ファントム、尋問される1
マスターは途中で車を乗り捨て、さらに一台を乗り換えた。幾度も周囲を確認し、尾行がないことを確かめてから、ようやく隠れ家へ辿り着いた。
ここは雑居ビルの一角──、表向きは廃業した小さな設計事務所。ひび割れたガラスと古びた看板が人目を遠ざける。階段裏の隠し扉は、指紋・虹彩・声紋による三重認証。外観からは想像もできない厳重なセキュリティだった。
その扉が開くと無機質な空間が広がった。内装は極限まで簡素に、無音のマット、薄型ディスプレイ、壁に埋め込まれた端末群が3人を出迎えた。
「かなり遠回りしたから時間かかったけど、ここなら安心していい。少し休みなさい」
マスターはそう言ったが、ユキは濡れた髪のまま、下を向いて返事をしない。彼女の震える小さな肩に、玲奈はそっと手を置いた。
「あ、あのね、きっと灰島さんは大丈夫だよ。だから……」
あの状況で灰島が逃げ切れた、とは到底思えない。きっとMI6は彼を生け捕りにするから、殺されることはないだろう。それでも、捕まってしまえば死ぬよりもひどい目にあうのは想像に難くない。
そこまでが容易に想像できるから、怜奈も続きが言えなかった。
小さな沈黙の中、ユキの目にはディスプレイが見えた。
「……私、瀬尾さんと連絡とる。MI6に掛け合ってもらって、ファントムを──」
「止めなさい」
静かにそう言って、マスターはユキに椅子に座るよう勧め、自身も向かいに静かに座った。
「そんなことをしたら、彼のここまでの努力が水の泡ですよ」
「だって! それならどうすればいいの!?」
ユキの叫びが、無音の隠れ家に響き渡る。
「ファントムは捕まって、瀬尾さんは敵になっちゃった! これから私たちだけで何ができるの!? 相手はMI6よ? それだけじゃない。CIAもロシアも敵かもしれない。味方なんて……どこにもいないのに!」
「……それでも、待ちましょう」
マスターは、激昂する少女を、ただ静かな目で見つめていた。
「幸い、ここには1カ月分の食料と水はあります。この隠れ家が見つかっても、逃げ道も次の隠れ家もある。今は、逃げることしかできないのなら、それを全力でやりましょう。そして……、彼からの連絡を待ちましょう」
けれど――。
彼は、この場所を知らない。
連絡手段も、何一つ。
希望らしい希望は、どこにも見つからず、沈黙だけが支配していた。




