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プロローグ

この季節、入道雲をみるとモフモフしてみたくなる。

 卒業、それは人生における分岐点の一つだと思う。昨日までとは違う、新しい生活へ向けての一つの締めくくり、明日へ向かって羽ばたく為の重要な舞台。


ただ、時として人は予想だにしない状況に追い込まれる。それも一つの人生だ。


「リオック・アルジェント、貴方は私の従者として相応しくありません。本日をもって、貴方を解雇します」


 突然解雇を言い渡してきたのは、今この場で最も権力を持つ、この公爵領の唯一の跡取りであるフランシア・ディ・フェロ公爵令嬢様だ。


 卒業式の記念パーティーで唐突に告げられた解雇宣告。辺りには状況に付いて行けないパーティーの参加者達。最も、俺も突然の状況に思考が付いて行かない。


 そんな時、彼女の後ろに控えていた男が一歩前に進み出た。俺も良く知っている幼馴染で、俺と同じフランシア様に仕える従者の一人、メルクリオ・アークアだ。


「今更説明の必要も無いでしょうが、敢えて、敢えて教えて差し上げます。貴方は誰もが使える魔術を全く使えません。それなのに使えるようになろうと努力もしない。これは公爵家に仕える者として相応しくありません」


 確かに俺は子供でも使える簡単な魔術一つ使う事が出来ない。フランシア様に仕える他の従者達は幼少期から厳しい訓練を受けて、魔術師としても卓越した実力を有している。まるで魔術の使えない、俺と比べるまでも無いくらいにだ。


「更に、貴方は卓越した技術を何一つ習得していません。フランシア様はこれから公爵領を動かしていく重要な方だ。その手足となって働く従者は、他者より努力し優れている事を求められる。そういった観点からも貴方は従者として相応しくない」


 メルクリオのやつは、遠回しに無能と罵る。流石に卓越した技術が無いはひどいと思う。俺にも長所の一つや二つはあるはずだ。


 その後も、俺が如何に従者として相応しく無いと、延々と説明するメルクリオ。普段無表情な人間のくせに心なしか楽しそうな顔をしているのが無性に腹が立つ。


そもそも、俺は自分が出来る精一杯の努力をして、この10年間フランシア様にお仕えして来た。確かに他の従者は非常に優秀で、それと比べたら今一つ力不足かもしれないが、最大限の敬意と忠義を持ってお仕えしてきたことには変わりない。少なくともこの様な場所でする話では無い筈だ。


 そんな、誠心誠意仕えてきた俺に対しての無情な対応に心がかき乱されていた時、俺は腹に強い衝撃を覚えた。








「ん……んん?」


 強い衝撃と共に意識が覚醒する。どうやら俺は何時の間にか眠りに落ちて夢を見ていたらしい。それにしても懐かしい夢だった。


 先程見た夢は、昔実際に起こった現実だ。今から二年と少し前、俺は中等学部卒業の日に従者としての仕事を失った。最も、失ったのは仕事だけではない。従者解雇の宣言を受けて意気消沈して家に戻ったら、父親に呼び出されて絶縁宣言。更に重い拳のオマケつきだ。


 俺はその日に家を追い出されて、一日の内に仕事も家族、そして友も失った。家を出るときに持ち出せたのは少しの荷物と、宿無しの生活には心もとない金銭が少し。はっきり言って目の前が真っ暗になった。ただ、悲観して時間無駄にする訳にもいかず、そこから俺は人より少し深い知識がある薬を扱う薬師として生計を立てることにした。ただ、地域に定住した薬師は既に各地域に根を張っていて、新規参入が容易にできる状況ではない。だから俺が選んだのは“旅の薬師”だ。


 簡単に旅の薬師と言ってしまえばそれまでだが。実情は、旅をしながら薬師として活動するのは過酷である。まず、このご時世整備されている街道であっても危険を伴う。盗賊や魔物、場所によっては環境其の物が人間の命を簡単に奪ってしまう。幸い俺は、昔から戦闘の訓練をしていてそれなりに腕に覚えがある。他の従者のように魔術での戦闘は不可能だが、近接格闘戦に関しては従者の中では一番だった。魔術こそ使えなかったが、メルクリオが言うほど何も出来ないわけではない。


 俺は数日を費やして旅の準備と、薬師として活動する為の道具を揃え、当てのない旅へと出ることに成った。


 実際、最初は全然うまく事が運ばなかった。近辺の薬師は俺が持つ技術と似たり寄ったりだった事が原因だ。旅の薬師の活動として、各地の薬を取り扱う技術を伝える事が役目の一つだ。そして、その対価にまた新しい薬の知識や、金銭を受け取り生活する。


実際の所、旅の薬師が患者を治療することは滅多にない。よほど小さな村でもない限り、定住している薬師は存在する。病気に掛かった人も、よく知りもしない旅の薬師よりも、普段からお世話になっている、定住している薬師に掛かる方が安心だろう。


 その為、俺の様な旅の薬師は、余程高い技術を持っているか、名前が売れていないと患者を取ることは無い。どの世界でも実績を積むのはとても重要だ。


 その為、近場での活動が現実的では無いので、俺は思い切って大陸の反対側まで足を延ばし、自分の手札が最も有効な場所で旅の薬師としての仕事をすることにした。


結果だけを言えば、この選択は正解だったと言える。全てが順調とは言えなかったが、遠く離れた地であった為、俺の持っている薬の知識は大いに役に立った。それに、俺が知らない知識も溢れていて、旅の薬師として自分の技術を大いに向上させることに成功したのだ。


「しかし、こんな懐かしい夢を見るとは……久しぶりにこの国に帰ってきたからか?」


 それこそ、夢で見た時から比べて、今の俺はそれなりに充実した生活を送っている。最初の選択で遠くの国を選び、大きく技術を向上させた俺は、それからも各地で技術の蓄積と、多くの薬の知識を広めることに成功した。


結果、俺は旅の薬師としては十分な金銭と信頼を手に入れる事が出来た。今では遠方から依頼を受けることが有るほどに俺はその道の有名人だ。


 実際、今俺がこの場に居るのは依頼を受けたからだ。この二年、一度たりとも俺は故郷に戻ってはいない。もともと戻るつもりも無かったのだが、今回は緊急の依頼だった為か、報酬も良く。今後の活動にも有用だった為、今回の依頼を受けたのだ。


「取り敢えず、コーヒーでも飲むか」


 俺は寝起きの頭を覚ます為に、カフェインを取る事にした。腹の上に乗っかている物を横にどかして起き上がる。炎の勢いが無くなり、消えかかっている焚火に燃料を追加して、水の入ったヤカンを火に掛ける。目の前でゆっくりと揺れる火が大きくなるのを眺めながら、暫しの間湯が沸くのをじっと待つ。頃合いを見て、マグとコーヒー豆を用意して湯を注ぐと、辺りにコーヒーの香りが充満する。この匂いだけでも少し頭が覚めるのを感じる。


 淹れ経てのコーヒーに息を吹きかけ、冷ましながらゆっくりと口に含む。口を火傷しないように啜るように飲む時が、一番香り立つ時だと俺は思っている。


 喉をゆっくりと熱いものが通り過ぎていく。思わず小さくため息がでる。胃に熱いものが入ると、全身から汗が噴き出てくる。やはりこの暑い季節に、熱々のコーヒーを飲むと汗が止まらない。冷やした氷を入れてアイスコーヒーを飲みたいものだ。


 俺は淹れ立てコーヒーを飲みながら今回の依頼にいついて少し考える。今回の依頼は普段受けているものと大差ないのだが、一つだけ大きく違っていた。


 普段受けている依頼は、原因を突き止めてそれに合わせた対処をすればいい。しかし、今回の依頼はそれに加えて原因を根元から根絶する事を要求された。一応、依頼を受けるにあたって、相手の状態を聞いてはいるが、実際には自分の目で確認しないことには対処の方法も思いつかない。


 俺はこれまで自分の仕事をこなす事で、一つ学んだことが有る。それはどんな仕事をするにも保険を掛けておくことが重要だ。今までの仕事にも、保険を掛けておくことによって救えた命は多い。実際その中には俺自身の命も含まれている。


だから今回も事前に一つ保険を準備しておいた。もっとも、今回準備した薬は特別製だ。よっぽどのことが無い限り保険を必要とすることは無いだろう。


 俺は最後の一口を飲み干すと、マグを綺麗にして小さな鍋と交換する。事前に下ごしらえを済ませていた食材を入れて、湯を注ぐ。鍋をヤカンの代わりに火に掛けて、食材に火が通るのをじっくりと待つ。程よく火が通ったら香辛料を加えて、また煮込む。そうすると先程とは違った香りが辺りに充満し始める。


 俺は固パンを取り出して、少し大きめの一口サイズにカットする。そうしているとスープは食べごろを迎えた。


 まずは、ゆっくりとスープを飲む、干し肉から出た出汁と野菜から出た旨味、香辛料の食欲を刺激する辛みが口の中に広がる。続いてカットされた固パンをスープに浸し、しっかりスープを吸ったのを確認してから口に頬張る。普通に食べたら固くて顎を痛めそうな固パンも、辛みを利かせたスープを吸い込んだ固パンは柔らかくふやけて旨味が口の中を支配した。


 食事を楽しんでいると、太股に小さな刺激を感じた。そこには俺の腹に一撃を食らわせた物体が、催促するように動く。俺がよく浸した固パンをその物体の前に差し出すと、それは喜んで食べ始めた。


 俺はそれを眺めつつも、自分の食事を済ませる。今回の香辛料の配合は上手くいった。香辛料の配合も、薬の知識を高めるのに一役買う。


 そうこうしていると、“それ”も食べ終わったようだ。よほど気に入ったのかご機嫌な気持ちが伝わってくる。


「どうだ?美味かったか?この後の警戒も頼むな」


 俺は“それ”をひと撫でして、鍋を水で濯いで軽く綺麗にして焚火に振りかける。焚火の火を消したら荷物を仕舞い、明日に備えて寝る準備をする。


 辺りは夏夜の帳に包まれ、虫の声が辺りに木霊する。俺は体を横たえ星空を眺めながめる。夢を見たせいか、カフェインを摂取したせいか、すぐに寝られそうにない。俺は懐から桂皮を取り出し、その香りを嗅ぐ。優しい桂皮の香りが心を落ち着かせてくれる。


 依頼の前日はいつも落ち着かない。何事にもイレギュラーは付き物だ。状況の判断を間違えれば積み上げてきたものが、一瞬で崩れ去る可能性すらあるのだ。こればかりはどれ程自分を鍛えても変わらない。


俺は大きく息を吸い込み、胸を満たした後、ゆっくりと吐き出す。


少し心が落ち着いたところで、空に瞬く星を眺めながら眠気が来るのをのんびりと待つ。夏の虫が織りなす涼やかなメロディーを子守歌に、何時の間にか俺の意識は眠りの世界に沈んで行った……。



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