「ねぇ、セティ」
【5歳】
「ねぇ、セティ」
「…それは私の呼び名でしょうか?」
「ええそうよ。あなたのなまえ、長くておぼえられないわ。セレ、セレ…ティ?」
「セレスティノ=ルーベンバイトです」
「そうそう、セレッティノ」
「セレスティノです」
「セレスチノ?」
「セレスティノです」
「…………」
「…………」
「……とにかく、あなたはセティよ! いまからあなたはセティなの!」
「…かしこまりました、お嬢様」
「アンリエッタ」
「……はい?」
「わたし、アンリエッタっていうのよ。知ってた?」
「…存じ上げております」
「じゃあ何でアンリエッタってよばないの?」
「私はお嬢様の執事ですので。私のようなものが高貴な貴女のお名前を口にするのは憚られます」
「はば…なに? あなたむずかしいことば使うのね」
「つまりお嬢様のお名前を呼ぶのは恐れ多いということです。お嬢様のお名前は、いつか貴女がお慕いになられた殿方がお呼びになるものです」
「ふーん。よくわからないけど、まあいいわ。それよりおやつよ! おやつおやつ!」
(色気より食い気…)
【8歳】
「ねぇ、セティ」
「はい、お嬢様」
「…昨日のこと、父様には黙っててほしいの」
「昨日のこととは?」
「…だから、あのことよ。分かるでしょう⁉︎」
「さあ、あのこととは、どのことでしょうか。昨日お嬢様が帰り道に犬に吠えられて大泣きしたことでしょうか、それとも、苦手なグリンピースをこっそり旦那様のお皿に移したことでしょうか」
「ち、違うわよ! というか、それも黙ってて!」
「では、調理場から鶏の卵をこっそり持ち出して自分のベッドで温め、潰れた生卵でシーツを汚した挙句ひよこが死んだと大騒ぎしたことですか?」
「それは一昨日! 騒いだときに顔引っ掻いたのまだ怒ってるの⁉︎」
「いえいえ、そんなことはありません。ただ、それら以外に思いつく“あのこと”がございませんので」
「…だから、あれよ、その…昨日の夜、怖い本読んじゃったから、セティに…」
「私に?」
「寝る前のトイレ付いてきてもらったこと…」
「ああ、あれですか。ありましたねぇ、そんなこと」
「とにかく、父様にはそのこと黙っててよね! 絶対馬鹿にされるんだから!」
「かしこまりました。もっとも、この部屋の会話はすぐ隣の部屋にいらっしゃる旦那様には丸聞こえなのですが」
「え゛」
「お嬢様、秘密のお話をされるなら入ってくるときに扉は閉めた方がいいですよ」
「もっと早く言いなさいよ!!」
【11歳】
「…ねぇ、ゼディ」
「…はい、お嬢様」
「わだじ、ごわぐなんがっ、ヒック、無がったんだがらっ」
「…はい、存じ上げております」
「ゆゔがいなんかっ、ズッ、ぜんぜん怖っ、ごわくなかったんだからっ、ヒック」
「ええ。…涙をお拭きください」
「ゼディがっ、ゼディが絶対来でくれるって、わがっ、分かってたから、ぜんぜん怖ぐなんかっ、なかった!」
「…はい」
「だからっ、だがら! ゼディもっ、ぞんな、辛そうな顔しないでっ…、悔しい顔しないでっ、」
「…ご心配をおかけして申し訳ありません」
「これは、心配じゃなぐでっ…ヒック、アドバイスよっ」
「…有難いお言葉、感謝致します。今後、二度と貴女に危険が及ぶことがないようお守り致します。この命に代えても」
「ばかっ、死んだら、私のこと守れないでしょ! 私より先に死んだら承知しないわ!」
「…五つ歳上の私がお嬢様より先に死ぬのは寿命的な点で避けられないと思いますが」
「そういうことじゃないわよ! バカ!」
【14歳】
「ねぇ、セティ」
「はい、お嬢様」
「どうしてドレスってこんなに窮屈なのかしら。せっかくのパーティのご馳走も全然食べられないわ」
「…お嬢様、パーティはお腹を満たす場所ではありませんよ」
「分かっているわ。結婚相手探しでしょう? 将来の伴侶を見つけてこいなんて父様は言うけれど、そんなの見つかりっこないわ。こんな退屈なことがこれからも延々と続くだなんて、心身ともに耐えられない。パーティもご馳走以外はいいことなんてないし、このドレスもいつか私のお腹を絞め殺すわよ!」
「退屈で亡くなった方もドレスで亡くなった方も聞いたことはありませんのでご安心ください」
「貴方はコルセットの苦しみを知らないからそんな他人事みたいに言えるのよ。もうすごいんだから!」
「…確かに後ろのリボンの編み上げはすごいですね。コルセットをつけた途端に気絶する女性もいるといいます。つけるのにも外すのにも人の手が必要なのは非常に不便です」
「そうなのよ! なによ、よく分かってるじゃない…………んん?」
「どうかされましたか?」
「…貴方、ヤケにコルセットのことに詳しいわね。殿方はそういうのに疎いと聞くし、逆に怪しいわ」
「怪しいだなんて、ひどいことを仰いますね」
「ねぇ、一体どこで知ったの?」
「……」
「セティ?」
「…ああ、そういえば旦那様に呼ばれていたのをすっかり忘れていました。それでは失礼いたします」
「あっ! ちょっと! まだ質問に答えてないわよセティ! セティ!!」
【16歳】
「…ねぇ、セティ」
「はい、お嬢様」
「私の婚約が決まったそうよ」
「…そうですか。おめでとうございます、お嬢様」
「……ええ、ありがとう」
「旦那様が選ばれたお相手です。きっと素敵な方でしょう」
「っセティ!!」
「…何でしょうか」
「セティ、もう何も言わないで」
「お嬢様、」
「…………お願いよ」
「…かしこまりました」
【17歳】
「ねぇ、セティ!!」
「はい、お嬢様。それともう少し声を抑えた方がよろしいかと」
「これが抑えてなんていれるものですか! やった、やったわ! ついにやったのよ! 婚約解消が成立したの!」
「…お嬢様、婚約解消をそのようにお喜びになるのは、少々、いやだいぶはしたないと思われますが」
「なんとでもおっしゃい! この一年間、懇々とリチャードに他の女性を勧めた甲斐があったわ!」
「おかしなことをしているとは思っていましたが…、まさか本当にエンリック伯とアーシュラ様の仲を取り持つとは」
「リチャードにはアーシュラみたいな女の子がピッタリだって、初めて会った時から思ってたのよ! それにアーシュラもね、前に彼女が話していた理想の男性像とリチャードの人柄がまったく同じだったのよ。二人の仲を取り持たない方がおかしいわ! 神様の声が聞こえたのよ、二人のキューピッドになりなさいってね!」
「まったく、貴方という人は…」
「ふふふ! これで私は自由の身よ! どう? セティ、また私と一緒にいられるのを光栄に思いなさい!」
「…ありがとうございます。身に余る光栄でございます」
「ちょっと! どうして棒読みなのよ!!」
【18歳】
「ねぇ、セティ」
「はい、お嬢様」
「最近よく結婚式に呼ばれるわ」
「おめでたいことが沢山あり、何よりだと思いますが」
「ええ、そうね。だけど、最近よくパーティにも呼ばれるわ」
「お嬢様とお知り合いになりたい方が多いということでしょう。嬉しいことではないですか」
「ええ、そうね。だけど、最近よく殿方を紹介されるわ」
「素敵な出会いを得る絶好の機会ではないですか」
「ええ、そうね…とでも答えると思う⁉︎ どうせまた父様が仕組んでいるのでしょう⁉︎ さりげなくを装ってるつもりでしょうけど、バレバレよ!」
「では、旦那様にそうお伝えしておきます」
「そうしておいて!」
「かしこまりました」
「…………」
「お嬢様?」
「ねぇ、セティ」
「はい」
「二年前、リチャードと婚約が決まった時に私、後悔したの。もっとちゃんと自分の意思を伝えておけば良かったって。父様と……貴方にも」
「…………」
「素直になれなくて、気がついたらとんとん拍子で婚約が決まっていて、すごく後悔したわ。……だから、今度結婚を薦められたら絶対言おうと決めてたことがあるわ。ねぇ、セティ」
「はい」
「父様に伝えておいて、私の結婚相手はセティがいいわ」
「…………」
「…貴方が好きよ、セティ。心から」
「…………」
「……セティ」
「……返事をすることは……できません、まだ」
「………まだ、ね。分かったわ」
【19歳】
「……ねぇ、セティ」
「はい、お嬢様」
「私の結婚が決まったわ」
「………存じ上げております」
「っ! 知ってたの⁉︎」
「ええ、貴女も既にお分かりでしょうが、」
「分かってなんかないわ!!」
「…お嬢様?」
「…分かってなんかない! セティは最低よ! 結局私の一年前の告白なんか返事もせずに無かったことにして、私のことなんてどうでもいいなんて顔して! 今朝父様から結婚のことを聞いた時の私の気持ちがわかる⁉︎」
「お嬢様、落ち着いて下さい」
「ずっと、ずっと信じて返事を待ってた一世一代の告白を、こんな形で断られた惨めな女の気持ちが貴方みたいな最低な人には一生分からないでしょうね!」
「お嬢様!!」
「イヤ! イヤよ! セティなんか大嫌い!」
「アンリエッタ!!」
「っ!」
「貴女という人は…。貴女のことですから、旦那様から話を全て聞く前に飛び出してきたのでしょうね」
「…ええ、そうよ。望まない結婚の話なんて、誰が大人しく聞いてやるものですか」
「では、望んだ結婚の話は聞くのですね?」
「ええ、もちろんよ。………え?」
「昨日やっと旦那様にお許しを頂きました。まったく、全て準備を整えてから伝えるつもりでしたのに……、まあ貴女がこのように勘違いなさる事も予想した上での、旦那様の意趣返しなんでしょうが」
「…え? え? セティ、状況がよく理解できないわ」
「一年もお待たせして申し訳ございません。今から言う事を聞けば、嫌でもお分かりになりますよ」
「セティ、それって、」
「アンリエッタ」
「っ、」
「アンリエッタ=フォンバリッド。貴女に私、セレスティノ=ルーベンバイトのこれからの人生全てを捧げると誓います。結婚してください、愛しています」
「…………そんなの、」
「アンリエッタ?」
「そんなの、はいって言うに決まってるじゃない! バカ!!」
「それは良かったです」
「いいこと、セレスティノ=ルーベンバイト! 私も貴方にこの人生すべてを捧げるわ、貴方の何倍も、何十倍もね!」
「…こういうものは量より質だと思いますが」
「うるさいわね! 私の人生なんだから質もいいに決まってるでしょ!」
「それに、」
「何よ! まだあるの?」
「愛しているという言葉を返してもらっていません」
「はぁ⁉︎ そ、それは…そのっ…」
「アンリエッタ?」
「わ、私も愛してるわ…セティ」
「声が小さいですね、もう一度お願いします」
「このバカ!!」
【20歳】
「ねぇ、セティ」
「はい、アンリエッタ」
「私、幸せよ」
「それは何よりです。補足事項をお伝えしますと、私も幸せです」
「…もう少し簡潔に言いなさいよ」
「さあ、こういう性分ですので」
「素直じゃないわね」
「いえいえ、貴女には敵いません」
「どういうことよ!」