プロローグ
「……ハァッ……ハァッ……ハァッ……クソがァ!」
少年は息を荒げながら、足元に散らばる赤い塊を睥睨し、そしてそれらを蹴飛ばした。
塊はそれぞれが可笑しな形をしていた。人間の頭のような形、人間の腕のような形、人間の脚のような形といったような見ていて不気味としか思えない造形の物ばかりであった。
そして、誰がどう見てもそれらの正体は瞬時に解るものであろう。
「……どうして……どうしてぇっ……!」
苦々しく己の両手で握られた直剣を見つめる。
刀身は垂れ流れる鮮血によって真紅の線を引かれ剣の柄とそれを持つ手もまた半ば乾き始めていた返り血によって赤黒い斑点模様を描かれていた。
「……どうして僕なんかに手を出したんだよ……!」
少年アリオンはかつて人であった者達に苦々しく悪態を吐いた。
「僕なんかを襲おうとするから死んでしまったんだろうがっ……!」
彼は肉塊の内の一つを踏みつけると、そのまま足を捻りながらそれを地面に擦り付ける。
涙を流しながら少年は、彼等に向けて訴える。
「悪いのは君達だ。これは自己責任だ。君達が死んでしまったのは自己責任なんだよ。そりゃ、僕だって命が惜しいさ。だから、こうして君達を殺した。でも悪いのは君達なんだ」
彼が死者に対して行った事は、悼むでもなく弔う事でもなかった。
ただ管只無我夢中に言い訳を吐くことであった。
湧き上がってくる尋常ではない罪悪感を払拭するべく、少年は自らの正当化の為にと相手を罵倒し続けた。
「……くっそぉ……汚ぇんだよぉ唯の肉の塊の癖に……」
憎々しげに人間の頭の箇所であったであろう肉塊を睨みながら、踏みにじり続ける。
「人間みたいな形しやがって……。元が生きてたからって今はもう死んでるだろが……」
途端に彼は踏みにじるのをやめる。
そして、そのまま後退り始めた。
「……なのに、どうしてだ……」
その表情が表す感情は、憎悪でもなく憤怒でもなく嫌悪でもなかった。
「……どうして……」
それは恐怖であった。
「……どうして僕をそんなに見るんだよ……」
常に半開きの状態で開かれた死体の目に映る瞳は過剰に瞳孔を開かせて虚ろな視線を押し付けるようにして少年を見つめる。
しかし、突如として少年を見つめるその両目は形を崩す。死体の目と見つめ合うことに耐え兼ねたアリオンが剣で斬ってバラバラにしたのである。
しかし、時既に遅しであった。アリオンの精神はとっくに限界を迎えていた。
「お゛、お゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛」
胃から食道を経由してせり上がってきた物は吐瀉物となって彼の口から吐き出される。
アリオンは脆弱な少年である。
幼少の頃より他人より華奢で、どれだけ鍛えても筋肉が付かず、幼児の全力の突進を喰らえば一発で何処かの骨を折るぐらい身体も脆い。そして何よりも、心が弱い。
だが、そんな彼にも一つの才能を持っていた。それは剣を扱う才能である。だが、それは度が過ぎた才能であった。まさしく、禁忌ともいうべきもの。
この才能に彼が目覚めたのは三年前、アリオンがまだ十歳の頃のことであった。
アリオンはその弱さ故に、彼が過ごしていた集落では、同年代の子供達全員によって苛められていた。
そのことに耐え兼ねた彼は、強さを身に付ける為に集落の外の見回りを担当する剣士に剣の教えを乞うた。剣士は自分の息子が彼を苛ます原因の一因を買ってる事に負い目を感じていた為、その願いを快く引き受けた。
アリオンは物覚えが悪かったが、諦めずに剣士からの教えを必死に聞き、本当に徐々にだが少しずつ腕を上げていった。
そして、唐突に彼は武神も裸足で逃げ出すような凄まじい剣術を手に入れた。
もし、仮に天才というものが、常人が少なくない練習をし続けていくことによって進むことが出来る段階に少ない練習量で極端に早く達する事が出来る、或いはその過程をすっ飛ばして先天的に感覚に根付かせていた者だったとする。
剣を扱う彼はこの双方の意味で天才であった。
では、何故、彼が熟すのに時間が掛かったのかというと、それは彼が異端であったからである。
通常の天才ならば基礎の段階の習得など一瞬であるのに対して、彼の場合は逆にその基礎の段階においての才能に欠けていたのだ。そして、基礎が出来なければ、当然才能を活かす方法など無い。
だが、アリオン自身の絶ゆまぬ努力と剣士による熱心な教授が橋渡しとなって、遂に彼は“己の才能”へと到達する事が出来たのだ。
そんな、初めて戦う力を手に入れたアリオンが、自分をコケにしてきた子供達へと報復を行う事など容易に想像出来るものであった。
そして、彼は実際に報復をした。
結果、彼は一人の子供を殺してしまう。それも、剣士の息子を。
アリオンにとっては、想定外だった。自分が襲い掛かった時に使った得物は木剣であった筈なのに、その刃なき剣は幼き少年の骨肉を易々と切り裂いた。
そして、その現場は見回りの最中だった剣士に目撃される。
アリオンに剣を教えた事を後悔した剣士は、己の尻拭いの為にアリオンを殺しに掛かる。しかし、自身の命を惜しんだアリオンの手によって、返り討ちに会い、彼もまた息子と同じように両断される。
集落の人達にとって、これらの惨状がアリオンの犯行だというのは血塗れの彼を一目瞭然であった。
彼が集落から追放されるのは当然の事であった。
それからの三年間、彼は剣だけを頼りに生きてきた。
人に襲われては剣を振るい、獣に襲われては剣を振るい、食料を求めては剣を振るい、場合によっては罪無き人にも剣を振るった。
そうして生きてきた。
だが、そんな厳しい環境で過ごしてきたにも関わらず、身体の大きさと剣の腕以外は何一つ成長していなかった。
力は弱く、身体は脆く、心は堕落していた。
そんな現状に彼は酷く絶望した。
自らを追い込んだ要因である剣に頼らなければ生きていけない現状が酷く皮肉で忌々しかった。
「……ハァ……ハァ……」
大方の胃の中のものを吐き出し終え一先ず落ち着くと、アリオンは死体の衣類から布を強引に引き千切るとそれを使って口許を拭う。
その最中であった。
唐突にアリオンは後方からプレッシャーが発せられていることに気付く。直ぐ様それに反応した彼は咄嗟に背後に向けて、死体が持っていたであろう粗製な剣を投擲する。
アリオンが後ろを振り向くと同時に、投げられた剣は黒い刀身の巨剣に弾かれる。
そこに立っていたのは漆黒のフルプレートアーマーを身に纏う大男であった。
アリオンは雰囲気だけで瞬時に察した、大男が只者ではないということを。
『勘が良いな。反応も中々だ。姿勢も宜しい。その齢にしてその力量とは。実に才気に溢れていて、斬り甲斐がありそうな子供だ』
目の前に立つ大男から発される謎のプレッシャーを不快に思いながらも、アリオンは剣を水平に構えた。
彼の先程までの弱々しい印象は溢れんばかりのどす黒い殺意によって完全に塗り潰される。
「……僕を殺そうというのか……貴方も……」
この瞬間、アリオンの眼光は人のものから修羅のものへと移り変わる。
これが、アリオン少年が“魔力”に侵された生き物の成れの果て――“魔物”と遭遇した最初の瞬間であった。
この出来事は彼の今後の人生を大きく揺らがせることになる。