ファントム、立ち上がる3
空は、まだインクを溶かしたような闇に包まれている。地上150階、吹きさらしのフロアは、風の唸りと、叩きつける雨音だけが支配していた。
バベルタワーは文字通り、バベルの塔を模しており、吹き抜けの中心に広場がある構造だ。
「なんか、拍子抜けするくらい簡単に潜入出来ちゃったね」
「そうね……、まだオープンまで時間があるから最低限っていうのもあるだろうけど」
不安そうなユキだが、その心配は当たっているといえるだろう。
「恐らく、俺たちがここに来ることは想定範囲内なんだろう」
灰島はそう言って、ライフルのスコープを構えた。このビルに上る入口は5つある。その一つには真っ黒な車が続々と集まる。そして、その反対側にはジープやオフロード車、統一感のない車が数台止まった。
「どう? クラブ」
車から降り、インカムで話すセレスティーナの耳に『計画通りですよ』と暢気な声が返ってくる。
『ネズミがすでに3匹、迷い込んでます。しかし、なんでキーまで連れてきたのか気になりますが』
「手間が省けていいわ。ファントムにしても、すぐそばで守る方がメリットがあるんじゃない? 年寄りの警護なんて、番犬の代わりにもならないわ」
マスターが聞けば、激怒する内容だが瀬尾も『ですね』と軽く返した。
「それに、ファントムが私の駒になるなら、それもいいわ」
この発言には、インカムから『それは勘弁』と情けない声が聞こえて、セレスティーナはクスリと笑った。
待ち合わせは150階、その階には中央フロアがあり、そこで二つの勢力が対峙していた。
MI6女王、セレスティーナ・ヴィレッリ。彼女の背後には、SASの精鋭部隊に拘束され、フードを被せられた灰島らしき人物の姿があった。
「時間通りね、プロメサー。その物々しい荷物が、お目当ての品かしら?」
セレスティーナの視線の先には、深く帽子をかぶった裏切りの天才、プロメサー。彼の脇には、一つの端末があり、後ろの重武装の傭兵がアンテナらしきものを持っている。サーバーは別の場所にあり、それを専用回線でつないでいるのだろう。
「そう、これこそが世界を守るAEGISの、スペアキーさ」
誇らしげにそう語るプロメサーが顔を上げ、彼の顔が確認できた。
「あの人! パパの助手だった人だわ」
「えと、パパっていうのは灰島さんじゃなくて……?」
「私を作った博士」
玲奈の質問に答えるユキに、灰島は「そうか」と短く答える。AEGISの生体キー『ユキ』を作った博士、神崎の助手、そしてコクチョウのエージェント。
「シザー。確かにあのミッションの時にいたな」
あのミッションとは、神崎博士を殺害し、ユキを保護した時のことだ。
ユキと玲奈、そして灰島は、彼らがいる150階の頭上、つまり天井裏に張り巡らされた、メンテナンス用のキャットウォークに潜んでいた。金網でできた床の隙間から、階下で繰り広げられる茶番が、手に取るように見えた。
「――では、まず、そちらの『誠意』を見せてもらいましょうか。それが本物のファントムなのか……。こちらとしては『ユキ』が望みなのですがね」
「ふふ、貴方がコクチョウなのは調査済みよ。だから、見ればわかるはず。そして、彼がいれば必ず『ユキ』も現れるわ。そうね、『ユキ』のキーといってもいいアイテムだと思うけど?」
セレスティーナは、優雅に頷くと部下に合図を送った。SASのエージェントが、拘束された男のフードを乱暴に剥ぎ取る。 そこに現れたのは、精巧な特殊メイクによって、完全に再現された、灰島の顔だった。




