ファントム、日常に戻る
あれから数日が経った。 世界は、『グレート・サイレンス』と名付けられた原因不明の大規模ネットワーク障害からの復興に追われていた。 テレビをつければ、連日、専門家たちが難しい顔でその影響を語っている。
だが、そんな世界の喧騒とは、全く無関係な場所がここにはあった。 マスターの喫茶店「セグレト」。 その、アンティークな扉についているベルが、チリン、と軽やかな音を立てた。
「……ただいま帰りました」
店に入ってきたのは、スーパーの袋を提げた、灰島だった。
「おかえり、パパ!」
「……」
カウンターの中から、そう返すユキに灰島は複雑な顔をする。
「あら、年齢的にはパパでしょ?」
「お前は神崎の姓だ。それで俺とお前が親子というのは──」
「妻と別れて子供は妻の姓なんて、珍しくもないわ」
「ファントムが嫌なら、俺がパパになろうか?」
窓際の席では、瀬尾がノートパソコンで何やら作業をしていた。
「嫌よ。軽いパパなんて」
「酷いなぁ。俺ってめっちゃ子煩悩なパパになると思うけど」
「それ、ただ甘やかすだけでしょ」
ユキが呆れたように、しかし楽しそうに言い返す。 その軽口が、彼らの日常になりつつあった。
そこへ店の奥から、玲奈がひょっこりと顔を出した。
「いいなぁ、パパが選べるなんて。あ、私も灰島さんをパパって呼ぼうかな?」
「やめろ」
玲奈の言葉に、灰島が心底嫌そうな顔をする。そのやり取りを見て、カウンターの向こうで、マスターが穏やかに微笑んでいた。
チリン、と扉のベルが再び鳴る。 新しい客が来た、と思ったが少し違った。
「……少しは歓迎しろよ」
入ってきたのは、私服姿のヘルハウンドだった。
「そうでしたね、いらっしゃいませ。それで御用は?」
マスターの言葉に、彼は複雑な顔をする。
「普通にコーヒーを飲みに、と言いたいが伝言だ」
意味もなく彼がここに来るはずはない。灰島しかり、ユキも観察対象になっているから、彼女の表情も強張ってしまう。その彼女の頭を、マスターはポンと撫でた。
「大丈夫です」
その一言が、どれだけ心強いか。ユキは、こくりと頷いた。
「AEGISの生体キーである『ユキ』の身体的成長が認められた」
「え?」と思わずユキが声を上げるが、彼は構わず続けた。
「仮に『AEGIS』の復活があっても、『ユキ』はもう生体キーになりえないため、監視対象から削除する」
堅苦しい言い方のせいか、ユキは瞬時にその言葉を理解することが出来ず、まだなんの反応もない。
「良かったな、ユキ」
灰島の言葉に、ようやくユキは視線を灰島に移したが、その視界がゆっくりと滲み始めた。
「……だよね? これっていいことなんだよね!? よかった! ユキちゃん!」
そして、手放しでそう喜んでくれる玲奈に、ユキもようやく「うん」と笑顔で答えることができた。
「……さて、伝言は済んだ」
ヘルハウンドはそう言うと、踵を返そうとした。
「おや、もうお帰りですかな?」
マスターが、すでに用意していた新しいコーヒーカップを手に声をかける。
「……一杯だけ、もらおうか」
ヘルハウンドはぶっきらぼうにそう言うと、瀬尾の向かいの席に、どさりと腰を下ろした。
店内のテレビが、新しいニュースを伝えている。
『……『グレート・サイレンス』の影響で、これまでAEGISによって監視されていた、世界中の紛争地域の緊張が、再び、高まっています。専門家は、新たな、大規模な戦争の可能性を……』
変わりゆく、混沌とした世界。 だが、この「セグレト」の中だけは、時間が穏やかに流れていた。
ヘルハウンドは、黙ってマスターの淹れた、完璧なコーヒーを味わっている。 玲奈とユキは、カウンターの中で楽しそうに明日のメニューの話をしていた。 瀬尾は相変わらず、ノートパソコンに向かっているが、その口元は緩んでいる。
灰島は、ただ、静かにその景色を眺めていた。
こんな日常が、続けばいいと──。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作『ファントム』は、最強諜報員の日常をコミカルに描くつもり、だったのですが…。
気付けば世界規模の事件に発展!われながらびっくりです。
いつも私のキャラは勝手に大暴れするので大変です(;^_^A
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彼らはまだまだ私の頭の中で大暴れしております。
えぇ、続編を書く気満々だったりします(*´▽`*)
お待ちいただけたら、本当に嬉しいです。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。




