ファントム、就活する
翌日には家電も家具も全部そろい、昨日まで殺風景だった部屋にも生活感が出てきた。
「なかなかいい感じだ」
自画自賛だが、それでもその空間は灰島を満足させるに十分なものになっていた。
寝て起きて軽く10キロのランニング。
コーヒー豆を挽き、朝食を取り、PCの設定と情報収集。
昼食後は掃除と筋トレ、シャワーを浴びて、またPCに向かい夕食を取る。
「……これを、普通と言っていいのか?」
食べる箸を止めてそう呟いた。家から出たのはランニングだけ、明日もそれ以外に外出予定はない。『普通』であれば、日中は働くのだろう。けれど、金に困っているわけではない。コクチョウでの給料は一般サラリーマンの想像を超える。それを自分の知識と情報収集力を使えば、資産運用するだけで生きていけるだろう。
けれど、それでは『普通』ではないし、そんな毎日を望んでいるわけでもない。
「仕事、見つけるか」
自分に何ができるだろうか? 簿記は持っているから経理の仕事はできる、PCのスキルも一通りあるから事務仕事なら何でも行けるだろう、勿論体を使った肉体労働も苦にならない、調理師の免許も習得済みなので料理人という道もある。
「……探してみるか」
こうして灰島の就職活動が始まろうとしていた。
「おはようございます! 灰島さん!」
「お、はようございます、紅林さん」
今朝の彼女も気配はなかった。
「玲奈でいいですよ。紅林さん、なんておばあちゃんと一緒になっちゃうし」
祖母と孫なのだから苗字が一緒なのは仕方ない、けれどただの管理人の孫をそこに住む住民が名前で呼ぶのは倫理的にどうだろう? と一瞬考えたがそれを悟られることなく、彼は「そうですか」と答えた。
「どこかにお出かけですか? ランニングは済ませましたよね?」
音もたてずに部屋を出たはずだったが、彼女に感づかれていたとは。どこか気が緩んでいたのかもしれない、そう思いながら「はい」と答える。
「仕事を探そうかと」
「え? 灰島さんってぷーなんですか?」
「現在、有休消化中です」
「あ、なるほど。どんな仕事を探してるんですか?」
そう聞かれて、灰島は言葉に詰まってしまった。
なんでも出来るが、やりたいことがあるわけではない。今のところ、夢も目標もない。ただ『普通』にあこがれているだけ。
「いい仕事、見つかるといいですね」
ポンっと背中を押されて、灰島の足が前に出る。
「あ、そうだ。仕事探し疲れたら、駅の北口から細い道があるの知ってます? そこをまっすぐ進んで2個目の角を右に曲がると少し先に小さな喫茶店があるんです」
「はい?」と振り返ると、玲奈はにこりと笑う。
「コーヒー好きでしょ? そこのコーヒー、とってもおすすめなので」
そう言って手を振るから、もう何も言えず灰島はマンションを出るしかなかった。
コーヒーの香りが部屋から漏れたのだろうか? それとも購入したコーヒーミルや豆を見られたのだろうか? いや、見られてもバレても問題ないはずだ。
そもそも、コーヒーが好きかと言われるとよく分からない。豆の違いや焙煎方法などで味が変わるのを楽しんでいるのは認めるが、どれが好みかはよく分からないのだ。
こんなことを考えている間に、町中までたどり着いた。『社員募集』『アルバイト募集』などのポスターがそこかしこにある。
街中を歩けば、働く人がたくさんいる。コンビニやスーパーの店員、電話をしながらアポを取る営業、駐車場の管理人に交通整理員、工事現場では監督に建築資材を運ぶ現場員、運搬を任された配達員。どの仕事も『普通』であり、職業に貴賎はない。
諜報員という仕事は、自分が好んで得た仕事ではない。気が付いたら諜報員だった。その中で、一般人を装うためコンビニの店員をやったこともあるし、ある企業に潜入したこともある。街中で見かける仕事のほとんどは経験済みだ。
その中で、やりたい仕事はあっただろうか? 楽しかった仕事は? もう一度やりたい仕事は? 自問自答しても、答えが見つからない。
「やはり、こういう時はハローワークだよな?」
一般人が仕事を求めるなら、ネットで仕事を求めるか、ハローワークというのは『普通』だろう。そう思い、駅の北口にあるハローワークに足を運んだ。
「えーっと、灰島さんですね。今現在失業中ですね、失業手当は申請されましたか?」
「いや、まだです」
「それではまずそちらからですね。それでは……」
失業中の収入の有無と金額は? 労働はしてますか? 就職活動を所定回数こなしましたか? など、事務的な質問が飛んでくるが、灰島はどれも「いいえ」と答えるだけ。
話を聞けば、何度かここに通って就職活動という名の相談をしなければ、失業保険とやらはもらえないらしい。なんと意味のない作業だろうか?
「え? 内田さーん、なんか立ち上がらないんですけど」
そんな声が事務所内に響いた。
「なに? またなんかインストールしちゃった?」
「してませんよ! 変な英語の画面で──」
チラリとそちらを見れば、BIOS状態でOSが起動できない状態だった。
「もう一回、再起動……、駄目か。何が駄目なんだ?」
「少しいいですか?」
そう言って、灰島がキーボードを奪ってキーをうち始めた。
「え? ちょっと君! 勝手に触るのは
「これ、メモリーが壊れているか接続不良です。分解しますか?」
あっさりと原因を口にする灰島に、そこにいた誰もがぽかーんと口を開けている。それを了解と受け取ったのか、灰島はPCを分解して、メモリを一度外しカチッとさしなおす。その後、電源を入れると──。
「立ち上がりましたね。それではこれで」
灰島はそう言うと椅子から立ち上がり、ハローワークを後にした。
後日、ハローワークらしき電話番号から、何度かコールがあったがすべて無視した。
あそこでは自分が望んでいるような仕事は見つかりそうにないし、
「別に失業保険が欲しいわけではないしな」
というのが理由らしい。
ハローワークを後にして、灰島は目的地を失ってしまった。




