ファントム、協力する7
「……聞いていいか?」
その質問に、灰島は「あぁ」と短く答える。
ここは灰島の部屋で、ローテーブルには淹れたてのコーヒーがある。そのコーヒーには手も付けず、瀬尾は神妙な面持ちで質問した。
「お前、あそこが臓器ブローカーだと知っていたのか?」
「いや」
「知っていたよな?」
「全く」
「そうじゃなきゃ、前回の大麻栽培といい、今回の臓器ブローカー摘発といい、なんで国際的な組織まで一網打尽なわけ!? ってか、ここはかの有名な米花町なわけ!? お前が一歩歩けば、事件に当たるのか!? そうなのか!?」
ソファから半ば身を乗り出して詰め寄る瀬尾に対し、灰島は表情一つ変えず、静かに口を開いた。
「まず、なんのことを言っているかは理解したつもりだが、米花町は架空の地名だ。現実との混同は非論理的だ」
「すでにお前の存在が非現実だろうが!」
瀬尾はがっくりと肩を落とし、自分の頭を抱えた。その姿を見て、灰島は「ふむ」と腕を組んで彼の前に座った。
「前回の案件は、ご近所の騒音を解決しようとした結果だし、今回の案件も店に助けを求めに来た技能実習生がいただけで、俺は何もしてないぞ?」
「何もしてない!?」と、瀬尾が食い気味に尋ねる。
「玲奈のミッション失敗リスクがかなり高いと判断したから、仕方なく介入したまでだ。結果として、背後の組織が判明したのは偶然の産物だな。俺の行動と事件の規模に、直接的な因果関係はない」
淡々と、あまりにも淡々と語られる真実に、瀬尾は天を仰いだ。
「……つまり、お前はただこのアパートの管理人の孫娘を助けに行っただけだと。そのついでに、たまたま国際人身売買組織をひっくり返したと。そういうことか」
「簡潔に言えば、そうなる」
「はは……ははは……」
瀬尾は乾いた笑いを漏らし、テーブルに突っ伏した。
「駄目だ、こいつがいたら殺人事件が起きかねん」
「理由もなく人は殺さん」
「殺したところで証拠も残さんだろうしな。って、違う! お前じゃなくて周りで勝手に事件が起きるって言ってんの!」
「なんの科学的根拠のない言い分だな」
「あー、なんとでも言ってくれ……、って、俺、油断してた?」
瀬尾がコーヒーの伸ばした手を止めそう聞けば、灰島は「いや」と答え、自分のコーヒーを口にした。
ピンポーン
「彼女は忍者らしい」
「はい?」
「だから、気配の消し方が絶妙なんだ」
「……からかってんの?」
じとっと見上げる瀬尾に、灰島はフッと笑い立ち上がると玄関のドアを開けた。勿論、そこに立っていたのは玲奈だ。
「……これ、おばあちゃんの漬物、は口実で一応お礼、言っとこうと思って。先日はありがと?」
最後が疑問形になったのは、部屋の中に見たことのない人を見つけたから。
「え? 灰島さんに友達っていたの!? 絶対にいないタイプかと思ってた!」
「うーん、なかなか失礼だけど激しく正解!」
笑顔でそう答える瀬尾に、「なぜおまえが正解を決める?」と灰島が言うが、誰も聞く耳を持たない。
「初めまして、灰島の元同僚で瀬尾恭介です」
「あ、初めまして。私、このアパートの管理人の孫で、紅林麗玲奈です」
知ってる。とは言わず瀬尾はにこりと笑う。
「で、お礼って?」
すべてを知っているくせにそう質問する瀬尾に、玲奈は「え? あ、えと」と焦りまくり。
「先日の雨で傘を貸しただけだ」
「そ、そう! そうなんです! コンビニの傘ですけど!」
灰島の助け舟に、玲奈は必死で頷く。その様子を見て、瀬尾は面白くてたまらないといった表情でニヤニヤしている。
「へぇー、傘一本で、わざわざお礼を? しかも、おばあちゃんの漬物まで口実にして。律儀だなぁ、玲奈ちゃんは」
「う……」
からかうような瀬尾の言葉に、玲奈の顔がみるみる赤くなる。助けを求めるように灰島を見ると、彼は一つため息をついた。
「瀬尾。お前のコーヒーは冷めたんじゃないのか?」
「おっと、これは失敬。つまり、お邪魔虫は帰れ、と」
灰島からの事実上の退去勧告を受け、瀬尾は楽しそうに笑いながら立ち上がった。
「じゃあ、お二人さん、ごゆっくり」
「そ、そういうんじゃないです! 全く! 完全に! 100パーないです!」
と、きっぱり言い切る玲奈に、瀬尾はひらひらと手を振って部屋を出ていった。
「……で、漬物は?」
「あ、うん。これ」
玲奈は差し出していたタッパーを灰島に渡す。
「それと、こっちはコンビニの傘のお礼で──」
「なんであの工場長を攻撃しなかった?」
「え?」
もう一つ持っていた小さな紙袋を突き出す手が止まる。
「あの時、俺が介入しなくても、お前なら問題なく対処できたはずだ」
体格差はあるが、彼女の身体能力をもってすれば、そんなものは何のアドバンテージにもならないだろう。なのに、彼女は決して反撃することなく、ただ逃げることに専念していた。
そして今、それを指摘されても彼女は俯いて何も言わない。
「もしかして、普通の人間を攻撃したことが無いのか?」
そんな灰島の問いに、玲奈は怒っているような困ったような、複雑な表情を見せた。
「……おじいちゃんとは組手やったことあるけど、普通の人を殴ったりなんてする機会があると思う? どれくらいで気を失うかとか、どんだけやったら死んじゃうかと、分かんないじゃん」
「分かるだろ」
「一緒にしないで」
「……」
確かに、普通に生活をしていて人を殴るなんて状況に陥る人間は、ほとんどいないかもしれない。しかもこれくらいなら気を失って、ここまでやれば死ぬ、なんて限界まで知る人間は少ないだろう。
「分かった、これは受け取ろう」
彼女の手にある紙袋を、灰島は受け取った。どうやら駅前にあるスイーツ店の限定シュークリームだ。
「その代わり、俺が教える」
「え?」と驚き顔を上げる玲奈に、灰島は続けた。
「毎朝のランニングに付き合え。コースから少し外れるが、橋を渡ると河原に降りれるところがある。そこでどれくらいで気を失うか、どこまでやれば死ぬか、その力加減を教えてやる」
「……さすがに殺し方まではいいわ。ってか、殺ったことが本当にあるわけじゃないでしょ?」
探るような玲奈の質問に、灰島は「さあ、どうかな」とはぐらかす。
「だが、どこをどのくらいの強さで殴れば気を失うか、は的確に教えられるな」
「……なら、お願いします」
素直にそう言うものだから、彼女の頭を撫でたくなる衝動はなんだろうか?
「それにしても、漬物とシュークリーム。どういう組み合わせだ?」
「うっさいわね! 文句あるなら食べないでよ!」
「いや、食べる」
「なら黙って食べなさいってば!」
玲奈がそう叫ぶと、灰島は「わかった」と静かに頷き、静かにドアを閉める。
「明日は5時半だ。遅れるな」
別にデートの約束でもないのに、一瞬ドキリとしたのは、きっと彼が笑っていたからだろう。
「ホント、無駄にハイスペックね」
玲奈はそう言いながら、彼の部屋の前を後にした。




