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【完結】コードネーム・ファントムの新たな日常 〜平穏を夢見る元諜報員は、なぜか国家規模の事件に巻き込まれる〜  作者: 桜瀬ひな


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ファントム、作戦失敗する2

 夜、一台のバンが疾走する。


「……おかしい」


 そう呟いたのは灰島だった。


「え? 追手!? ……って、そんな車いないじゃない」


 あたりを見回しホッとする玲奈に続いて、ユキも小さく息を吐いて手の中にあるラップトップを見つめた。


「これじゃまるで、真っ暗な闇の中を右も左もわからず走っているようなものだわ。瀬尾さんに連絡を──」


「止めろ」


 ラップトップを開こうとするユキの手を、灰島は押さえた。


「そのPCは完全に破壊しろ」


 そう言いながら、灰島は自分が持っていたスマホも真っ二つに折った。


「マスターと玲奈も、瀬尾とアクセスしたスマホは全部破壊しろ」


「それってどういう……」


「瀬尾の通信が切れた直後に、MI6が正確な座標を掴んだ。偶然じゃない。俺たちの情報をMI6に売ったのは、瀬尾だ」


 灰島の言葉に、ユキは息を呑んだ。玲奈も、隣で信じられないというように口元を押さえている。


「……嘘よ」


 ユキの声が、震えていた。


「だって、瀬尾さんは……、仲間じゃ……」


「状況が変われば、人の心も変わる。奴は、自分の命と天秤にかけた結果、俺たちを売ることを選んだ。それだけのことだ」


  灰島の声は、氷のように冷たかった。彼は、真っ二つに折ったスマホの残骸を、窓の外の闇へと投げ捨てる。


「さあ、早くしろ。MI6は、瀬尾が使っていた通信機器のログから、お前たちのデバイスを特定してくる。時間がない」


 その非情な言葉に、ユキは唇をきつく結んだ。そして、膝の上のラップトップを静かに見つめる。これは、彼女が世界と繋がるための唯一の窓であり、同時に、彼女を縛り付ける電子の檻でもあった。そして今、それは裏切り者へと繋がる命綱にもなっている。


 彼女は、その上にそっと両手をかざした。 物理的に叩き壊すのではない。もっと、根本的な破壊。


「……さよなら、瀬尾さん」


 ユキがそう呟いた瞬間、彼女の指先から、目に見えないほどの微細な電磁パルスが放たれた。ラップトップが、奇妙な呻き声を上げる。画面が、虹色のノイズで激しく点滅し、次の瞬間、内部から「パチッ」という乾いた音が連続して響いた。キーボードの隙間から、青白い煙がゆらりと立ち上り、焦げ付いた電子部品の匂いが車内に充満した。


 CPUもメモリも焼き切れ、機体はただの残骸へと変わった。それは、彼女の能力による、静かで、しかし完全な「処刑」だった。


「……私とお爺ちゃんのスマホは、大丈夫だと思う」


 玲奈が、心配そうにマスターを見た。マスターは、懐から取り出した旧式のスマートフォンを静かに見せる。それは、最新のモデルとは程遠い、何の変哲もないものだった。


「ご心配なく。この電話は、緊急時の連絡と、オフラインの地図を見るためだけのものです」


 彼は、穏やかな、しかし有無を言わせぬ口調で言った。


「瀬尾くんのような情報屋と繋がるのに、私たちの足跡が残るような個人の道具は、決して使いません。彼とのやり取りは、全て使い捨ての暗号化回線を通じて行っていましたから。玲奈と私の電話は、汚染されていませんよ」


 その言葉に、玲奈とユキはわずかに安堵の息をつく。この絶望的な状況下で、マスターの忍者としての用心深さと、その存在の頼もしさが、か細い一条の光のように感じられた。


「だが、すでに俺たちがどこに向かってるかバレてる」


「え? どういうこと!?」


 玲奈はもう一度あたりを見回すが、そんな車両は見当たらない。


「まだ追いつかれてはいない。まぁ時間の問題だが、それよりも問題なのは、対向車がいないことだ。恐らく、俺たちがアークブリッジに向かうことがバレてる。ユキ、マスターのスマホを使って、警察無線を傍受できるか?」


「え? えぇ、それはできるけど……」


 アプリをDLすればいいだけ、とユキはマスターからスマホを受け取り操作すると、すぐに警察無線の音声が流れ始めた。


『……ガガッ、アークブリッジ……、事故……、下りは封鎖する』


「やはり」と灰島は声をもらし、これからの計画を一瞬で練り上げた。


「いいか? アークブリッジに入ったら対向車線をつき進め。マスターの腕なら問題ない。そして、封鎖はまだ完璧じゃない、恐らくギリで抜けられる。橋を降りたらすぐに車両を乗り換えて、次の隠れ家に向かえ」


「ファントム、あなたは……?」


 嫌な予感にユキがそう聞くと、灰島は車に載せてあった武器を手に後ろを見た。


「俺は追手を足止めする」


「いけません! それは無謀というものですよ!」


 たった一人でMI6を相手にするというのだ、マスターの言う通り無謀なのだろう。


「他に策がない。だが心配はいらん、お前たちが無事逃げられれば、奴らは俺を殺せない」


 ユキの居場所を知るまでは、ファントムを殺すことはできない。ある意味一蓮托生な関係。


「なら、次の隠れ家で待ってるから! 場所は」


「言うな、玲奈」


 冷たく突き放す灰島の声に、玲奈は言葉を飲み込んだ。


「その情報は、俺にない方がいい」


 その意味が分かったから、ユキは何も言えなくなってしまった。


「来たぞ」


 いつしか小さな雨の降り始めていた。その後方の闇を睨みつけながら、灰島が低く呟いた。サイドミラーに、数台の黒塗りのセダンのヘッドライトが映り込む。


 そして、それだけではなかった。夜空を切り裂くような重いローター音と共に、黒塗りのヘリが、低空でバンに追従してきていた。


 そのヘリの機首下部にあるサーチライトとは別の、小さな光源が、不規則に、しかし明確な意図を持って点滅を始めた。それは、常人が見ればただの光のノイズ。しかし、訓練された灰島の目には、高速で打ち出される国際モールス符号として映っていた。


 トン、トトトン、ツー、ツー、ツー――。


「……MI6からだ。『投降せよ、ファントム』だとさ」


 灰島が、光の点滅から瞬時に意味を読み取り、静かに告げた。


「え? テレパシー!?」


  玲奈の驚きの声に、マスターは「玲奈……」と呆れるが、灰島は構わず続けた。


「俺が空と陸を引き受ける。マスター、3分だ。3分でこのアークブリッジを突破しろ」


 そして、後ろに座るユキを見た。


「俺の目を信じろ、いいな」


「ま、待って──」


 ユキの言葉を聞くことなく、灰島は走行中のバンのドアを強く蹴り開け、雨に濡れるアスファルトへと身を躍らせた。

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