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8話


「……まさか……古の伝承にあった、森を浄化する『大地の守り人』様が、実在したとは……」


 突然現れ、その場に膝をついたエルフの女性に、俺は困惑していた。

 水遊びで濡れた服のまま、とりあえず当たり障りのない返事をする。

「あの、どうも。たぶん、人違いだと思いますが……」

「いいえ、人違いなどではございません」


 顔を上げたエルフの女性は、翠玉のような美しい瞳で、俺と、俺が再生させた渓谷を交互に見つめた。

「この森を満たす、清浄にして強大な生命のマナ……。そして、破壊された大地を瞬時に再生させるその御業。あなた様こそ、我ら森の民が待ち望んだ、伝説の守り人に違いありません」

「はあ……」

s まただ。またこのパターンだ。ルナリアに続き、今度はエルフ。俺の周りでは、どうやら盛大な勘違いが流行しているらしい。


 俺が返答に窮していると、隣にいたルナリアがすっと一歩前に出た。彼女は、巫女が神を守るかのように、俺とエルフの間に立つ。

「何者ですか。アッシュ様の御前に、許可なく姿を現すとは。名を名乗りなさい」

 その声には、先日の侵略者たちに見せたような敵意はない。だが、アッシュ様(俺のことらしい)に近づく者を見定めるような、鋭い響きがあった。


 エルフの女性は、ルナリアの威光にわずかに気圧されながらも、胸に手を当てて恭しく名乗った。

「失礼いたしました。私はシルフィと申します。この森の奥に隠れ住む、エルフの里より参りました斥候です」

「エルフの……斥候?」

「はい。我らの里は、長年この『嘆きの森』の瘴気に苦しめられてまいりました」


 シルフィは、悲痛な面持ちで語り始めた。

 嘆きの森から溢れ出す瘴気は、森の木々を枯らし、動物たちを凶暴な魔物へと変えた。そして、森と共に生きるエルフたちをも蝕んでいった。特に、体の弱い子供たちが次々と病に倒れ、一族は緩やかな滅びの道を歩んでいたのだという。


「ですが、十日ほど前から、森に劇的な変化が起こりました。あれほど濃密だった瘴気が嘘のように晴れ、枯れていた木々が芽吹き始めたのです。長老たちは、これを古の伝承にある『大地の守り人』の再来だと考え、その原因を確かめるべく、私を遣わしたのです」

 シルフィの翠玉の瞳が、再び俺を捉える。

「そして、私は確信いたしました。この聖域こそが、森を浄化する力の源泉……。そして、あなた様こそが、我ら森の民の救い主である、と」


 なるほど、事情は分かった。どうやら俺がここに拠点を作ったことで、結果的に森が浄化され、エルフたちを助けることになったらしい。

 俺としては、ただ快適なキャンプ地を作っただけなのだが……。

「いや、だから俺はただここで暮らしてるだけで……」

「なんとご謙遜を……。これほどの奇跡を起こされながら、それを当然のこととしておられるのですね」

 俺の否定は、彼女の信仰を深める燃料にしかならなかった。



「……守り人様。どうか、一つ、嘆願をお聞き入れいただけないでしょうか」

 シルフィは、再びその場にひざまずくと、深く頭を垂れた。

「里には、まだ瘴気の病に苦しむ子供たちがおります。どうか、その御力の一端を……この聖域に湧き出る『聖水』を、少しでもお分けいただくことは叶いませぬでしょうか」

 彼女が指さしたのは、俺が昨日作ったばかりの【万病を癒す聖泉】――俺にとっては、ただの露天風呂だった。


「え、水? ああ、温泉だけど。そんなものでいいなら、いくらでも持っていくといい」

「ほ、本当でございますか!?」

「ただの水だぞ?」

「あなた様にとってはただの水でも、我らにとっては神の恵み! ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 感涙にむせぶシルフィに、俺は少しばかりの同情を覚えた。彼女たちにとって、それほど切実な問題なのだろう。


「でも、持っていく入れ物がないだろ。ちょっと待ってろ」

 俺はスキルを発動し、『持ち運び用の水筒』をイメージした。前世で使っていた、軽くて丈夫なステンレス製の水筒だ。


《オブジェクト:【世界樹の若枝の水筒】の創造に成功しました》

《効果:中に入れた液体の効能を増幅させ、決して腐らせない。微量ながら、中身を自己再生する機能を持つ》


 俺の手に現れたのは、淡い緑色に輝く、美しい木製の水筒だった。表面には、生命力を感じさせる複雑な紋様が浮かんでいる。

「ほら、これに入れて持って行きなよ。結構入るぞ」

 俺が軽い気持ちでそれをシルフィに手渡した瞬間、彼女は目を見開いたまま、完全に硬直した。


「こ……これは……せ、世界樹……!? なぜ……なぜ、神話にしか存在しないはずの、聖なる枝がここに……!?」

 エルフである彼女にとって、世界樹は信仰の対象そのもの。その枝から作られた神器を、目の前の男が、まるで道端の石ころのように、いとも容易く生み出してみせた。

 シルフィは、震える手でその水筒を受け取ると、まるで赤子を抱くかのように、大切に胸に抱いた。

「こ、これほどの神器と霊水を、こんなにもあっさりと……。ああ、守り人様の慈悲は、なんと深く、広大なのでしょう……」

 彼女の俺に対する評価は、もはや「伝説の守り人」から「現人神」の領域へとランクアップしたようだった。



「この御恩は、生涯忘れません」

 聖水(温泉水)を神器(水筒)に満たしたシルフィは、俺とルナリアに深く、深く頭を下げた。

「つきましては、守り人様。もし、ご迷惑でなければ、一度、我らの里へお越しいただけないでしょうか。長老をはじめ、一族を挙げて、あなた様を歓迎いたします。どうか、我らに直接、感謝を伝える機会をお与えください」

「エルフの里、か……」

 その言葉に、俺の前世のアウトドア魂が疼いた。エルフの里。なんと心惹かれる響きだろうか。彼らの生活、文化、そして森との共存の仕方。見てみたい、知ってみたい。


「アッシュ様、いかがなさいますか?」

 ルナリアが、俺の意向を伺うように尋ねてくる。

「迷える子羊たちが、神匠様の御前にて救いを求めております。その声に応えるのも、また慈悲かと」

 すっかり巫女が板についた彼女も、乗り気のようだ。

「……分かった。行ってみるか」

「! まことでございますか!」

「ああ。ちょうど、この辺りの地理にも詳しくなりたかったところだ」


 こうして、俺とルナリアは、シルフィの案内で、エルフの隠れ里へと向かうことになった。俺の拠点から、初めて本格的に外の世界へ足を踏み出す冒険だ。

 俺が知らないだけで、この森には、他にも多くの秘密が隠されているのかもしれない。

 俺の、勘違いスローライフは、今、新たな隣人を巻き込み、さらにその世界を広げようとしていた。


 ―――その時、アッシュたちはまだ知らない。

 王都を出発した精鋭部隊「王立魔導騎士団」が、着実にこの聖域へと近づきつつあることを。

 彼らの隊長、アルフレッド・オーブライトは、冷静沈着な目で、浄化され始めた森を見つめていた。

「……報告にあった通りだな。尋常ではないマナの奔流だ。これは、ただの魔物やならず者の仕業ではない。―――全員、心してかかれ。我らが対峙するのは、国家の存亡を揺る存在だ。


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