ファントム、協力する3
話を聞き終えた玲奈は、怒りでわなわなと拳を握りしめていた。その目には涙が滲んでいる。
「今すぐ警察と、労働基準監督署に駆け込もう! こんなの、犯罪よ! あいつらを告発すれば、きっと……!」
「待て」
今まで黙ってタオの話に耳を傾け、彼の消耗しきった肉体を冷静に観察していた灰島が、静かに、しかし有無を言わせぬ響きで口を開いた。
「無意味だ。警察に行けば、まず彼は不法滞在者として扱われる可能性がある。在留資格が切れているか、あるいはそもそも就労が許可されていない資格かもしれない。そうなれば話を聞く前に身柄を拘束されるだけだ。労基署も、監理団体と工場が裏で繋がっていれば、まともに取り合わないだろう。『本人から事情を聞いたが、合意の上だった』とでも言われて終わりだ。最悪の結末は、彼が強制送還され、故郷で斡旋業者に作らされた多額の借金だけが残ることだ」
冷徹なまでの分析だった。それは可能性ではなく、この種の事件で繰り返されてきた、ありふれた現実。
「なら、ほっとけってこと!?」
玲奈の声が、怒りと絶望で震える。
「そうは言っていない。だが、感情で動けば、彼らをさらに危険に晒すだけだ。これは単なる労働問題じゃない。法律と、国と国との関係が複雑に絡んだ、根の深い犯罪なんだ」
「あーっ!! うるさい!! かなりイケメンだからって正論言えばいいってもんじゃないでしょう!?」
「俺がイケメンなのと、この件とは関係ないだろう? 正論なのは認めるが」
「うーーーっ!! ムカつく! イケメンなのも正論なのも、全部ムカつく!!」
目の前に苦しんでいる人間がいるのに、なぜそんな正論で納得することができるのか。
逆に、灰島からすれば彼女はなぜこんなにも感情的になれるのか、こんなことはありふれた日常で、そこかしこにある問題だというのに。
「イケメンのくだりは分からんが、正論と分かっているなら落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょう!? 先に帰る! ついてこないでよね!!」
そう言い捨てると、玲奈は土砂降りの雨の中、店を飛び出してしまった。玲奈が開け放ったドアから、店の中に雨が降りこむ。
「これで、少し頭を冷やすといいのですが」
そう言いながら、マスターはそのドアを閉じた。
「彼女の性格上、それは無理かと」
寧ろ、この雨を利用して──。
「そうだねぇ。そっちは君に任せていいかな?」
にこりと笑うマスターに、灰島はコクリと頷く。
「それで、彼の身柄はどうしますか?」
警察に連れて行っても、保護どころか逮捕されかねない。だからといって、工場に戻すわけにもいかない。
「そうだね。とりあえずはこの店の2階で保護しましょう。まずはその体を癒すところからです」
ポンとタオの肩を叩くと、彼は涙ぐんで「ありが、とう、ござます」と片言の日本語で答えた。彼一人保護したところで何も変わらないのだが、証人として手元に置いておくのは賛成だ。
だからそれにも頷いて、灰島は「もう一つ質問が」と口にした。
「ん? なんですか?」
「俺は罵倒されるほどイケメンなんですか?」
いたって真剣な灰島に、マスターは「うーん、そうだねぇ」と次の言葉を探す。
「まぁ、若いころの私には負けるから安心しなさい」
それは安心できる材料なのか? そもそもイケメンの基準は? と疑問点は消えなかったが、これ以上聞いても解決できるとは思えず、灰島は「では」と店を後にした。




