ファントム、尋問される10
「はぁっ!」
大きく息を吸い込んで、ヘッドセットを取り去るとユキは肩で息をする。
「だ、大丈夫!? わっ、鼻血!? どうしたの!?」
慌てる玲奈とは違い、ユキは「あぁ……」と落ち着いて、手の甲で鼻血を拭う。
「ちょっと、力を使い過ぎただけ。問題ないわ」
「……前回の時も思ったのですが、それほどに力を使うのですか?」
マスターの言葉に、ユキは薄い笑みを浮かべる。
「AEGISの力を借りて、セキュリティをこじ開けてるから仕方ないわ」
世界のセキュリティプログラムの基礎であるAEGIS。その生体キーであるユキだからこそ出来る潜入方法だ。
「AEGISの力を借りると、ユキくんの力を使う、ということですか?」
的確なマスターの指摘。だから否定はできない。
「そう。簡単に言えば、AEGISは私を使って進化してるの」
「ユキちゃんを使って? ユキちゃんが使ってるじゃなくて?」
彼女の言った意味が理解できずに玲奈がそう聞き返すと、ユキは苦笑した。
「私はAEGISに脳細胞を提供しているの」
驚愕の事実にマスターは驚き、玲奈はいまだに「ん?」と唸っている。そんな玲奈にも分かるように、「あのね」とさらに詳しく話した。
「人間の脳細胞は1日10万個も死んでる。基本的に減ることはあっても増えることはない。けれど、私は違う」
ユキは、まるで他人事のように、淡々と、しかし驚くべき事実を告げた。
「私の脳細胞は、死ぬ数と同じだけ、常に新しく生まれてきているの。異常な速度の細胞分裂による、常時再生。これこそが、AEGISの力の本当の源泉。生まれたての、何も記録されていない脳細胞は、AEGISにとって最高の『空白の記憶領域』であり、自己進化を続けるための、完璧な生物学的プロセッサなのよ」
「……なんですって?」
マスターが、息をのんだ。玲奈も、ようやく事態の異常さを理解し、息をのんだ。
「AEGISは、私の新しい脳細胞をキャンバスにして、進化し続けるセキュリティ・プロトコルを書き込み続けている。ただ学習しているんじゃない。私という媒体を使って、物理的に『成長』しているの。それが、私が『鍵』である理由。そして……、これほどの負荷がかかる理由よ」
その事実は、あまりにも残酷だった。
「では、ユキくん、君は……」
「そう。AEGISというシステムに、文字通り、自分自身を『消費』され続けているってこと」
ユキは、静かにそう言って、微笑んだ。
「それは……」
マスターはその続きが言えなかった。『可哀想』なんて言葉で片付けられるほど、単純な話ではない。そもそも、彼女の存在理由がAEGISのためなのだから。
「いいの、気にしないで。そのおかげで、私はAEGISのセキュリティを簡単にすり抜けることができる。悪いことばかりじゃないわ」
笑顔でそう話すユキに、マスターも玲奈も笑顔を見せる。
「えぇ、そうですね。その力があるから、灰島君を助けることも君のレシピを破壊することも可能となります」
卵が先か、鶏が先か。彼女がその力を持つからこそ、狙われているのだが、過去に戻れるわけでも、ユキが生まれなかった世界に行けるわけでもない。
今を変えるには、彼女のその力が必要なのだ。
「まずは彼らの取引する時間と場所を見つけないと。きっと暗号化して連絡を取ってるはず。それを探したいのだけど、さすがに疲れたわ。だから、マスター」
「えぇ、カフェオレですね」
「お砂糖、たっぷりで」
ユキの注文に、マスターは「畏まりました」と恭しく頭を下げキッチンへ、玲奈も「あたしも飲みたい!」と彼の後をついていった。
それを見送って、ユキはポケットから薬を取り出し飲み込む。
「……これ、いつまで飲むんだろ」
ユキは、小さな錠剤を水で流し込むと、誰に言うでもなく呟いた。それは、彼女の異常な脳細胞の活動を、さらに活性化させるものだった。




