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コードネーム・ファントムの新たな日常 〜平穏を夢見る元諜報員は、なぜか国家規模の事件に巻き込まれる〜  作者: 桜瀬ひな


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ファントム、隠し子現る2

「えーっと、ユキちゃんは灰島さんの前の奥さんの子供、であってる?」


 玲奈がそう聞くと、ユキは「うん」と頷き両手で持ったカフェオレを口に運んだ。


「で、ママは用事があるからパパを尋ねなさい、と?」


 マスターがそう聞くと、ユキはもう一度「うん」と頷いた。


「……灰島さん、聞いていないの?」


 聞いてない。そもそも前妻とは誰のことだ? しかし、ここで下手に否定すれば、さらに話がややこしくなる。何より、ユキが何らかの意図を持ってこの状況を作り出しているのなら、それに乗るのが得策かもしれない。


 ここで彼女の正体をばらすことはできないのだから。


「ママ、番号変えたの。登録してない番号はパパでないから」


 その理由に、玲奈とマスターは「なるほど」と納得した。


「でも、それならなんでユキちゃんはここまで来れたの?」


「ママのスマホ、借りたの」


 ユキはさも当然というように答えた。


「地図のアプリ? でも、子供一人でここまで来るのは大変だったでしょう」


 玲奈が心配そうに言う。どこに住んでいるのかは分からないが、こんな時間にたどり着いたのだ。きっと苦労したのだろうと思いそういえば、ユキは、ふふん、と少しだけ得意げに胸を張った。


「ううん、地図じゃないの。ママのスマホにはね、パパの『だいじなものリスト』が入ってるの」


「大事なものリスト?」


「そう。パパが好きな場所とか、よく行くお店とか、全部わかるようになってる。このお店はね、『いちばんのお気にいり』って書いてあった。だから、スマホに『連れてって』ってお願いしたら、ぴかぴかって光る線が道に出てきて、それを辿ってきたの」


 子供らしい、少し不思議な表現。


「あ、もしかしてSNS? 灰島さん、クールに見えて写真アップとかしてるんだぁ」


 玲奈は灰島がセグレトをSNSにアップして、宣伝しているのだと解釈し、その写真情報からユキがここにたどり着けたと思ったのだ。


 けれど事実は違うことを灰島は知っている。そもそもは灰島はSNSはやっていないし、自分の居場所を知られるような痕跡はこれまでもことごとく消している。


 ユキがここにたどり着けたのは、彼女の能力によるものだ。


 電子機器に干渉し、ネットワークを介して情報を引き出し、それを視覚化する。彼女は、おそらく、コクチョウのデータにアクセスし、この場所にたどり着いたのだ。


「そっかー、すごいね、ユキちゃん! 一人でここまで来れるなんて、偉いね!」


 玲奈が屈託なくユキの頭を撫でる。


「まあ、何はともあれ、無事に着いてよかった。お母さんには、こちらから連絡した方がいいですね。灰島くん、連絡出来るかな?」


 マスターにそう言われ、思考を停止させた灰島の隣でユキが「大丈夫」と答える。


「もう連絡したから。でね、ママにはしばらくパパのところにいるって言ったから、よろしくね? パパ」


 にこりと笑うユキに、灰島は固まったまま一言も返せなかった。





「それにしても、よく眠ってるね。もしかしてすっごく遠いところに住んでるの?」


 玲奈がそう言いながら、ユキに毛布をかける。ユキはカフェオレを飲み干すと、まるで壊れたおもちゃのようにその場で眠ってしまったのだ。


「……そうだな」


 能力の使い過ぎで、脳が思考を停止、休眠を選んだ状態。かなり無理をしてここまで来たのだろうということは分かった。


「ここに泊まるのはいいのですが、お風呂がないんですよね。うーん、タクシーで帰りますか?」


 気を利かせてくれるマスターに、灰島は首を振り彼女を抱き上げた。


「そんな距離ではないですし、歩いて帰ります」


 歩く灰島の隣には、同じアパートのため玲奈も歩く。


「それにしても、こんな大きなお子さんいたんですね」


「……俺の子供では」


「うんうん、奥さんの連れ子ね。それでも一時は家族だっんでしょ?」


「……」


 玲奈の言う通り、あるミッションのため彼女とは擬似家族として過ごした。


「こんな小さい子が、一人で灰島さんを頼って来たんです。ちゃんと相談に乗ってくださいね」


「……あぁ」


 灰島は短く相槌を打つ。ユキの作り出した嘘をそのまま信じてくれているのは好都合だが、一体、彼女に何が起きたのか? どうして自分に助けを求めてきたのか?


 部屋に入るにあたり、灰島は注意深く見回した。欠片ほどの変化のない部屋の中に、小さく息を吐き出し、彼女をベッドに横たわらせる。


 けれど、ここにはクラブの仕掛けた盗聴器がある。彼が味方ではなかった場合、ここも安全とは言い難い。


 あいつが味方であることを願いたいな……。


 そんな考えに、灰島は苦笑した。願いとか、自分の都合のいい状況を前提に、作戦がうまくいくはずなどないのに。何事も最悪を想定して、あらゆる作戦を考えるべきだ。


 灰島は、静かに息を吸い込んだ。


 最悪の状況…クラブは敵。この部屋の存在は全てコクチョウに筒抜け。ユキの居場所は完全に特定されていると考えた方がいいだろう。


 窓から外を伺う。店からこの部屋まで、神経を張り巡らせていたが、見張りや追跡者は確認できなかった。もしかしたら、ユキがうまくコクチョウの情報をかいくぐって自分に会いに来たのかもしれない。いや、そうでなければ、すでにこの部屋は完全に包囲されているだろう。


 包囲されても、この部屋からは脱出経路は確保している。だからと言って、この部屋は籠城するのに向いているわけではない。


「……動くか」


 自然とこの部屋に帰ってきたが、この部屋にこだわっていた自分をぶん殴りたい衝動にかられた。


 ボケるにもほどがある。


 灰島はすぐに行動を開始した。クローゼットの奥、壁の一部に巧妙に隠された小さなバッグを引きずり出す。中には最低限の着替えと、偽造ID、そして予備の弾薬とサプレッサー付きの小型拳銃が入っていた。


 幸い、ユキは灰島が着ていたジャケットをそのまま羽織れるくらいの小柄さだ。彼女に靴を履かせ、自分のホルスターを確かめる。


 ユキのまつげが小さく揺れるのを見て、灰島は彼女の肩をそっとたたいた。するとゆっくりその目が開けられる。その目に映るように、灰島は自分のスマホ画面を見せた。


『この部屋は盗聴されている。声は出すな』


 彼の指示にユキはコクリと頷き、体を起こした。


『場所を移動する。動けるな?』


 その質問にも、彼女はコクリと頷き音をたてないように立ち上がる。


「……追っ手?」


 声は出さずに口パクでそう伝える彼女に、今度は灰島が頷く。


『その可能性が高い。詳しい話は後だ。とにかく移動しよう』


 コクリと頷く彼女の顔に無邪気さはなく、年齢に見合わない落ち着き払った行動に、灰島は改めて、彼女がただの子供ではないことを再認識した。


 なにせ、5年前に会ったときから彼女は少しも成長していないのだから──。



 アパートのドアを静かに開け、廊下に気配がないことを確認する。玲奈の部屋の明かりはもう消えていた。彼女を巻き込むわけにはいかない。階段を音もなく下り、夜の冷たい空気が二人を包んだ。


 大通りを避け、入り組んだ路地を縫うように進む。どこから見られているか分からない以上、今はひたすら気配を殺して移動するしかない。


 十分ほど歩いただろうか。見通しの悪い角を曲がろうとした瞬間、不意に前方の闇から人影が現れた。灰島は即座にユキを背後にかばい、腰の銃に手をかける。


「お二人さん、こんな夜更けに散歩ですか?」


 聞き覚えのある、穏やかな声。そこに立っていたのは、先ほどまで一緒だったセグレトのマスターだった。


「マスター……」


「いやあ、灰島さんがあまりに思い詰めた顔をしていたものですから。それに、あのお嬢ちゃんの様子も、ただごとじゃないってのは分かりますよ」


 マスターは人の良さそうな笑みを浮かべていたが、その目は全てを見透かしているかのように鋭い。


「どうやら、ゆっくり眠れる場所を探しているご様子だ。もしよければ、ですがね。私が昔使っていた場所があります。少しの間なら、誰の目にも触れずに済みますよ」


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