薬師の仕事、薬師の役目
ウサギを飼うかどうか非常に悩んでます。
臭いはどれくらいになるんだろうか?
村に入って最初に感じたのは、全体的に活気が無いことが気になった。いくら村民が仕事に出ていて、村に人が少ないと言っても子供の声一つしない程村の中は静まり返っていた。
これは犯罪奴隷が逃亡した為なのか疑問は残るが、決めつけで行動すると碌なことが無い。まずは先程聞いた薬師のいる家に向かうことにする。
それ程広くない村を歩くと、すぐに村の中心まで辿り着いた。村の中心と言っても、少し開けた広場のようになっているだけで、活気にあふれているわけでは無かった。村の観察もそこそこに、俺は男に教えられた青い屋根の家を探す。周りにある家は、手入れが行き届いていないのか所々ペンキが剥がれていて、破損している家屋もみてとれる。
いくら領地の端っことは言え、レオネ公爵家の財政はそれ程までにひどいのだろうか。この辺りの村には特筆すべき産業があるようには見えないが、それにしても村の状況はお世辞にも良いとは言えない。
そして少し遠くに青い屋根の家が見えた。遠目にだが、他の家に比べたら幾分か綺麗な外見をしている。尤もそれは周りに立ち並ぶ家と比べてであって、俺が旅の途中で立ち寄る村々ではごく一般的な家だった。
俺は目的の家まで辿り着くと、ノッカーを三回叩いて来訪を伝える。程なくして中から声が掛けられた。
「はい。どちらさまですかな?」
扉を開けて出てきたのは40を過ぎたあたりの恰幅の良い男性だった。
「こんにちは、はじめまして。私は旅の薬師をしております。リオックと申します。よろしければお話をお聞かせ願えないかとお尋ねしました」
「これはこれは、よくおいで下さいました。私はこの村で薬師をしておりますピアンテ・メディシナルと申します。何も無い所ですが、どうぞお入りください」
そういって男性は入室を進めてくれる。俺は礼を言って部屋の中に入る。すると鼻腔をくすぐる薬草の独特の匂いが鼻に付く。この匂いはこの辺り一帯で使われている薬草の独特の匂いだ。
俺は男性に接客室の様な場所に通されて、席を勧められた。男性は茶を用意すると言って一度退出する。
室内には簡素なテーブルと、今座っているソファー、そして多少の調度品が置かれているだけでとても簡素だった。
程なくして男性は茶を持って戻って来た。差し出された茶から香るのはジャスミンにドグダミ、それとタンポポの根から抽出した茶だろうか。彼の特別ブレンドの様だ。
「よい香りですね。三種類の薬草をブレンドした茶ですか」
「おや、匂いだけでこの茶の配合が分かりますか」
「細かな配合率までは分かりかねますが。何を使っているかは分かりました」
こういったことは良くある。旅の薬師の実力は初対面では未知数だ。それを見極めるために茶を用いるのはよくあること、たとえその事を相手が知っていても、それは経験をしたことがあるからだ。未経験の者と経験者では実力が違ってくる。俺もこの事実に気が付くまでに何度試された事か……。
ちなみに過去に俺が出会った旅の薬師の中で最も腕の良い人は、茶の色を見ただけでそれを言い当てていた。しかも配合されていた薬草は珍しい物ばかり、さらに6種のブレンドティーだった。俺もその領域に辿り着くにはまだまだ修行がたりない。
「御見それしました。もしや名のある薬師の方でしょうか?」
「いえ、私もまだまだ修行の身です。本日もその一環として此方に立ち寄らせて頂きました」
俺は独自の評価方法で、自分を旅の薬師としてはやっと独り立ちできるくらいの腕だと思っている。旅の薬師はある一定の腕さえ手に入れれば、大きな町で雇ってもらう事ができるようになる。そのため一定の技術を身に着けると旅の薬師を引退するものが多い。それはこの仕事は過酷な環境に身を置き続けなければならない事と、純粋に老化による体力の低下で旅を続けることができなくなるからだ。
俺は一般的な人と比べて移動に掛ける時間が極端に短いので、自らの技術向上に時間を割く事が出来る。しかし、普通は一つの国をまたぐのにも数週間は時間を必要とするのだ。
「成る程、では“知の天秤”で宜しいですかな?」
「はい、是非ともお願いします」
知の天秤、それは互いに持つ薬師としての技術を交換する時に使われる言葉だ。お互いが対等な条件だと認めて、自らの知識を交換することを指す。何故こんな気取った言い回しをするのかは謎だが、昔から薬師達が薬の知識を交換する時に使われていた言葉らしい。一説には“知の天秤”と呼ばれた魔導具があるのではないかとの噂もある。
「成る程、それではリストをお持ちしますので、少々お待ちください」
薬師には薬師にしか分からないことが有る。それは薬学に対する知識欲だ。薬草の使い方は一つではない。それに地域によっては“雑草”と呼ばれる物が薬草として扱われていることもある。薬草は葉だけでなく、根や花、時には密や花粉も薬として使えるのだ。それに薬草の知識は年々積み重ねられ、新たな技術が開発されることもある。そんな情報を伝えるのに旅の薬師は一役買っているのだ。
「お待たせしました。こちらが私のリストになります」
「ありがとうございます。私のリストはこちらになります。ご覧ください」
お互いに交換できる薬の知識や薬草の知識を、一覧にして見せあう。その中からお互いに欲しい知識を等価の知識と交換するのだ。もっともこの等価とはお互いが納得できる条件と言う意味だ。例えば、片方が一つの薬の知識しか出さず、もう一人が三つの薬の知識を出しても、お互いに等価であると判断すれば条件は成立する。
駆け出しのころは、色々と“おまけ”をしてもらったものだ。ある意味、初心者救済処置とも言えるだろう。暗黙の了解で駆け出しには少し優遇して知識を渡す。ただでさえ過酷な仕事で、人の少ない旅の薬師を確保するための知恵だ。
「うーむ、どれも素晴らしいですな。これは西側の知識ですかな?」
「ええ、私は駆け出しのころに西側を中心に活動しておりましたので、西の知識には詳しいです」
「この辺りで採れない薬草もありますが、クリサンテモが輸入している品も多くありますね」
「はい、それに少量ですがカワトゥスでも採取されるものも、多くありますよ」
俺がそう教えるとメディシナル殿はまた吟味するようにリストを凝視した。そんな彼を視界の端に捉えながら、自らもリストをチェックする。やはり、この辺りは抗菌効果の高い薬草やキノコが採取できるだけあり、そちらの方面の知識が豊富なようだ。ここはギンギンとブナハリタケを使った薬を中心に交渉しよう。
そこから俺とメディシナル殿の知の天秤は、お互いが納得できるまで話し合うことに成った。旅の薬師は薬の知識を各地に広めることを生業としている。それ故に、知識の安売りは最も忌避されるべきことだ。
結局、俺達の知の天秤が終わったのは、日がもうすぐ山に隠れるほど傾いた頃だった。最も、これはそれ程時間を費やしてはいない。人によっては数日掛けて知の天秤をする豪の者もいるくらいだ。
「いやいや、良い交換ができました。ありがとうございます」
「いえ、私としてもこの辺りの知識には興味がありましたので、大変ありがたいです」
俺達が知の天秤を済ませて一息ついたところで、来客を知らせるノックの音が室内に響いた。
「おや、来客のようですね。随分居座ってしまったので私はそろそろお暇しますね」
患者が来たとなればメディシナル殿はこれから忙しくなるだろう。俺は荷物を片付けて帰る準備をする。
「……いえ、もしお時間が宜しければリオック殿にも会っていただきたいのですがよろしいでしょうかな?」
メディシナル殿は先程までとは違い、少しくらい面持ちで引き留めるような言葉を投げかけてくる。その様子に何かあるのかと俺は先を促すと――。
「ええ、実は私の知識では対応できない患者でして、話だけでも聞いていただければと思います」
薬師としての腕を買われてお願いされてしまっては、引くことはできない。ある意味こういった時の為に、自らの知識を高めてきたのだから。
「分かりました。それではお会いしましょう」
「おお、ありがとうございます。連れてまいりますので少々お待ちください」
そう言って彼は再び部屋を後にする。それほど時をおかずし、部屋の前が騒がしくなった。
「失礼します」
そう言って入って来たのは、年の頃10代後半、俺と殆ど同じ世代の娘だった。ただ、彼女の着る服はあちこちを縫い直した跡があり、お世辞にも綺麗な服とは言い難かった。それに、身体は痩せていて、顔には疲労が浮かんでいる。
「紹介しますリオック殿、彼女はヴィオラです。この村で染色師として働いております」
「ご紹介にあずかりました。ペンシオが娘ヴィオラです」
彼女はそう言って頭を下げる。確かに彼女の顔色が悪いのは分かるのだが、メディシナル殿が処方出来ないような症状には見えない。
「はじめまして、旅の薬師をしておりますリオックと申します。」
俺も彼女に倣い、挨拶をする。薬師として患者との信頼関係を築くのは治療の第一歩だ。
挨拶を済ませ、メディシナル殿の出してくれた茶を飲みながら話を聞いてみると、どうやら患者は彼女ではなく、彼女の父親らしい。詳しく話を聞いてみると、彼女の父親であるペンシオさんはこの村で大工として働いている。彼女が言うには二月ほど前から咳が止まらなくなり、今では偶に血を吐くほど酷い症状だとか。メディシナル殿に薬を処方してもらったが効き目がなく、身体を動かすと症状が悪化するので今は家で療養しているとか。
しかし、症状は一向に改善される見込みが無く、最近は喉に痛みを訴えて食事もままならないらしい。
それに、現在は貯金を切り崩してなんとか生活をしているが、このままではじり貧で薬を買うお金どころか、生活していくのも苦しくなると彼女は悲壮感を抱えた顔で教えてくれた。
幸いにも、彼女の話を聞いて俺はある一つの可能性が思い浮かんだ。以前他の町でも、似たような症状で悩まされている女性を、治療したことが有るのだ。聞く限りではその時よりも症状の進行が進んでいるように感じるが、ぎりぎり対処可能な範囲だろう。
「なるほど、診てみないことには確りしたことは言えませんが、以前治療した患者に同じような症状を患っていた方がいます。同じ治療法が使えるかもしれません」
「本当ですか!?!?」
彼女はテーブルに手を付き、前のめりになって聞いてくる。よほど切羽詰まっているのが伝わってくる。
「ええ、なので一度診察させてもらえればと思います。よろしいですか?」
俺はメディシナル殿の方を向いて確認を取る。基本的に薬師に掛かっている患者を、他の薬師が無断で治療することは忌避されている。それは過去に使った薬草が分からないと、組み合わせ次第では症状が悪化してしまったり、他の病気を誘発する恐れがあるからだ。
「はい。是非お願いします。彼の治療に関しては記録がございますので、こちらをお持ちください」
そう言ってメディシナル殿は一枚の羊皮紙を取り出す。これまでの治療に使われた薬や薬草が一覧になって記載されている。ここまで準備がいいとなると元々他の薬師に対処を移譲するつもりだったのかもしれない。
「なるほど……、こちらの記録は頂いてもよろしいですか?」
「ええ、是非とも治療に役立てて頂ければ幸いです」
俺はメディシナル殿から渡された記録を仕舞い、ヴィオラさんに向き直る。
「私はこの後時間が有りますので、これから診察に伺おうと思うのですが、ヴィオラさんはお時間よろしいですか?」
「はい。今日の仕事は終わっているので、是非お越しください!」
こうして俺は早速、患者であるヴィオラさんの父親であるペンシオさんを診察しに向かうことに成った
「それではメディシナル殿、少し慌ただしくなってしまったが、本日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、貴重なお時間を頂きありがとうございます。彼の治療を何卒よろしくおねがいします」
最後にメディシナル殿に挨拶をして、ヴィオラさんを伴って彼の家を後にする。
もちろん、向かうのは患者の待つ彼女の家だ。