ファントム、作戦開始【フェーズ2:奈落(アビス)のオークション】1
その頃、都内のどこかにある窓のない一室。瀬尾恭介は、複数のモニターに囲まれ、凄まじい速度でキーボードを叩いていた。アロハシャツの袖をまくり、その表情はいつになく真剣だ。
「追跡はさせねえよ、どこのどいつにもな……」
彼は、七重にも八重にもプロキシサーバーを経由し、自身の痕跡を完全に消去しながら、ダークウェブの最深部に、決して誰も辿り着けない聖域であり、同時に魔窟——『タルタロス』と名付けたオークションサイトを構築していた。デザインは悪趣味なほどシンプル。黒一色の背景に、不気味なカウントダウンタイマーと、入札ボードが表示されるだけだ。
そして彼は、世界中の裏社会に根を張る自身のネットワークを使い、選ばれた者たちだけに、暗号化された招待状を送った。
『汝、神を欲するか?』
その一文が、世界のパワーバランスを司る者たちの間に、燎原の火のごとく広がっていく。
「これ、どういう意味? もっと分かりやすくしないと誰も来ないんじゃない?」
画面を見ながら呟く玲奈に、マスターは頭を抱える。
灰島もユキも、一般人である彼女を巻き込むことに反対していたが、彼女自身がここを見つけてしまった。そうなるとさすがに誤魔化すことも難しく、ユキの護衛ということでここにいる。
「つまり、このオークションの売り物は『AEGISを統べる鍵の製造法』、オークションだから当然、最高額の入札者に渡す。だが支払いは、ドルでもユーロでもない。自分たちが敵対組織の『機密情報』を差し出すこと、それが条件だ」
灰島の説明で分かりやすくはなったが、それでもユキは首をひねる。
「……そんな条件で入札する人なんているのかな? それに『最高額』って誰が決めるの?」
AEGISの真の価値は、普通の人には分からないだろう。
「入札するさ。しなくても動向はありとあらゆる機関が監視する。それでいい、そうすることでターゲットが姿を現すのだから」
そして、彼らの思惑通り、世界の悪魔たちが踊り始めた。
【ワシントンD.C. / CIA本部】
「なんだこれは!?」
分析官の一人が、衛星回線から逆探知した断片的な情報を前に叫ぶ。すぐに緊急対策会議が招集され、ホワイトボードには「タルタロス」「神の製造法」という単語が走り書きされた。作戦担当の次官は、苦々しく呟いた。
「ファントムが生みの親を殺したというのはガセだったのか!? あるいは全く新しい生体キーか……、いずれにせよ、見過ごすことは許されん」
こうして、選りすぐりのエージェントが招集された。
【ロンドン / MI6本部】
テムズ川を見下ろすオフィスで、MI6の老練な支局長は、部下からの報告を聞きながら、優雅に紅茶を口に運んでいた。
「ほう、『神の製造法』か。随分と大袈裟な売り文句じゃないか。まあいい、覗いてみたまえ。アメリカの連中がどんな顔でそれに食いつくか、高みの見物も悪くない」
「これ、本物だったらどうするんです? 見てるだけ?」
美女、という言葉がふさわしいだろう、金髪碧眼の女性が煙草をくわえそう言うと、老練な支局長は「そこは臨機応変だよ」と笑うから、彼女も呆れるように肩を上下させた。
「それにしても、支払い条件が下品ね。極東のサルらしい考えだわ」
「そして何が高額かは受け取り手次第、というあたりもえげつない」
「全くだわ」と美女は灰皿にタバコの火を押し付ける。
「絶対に顔を拝まなきゃ」
そう言って、紅い唇が綺麗な弧を描いた。
【中東 / 不明地点】
砂漠に設営されたテントの中。ゲリラの指導者は、古いラップトップに映し出された『タルタロス』の文字を、狂信的な光を宿した瞳で見つめていた。
「見よ! これぞ、我々の聖戦を勝利に導く、天からの啓示だ! 全財産を投げ打ってでも、この『火』を手に入れるのだ!」
おぉ! と歓喜に沸くテント内はまるで狂信者の集いのようにも見える。その中で、サングラスをかけた服装も中東独特なものではなく、迷彩柄の戦闘服の中年の男性がフッと笑う。
「馬鹿どもに与えていいようなものじゃない。これは使い方次第で世界が滅ぶって分かってんのかな?」
彼のつぶやきは誰にも拾われることなく、歓喜の声に埋もれていった。




