第33話「謎の魔術師、再臨」
エディンは夢を見ていた。
いわゆる明晰夢というやつで、その自覚はある。それを認識する意識はあるのに、目を逸らすことも耳を閉ざすこともできない。
そして、ズキズキと絶え間ない痛みもまた確かに感じていた。
そう、光景は数秒前か、それとも数時間前か昨日か。
姉のエリシュによって強制的にベイルアウトされたエディンは、パラシュートで森に落ちた。
(そうだ……僕はそれでも、姉さんを。でも……ああ、そうだ)
この激痛は、脇腹からだ。
今も冷たい汗に濡れる不快感が、自分が生きてる証拠として襲ってくる。
柄にもなくあの時、エディンは取り乱していた。そして、そのことにさえ気付かなかった。いつも一緒で、常に自分を守ってくれた姉……怠惰でだらしない人だったか、エディンには厳しくも優しい唯一の肉親だった。
(僕はあの時、森に落ちて、木に絡まって)
姉との別離は一瞬だった。
そして、永遠の別れのように思えた。
エディンは我を忘れて、不時着と同時に木々の中に突っ込んだ。急いでパラシュートを外そうとしたが、震える手が思うように動かない。脚のナイフを取り出し、ワイヤーを切断したところで再び転げて落ちた。
大樹の中を落下する中で、太い枝が脇腹に突き刺さったのだ。
科学力の最先端で造られたパイロットスーツを、自然の硬さと鋭さが貫いた。
どうにかその枝もナイフで払って、大地に落ちて、そして――
(そう、そのあと遠くに……巡回する敵兵の声が聴こえてきて)
はっきりと覚えている。
恐らく、撃墜したあの男が……セルジュが地上班に連絡したのだろう。
すぐ側に、歩兵が携行するライトの光が迫っていた。
それを察して、冷静さが再び仕事をし始めた。
姉の死も受け入れられぬまま、ウルスラ王国の王室円卓騎士が捕らえられようとしていた。それは、敗戦と滅亡を決定づけることになりかねない。
(僕はあの時……逃げようとして、藻掻いて、足掻いて)
必死でエディンは、その場から逃げようとした。
せめて、茂みの中にでも己を放り込めば、発見されないかも知れない。
なにも選ばず、行動しないということを許容できなかったのだ。
みっともなくても、無駄に終わっても……今できる最善を尽くさねば気がすまない。姉は勿論、仲間にも……オーレリアにもウルスラ王国の民にも顔向けできないと思った。
そうして、孤独な抵抗を続ける瀕死の少年は、声を聴いたのだ。
『おやおや、ふむ。諦めているようには見えないのだけど、そう解釈していいね?』
とても穏やかな声だった。
男性だと思うが、自信がない……ややハスキーだが、女性のようにも思える。
その声の主は、視界がぼやけて滲む中に立っていた。
そして、敵兵のかざす光の中に美貌が浮かび上がる。
中性的な顔立ちの、どこかで見た記憶がある青年だった。
『そこの貴様っ、止まれ! 手を上げろ!』
『こちらD班、例のパイロットを発見しました。それと、奇妙な男、いや、女? とにかく指示を願います』
エディンは咄嗟に、手にしていたナイフを握り締める。
そのまま、全身に鞭打って立ち上がろうとして、そしてへたり込んだ。
だが、刃を敵へと向けて戦う意志を堅持する。
不思議と、自ら命を捨てるということは考えなかった。
今この瞬間、奇跡が起きるならすがる。ゼロの彼方にゼロを連ねた、その小数点以下の可能性がゼロでない限り、抗う。
『よせ、そんなナイフ一本で……子供? 本部、応答願います。ええ、ええ。パイロットは子供です! しかし!』
『なんてこった、悪の枢軸が子供を使って戦争をしてたのか。世も末だな』
英語の発音から、恐らくアメリカ人だろうと思った。
その歩兵の片方が、ライフルを下げる。
だが、意外なことが起こった。
例の謎の人物が、そっと前に歩み出たのだ。
『なっ、貴様! 動くな、撃たせないでくれ。ウルスラの民間人なら、危害は加えない』
『ふむ、なるほど……模範的な軍人の選択だ。だが、私はウルスラ王国の人間ではないんだよ』
『報道関係者か? 悪いが、今は戦闘作戦中だ。なら』
『そう、君たちは戦闘作戦中だ。そして、なにも、見なかった。いいね?』
男は手をそっとかざして、ゆっくりと言の葉を紡ぐ。
二人の兵士は共に、突然ビクリを身を震わせ、そして動かなくなった。
『君たちは、なにも、見なかった』
『お、おれたちは、なにも、みなかった』
『そうだよ、なにも見なかったんだ。さ、お帰り。帰って温かい食事を取って、眠ろう』
『かえって、あたたかい、しょくじ……ねむろう』
意識が混濁する中でも、エディンははっきりと覚えている。
まるで魔法を使ったかのように、男は言葉だけで歩兵を追い返してしまった。
そこで記憶は途切れて、次第に痛みが増してゆく。
現実へと覚醒したエディンは、はっきりと思い出していた。
そう、この不思議な人物にエディンは会ったことがある。
(そうだ……この人は、確か……「子供の頃に、あの時に……)確かに僕は!」
叫んで身を起こした、そこは薄暗い場所だった。
自分は裸でベッドに寝かされている。汗びっしょりでうなされていたようだが、痛みが自分の生存を再度教えてくれた。
脇腹の傷には、手当がなされている。
そして、枕元には一人の男が椅子に腰掛けていた。
「やあ、おはよう。気分はどうかな?」
そこには、夢に出てきたあの男が微笑んでいる。
その正体はわからずとも、エディンは既に思い出していた。
「ここは? いや、それより……あなたは」
「うん、顔見知りだったしね。助けてみたが、迷惑だったかい?」
「いえ、ありがとうございます。助けられるのは二度目ですね」
「よかった。女王陛下にもお礼を言われたから、どうやらいいことをしたみたいだね、私は」
「女王陛下……オーレリア陛下が? ここに? ここは、いったい」
周囲を見渡すと、殺風景な暗がりの中にコンテナがいくつもならんでいる。
どうやらなにかの倉庫のようで、目をこらせば十人前後の人が息を潜めている。王宮の親衛隊員やメイドもいるし、大臣たちの姿もあった。
そして、その中から声が駆けてくる。
「エディン! エディン・ハライソ、無事ですね? 目が覚めたようでなによりです」
オーレリアだ。
彼女は、一般市民と見分けがつかないような服装をしている。木綿のシャツに、オーバーオールを履いている。まるで農夫のようだが、生来生まれ持った気品と優雅さが全く隠せていなかった。
オーレリアは、突然エディンに抱き着いてきた。
ふわりといい匂いがして、固く抱き締める腕の温もりが伝わってくる。
だが、自分の立場を思い出したようにオーレリアは離れた。
まるで弾かれたように数歩下がって、咳払いと共に落ち着きを取り戻す。
「よく戻りました、エディン。……こちらの方を覚えていますね?」
「ええ。僕を助けてくれた人です。そして……十年以上前に、オーレリア陛下を、ついでに一緒だったリシュリーを助けてくれた人ですね」
そう、エディンははっきり覚えている。
幼少期、あれは濃密な霧が立ち込める日だった。大人たちは皆、オーレリア王女が消えたと大騒ぎしていたのだ。どうやら、ボートで翠海へと、友達のリシュリーと共に漕ぎ出してしまったらしい。
エディンはその時、子供だったからあまり深く考えなかった。
ただ、テレビや式典のパレードで見た、あの女の子が危ないというのはわかった。
けど、どうしていいかわからない……そんな時、奇妙な大人が声をかけてきたのを覚えている。
「あなたはあの時、幼い僕とボートに乗って……どうやったかわからないけど、オーレリア女王陛下を見つけた。沈みそうなボートで、絶体絶命だった陛下を」
「ああ、うん。あれもやっぱり、おせっかいだったかい?」
「いえ……この国の未来を変えてしまうくらい、ありがたい選択でした。ただ、何故です? どうして……まるで魔法でした。あなたは何者なんです?」
エディンの問いに、ふむと男は唸った。
飄々としてて、掴みどころがない。さりとて、信用できない胡散臭さの塊なのに、自然と人の良さが感じられる。警戒心が仕事をしてくれない。
だから、当時と全く同じ姿で加齢を感じないことも些事に思えた。
そして彼は名乗ったが、その声を叫びが遮る。
「私はまあ、人の世ではマーリンと名乗っている。なに、その正体は――」
「陛下ァ! みんなも、見ろ! テレビの放送で今、ニュースが……こいつぁ!」
部屋の奥で叫んだのは、あのリシュリーの父親、バルドゥール伯爵だ。包帯だらけで、右腕はギブスを三角布で首からぶら下げてる。
それで、ここが王宮から逃げた者たちの臨時の隠れ家と知れた。
マーリンと名乗る謎の男によって、幸運にもエディンはここに運び込まれたのである。
そうと知ったら、毛布を蹴り上げエディンはベッドから跳ね起きた。
「おやおや、少年。君の傷は深い。寝ていたまえよ」
「すみません、マーリンさん。そうもいかないです……あれは、あのテレビは」
古いブラウン管タイプのテレビが、ニュース番組を映している。そこには、記者に囲まれるシヴァンツが微笑みを浮かべていた。
そして、エディンは信じられないものを目撃する。
シヴァンツの背後には、まるで墓標のように大地に突き立てられた"カリバーン"が……自分の愛機である一号機があった。その垂直尾翼に、鎖で縛られた姉の姿を見て、エディンは絶句するのだった。




