得鳥羽月〈四月〉
家に居られなくて居てられなくて街へ出た。目的もなくウィンドウショッピングをしていたら、ひぃに貰ったものにそっくりな卵を見つけた。
復活祭は過ぎたのに売れ残ったらしきたくさんのイースターエッグたち。
季節屋本舗得鳥羽月支店、長ったらしい名前の店に入ったのはイースターエッグに惹かれたからだ。イースターエッグに惹かれたのはひぃが卵をくれたからだ。ひぃがくれた卵の一件を店の人に話すことになったのは、まぎれもなく私がひぃにフラれたばかりだからだ。
フラれたのか何なのか、未だによく分かってはいないんだけれども、とにかく私はひぃと別れて、ひとりになったばかりだった。
店にいた店員さんはひとりで、暇だったのかよっぽどあぶなかったのか、入るなり籐かごにならぶイースターエッグの前から動かなくなってしまった客、つまり私にお茶をすすめてくれた。
温かいカップを手にしたら鼻奥がつんとして、視界がゆがんだかと思ったら涙腺がぶっこわれてそのままわんわん泣いていた。本当にわんわんと声をあげて、だ。ようやくしゃくりあげられるようになったときは喉はがらがらだったし顔なんて鏡を見なくてもわかる大変よろしくない状態で、店員さんが差し出してくれた箱ティッシュとタオルを持ってお手洗いを借りた。
ああ、お化粧が落ちちゃった、とティッシュで顔をぬぐいながら思ったけどよく考えみたらお化粧なんてしてきてはいなかった。服だって部屋着に春コートを引っ掛けただけだし、外出するときはおろす髪もうしろでくくったままで、どれだけ私は混乱していたんだかと思った。
しかもその混乱と困惑は現在進行形なのである。この状況でどうやって店に戻ってなぜ突然泣き出したかを説明すればいいのだろう。優しげな店員さんは理由を問わないかもしれないけれどどうしよう。
私は一緒に持ってきていたさっき貰ったカップのお茶をごくりと飲んだ。ぬるいほうじ茶がおいしい。そのまま一気に飲み干し、鏡の中のすっぴんの私を睨むと赤い目の私が睨み返してきた。ぐちゃぐちゃでぼろぼろ、お化粧もしてないからと水で顔を洗ってタオルで拭いて、バッグの中を確認したけれども化粧ポーチは入ってなかったのでせめて髪をほどいて手櫛でとかし、コートの前を全部留めたらなんとか見られる姿になった。
深呼吸を何回かしてから、空のカップとタオルを持ってお店に戻った。箱ティッシュ使い切っちゃいましたごめんなさい、と頭を下げると店員さんは座るようにすすめてくれた。一度ぷっつり切れた現実感はまだ戻ってこなく、なるようになってしまえ、となげやりな意識とどうにかこうにか取り繕えないか、という往生際の悪い自分が闘っているけれども、すすめられるままに座った。
肉厚の湯のみにほうじ茶を淹れてもらう。熱々を含むとまた涙腺が弛んできそうで、さっきバッグを漁ったときに見つけた自分のハンカチを出してぎゅっと握りしめた。もう一口飲むとすとん、と落ち着いたのがわかった。
ハンカチで目元をぬぐって、正面に座った店員さんにもう一度謝る。店員さんはいいんですよ、と笑ってくれた。
手を出して、と言われ広げた手のひらに銀紙でくるまれた丸いものを置かれた。においでわかる、小さな卵形のチョコレートだ。甘いものは気分を落ち着けますよ、というので頂くことにする。ミルクをたっぷり使った甘い甘いチョコレートだった。
鼻に抜けるカカオが魔法のように口を開かせていた。迷惑ついでに話を聞いてもらえませんか、伺うと店員さんは暇ですからいいですよ、と言ってくれた。
さっき見てたの、イースターエッグです。私、彼にイースターエッグを貰ったんです。1ヶ月くらい前かな、ウサにあげるよって、誕生日でも記念日でもないのに突然。ああ、名字から私のことを同級生はウサって呼んでました。ひぃも元同級生で、と話し始めた私に店員さんは黙って頷いた。
ひぃとは長い付き合いになるんで、漠然と結婚するのかもとは思ってたんです。何回かケンカして、別れる別れないとか実際別れたりもしましたけど、結局仲直りして、私もひぃもいい年齢で具体的なはなしはなかったけどそうなるんじゃないのかなあ、と。ネックだったのは私に子どもが出来ないかもっていうことで、ひぃはそのことについて何も言いませんでした。
私、子どもが出来ないんです。高校の頃子宮に腫瘍が見つかって、可能性がないわけじゃないとお医者さんは言ってましたけど、でも可能性はずいぶんと低いんだろうと思います。ひぃは、彼は高校の元同級生で、私は入院で一年遅れたので卒業は先輩になるんですけど、腫瘍が見つかる前から付き合ってたので子どもが出来ないことも知ってました。
復活祭の前の日でした。復活祭なんていつも知らないんですけどイースターエッグを貰ったばかりですし、ちょっと気にしてました。何か意味があるのかな、みたいな期待もあって、だからひぃが話があるって、会おうって連絡してくれたときも新しい服買って、お化粧も念入りにして行ったんです。
ひぃは、彼は結婚することにした、って言いました。私は最初嬉しくてびっくりして、でもあれ、って疑問に感じました。結婚する、ってプロポーズかと思ったんだけれどもニュアンスも、何よりひぃの表情がプロポーズって感じじゃなかったんです。
子どもが出来たんだ、ってひぃは言いました。私は動揺してテーブルのコップを倒してしまったけど、ウェイターさんたちは私たちの空気を読んだのか誰も近づいてきませんでした。
思い出に一晩付き合って欲しい、と彼女は頼んだそうです。ひぃが何を考えいたのかわからないし、知っても理解できないけれども、とにかくふたりはそういう関係になって、彼女に子どもが出来た、そういうことです。
いろいろ考えたんだけど、とひぃはつぶやきました。いろいろ、は具体的に言われなかったけど、言われなくてもわかります。ひぃひとりで、彼女とふたりで、もしかしたらふたりの家族とも話し合ったんだと思います。考えた結果で、結婚する、ときっぱりとひぃは私に言いました。
私と、ではなく、彼女と。
それからのことはよく覚えてないんですけど、目の前にはひぃがいなくなっていて年配のウェイターさんが倒れたコップを直して、タオルを差し出してくれていました。今日のあなたみたいに。その時ようやくスカートが濡れていることに気がついて、私は慌てて店を出ました。
そのまま家に帰ってテレビをつけて音量をあげてわけもわからず泣きました。いつの間にか日付が変わって日曜のニュースをやっていて、復活祭の話題をやってました。テレビの脇にはひぃがくれたイースターエッグがあって、それでも毎日が過ぎていって。
今日も、それが目に入ったら家にも居れなくなって、こんな状態で街に出たんです。
そうしたらこのお店にイースターエッグがありました。びっくりした、ひぃがくれたイースターエッグにそっくりだったから。
話していると遠巻きながら現実感が戻ってくるようだった。初めて入ったお店で泣き出して迷惑かけて話まで聞いてもらっていること、あの夜お店でタオルまで貸してくれたウェイターさんにお礼も言っていないこと、そもそも、お会計はひぃがしていってくれたのだろうか。一方的にひぃに別れを告げられるだけで私は何も言い返せていない。
…ああ、やっぱり私はひぃにフラれたのだ。
フラれて置いてかれたんだ。
すとん、と答えが胸に落ちた。そうしたらなんだか、笑えてきた。ばかみたい、ばかだわ、って思ったらまた涙がでてきて慌ててハンカチでぬぐった。もう目は真っ赤でしばらくは腫れぼったくなるだろう。
店員さんがお茶をかえてくれて、銀紙のチョコレートをもうひとつ、手のひらに乗せてくれた。小さな卵形のチョコレート、これもイースターエッグなんです、と店員さんは教えてくれた。
春分の日に産まれた卵は復活祭の朝に鳥になるんですけどね、孵らない卵もある。孵らなかった卵は次の満月の夜に人間になるんです。
そんな話は聞いたことがないけど、どこかの国の伝承だろうか。店員さんは続けた。
復活祭の朝に孵った鳥は不死だと謂われているから、欲しがる人がたくさんいます。でも彼らは鳥なので捕らわれたりはしない。問題なのは孵らなかった卵です。
次の満月の夜に彼らはヒトになりますが、羽の生えたヒトになる。
店員さんは立ち上がって、イースターエッグの入った籐かごを持ってきた。
羽の生えたヒトを欲しがる人は不死の鳥を欲しがる人と同じほどいる。だからイースターエッグに紛れさせて次の満月まで過ぎ越すんです。
そしてぽん、とイースターエッグの籐かごのとなりにウサギのぬいぐるみを置いた。
イースターバニーといいます。復活祭の朝にイースターエッグを運ぶ役目がありますが、実は孵らなかった卵を隠す役目もあります。彼らが持ち帰ってきた卵を私たちがイースターエッグに飾り付けて、過ぎ越しの隠れ家を探すことになっています。
このバニーは彼らを模したぬいぐるみですけど、と店員さんは言った。
じゃあこのイースターエッグのなかに羽の生えたヒトになる卵があるってことですか、と私は訊いた。店員さんは、さあ、売れてしまった卵もありますからねえ、と曖昧に笑う。イエスともノーともとれる笑みだった。
ひぃが何故イースターエッグをくれたのか、それはわからない。訊いてみれば教えてくれるかもしれないけれど連絡をとる勇気は、ない。
でもなんとなく。
ひぃは、彼はイースターバニーのことをどこかで聞きかじったのかも。バニーと私のウサをかけて、イースターエッグをくれただけなのかもしれませんね。
手を伸ばしぬいぐるみのおなかを触った。ぷっくり膨れたおなかは子どもがいてもおかしくはない。
ひぃには深い意味はないプレゼントで別れ話ともたまたま復活祭にかぶっただけなんだろう。…でも、だけれどもちょっとだけ、ほんのちょっぴりまだ期待があるのも確かだ。ひぃがくれたイースターエッグにはなにか意味があって、復活祭に重要な役目があった。例えばプロポーズとか。
それを考えたら、もらったチョコレートを手で転がしながら、チョコエッグってお菓子あるじゃないですか、店員さんにと訊いていた。
チョコエッグといえば大人買いですよね、私ちょっと憧れてたんです、と言うと店員さんもニヤリとして、わたしもですと同意してくれた。チョコエッグはお菓子というより玩具で、玩具というよりコレクションだ。箱買いする大人たちにちょっと呆れながらも憧れはあった。
大人買い、しちゃおうかな。
籐かごのイースターエッグは1ダース半ほど、バッグには財布はしっかり入っていたから大丈夫だ。何よりさんざん迷惑かけたお礼を兼ねてなにかしたかった。
羽の生えたヒトの伝承を信じるわけじゃないけど気にはなる。きっと売れ残りのイースターエッグを復活祭が過ぎても販売するための作り話なんだろうけど、せっかくイースターバニーが隠し持ってきたのだから次の満月までの過ぎ越しの隠れ家くらいにはなれる。同じウサとしてはそれくらい、してもいい。
お買い上げありがとうございますと店員さんは頭を下げた。籐かごをオマケでもらって、イースターバニーとともに見送られた。バニーたちによろしく、と手を振った私はお店に入る前と状況はなにひとつ変わってないのだけれど、なぜだかすっきりしていた。
家に帰ってシャワーを浴びて、お化粧をして服を着替えたらあの夜のお店に行こう。ウェイターさんにお礼を言って食べ損ねた料理を食べよう。…出来たら、の話だけれども、それが出来たらひぃに文句のひとつも言える気がする。
イースターエッグは生命の象徴ともされていますから、彼はあなたに何かを伝えたかったのかもしれませんよ。
最後にそう教えてくれた店員さんの言葉をつぶやいてみる。生命の象徴、でも彼は私の元からは去ってしまった。私と彼のところで孵らなかった卵も羽の生えたヒトになるだろうか。
涙がにじんで、籐かごを抱きしめた。孵らなかった生命をたくさんかかえて私は家に帰る。ばいばい、ひぃ。でもせめて次の満月までは彼のことを想っていようと思った。それくらいは許されるだろうから。