カレー屋
大学の講義が終わった後、親友の陽介に声をかけ、適当に街をぶらぶらと歩いている。
特に目的もなくただぼーっと散歩出来るのは暇な大学生の特権である。
そうしているとくぅとお腹の鳴る小さな音が聞こえた。
「腹減ってきた」
音に少し遅れて、幸平の右側からそんな声があがる。隣にはだるそうに目を細めお腹を押さえる陽介がいた。そんな陽平を横目に見て、幸平はふとクラスの友人から聞いた話を思い出す。
「そういえば、あっちの飲食店街に新しいカレー屋出来たらしいよ」
幸平は大学の裏にある飲食店が集まる市街を指差しながらそう告げた。
「えっ奢ってくれるの」
陽介が脈絡なくそんなことを言い出し、勢いよくこちらを向く。まるでおやつを待つ犬のような期待の目で幸平を見つめる陽介。
「なんでだよ。奢るわけないだろ?」と言って幸平はしっしっと払うように腕を振った。
あっさりとした対応に陽介は口を尖らせ、「ちぇっ」と舌を鳴らす。
そんな勝手な陽介に呆れながらも一応尋ねた。
「で、行くの?」
「行くか」
「じゃあレッツゴー」
「おー」
仲良く手を挙げた二人は、だらだらとカレー屋に向かうことにしたのだった。
大学から歩くこと15分。飲食店の並ぶ下町の端に出来た新しいカレー屋は、何故か定食屋のような店構えをしていた。黄色い装飾もなければインド風でもない。白い壁の店先に赤い暖簾がかかっている。
店頭に並んでいる模型のメニューにはカレーが並んでいるので、カレー屋には違いないと思うが、どうにもカレー屋には見えなかった。
そして、この店にはなぜか人が寄り付いていない。開店直後はどのような店であれ、ある程度の賑わいがあるというが、この店では一人も並んでいなかった。
「これ大丈夫か?店内にも人いないぞ?」
陽介が少し背を伸ばし、取り付けられた窓から行儀悪く店内覗いている。
「今日は定休日とか」
幸平は不安げな顔をして返答をした。それに対し陽介は店先に出ている看板を指しながら指摘する。
「いや定休日は書いてあるじゃん。今日じゃない」
「臨時定休日かも」と、引き下がる幸平。
幸平は自分がカレー屋に行く提案をしたものの、既にあまり入る気がしなくなっていた。定食屋のような妙な店構えをしている上に、店内にも外にも全く人がいない。新しい店ということで、まだ少し、小指先ほどの興味はあるが、別に食べる店はここだけではない。妙なお店よりもいつものチェーン店にでも行きたかった。
幸平は元々びびりである。お店に入るときあまり冒険はしない。もちろん飽きれば、新しい店にも入るが、人が並ぶような、あるいは口コミで非常に人気のあるような『安全』な店しかいかないのだ。
まだ窓を覗いていた陽介は語気の弱い幸平に気付くと、一度窓から目を離す。そして幸平の方を見て、にやりと笑うと、そのまま入り口の引き戸を開け、「すみませーん二名で!」と叫んだ。
止めようと口を開いた時にはもう遅く、幸平は観念したように一度大きく息を吐き陽介の後を追った。
店内は意外にもかなり綺麗だった。借り受けただけでなく、改装もきちんと行ったらしい。
そこに冴えない男子大学生が2人。どこか真白いキャンバスを汚すようで、少し気後れをしてしまう。
「おう、適当に座れや」
ふと店の奥からそんな渋い声が聞こえた。
声の主は姿を見せない。店主だろうか。おそらく厨房からの声掛けだが、案内がとても雑である。接客がなってない。やはりだめなお店なのかと考えながら、せめてましな料理を選ぼうとする幸平はメニュー表に目を落とした。
そうして眺めるメニュー表には、カレー屋なのだから当然かもしれないが、カレーしかなかった。『ほうれん草カレー』やら『ヒレカツカレー』などの並ぶメニュー表を眺め、幸平は頭を抱える。完全に忘れていた。
陽介はそんな幸平を少し呆れてながら見ている。たかが1夕食にそこまで真面目に考える必要なんてないのだ。だめならだめで笑い話にもなる。死ぬことはないだろうに。
生来の楽天家である陽介はメニューを乱雑に開き、ページの一番上にあったおすすめカレーに決める。そうして即座に店員を呼んだ。
「お、おい。僕はまだ決めてないんだが!」と叫ぶ幸平。
店員のものだろうぱたぱたとした足音が聞こえる。近づく足音に焦りだす幸平を見て、陽介はいたずらが成功したように笑ったのだった。
「お待たせしました!」
先ほどとは違う若い張りのある声が店内に響く。
「ご注文は?」
厨房から出てきた女の子は、野暮ったいエプロンをかけて髪を後ろで1つに束ねていた。まるで定食屋である。
だがその子は容姿が非常に整っていた。年は幸平たちと同じだろうか、まだ若い。跳ねるような笑顔。表情を彩る形のいい眉に薄い桜色の唇。きらきらと輝く大きな目が笑顔の魅力を最大に引き出していた。
突然出てきた美女に、耐性のあまりない幸平は固まってしまう。それを横目に陽介が注文を言った。
「おすすめカレーを一つ」
「はーい!おすすめカレーひとつですね!」
軽やか声が響く。その声で正気に戻ったかのように、幸平も注文をする。
「じ、じゃあ僕もそれで」
「では、おすすめカレー二つですね!」
向けられた笑顔に、跳ねる鼓動を抑えながら、幸平は頷いた。
「空いてていいな。幸平もこれなら聞こえやすいだろ?」
陽介があたりを眺めながらのんびりと聞いてくる。
「まぁね」
幸平はそう言って少し苦笑した。
幸平は左耳が聞こえない。だから音の聞き分けがうまく出来ず、賑やかな場所での会話がうまく聞き取れなかった。ここのような比較的静かな場所ならば、神経も使わず気楽に話せる。
「今度からここで食べるか」
そういった気遣いとは別に、陽介は落ち着いた店の雰囲気が結構気に入っているようだった。落ち着いた雰囲気どころか誰もいないのだが。
「まぁカレーの味次第かな」と幸平が返す。幸平の視線は厨房の方へ向いている。
それを見て陽介は肩をすくめながら「そうだな」と相槌を打つと、料理を待った。
カレーは美味しかった。確かに美味しかった。でも何故かルーもご飯も色が真っ黒だった。おそらく無愛想な接客とこのカレーの怪しげな見た目が何処からか広まったのだろう。それがこの店に人がいない理由なのだと思われた。
「カレー?カレーか?イカ墨カレーか……?いや味が違うな。美味しいけどなんだこれ」
あまり動じない陽介も始めは警戒していた。しかし一度食べると、途端にスプーンが止まらなくなる。もう何度も口と皿を移動していた。
「なんかびっくりするほど美味かったな」
「ね。なんだろうね」
幸平と陽介は満腹になった腹を撫でながら話していた。
「やっぱりあの美女が隠し味なんじゃないか?」
陽介がおどけたように言う。
「やめろって。失礼だろ」
笑う陽介に幸平は小声で叱る。
あれから彼女は出てこない。料理を持ってきたのはごつい料理人さんだった。おそらく店主さんだろう。
幸平はもう1度会いたいと思っていた。花のように笑う彼女にどこか惹かれていた。
食べ終わり適当に話をして休むと、しばらくして店を出た。一度お冷を頼んだのだが、彼女はやはり出てこなかった。
少し残念に思っていた幸平は、また来ようとこっそり考える。
「幸平、また来ようって顔をしてるぞ」
あっさり陽介にバレた。
「か、カレーが美味しかったからね」と、咄嗟に言いつくろう。
「まぁ何でもいいけどなー。静かだし美味しいし」
陽介はそう言ってにやにやと笑っていた。
その後、幸平と陽介は店の常連となった。昼休みにもあまり人がいないその店は、非常に落ち着くのだ。
そんな足繫く通う二人の様子を見たからだろう。最初は全く人がいなかったこの店にも、段々と人が入るようになっていた。
しばらく通ううちに気付いたのだが、この店に人が来なかった理由は接客やカレーの見た目だけではなかった。この店は、たまにあの不気味な見た目とぴったりあった不気味な味のするカレーが出てくるのだ。甘くもあり辛くもあり、若干のえぐみと固い触感の何かの入るカレー。おそらく最初の客はこれを食べたのだろう。見た目が全く同じなのだから質が悪かった。
幸助と陽介も何度目かの来店にそれを食べた。食べた瞬間に2人とも青い顔になったが、どちらとも「まずい」と口に出したら本当にまずくなってしまうような気がして、言い出さないまま食べきった。
まるでチキンレースだったが、勝者はなく、店を出た後二人はトイレに駆け込んだ。
人が入らないのも当然だった。
「なんか妙に人が増えたね」
「確かに。でもまぁ繁盛するならそれに越したことはないだろ」
秘密基地が見つかってしまったように顔を歪める幸平に、陽介はそう返答する。
実際最初のころのような人の入りでは店が潰れてしまっていただろう。いくら二人が足繁く通おうとその売り上げはたかが知れているのだ。盛況とは言わないが、今のように安定した客足ならば早々に潰れる心配はないように思えた。
「そうかもね」
陽介の言葉を聞いても相変わらず、ぶすっとした表情を崩さない幸平。その視線の先には厨房をちらちらと見る男どもの姿がある。
そう、この店の客には男が多かった。彼らはたまに給仕に来るあの女の子が目当てなのだ。それが分かっている幸平は少し不満に思っていた。
不満そうな幸平の姿を見て陽介を見て肩をすくめた。




