リコリス
高1の頃に部活で書いたお話。色々あって供養。三文字だけ邂逅しました。
「ねぇ、知ってる?」
彼女は私に笑いかける。
その儚げな笑顔を私は呆然と見つめていた。
およそ一分と二十秒の邂逅。
寂れた国道を斜めに横断し、町外れの森の中へ。かなり前に手入れを放棄されたであろう砂利道を進む。朝の森は心地よい静寂に包まれており、時折小鳥たちのさえずりが聞こえる。しばらく進めば、砂利すら無くなり、道は完全に獣道の様相を呈してきた。朝露がズボンに浸み込んでくるが、気にせず歩き続けた。気がつけば、道らしきものは途切れ、目の前に藪が広がっている。全身が露に濡れるのを覚悟で、藪に突っ込んだ。服が中途半端に湿り気を含み、肌にはりついてくる。どうせ数メートルの辛抱だ。本当は数十メートルかもしれないが、こんな藪の中で距離感も何もない。
唐突に藪は途切れた。私は藪から抜け出し、体についた葉を落とす。
顔をあげれば、見慣れた景色が広がった。
赤。赤、赤、赤。目に沁みるほどの赤。
視界いっぱいに、リコリスの花が咲き乱れている。風になびくその様子は、まるで赤い水面のようだ。
本当に、いつ見ても不思議な光景だ。円形に空間を切り取り、どこかの庭園と置換したようにさえ思えてくる。
花の泉の奥、木陰のベンチには今日も変わらず、美しい黒髪の少女が座っている。
流れ落ちた黒髪は艶やかに輝き、シフォンリボンの黒いワンピースを身にまとった矮躯はここから見て解るほどに華奢だ。なめらかな肌の白さは、自らの髪とワンピースによってよりいっそう際立っている。
彼女は私に気づくと、拗ねたように視線を尖らせた。
しまった、と思いつつ私は彼女に笑いかける。そのまま、花を倒さないように 気をつけながら、彼女の元へ突き進んだ。
「すまない。遅かったかな?」
その言ってみたが、彼女はそっぽを向いてしまう。私はその膨らんだ頬を突いてみたい衝動を押し殺しながら、彼女の隣に座った。
「……いつもより五分おそかった」
彼女の拗ねた口調がどこか愛らしく感じられ、自然と頬が緩む。
「ごめん」
「まぁ、そこまで言うなら――」
彼女は振り向き、絶句した。直後、ただでさえ白い肌が青白く染そまってゆく。
「た、大変、血が出てる!?」
「え? あぁ、藪で切ったのかな」
というか、藪で体のどこかを切るのは覚悟の上なので、今更さほど驚きもしない。
「え、あ、こういうときはどうするれば――」
大袈裟に慌てる様子を微笑ましく眺めていると、突然彼女は立ち上がり、私の顔を掴んだ。
「え?」
生温かい感触が頬を這う。今度は私が絶句する番だった。
「……これでよし、と」
「…………」
全然良くない。主に精神衛生的に。
「…………」
「…………」
「………………」
「……怒ってる?」
私の沈黙をどう受け取ったのか、彼女は泣きそうな顔で私を見つめる。その表情を見て、放心状態から強制的に立ち直る。
「……君はたまに突拍子もないことをするね」
「や、やっぱりダメだった?」
「い、いや、そういうわけでは……」
その後、涙目の彼女を落ち着かせるのにかなりの時間と労力を要した。
それからいつもの様に
「リコリスって本当は、この時期咲く花じゃないって知ってた?」
彼女はそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
「あぁ、知っているよ」
つまらなそうに唇を尖らせる彼女を見て、私は苦笑する。
「じゃあ、リコリスの花言葉は?」
「勿論、知ってるよ」
「言ってみてよ」
「悲しい思い出、また会う日を楽しみに、想うは貴方一人。ざっと、こんな感じかな?」
「どうして全部言っちゃうの!?」
理不尽に怒られた。ちなみに全部は言ってない。
「もういい!」
ぷい、とそっぽを向かれてしまう。
そんな子供っぽい動作が可愛らしくて、自然と笑みがこぼれた。
「ねぇ、覚えてる?」
彼女がそっぽを向いたままで訊ねてくる。
「なにを?」
「初めて会った時のこと」
「忘れる訳ないじゃないか。まだ一ヶ月も経ってないのに」
いきなりどうしたというのだろうか?
「どうしてこんな森の奥へ来てくれたの?」
「唐突だなぁ……」
「答えてよ」
その声からは切実さが滲んでいた。
「……日常から逃げ出したかった」
「え?」
我ながら子供っぽいと思う。今どき、思春期の中学生でもこんなことは言わないだろう。……たぶん。
「いつもと違う道を通って、いつもは入らない場所へ入ってみた。そうしたら、君に出会った」
私はあの時、彼女に見蕩れていた。
「ありがとう」
彼女はそう言った。
「本当にありがとう」
「…………」
その声は恐いほど真剣で、切実で、私に「何が」と訊くのを躊躇わせた。
「私を見つけてくれてありがとう。私と一緒にいてくれてありがとう。それから――」
「待ってくれ! いったい、どうしたっていうんだよ!?」
「…………ごめんなさい」
「何が?」
私はあらん限りの勇気を振り絞って訊ねた。
「我儘でごめんなさい」
「気にしないよ」
「うるさくてごめんんさい」
「そんなことないよ」
「迷惑かけてごめんなさい」
「そんなこと――」
彼女が振り向いたことにより、私の言葉は中断された。
決壊した涙が頬を濡らしてゆく。
「私を見つけてくれて、本当にありがとう」
彼女は走り出し、円形に咲いている花達の中心に立つ。
「ごめんさい。サヨナラ」
「何言って――」
ふわり、と風が彼女の髪を撫でた。
その瞬間、彼女の体が赤い花弁へと変わる。
赤い、紅い、赫い花弁へと変わる。
同時に、リコリスの花がいっせいに散った。
花弁が舞い、散る。
それら全てが降り積もるまで、私は呆然とその様子を眺めていた。鮮血の泉の様になった辺りを見渡して、何故かたまらなく悲しくなり、むせび泣いた。
あれは白昼夢だったのか、幻覚か、幻でも見たのか。正直なところ、私にはどうでもいいことだ。リコリスの花言葉を胸に、私はただここで待っている。
――――今年もリコリスは狂い咲いた。
この話はB5の紙に突っ込まないといけない会に提出するものだったので強引に文字を6ポイントにして提出しました。なんかいろんな人に呆れられた記憶があります。あれからもう数年経っているとは私も歳を取りました。
もともとは花の名前で作ってた連作短編モノのスタートになる予定、だったらしいですね、当時のメモ書きによれば。どんな風に続くのかが記されたプロットは当時の私の頭の中にしかありません。私が知りたいくらいです。