人の領域、魔の領域
ブックマークありがとうございます。
タンのジャーキーを初めて食べたのですが、炙ると更に美味しいです。
村を出発してから2刻ほどたっただろうか。昨日歩いていた道と違い、人の手で整えられている道は、やはり歩きやすい。
ただし、歩きやすい道が安全である事とはイコールではない。人の良く通る道にはモンスターの駆除や、盗賊対策に警戒を強化したりしているが、警戒の低い、人が通らない場所にはモンスターや盗賊の遭遇は割とよくある話だ。幸い、主要道路が南側に集中している為、この辺りに盗賊が出没することは殆どない。
国の東側にある貿易国家クリサンテモ王国からオスマントス王国に品が流れる場合、北方はフェロ公爵領から、南方はレオネ公爵領から入ってくる。そしてその逆に、レオネ公爵領が他所から荷を買い付けるのには、南方の街道が近く、多くの物が集まる王都を経由して運ばれてくる。その為、態々北上する道を使う人がいないのだ。だから人の通らない場所に盗賊が出没するとは言っても、奪う荷がまったく通らない場所には流石の盗賊も現れない。
この場合、警戒しなければいけないのはモンスターだ。特に、この辺りは人が立ち入ることが少ない山が多い。だからモンスターが活動するには打って付けの環境が揃っている。
基本的にこの世界、イニージアに存在するモンスターは鬼族と呼ばれる種族が殆どである。本来、この世界にはモンスターは存在しなかった。しかし、全文明を滅ぼすほどの災害、星降りの終末と呼ばれた隕石群の襲来。そして文明が回復したころに発現した異世界に繋がる道、通称“ゲート”と呼ばれる異界の門が世界各地に現れた。そのゲートを潜ると別の世界に繋がっており、そこにはこの世界に存在しない敵対生物、総称モンスター。潜るゲートによって種類も生態系も違い、また生存環境も様々である。
この各地に現れたゲートに繋がる世界。これを人々はダンジョンと呼んでいる。ゲートを潜ると例外なく左手の甲に“羅針盤”と呼ばれる特殊な魔法が発現する。この羅針盤はダンジョンには入口と出口が必ず対になって存在する方向を示す道標になっている。ダンジョンにはモンスターの他にも人々が生きていく上で役に立つ、人類では作り出す事が出来ない魔導具や魔導器と呼ばれる道具や武器が見つかることが有る。それこそ物によっては国家の戦力バランスを崩してしまうほど強力な物まである。
そして、ダンジョンを羅針盤に従い進んで行くと、最奥の間と呼ばれる終着点がある。そこでは道中で見つかる物とは比較にならない程、非常に強力な魔導具や魔導器と呼ばれる物を手に入れる事が出来るのだ。
最も、この最奥の間に辿り着くことは容易ではない。ゲートとゲートの間隔は、近くても数十キロメートル、現在確認されている最も距離のある場所はなんと五千キロメートルにも及ぶ、更に未だ次のゲートの場所が特定されていない所も多数あるのだ。現在、最奥の間から手に入った魔導具が2つ、魔導器が1つ存在することが確認されているが、どれもたどり着くまでに10年近くの歳月を費やしている。その為、かなり博打要素の強い、国家事業として細々と行われているのが現状だ。
だから、人々はそれよりは簡単に手に入る、各地に点在する魔導具や魔導器を求めてダンジョンに挑むのだが、これもまた容易ではない。まず、広大なダンジョンの中で見つけることが稀であること、更にこれらが安置されている場所には強力な、“守護者”と呼ばれるモンスターが存在する。この守護者を倒すことによって、始めて魔導具や魔導器を手に入れる事が出来るのだが、一度守護者を倒すと結晶となってダンジョンの何処かへ飛んで行ってしまうのだ。現在はこの守護者が出現した場所に、魔導具や魔導器が現れると考えられている。
そこで今から数百年前に存在した、大陸の北部を支配していたジャシント帝国と呼ばれた、当時の最大勢力を誇っていた国がこの結晶の捕獲に挑んだのである。結晶を確保できれば、その恩恵をいつでも受けられると考えたのだ。帝国は、数多の魔術師とそれを護衛するための軍隊を率いて挑んだその計画は見事成功して結晶を確保する事が出来た。その結晶は直ちに、帝国に持ち帰られ、最も厳重に管理ができる城の地下に安置されたのだ。
ただ、ここから帝国の計画は狂いだす。結晶がどの様に作用して守護者へと変異するのか、またその過程すら排除して魔導具や魔導器を手に入れられるか研究がされたのだが一向に成果がでなかった。しかし、ある時一人の研究者が、結晶が周囲から魔力を集めていることを突き止めた。そこで帝国は、ダンジョンで遭遇するモンスターの中から発見される、魔石と呼ばれる魔力の塊を集めて結晶に魔力を集めることにした。
その結果、結晶は多くの魔力を吸収して大きな変化を見せたのである。そしてこの時が帝国の終焉への序章だった。溢れんばかりの魔力を吸収した結晶は、守護者へと変化する事なく、モンスターを大量に産み出し周囲にまき散らしたのだ。突然、大量のモンスターに襲われた帝国は、その脅威に対抗する事が出来ず、一晩の間に壊滅してしまった。そしてその矛先は周辺の国々へと向かい、星降りの終末以来の大災害かと思われたが、帝国との戦争で臨戦態勢を取っていた南方の国々は瞬時に戦力を投入して、モンスターの拡散を水際で塞き止めた。
結局、溢れ出たモンスター達は、当時から未開拓地域であった北東、北西方面の森に散らばり、現在はこのカラマロ大陸の北部全域を支配領域として、我が物顔でのさばっている。
それに、今現在もモンスター共は支配領域の拡大を狙っているのか、大陸の南方に向けて勢力を伸ばそうとしている。その為、いまだ人間の勢力圏でもモンスターに出くわすことは珍しい事ではないのだ。
因みに、この世界に存在するモンスターの、割合の大半を鬼族が占めているのは、帝国が捕獲した結晶が鬼族の支配していた地域から手に入れたものである為だと言われている。
実際の所は定かではないのだ、過去の数少ない文献と伝承から推測された内容でしかない。研究者によっては未だに結晶はモンスターを吐き出し続けていると主張するものもいれば、周期があって、魔力をためている時期と、モンスターを輩出する時期があると主張する研究者もいる。その他にも、そもそもそんな事実はなく、北には巨大なゲートが有り、そこからモンスターが溢れ出していると主張する者まで居る。
まあ、結局の所実際に見た人間は居ないのだ。それほどまでに北方を支配するモンスターの力は強い。
現状、人間側は北方からの侵略を食い止めるのと、各地で散発的に見られるモンスターを排除することで手一杯なのである。
だからこういった普段人の通らない道ではモンスターに対する警戒を怠ることは出来ない。特に今のレオネ公爵領のように、前の統治者であるウンジェイオ・ディ・レオネの残した遺産で成り立っているような不安定な領地では注意が必要だ。
「しかし、この道滅多に使われることが無いのに整備が確りしている……」
西に歩を進めながら感じていた違和感、たいして使われていない街道にまで石畳を敷く物だろうか。フェロ公爵領に伸びる道は放置されているのに、王領へ延びる道は採算が取れるとは思えないほどの整備がされている。
「その割に遠目からは視認しにくい作り、安全面を考えれば視界は開けていた方がいいのに……」
歩きながら周りを観察すると、元々真っ直ぐに伸びていたであろう道が、態々曲げられている。それに元々道であったであろう場所は俺が歩いてきた北に延びる道と同じような構造をしている。即ち、この新しい石畳の道は十年以内に敷かれたものだと言うことだ。そういえばこのレオネ公爵家の当主が変わった時期と重なる。この新しく敷かれた道は現在の領主が主導になって行ったと言うことだろう。
「でも何で態々石畳まで敷いたんだ……?」
領主の不可解な統治に疑問が尽きない。
そんな時、一ヵ所違和感を覚える場所を見つけた。道の整備のために使われなくなり、自然に戻りつつある場所と違い、一見整備がされてないが何かが通った後が見える脇道を発見した。
そこは、他の使われない道と同じように雑草が生い茂っているのだが、よく観察すると馬車が通るときにできる轍ができていた。触った感触では最近出来たものに感じる。それに溝の深さから、かなり重い物を運んでいると見て取れる。
俺は一度近くの高台に上り、方角を調べることにした。そこから見える景色から判断するに、俺は村と関所の丁度中間地点まで来ていたようだ。昨日と違い、整備された道を移動すると、やはり移動速度が段違いに違う。そして、南南西の方角には俺が目を付けている宝石が埋まっていると言われている山が見える。先程の怪しい道がそこに続いているとは限らないが、他に当てもないので、そちらを調査することにした。
先程の場所に戻って正面から見据えてみると、ある事に気が付いた。それは一定の空間が真っ直ぐに伸びていたのである。丁度一般的に使われている馬車と同じような大きさの空間である。
俺は早々にアタリを引いたと少し顔が緩む。しかし、ここから先は街道よりさらに人が通らない場所であり山も近くなる。必然、モンスターとの遭遇率も上がるので、確りと気を引き締めて前へと進む。
道なき道を歩き始めてどれほど経っただろうか。よく注意していれば、馬車の通った場所を見失うことはないが、思いの外曲がりくねっているのでなかなか先に進めないでいた。
そんなある時、小さな変化に気が付く。それは先程まで感じていた、小さな生き物の気配を感じないのだ。まるで自らの存在を悟られないために、息を殺しているかのように。
俺は不測の事態に備えて、いつでも荷物を手放せるように準備し、腰のナイフに手を掛けた。そこからは先程より、さらに慎重に周囲を警戒しながら前へと進む。そこから暫らく進むと小さな水たまりができていた。俺はそれを確認すると、ゆっくりと荷物を卸して、警戒を最大限つよめる。
ここ数日、水たまりができるような雨は降っていない。それに湧き水の可能性も低いだろう。態々馬車で移動するのにぬかるむ場所を選ぶ人間もそうはいない。
必然、この水たまりは何者かが故意に作り出したものだと判断したのだ。
ただ、この周辺で水を使うモンスターはあまり聞かない。変異種、若しくはハグレでも現れたのだろう。水たまりから十分に距離を取りながら辺りを観察する。
ゆっくりと、円を描くように水たまりの周りを回ると、草の影に大きな泥の塊を見つけた。それを見つけた時の俺の心に浮かんだ言葉は、“ああ、こいつか”である。
この時点で、この水たまりを作った犯人に目途がたった。それはハイリーオークと言われる通常のオークに比べて毛深い豚鬼である。その長い毛に泥を絡ませて、鎧として纏う習性がある。泥の鎧は、斬撃、刺突、打撃の耐性を上げるだけではなく、各属性の魔法への耐性も上げる厄介な鎧だ。通常のオークに比べて端整な顔つきで、メリハリが確りしている。実際何度か遭遇したことはあるが、大抵複数匹と遭遇するので、俺はいつも特殊能力で従えている虫達に対応させていた。
ただ、他にも隠れていないか探したが、今回は単独行動しているハグレのようだ。
ここで俺は少し考えた。昨日は色々あって、普段行っている鍛錬をさぼってしまった。それに、ここ最近は組手をする相手もいなかったので、久しぶりに自分を鍛えるいい機会だ。
ここは一つ、俺一人で相手をしてみるのも良いかもしれない。
そうと決まれば、まずは戦闘に集中して、周囲の警戒を怠ると危険なので、そこだけは虫に頼むことにした。俺は一匹の虫を呼び出すと、周辺の警戒を頼む。この呼び出した虫は、大型のテントウムシだ。人の頭ほどのサイズであり非常に大人しい性格をしている。争いごとが苦手なためか、周囲を探る能力が高い虫だ。俺はそいつを近くの木に張り付かせて、準備万端。
ナイフを引き抜き、右手に構える。
相手には未だ動く気配が見られない。ここは意表をついて先手必勝がいいだろう。
ゆっくりと腰を落として、踏み足に力を入れる。俺はそのまま滑るように体の軸をずらして前に加速する。トップスピードに乗った勢いのまま、巨大な泥団子に向かってナイフを突き立てた。
「ぴぎいいいいいぃぃぃぃぃ」
俺の最大速度且つ、全体重を乗せた一撃は相手の右肩に深々と刺さった。ハイリーオークは突然の奇襲に対応しきれていない様子だ。肩に走る痛みに身悶えしている。俺は素早くナイフを抜き取り、相手の死角へと回り込むつもりが、厚い脂肪と固まった泥のせいでナイフが抜けずに手から離れてしまった。
戦闘中に得物から手を放してしまうなど素人じみたことを恥じる。しかし、最も危険な事は戦闘中に慌ててしまう事だ。手から離れてしまった得物の事は直ぐに頭から切り離し、相手の死角に回り込む。
ハイリーオークはいまだ俺の姿を捉える事が出来ていないようすだ。俺は相手の意識が右肩に移っている間に左側に回り込み、左膝を後ろ回し蹴りで横から蹴り抜く。
「ぴぎゃあああああああああ」
二足歩行型の生物は足の関節に対して横からの衝撃に弱い。どれだけ丈夫な鎧を纏っても、関節を保護するのは不可能だ。
左膝が折れて、まともに立つことすらできなくなったハイリーオーク。しかし、流石にこんどは俺の存在を明確に視認された。次からは不意打ちは使えない。多少の手傷を負わせたとは言え、相手は重量級で防御力の高いモンスターだ。こちらの手札では有効打となるものもそれほど多くない。
俺が次の手を考えているところで、相手は片足だけで跳びあがり、此方に迫る。俺はすかさず相手の死角になる怪我を負わせた右側に身体をずらした。しかし、ナイフで付けた傷は思いの外浅かったらしく、ハイリーオークは右腕を振り回して殴りつけてくる。
咄嗟の行動で、回避が間に合わず、魔力で強化した両腕をクロスして受ける。
「ぐあっ」
いくら傷を負わせたとはいえ、その質量はバカには出来ない。魔力で強化していなければ今頃腕は折れていただろう。右手から繰り出された強烈な一撃は俺に大きな衝撃を与えた。最も、相手もその代償に右腕は力なく、垂れ下がっている。
一度、ハイリーオークから距離をとり、戦略を練る。相手も負った怪我の影響は少なくないようで、無作為に仕掛けてくることは無かった。
頭の片隅で、虫を使えば簡単なのだがな。と、思わなくも無かったが、自分で決めたルールを破るわけにもいかない。現状、相手に与えられる有効打は魔力を纏わせた攻撃のみだ。
魔力は魔術や魔術具に使う他にも、術式を通さずに使用することもできる。もっとも、術式を通さないと魔力の運用効率が低く、一般の人は滅多に使うことが無い。
ハイリーオークは動かない。いや、動けないと言った方がいいだろうか。戦場で足を負傷すると生き抜くのは至難の業だ。その為に足を狙ったわけであるが、相手はあくまでも重量級、いまだ油断ができる状況ではない。
俺は懐から長さ2メートルほどのロープを取り出す。複数を相手にする時には、こんな手は使えないが、一対一であるが故の小細工を思いついたのだ。
「さあ、終わらせようか」
俺はロープを輪っかになるように左手に持ち、相手を正面に捉える。ハイリーオークも覚悟を決めたのか、左腕を構える。通常であれば、相手の死角になる右腕側から攻めるのが定石だが、相手は片腕で全体をカバーする為か、構えに隙がある。
俺は敢えて、先程より初動をゆったりとした動きで踏み込む。相手にこちらの動きが見えやすい様に、その上で此方の思惑を気が付かせないように。
近づくほど姿勢を低く、緩急をつけて相手を翻弄する。
相手との距離が重なる直前、最初に動いたのはハイリーオークだ。もともとリーチの差は歴然としていた。先手を取られるのは必然だろう。だが、そこに俺は勝機を見出す。
相手が渾身の左ストレートを繰り出す、それは正に一撃のもとに俺を行動不能に追い込む程の破壊力を秘めた拳。常人であれば認識することも難しいその突きは俺の眼前に迫る。
そのまま直撃していれば、その時点で俺の負けは決まっただろう。だが、俺は更に一歩踏み込むことで、相手の突きを右手で押し出すように反らす。そして、そのままの勢いで一回転、拳を打ち下ろす為に姿勢を低くしていた頭に、左手に準備していたロープの輪を掛ける。そのロープを引っ張ることで、流れていた体を強引に引き戻し、相手の背中に着地した。
「チェックメイト」
俺は全身の魔力を右手の平に集め、構造上衝撃に弱い首の付け根に渾身の一撃を叩きこんだ。
「ぷぎやああああぁぁぁぁ……ぁぁぁ……」
叩きこんだ一撃は相手の首の骨を盛大に破壊したようだ。絶命と共に最後の断末魔をまき散らしながら、脳から伝わる信号が断たれた,その重厚な体は重い音を響かせて地に沈んだ。
「ふぅ、なんとかなったかな」
時間にすれば、まだ戦闘開始から一分も経っていない。しかし、当初考えていたよりも大きく体力を消耗した。やはり死線を潜るのは精神的な消耗を強いられる。
正直、得物を手放してしまった時は、本当にどうしようかと焦ったものだ。戦闘中には考えないようにしてはいたが、今になってあの時の事を思い出すと身震いする。
今回の様に、一対一であったからこそ、何とかなったが。これが戦い入り乱れるような、複数の敵を相手にしていた場合、致命的なミスになっただろう。普段から虫達に頼り切りな事が裏目に出たようだ。今後は定期的に、自らを鍛える為にも戦闘には積極的に参加していく事にしよう。
自身の反省もそこそこに、俺は目の前の倒した相手を見据える。
「流石に、放置はもったいないな」
ここからは素材採取の時間だ。