魔物
相手との間合いを見定めながらアリオンは摺り足で距離を調節する。
『何、そう慌てるな。武人同士で少しは語らえることもあろうに。そういう互いの事を解ってから、その上で死合う。というのもまた余興とは思わんか?』
「何だこの感じ……」
アリオンにとっては謎の黒騎士の声は、耳から聞こえる音というより、頭の中に直接で流れ込んでくるような感覚であった。
その上、高さの違う様々な声が重なりあった不協和音のような声質なものだから、頭にギンギン響き実に不快感を感じるものであった。
アリオンは一つの推論に至り驚愕する。
「……まさか……これが古来より言い伝えられし奇術――“魔法”だというのか……!?」
アリオンの驚きに対して、黒騎士はそれを聞いた瞬間、まるで笑いを堪えるかのように腹を抱える仕草をし始める。
『……フハ……ハハハ……。フハハハハハハァ!魔法だとぉ!?』
その笑い声は思念となって直接アリオンの頭に響く。
大声が頭の中で響くものだから、彼にとっては堪ったものではなかった。
『お前の言うことは半分合っていて……半分違う』
「どういう意味ですか?」
『魔法というのはだな、“魔力を持つ人”でしか扱えない』
「つまり、この話から要約するに貴方は「人」ではないと?」
『そう先走るな。余興の時間が減るではないか。これだから、物解りのある奴は……』
黒騎士は呆れを表すかのように額を抱える。
「じゃあ、この頭に響くような声はどうなるんですか?」
『この声は俺の性質だよ。魔物としてのな』
「魔物……」
『そう、魔物。経緯はどうあれ、魔法の使い方を誤った、魔力の制御出来なかった、或いは他人からの影響で化け物に落ちてしまった、そんな者達の総称。俺は最後の要因でなったのだがな。大乱の中で死した後、とある死霊術師によって、黄泉より現世に引き戻された、醜き身体となってな』
黒騎士は刺々しく重厚そうな造形のガントレットが装着された右手で兜に触れると、その面甲を徐に上げた。それによって、黒騎士の素顔が晒される。
それを見たアリオンはあまりの衝撃に大きく目を見開く。
「ッ!」
その顔は一言で表すなら不気味であった。
目玉のない眼窩の奥には怪しい光が煌めいており、頬骨といった骨格の形が露骨に浮き出ていて、唇の肉が剥がれておりその黄ばんだ乱杭歯と萎んだ歯茎を覗かせていた。
あまりの異形さにアリオンの臆病さが刺激され、闘志が微かに揺らぐ。
「ゾンビー……!」
『惜しいな。俺はゾンビーなんてものじゃない。その同種の遥か上位にあたる存在、リッチーさ。強い精神を持ち、膨大なる魔力を内包する者だけがなることを許される屍人、それがリッチーさ』
黒騎士は一頻り素顔を晒しアリオンの反応に満足すると、面甲を閉じた。
それを見たアリオンは一先ず安堵する。
『最初は奴を恨んだものだ。戦場の中で死ぬのが本望だったというのに、このような姿で勝手に蘇えらせおってな。だが、また“剣”の道を歩む事が出来ると思ったらそんな怨恨など、すぐになくなった。俺は欲に忠実な男だからな。そして、それからは、剣を極めるべく俺は名うての剣豪達に勝負を挑んでは悉く撃ち破り、奴等の魂を喰らうことによって少しずつ己の剣術を補填していった。…………そして、此処にまた才気溢れる剣豪の卵がおひとつある……』
「……………………」
黒騎士が巨剣を正眼に構える、それに対してアリオンも緊張を強めた。
『殺らぬ手は無かろう』
アリオンは唐突にうなじ辺りにピリピリとした刺激が走るのを感じた。
それは集落の外で生き抜くにつれて鍛えられていった第六感による警鐘のようなものであった。
それに従い、彼は横に前転する。
直後、彼の先程まで立っていた地面が縦に割れる。その縦割れの線は真っ直ぐに黒騎士へと繋がっていた。
それなりに冷や汗を流しながらも、再び剣を構える。
「遠くに飛ばす斬撃か……」
『不意討ちなのによくかわしたな、小僧。だが、お前では勝てん。何せ、俺はかつては『剣聖』と呼ばれる最強の剣豪だったのだからな。そして、それは今も変わらない。そんな俺が人間だった頃を超える身体能力とリッチーとなった事によって得た“固有能力”、それらを手に入れた事によって全盛期を遥かに超える力を手に入れたのだ。加えて、これまで殺してきた剣豪達の良き所ばかりを引き抜き応用した技の数々。これらの前に、お前はなす術もなく下され、お前の剣才は俺へと還元さ――』
突如、黒騎士が手に持っていた巨剣は後方に弾かれた。それによって、彼の語りは中途にて遮られる。
『……何ィ……』
そして、黒騎士の足元には先程自らが作った斬撃跡の線に加えて、もう一つの線が出来上がっていた。
「あ、出来た」
アリオンは下段に剣を置いた、いかにもな残心の姿勢を取りながら、自らが起こした事に驚いていた。
『まさか……』
黒騎士があまりの驚愕にワナワナと震えだす。
猛り狂うような戦慄が彼の全身に衝撃を走らせた。
『まさか、今放った「克燕剣」を、お前はこの一瞬で習得したとでもいうのか!?』
黒騎士の推測は正しく、アリオンは大男の繰り出した剣技を模倣して繰り出したのだ。
彼が第六感に従って行った事前の回避は、黒騎士が剣を振り下ろす瞬間をじっくりと観察するだけの余裕を生みだした。
そして、たったそれだけの、一瞬だけの余裕でアリオン少年は剣技の原理の理解するに至った。
まさしく剣術の天才であった。
「カツエンケン?僕が今したのはカツエンケンなのか。それにしても技名があったのか。僕もつけてみようかな。……いや、付けたら付けたで自己嫌悪に陥るだけか」
遠距離の相手を翻弄する技の味を占めたアリオンは、再び剣撃を飛ばす。
黒騎士は何とかガントレットの装着された腕を交差させることによって、その一撃を耐える。
しかし、アリオンはそのまま手を止めず、七連続で剣撃を飛ばす。
流石に連続の剣撃を受け続けるには堪えたのか、黒騎士はたたらを踏みながら数歩後退する。
『グッ』
「凄いな、コレ。まるで絵本に出てくる英雄が使う技みたいだ。……いや、もしかしたら本当に英雄が使ってたのかもしれないのだけれど」
理不尽であった。
ある者がその技を習得するのに掛かった年月は十年であった。完全に体得するのに掛かったのは五十年。
それを一度見ただけで習得するどころか欠点さえも補填し強化された状態で繰り出されれば、発狂してもおかしくなかった。その上、これをなしたのは年端のいかぬ少年である。
己の中に潜在するであろうその剣技の使い手であった者の魂に引き摺られるようにして、黒騎士は咆哮する。
『キッサッマァァアアア!!!』
後方に刺さっていた巨剣を手に取ると、ダンッと地面を踏み抜いて跳躍する。鎧を纏ってるようには思えないほどの速度で二メートル大の巨漢はその小柄な体躯を押し潰す勢いで迫り、両手で持った巨剣を本能レベルで組み込まれた精緻な身体の運用、角度、力加減を以てして振り下ろす。
その斬撃はまさしく剣聖の名に恥じぬ凄まじいものであった。
『なァ!』
だが、黒騎士の意思に反するようにして、巨剣の軌道は流れるように自然と右に逸れていく。斬撃は少年の真横を穿つ結果に終わる。
ふと気付くと、少年の剣はいつの間にか彼の真上へと振り上げられていた。
黒騎士は直感で確信した。この剣が自分の一撃をいとも容易く受け流したのだと。
そして、振り上げられた直剣は、一刹那の間を置いて残像だけを残して大男の視界から消える。
次の瞬間、彼の視界の端で棒状の何かが宙でブーメランような円軌道を描きながら飛んでいく光景が映る。やがて、それは重力の力に従い地に刺さる。
どう見ても、それは剣の半ばから折れた刀身としか見えなかった。
「うわ。鎧硬ぁ……」
この一瞬で、アリオンの剣は根元あたりから刀身のない殆ど柄だけのような状態へと変貌していた。
黒騎士は、恐る恐る鎧の胴体部分を見下ろすと、そこには一筋の傷が出来ていた。
自らの反応速度と動体視力を振り切る程の斬撃にただただ戦慄する他なかった。
だが、その思考もまた一瞬の事であった。
少年の剣は今まさに折れたのだ。それは大事な矛と盾を同時に失ったようなものである。まさしく己にとってチャンスなのではないか。
黒騎士は巨剣が自分の真横で水平になるように構えると、少年に向けて渾身の刺突を放った。
『死ねェェェエエエエ――ッ!』
ギュンッ、そんな金属同士が擦れ合うような快くない音が耳に届くと同時に目の前に細かな火花が散る。それから一拍を置いて黒騎士の胸元から背中に掛けてまるで背後に引っ張られたかのような強烈な衝撃が襲い掛かる。
『グッ』
今度は何とか踏ん張ったことによって、たたらを踏まず後退を一歩だけに留めることが出来た。しかし、自分が置かれている状態を把握した瞬間、黒騎士は我が目を疑った。
鎧の胸部に今自分が持っている筈の巨剣が突き刺さっていたのだ。その刀身は鎧の背部を貫通するにまで至っている。
屍人なので痛みこそ放棄した身体だが、代わりに精神は大いにダメージを受けていた。
これまで味わったことのない事態に半ば恐慌状態になる黒騎士。
『強引に俺へと受け流したとでもいうのか!?……だが、しかし……』
少年を確認すると、彼は依然素手であった。
あのような状態で自分の攻撃をどうこう出来る筈がないのだ。
『小僧……一体何をしたのだというのだ……』
「先程と同じですよ。剣を流しました」
実際にアリオンの言うことは本当であった。先程の大男の刺突撃は、大いに頼りなさそうな少年の小振りな手のひらが剣の腹に添えられることによって、その軌道を180度の角度で変えられた。
そして、そのまま返ってきた巨剣の強度と切れ味と黒騎士の膂力と技量から繰り出される己の刺突は、強靭で重厚な漆黒の鎧を容易く貫通するにまで至った。
『そ、そんなことが出来る訳が……』
「僕、剣を扱うのが得意なんです」
狼狽した黒騎士の否定に被せるようにして、少年がその口を開いた。
「普通に斬るのも得意なんですが、先程のように相手の剣を流すのも得意です。あと、投擲も得意とかです。他にも、地味ですが指を切らないように刃に触れたりも出来ます。剣さえあったら、十芸でも二十芸でも出来る自信があります。唯一苦手なことといったら、手加減をすることぐらいかな?……だから……貴方が剣を使う限りは、貴方が僕に勝てる道理は一切ない」
世の理不尽を体現するかのように、少年は果てしなき長年を剣に費やしてきた武人に向けて残酷な宣言を下す。
それに対して黒騎士というと、物凄く狂喜していた。
『フフフ。ハハハ。フハハハハハハハ』
もし、この少年を倒せたのなら、自分は剣術の極みとの間合いをこれまでとは比べ物にならない程の速度で詰められる。
そんな至高の宝石が目と鼻の先にいるのなら、彼にとってはそんなもの目の前にぶら下げられた餌でしかなかった。当然、そんなものは冷静さを、損なわせるだけであった。
『ならばお前を倒し、俺がその類希な剣才を手に入れるまでだァ!』
突如、黒騎士の鎧の所々が隆起し始める。その歪みはやがて鎧の胴体部全体を覆い尽くす。そして、一拍の間を置いて鎧が内側から弾ける。
全方位に放たれた黒い金属の欠片は、凶器となって周りの者へと襲い掛かる。その対象の中でもアリオンは例外ではなく、彼にも襲い掛かる。
しかし、黒騎士が自という脅威に怯まされてる隙に足下に散らばる死体の剣のうちの二つを既に手に持っていたアリオンは、自分に届きうる欠片を神速の剣技を以てして打ち落としていく。
そして、全ての欠片を打ち落とす。それと同時に、欠片ではなく複数の剣がアリオンへと斬り掛かる。
咄嗟にいくつかの斬撃を捌いて後退するアリオン。
変化した黒騎士の姿を見て眉間に皺を寄せる。
「気持ち悪い……」
黒騎士はその姿を、辛うじて人型であったものから正真正銘の化け物へと変貌させていた。
胴体全体から余さず腕が生えているのである。腕の本数は彼本来のも含めて総計六百六十六本。そして、その全てがそれぞれの形や柄の違う剣を握っていた。まさに神話に現れても不思議ではない程の異形であった。
『これらの手は俺に魂を喰われて尚も剣の道を渇望して止まなかった末に俺の内から飛び出してきた剣豪達の手。これらの剣は俺のリッチーとしての固有能力“魂剣顕現”によって具現化された剣豪達の剣気だ。そう、この姿こそが剣豪達の魂を喰らってきた俺の真の姿。お前は俺に勝てないのだァ!!!』
アリオンに向けて凄腕の剣豪達六百六十六人分の斬撃や刺突が一同に押し寄せる。恐ろしいのは物量だけではなかった。それぞれがそれぞれの剣速とそれぞれの技量を以てして行われた攻撃は激しく不規則であった。
だが、そんな小細工など天才剣士の前には皆等しいも同然であった。
一瞬の思考だけで全ての剣を把握したアリオンは迫り来る剣に対して、時に流し、時に避け、時に流した剣の軌道を隣の剣に当てることによって複数の剣を同時に反らし、精密な動きで対処した。そうして、僅かコンマ数秒の間に一気に押し寄せた六百六十六本もの剣を、彼は全て捌ききる。
そして、攻撃直後の隙の空いた腕をアリオンは飛ばす斬撃によって、全て斬り飛ばす。
黒騎士を守る者はもう何もなかった。
鎧も腕を出す時に吹き飛ばした所為で損なっており、今の彼は言葉通り丸裸であった。それによって、黒騎士の胸部の左側――常人だとすれば心臓のある部位――にある紫色に輝く石が露となる。
アリオンは直感で理解した、そこが奴の弱点なのだと。
『クソォォオオオオオ。俺は、俺はァ!全ての剣士の頂点であり、全ての剣を従える者である剣聖、フラガラッハなのだぞォ!なのに何故なのだァ!!!何故、このような小僧に負けるのだァアアッ!!!!!!』
絶望の中でかつての剣聖はかつての栄光との差異に嘆き慟哭する。
それに対して、アリオンは溜め息をはきながら口を開いた。
「貴方の敗因はたった一つ。それは、――」
哀れな黒騎士に対して遥かに年下の少年はただ冷酷に、そして諭すように己の見解を述べて返した。
「――それは貴方が生粋の剣士であったことだ」
一閃。
言葉と共に繰り出された斬撃は黒騎士の核となる石を砕いた。
砕かれると同時に黒騎士は動きを止め、そして再び動くことはなかった。
「貴方が剣聖なる者ならば、差し詰め僕は剣王なのだろう。悔しいことにね……」
黒騎士の身体が蒸発するかのように霧散していくなか、少年はただ目の前の男が消え行く様を見届けるだけであった。
そして、唐突であった。
アリオンの右手に激痛が走る。
「うっ。痛っ……」
手の甲の表面に線が浮かび上がっていたのだ。そして、まるで文字が書かれてる経緯のように線はその形を徐々に形成していく。
そして、霧散した黒騎士の瘴気が彼の手に集約されていく。
それが余すことなくアリオンに吸い込まれた頃には、彼の右手の甲には剣を模したようなデザインの印が刻み込まれていた。それはまるで捕虜や奴隷が押されるような烙印のようであった。
「一体、何だってんだ……よぉ……」
その直後、戦いの緊張が一気に解けたからか、痛みに耐える事に疲弊したからか、アリオンは意識を暗転させその場で気絶する。