Ⅲ
「あら、奏くん。おはよう」
「おはよーございます」
すれ違えば声をかけてくるおば様たちはにこやかな笑顔で、そして四季を視界に入れると目をぱちくりしてその子は? ときいてくる。その都度四季が説明をして頭を下げるなんてことを繰り返して数十回。
漸く魔の井戸端会議ルートを抜けた四季が小さな声で苦行かよと呟いたのに、俺はそっと聞こえない振りをすることを選んだ。
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ぞろぞろと校門に流れ込む人の流れに逆らわず、のんびりと学校の敷地内へ。目の前にそびえ立つのは真新しい校舎だ。真っ白な壁と掲げられた校章はもはや見慣れたものである。入学の時こそ見上げて心を躍らせていたが、今となっては対して気に留めることもない。
まだまだ疎らな駐車場を横目に眺めつつ生徒玄関へ。人でごった返すそこは、様々な声で溢れている。そのまま土足で上がる学校なので靴箱がない分混雑は少ないはずだ。他の高校行ったことないから実際どうなのかは知らないけど。
「そういや、職員室の場所、分かるか?」
「昨日も来てるんで大丈夫ですよ。昨日は流石に迷いましたが」
「なら、俺は教室行くわ」
ええ、といつの間にか人畜無害な笑みを浮かべていた四季と別れて俺は階段を上がり始める。俺たち1年の教室は最上階の四階だ。上の階に行くほど賑やかなのは、体力の有り余っている同学年の連中が騒いでいるからだろう。
階段を上がりながら何人かの知り合いに挨拶をして、飾り気のない校舎を歩いていく。所々廊下で話をする女子達はきゃあきゃあと甲高い声を上げていた。そうしてたどり着いた教室はまだ人は疎らだ。いや、たどり着いた生徒の多くが廊下で駄弁ってるか、他の教室に行ってるかしてるだけなのだろうが。
「おっはよー!!」
近くにいた友人達に挨拶をして、自分の席に座ったところで、底なしに明るい声が飛び込んでくる。入り口の方に目をやれば、そこには鮮やかな金と落ち着いた黒の二人組みが目に入る。人懐っこい笑みを浮かべて教室に入ってくる金髪の男は北条 明。俺の小学校のころからの友人である。
楽しげに笑う明は、すこし幼い顔立ちをしている。少し猫目気味ではあるが、キツさを感じさせないのはそれ以上に馬鹿っぽく見えるからだろうか。きれいな金髪は、つんつんと逆立てられていて、少々やんちゃな印象だ。
因みにこの髪色は染められたもので、よく教師と言い合いになっている。本人はどこ吹く風といった様子で、全く改善の意思なんて見せなかったけど。
着ている学ランは全てボタンが開けられて、下に着ている深緑のカーディガンが見えている。Yシャツのボタンも上3つが開けられていて、赤のインナーが覗いていた。首には細いチェーンに通されたシルバーの指輪が二つ輝いている。
総合的に見ればとてもチャライ問題児だ。中身はただの馬鹿だし、人懐っこいのでクラスの中では人気者だ。頼みごとも二つ返事で受けてくれるので、実は教師からの評判も悪くはない。但し教師からの評価には必ずといっていいほどに「北条は馬鹿だが」という言葉が頭につくけれど。
呼び名はアッキー。あまり〝明"とは呼ばれたくないらしく、本人からの希望だ。まぁ数人は普通に名前で呼ぶんだけれど。
で、そんなアッキーと一緒に教室に入ってきた落ち着いている男が海原 文人。こちらもアッキーと同様に小学校からの友人の一人だ。
肩位までの髪と、少々釣り目気味な目で、大人っぽい印象を受ける。普段アッキーと行動しているから余計に。トレードマークは眼鏡、着ている学ランはピシッと校則通りに着こなしている。皆が忘れがちな名札もきちんとつけているほどだ。まさに優等生、と言った風貌だ。
まぁ実際、学年で上位三名に常に名を連ねている秀才君だけど。俺たちが漫画を読むように、さも当たり前のように参考書を読むような男である。
度々暴走するアッキーのストッパー役でもあるが、無表情で容赦のない言葉を吐くことがあるので用法容量を守って使用しなければならない。気を付けないとアッキーのまとう雰囲気がお葬式状態になるのは経験済みだ。
因みに、アッキーと文人は従兄弟で、今はわけあって一緒の家で暮らしているらしい。その辺の事情もあって、文人はアッキーを名前で呼ぶ数少ない一人だったりする。
「はよー、奏ー」
「おう、おはよ」
俺の隣、窓側の後ろから二番目の席。そこがアッキーの席だ。リュックを下ろしながら挨拶してくるアッキーに返事をしながら、鞄の中身を机に詰め込んでおく。
リュックを机の上において、そのまま後ろを向いて座ったアッキーはいつもの調子で人懐っこい笑みを浮かべ、そして、不思議そうに目を瞬かせる。
「あれ? 机増えてんな? 何で?」
キョトンとした様子で首をかしげるアッキーに、その席の後ろで教科書を取り出していた文人か心底呆れたような顔をする。
「転校生が来るって、先生が言ってた。……聞いてなかったの?」
ジトとアッキーを見つめるその目は本気で信じられないと言うかのようだ。アッキーの方は本気で聞いていなかったらしく、そうだっけ? 何て首をかしげている。
「でも転校生ってどんなやつだろーな? こんな中途半端な時期にって言うか、高校で転校生なんてありあえるんだなー」
「……ありえない話では、ない。家庭の事情もある」
「まぁだな。つか俺転校生知ってるわ。転校生が複数存在しなきゃだけど」
何気なく吐き出した言葉に、アッキーはその身を乗り出して、性別やら見た目やらを聞きだしにかかる。やけにテンションの高い友人に応えているうち、気付けば教室の中にはぞろぞろとクラスメート達が集まり始めている。
噂が回るのは早いというか、前もって転校生が来るという情報が与えられていたからか、話題は転校生のことで持ちきりだ。玄関で見慣れない子を見ただとか、職員室にいただとか、そんな目撃証言が集まっていく。学生の好奇心とは恐ろしいものである。
ワイワイがやがやと思い思いに転校生に思いをはせるクラスメート達は、何処か生き生きしているように感じる。まぁ転校生なんて高校になればほぼ縁のない一大行事のようなものなのだから当然のことなのかもしれない。
そうして担任が勢いよくドアを開いたところで、その興奮はピークに達し……最終的には担任様の怒号で沈黙することになった。他のクラスの担任たちが動物園と称す我がクラスを沈める担任の怒号は本当にヤバイと思う。後ろの席にいても五月蝿いし。