ファントム、隠し子現る5
「もうすでに私という生体キーが存在することが世界中にバレてしまった。反政府組織は私のデータを集め始めてるし、アメリカやイギリスも私を狙い始めているわ。当然よね、自国の防衛システムの根幹を揺るがす存在だもの。CIAもMI6も、動き出してる」
彼女の能力は、すでに各国の諜報機関の動きさえも捉えていた。灰島が外を警戒していたのは、その気配を肌で感じていたからに他ならない。
「敵は、中東のテロリスト、アメリカ、イギリス、そしてコクチョウの裏切り者……。世界中が、私を欲しがってる。ある者は『兵器』として、ある者は『危険因子』として排除するために、そしてある者は……、世界の新しい『神』になるために」
ユキはそこで言葉を切り、力なく笑った。
「逃げ場なんて、どこにもないの」
絶望的な告白だった。四面楚歌。いや、全世界が敵と言っても過言ではない。一個人が、ましてや少女一人を連れて立ち向かえる相手ではない。マスターの隠れ家も、その気になれば数日で特定され、包囲されるだろう。
マスターは、黙ってウィスキーのボトルを手に取ると、自分と灰島のグラスに琥珀色の液体を注いだ。
「……さすがにすべてを理解した、とは言えませんが。いや、とんでもない『縁』を引き当てたのは理解しました」
彼はそう呟くと、グラスを一気に呷った。そして、静かに灰島を見据えた。
「さあ、どうしましょうか? 両手を上げても誰も見逃してくれそうにもありませんけど、私としては出来る限り足掻きたいものです」
隠れ家が、再び静寂に包まれる。 ユキの絶望。マスターの覚悟。その全てを受け止めるように、灰島はゆっくりと顔を上げた。その目に宿っていたのは、諦めではない。かつて数多の戦場を潜り抜けてきた、冷徹な暗殺者の光だった。
彼はマスターが注いだウィスキーには手を付けず、静かに口を開いた。
「方法は、三つある」
その声に、ユキとマスターは息を呑んだ。
「一つ、『ノイズ』になる。信用できるだろうコクチョウ時代の知り合いとユキの力で、彼女のものと酷似した量子パターンを持つデコイ情報を世界中に拡散する。敵の情報網を飽和させ、混乱させる。我々の正確な位置を特定させず、時間を稼ぐ」
この場合、クラブこと瀬尾を完全に信用したことになる。今のところ、彼は味方のようだが、本当に味方なのか? そこは100パーセントの確証はない。
「二つ、『オフライン』になる。この国のどこかにある、あらゆる電磁波、あらゆる量子観測から遮断された『聖域』に逃げ込む。知り合いにも頼むが、マスター、あなたの力も借りたい。だが、これは時間稼ぎにしかならない」
灰島はそこで一度言葉を切り、ユキの瞳をまっすぐに見つめた。
「そして、三つ目」
彼は、まるでチェスの駒を進めるように、静かに、しかし残酷な言葉を紡いだ。
「敵同士を喰わせる」
「……どういう意味?」
ユキの問いに、灰島は氷のように冷たい、しかし確信に満ちた声で答えた。
「敵が欲しがっているのは、ユキ、お前本人だけじゃない。裏切り者は、お前をコピーするための『レシピ』を完成させようとしている。他の連中も、いずれその事実に気づく。そうなれば、彼らはリスクを冒してお前を攫うより、より安全な『レシピ』の奪い合いを始めるだろう」
灰島は、まるで盤上の駒を動かすかのように、ゆっくりと言葉を続けた。
「ならば、くれてやるんだ。彼らが喉から手が出るほど欲しがる、『最高の餌』を」
彼の言う「三つ目の方法」、それはあまりにも大胆不敵で、悪魔的な計略だった。
「作戦名は、そうだな、『プロメテウスの火』。我々は、神々の火(AEGISの支配権)を盗み出そうとする人間たちに、偽りの『火』を与える。そして、その火で互いを焼き尽くさせるんだ」
まるでゲームの話でもするかのように話す灰島だが、ユキは首を振る。
「そんなうまくはいかないわ。その火は誰にとっても危険なのよ」
「そうですね、そして一番危険にさらされるのはユキくん、ということになるのでは?」
マスターの言葉にユキはびくっと肩を揺らし、灰島は静かに頷いた。
「その通りだ。けれどこちらが無傷ですむような生ぬるい相手ではないのも事実。ユキ、この作戦にはお前の力が必要だ」
そう言い切る灰島に、マスターは「駄目ですよ」と間に入った。
「こんな小さなお嬢さんにそんな重責を負わせては──」
「彼女は少なくとも二十歳は超えている」
驚くマスターだが、ユキはうつむいたまま反論しない。
「以前会ったときから彼女は1ミリも成長していない。――それが何を意味するかは、見ての通りだ」




