Ⅰ
朝。カーテンの隙間から注ぐ光と、鳥達の囀りに俺の意識は浮上する。仕方がなく体を起こせば何の変哲も無い自分の部屋が視界に広がった。男の子だからねぇと本人の意志もそこそこに、両親が張り切ってそろえた部屋の中は全体的に爽やかな青で埋められている。
別に青は嫌いではないけれど、こうも青々してると気が滅入りそうだと言ったのは昔からの友人である。その友人が特別オレンジや赤などの暖色が好きだから余計にそう感じたのかもしれない。
ため息をついてベッドから降りてカーテンを開く。閑散とした住宅街は人通りも少なく、今日も平和な様相を築き上げていた。まだ時間が早いからか井戸端会議のおばさん達は出没していないけれど。
もう、いうこともないくらい平和な朝に、非日常の言葉が陰を差す。
命が狙われている。誰とも分からない相手から。じわりと滲む非現実的な言葉は、何でか俺の胸に居座って消えてくれやしない。
滲んだ言葉なんて見えない振りして、窓際に置かれた机に視線を落とす。いつも通りに今日の授業で使うだろう教材が置いてある。それを忘れ物がないか確認して鞄に詰め込んだ。
時計を見上げればもう6時を回ったところで。すこし慌ててクロゼットからYシャツと制服のズボンを取り出す。珍しくもなんとも無いただの学ラン。この、何の変哲もない黒色を俺は存外気に入っていた。
理由なんて無いけれど、何となく。
タンクトップの上にワイシャツを着てズボンを履いて。後は上だけ着れば良い状態にして荷物を片手に下の階に降りる。まだ誰も起きてきていない家の中はシンと静まり返っていた。
とりあえずすべての部屋のカーテンを開け放って薄暗かった部屋に光を取り込む。それだけで雰囲気は大分変わるものだ。
そのまま洗面台まで移動して軽く身だしなみを整える。歯を磨きながら見慣れた自分の顔をボーっと眺めて。うん、やっぱり冴えない顔だ。そしてある程度準備を整えれば休む暇もなくキッチンへ。
「さて、朝飯と弁当は……」
一人ブツブツと呟きながら冷蔵庫を物色。結局面倒くさくなってトースターにパンを投げ込んで、妹好みの甘めのスクランブルエッグに野菜を添えて皿に盛り付け。後は粉をお湯に溶くだけの忙しい主婦の味方なコーンスープをカップに注いで朝食の準備は完了だ。
弁当はご飯と作り置きのおかずを解凍して詰め込む。後は隙間にプチトマトを投げ込んで完了である。角煮、鮭、エビチリ、ホウレンソウの胡麻和え……。見事に冷凍庫の肥やしたちの総集合である。作り置きって便利。
トースターから飛び出してきたパンを皿の開いたスペースに乗せて俺は未だに下りてこない妹を起こすために階段を駆け上がる。あ、今日からはもう1人起こさないといけないのか……。
ほぼ勢いだけで階段を駆け上がって、左側の部屋。詩と妹の名前が書かれた部屋のドアをいつものように開くとそこにはまだ夢の中の妹が居る。
「詩、朝だぞ。早く起きないとまた朝飯くいっぱぐれるぞ」
「うぅー……後三十分……」
「三十分も寝たらバタバタして酷い目にあうだろうが。ほら諦めて起きろ」
もぞもぞと布団にもぐりこもうとする詩から、半ば強制的に掛け布団を剥ぎ取ってやる。そうすれば観念したように詩が体を起こして動き出した。のろのろとしているがまぁ動き出せば何とかなる。
さて、次は四季か。あの人寝起きとかどうなんだろ……。昨日であったばかりだからよくわかんないんだよなぁ……。
ため息をついて、二階の廊下を歩く。窓際に飾った花がそろそろ萎れそうなことを確認して、もう新しい花用意しないといけないのかなんて考える。
いっそのこと造花にしてしまうのもいいかもしれない。そっちのほうがゴミもへるし一々取り替えるなんて面倒くさいことしなくて良いし。
そうして花瓶の前を通り過ぎて、俺の部屋の前を通り過ぎて四季の使っている部屋。この部屋は他の部屋よりすこし狭くて、前までは物置代わりになっていた。この部屋の中に置いてあった荷物は両親の部屋に移動されたらしい。まぁどうせあの人たち帰ってこねーもんな……。
真新しいネームプレートのかかった年季の入ったドアをノックする。……返事は帰ってこない。
「……四季?」
やっぱり返答はない。まだ寝てるのか……?
「入るぞー?」
「おー」
ここでやっと気の抜けた返事が聞こえてくる。何だ、起きていたのか、そう考えながらそっとドアを開く。そうして、目に飛び込んできたのは新しい同居人仕様にカスタマイズされた部屋と、着替え中の四季の姿だった。
すらりと伸びた手ときゅっと締まった細い腰……そこまで認識して俺は勢いよく扉を閉める。だって上半身スプーツブラだけだったんだもん。そりゃびっくりするわ。女性だったんですねスミマセンでした。体系見れば気付くだろって話だけど俺にはわかんなかったんだよ!!
なんて一人心の中で悲鳴をあげていればガチャリと部屋の扉が開く。顔を覗かせたのは先ほどのなんとも刺激的な格好にワイシャツを引っ掛けただけの四季。心底怪訝そうな目で俺を見ている。
「……んの用だよ」
「い、いや……朝ごはんの用意できました……」
かちんこちんになりながら言う俺に四季はりょーかーいなんて緩い調子で返事を返してばたんっと部屋の扉を閉じてしまう。特に気にしていないらしいが謝るべきだよな……? でもずっとここで待ってるのは変態くさいし……下に行ってまってよう、そうしよう……。
何となくいたたまれない気持ちになりながら階段を下りて席に座る。そしてそのままに頭を抱えた。出来ることならつい数分前だけの記憶を抹消したい。自分からも四季からも。
しばらくそうやって一人で頭を抱えていると、ダイニングのドアが開いて誰かが入ってくる気配。恐る恐る顔を上げればそれは今会いたくない人ナンバーワンで……。
「はよー」
「……オハヨウゴザイマス」
「何片言になってんだよ、キモイ」
すとんっと昨日と同じ位置に腰を下ろした四季がばっさりと言う。ヤバイ四季さんのことまともに見れない……。
「……女性だったんだな」
「あ? ああ……え、何お前本当に気付いてなかったのかよ」
ポツリと俺が呟いた言葉に、怪訝そうな声、そして小ばかにするように笑う声が続く。あれ、この人見られたこと気にしてない……? 恐る恐る顔を上げれば楽しげに笑う端正な顔が目に入る。
「なる程ねぇ、それでうっかり俺の着替えを見ちまって気まずくなってるわけだ! ウブかよきめぇ」
……言葉で俺の心はずたずたに引き裂かれることになる。……この人の言葉容赦ないなぁ。誤解を生むとかそういうレベルじゃねぇんだけど。
四季は未だにからからと楽しげに笑いながら、頬杖をついて俺を見ている。こういうの絵になるのほんっと卑怯だと思うんだよなぁ。
「まぁ俺も体系隠すために細工してたりはすっけどさー。いくら鍛えたところで野郎との体格差は出てくるし。昨日性別聞いてきた時点で気付いてると思ってはぐらかしてみたのに気付いてなかったとか」
あー、ばからしーなんて笑う四季の言葉に、素晴らしいほどのまな板だから分からなかったんだよなんて嫌味は飲み込んでおく。いくらなんでもそれは失礼だ。
最近のやつは細い男も多いしこの人もその類かなと思ったんだよ……。
その後、四季は詩がおりてきて不思議そうに声をかけてくるまで、俺をからかって遊び続けていたのだった。