は通常のトンボとは桁外れだ。その巨体に見合った以上に力持ちであり、大量に荷物を積んだ馬車一台ほど軽々と持ち上げる。さらにその巨大な羽から聞こえる音は信じられないほど静かだ。そしてなにより、体内に保有する風の魔石によって、飛行中の風圧を気にすることなく飛ぶことができる。勿論トンボと同じこともでき、機動性も抜群で、飛行速度も申し分ない。
夜目も利くので夜間飛行も十分こなせる。俺の活動で移動の大部分を占める活躍ぶりである。このリンドが居たからこそ、俺は大陸の反対側までいって、旅の薬師として活動する事を決断したくらいである。
「さて、リンド。今回は偵察任務だ。頼りにしてるぞ」
俺が声を掛けると慣れたもので、任せろと一つ頷く。なんとも頼もしい相棒だ。
必要最低限の荷物を身に着けると、残った荷物をリンドに括り付けていく。隠密行動で大荷物を抱えているのは大きなハンデになるので非常に助かる。荷物が落ちないようにしっかり固定すると、俺はリンドに乗り込み声を掛ける。
「よし、行ってくれ。向かうは南西に見える山だ」
リンドは俺の掛け声を聞くと、ゆっくりと羽を動かし始め、徐々に加速していく。本来であれば空気を切り裂く音がするべきその動きだが、極限まで効率的に動かされるそれは無駄な音一つさせずに体を地から切り離す。リンドは徐々に高度を上げて南西の山を正面にとらえる。本来であれば、人が耐えられないほどの加速すら可能なのだが、俺の身に合わせて徐々に加速していく。体は常に水平に保たれ、乗っている人間に負担をかけることなく飛行できるので、まるで極上のソファーに座りながら大空を漫遊しているかのようだ。
リンドのスピードであれば、目の前に見えている山にたどり着くまでに、それ程時間を要する事はなかった。実際、俺が一日近くかけて歩いた距離ならば、リンドにとっては数分で到着する。すでに俺の目の前には、目的地である山の木々の輪郭すら捉えることができるほどだ。
俺はリンドに指示を出して一度高く高度を取る。仮に俺が探している場所が周囲からは見えないように隠されていたとしても、上から見られることは想定していないだろうとの思惑があったからだ。それに高く高度を取れば、一度に広範囲を観察することができる。昼間のように全体が明るければ見落とす可能性もあるが、夜間に光に照らされる場所など、殆ど人が滞在している場所だけだ。
周辺をぐるりと観察していると、山裾に少し窪みができた場所から小さな光が漏れているのを発見した。そこは丁度、王領とレオネ公爵領の境目辺り、通常であれば開発するにも多くの手続きが必要で、よほど有用な物がなければ手を出すことがない領域。
俺は自然と口角が上がり笑みが零れる。光の漏れる場所にゆっくり近づくようにリンドに指示を出す。遠目から見た限りでも、かなりの規模で掘削を行っているようで、周囲には掘り出された土や岩の山がそこら中にできていた。
光が漏れだす場所までの距離が近づくにつれてなにやら声が聞こえてきた。
「これでどうにか今月のノルマは達成できそうだな」
「ああ、あのクズ共が逃げ出したと聞いたときは、怒りで腸が煮えくり返る思いだったが、代官が補充してくれた連中は予想以上にいい仕事をする」
「まあ、南の鉱山はもう殆ど枯れかけてたしな、ちょうどいいタイミングだったんだろ」
「だろうな。それに逃げた連中の後始末までしてくれるんだ。代官様様だろ」
「ちげぇねぇ」
鉱山の入り口のその横には小さな小屋が建てられていた。そこに居たのは、この場では似つかわしくないほど綺麗な服を着た男と、鉱夫にしては小ぎれいにしている大男だった。
漏れ聞これる声から、犯罪奴隷の出元はここで間違っていないようだ。それに、ここで働く連中は南の鉱山で使われていた人員のようだ。ただ、この規模の鉱山を開発する為の人員を、毎年王都から来る監査官の目を、誤魔化しきれるものなのだろうか。
確かフェロ公爵領が保有している鉱山でも、王家直轄の監察官が毎年、不正がないかをチェックしに来たはずだ。周囲の設備からこの場所で働いているのは簡単な見積もりでも100人はくだらない。これだけの規模の犯罪奴隷を無許可で移動するのはいくらなんでも無理がある。
その後、二人の男は、来月の採掘の打ち合わせをしたのち別れて、綺麗な服を着た男は別に建てられている小屋に、小ぎれいな鉱夫は鉱山の中へと入って行った。周囲には見張りの為か盗賊崩れの連中が各入り口に立っている程度で、他に外敵からの備えとしては魔術による多少のモンスター避けがされている程度だった。
「警備がザルすぎやしないか?警備の連中に見えない死角だらけだぞ……」
自分たちが密採掘をしている自覚が無いのか、警備は奴隷たちを監視する為だけに配置されているようだ。それにここ最近犯罪奴隷が逃げ出したばかりなのに、集中力に掛けていて、他の警備と無駄話に花を咲かせている者までいる。
危機管理が薄い連中だが、手を抜くことはしない。
俺は偵察に適した虫達を呼び出して、中の様子を探るように指示を出す。この虫はディバリオ虫といって、どんな小さな隙間にも潜り込み、その発達した感覚器官で周囲の様子を細かく伝えてくれる優秀な諜報員だ。力もそこそこあり、簡単な道具なら使うこともできる賢さもある。俺の密偵としての仕事でこのディバリオ虫ほど多くの情報を集めた者はいないだろう。
虫達は各施設に分散して情報を集めてくる。周囲に見える建物はそれ程多くはないが、鉱山の中には穴をくり貫いていくつかの部屋が作られているようだ。実際に奴隷たちを閉じ込めるのには適していて、鉱山そのものが檻の役目もしているのだろう。よほど前回逃げ出した奴隷たちはうまく事を運んだようだ。
俺は先程男たちが話していた小屋の窓に近づく。窓はどうやら横開きで中から錠がされているようだ。最も、この程度の事は障害にすらならない。中に侵入している虫に鍵を開ける様に指示を出せばいとも簡単に開けてくれる。幸い錠の作りも単純なもので、ディバリオ虫はすぐに鍵を開けてくれ、素早く中に忍び込む。
小屋の中はどうやらこの鉱山の管理をする為に設置されているようだ。採掘された物の種類や量、ほかにも今後の採掘計画を記した書類が置かれていた。この鉱山で採掘されている物はルビーにサファイア、そして少量のダイヤモンドなど、各種宝石が採掘されているようだ。
尤も、それら全てが物のついでと言わんばかりの物が主な目的なようだ。その目的と思われる物がクリスタルである。
クリスタルは宝石や置物として使われることもあるが、最大の使用用途は魔術具の製造だ。どんな魔術具を作るのにもクリスタルは重要な素材となる。透明度が高く、大きなものほど効果の高い魔術具を作る上では欠かせない。それにこの大陸での産出量が少なく、この大陸から見て南東に位置する大陸国家からの輸入に頼っているのが現状だ。
確かにこのクリスタルを売れば莫大な利益が出るだろう。特に産出されているクリスタルは輸入している物よりも透明度が高く質が良い。採掘計画を見る限り、貯蔵量はこれから先50年は安泰と見える。
これだけの規模の貯蔵があるのなら通常の手続きの下で開発してもそれなりの大金にはなっただろうに、レオネ公爵は利益を独占するために密採掘に踏み切ったのだろう。どれだけ業突く張りなのだろうか。
他にも重要な書類が無いかと色々探ってみたが、管理されている犯罪奴隷の一覧や搬出記録がみつかったくらいだ。どうやら輸送先やその顧客にかかわる情報は、他の場所で管理しているのだろう。
本来の目的である犯罪奴隷越境の証拠としては十分な情報が集まったが、今回は徹底的にとの指示なのでまだまだ仕事は終われそうにない。証拠に成りそうな書類の写しを作り、さらに虫達からの報告で裏まで取る。犯罪奴隷のリストは実際にこの場所で働いている者達のもので間違い無いようだ。
虫達に探させていた他の施設にも、目ぼしい物が見つからなかったので、この場所での情報集めは十分だろう。
確か先程の男たちの会話で、この場所の全体の管理は代官が務めていると見て間違いない。きっと重要な書類の管理はそちらでしているのだろう。
俺は侵入した痕跡を消して小屋を後にする。入った時とは逆に、ディバリオ虫に錠を閉めてもらい、警備の目につかないように移動して距離を取る。放っていた虫達にも戻ってくるように指示を出して、早々に密鉱山を後にした。
先程の鉱山の中の様子は、虫達に聞いたところ、働いていたのはリストに載っていた犯罪奴隷達と、外の警備をしていた者と同じような人間が監視をしていたらしい。他にも一部からは水が染み出していて、飲み水に困る事はなさそうだ。この周辺の地形の特徴として岩盤の間に水脈が通っていて、俺が休憩していた場所と、鉱山の中の水場の岩盤は同じ地層から出来たものかもしれない。そうなるとクリスタルの鉱床は先程の書類に示されていた物よりも広大に分布している可能性すらある。もっとも、それを調べるのは俺の仕事ではない。どうやら鉱山の中に倉庫が設置されているらしく、定期的に外から食料と燃料が運び込まれていることが判明した。警備も厳重で、奴隷たちは勝手に入ることは出来ないだろうと虫達が教えてくれる。それに、以前は定期的に外に出してもらうことも出来たのに、逃げ出した連中のせいで管理が厳しくなり、ずっと穴倉に閉じ込められていて気が滅入ると犯罪奴隷達が愚痴を漏らしていたと報告してくれた。本当に優秀なやつらだ。
とにかく、以前はともかく現状犯罪奴隷たちの生活は、鉱山の中で完結しているとみて間違いない。管理している連中の警戒も上がっているだろうし、当分犯罪奴隷の逃亡が起こることは無さそうなので、こちらへの対応は他の人に頑張ってもらう事にした。
俺は密鉱山から少し離れ、開けている場所にリンドを呼び寄せ、荷物から地図を取り出す。
確かこの辺りを管理している代官が住んでいるのは、今朝出発した村から南方に馬車で一日の距離だったはず。リンドなら然程時間も掛からずにたどり着けるだろう。
俺は方角を確認して、リンドに乗り込み、星の瞬く大空へと飛び立った。
そろそろ自分の住んでいる地域もアオリイカのシーズンが来ます。楽しみ。