第五十二話訪問
今回はコメディは無し。つってもシリアスって程でも無いんだけどねぇ。
タケルがギルドで男を懲らしめてから三日程が経った頃、孤児院の前には大きな馬車が停まっていた。
それは商人が荷を運ぶ為に使う様な無骨なものでは無い。全体に豪華な装飾が施され、客室も乗り心地と快適性を重視した贅沢な作りをしている。荷台を引く馬も上等で、黒光りした艶やかな毛並みとガッシリと逞しい体躯を持ち合わせていた。
そんな馬車から下りてきたのは、一人の初老の男性。質の良い如何にも高級なローブを身に纏い、身なりからも階級の高さが窺える。彼は付き人を従え孤児院の入り口へと向かった。
男性の付き人が呼び鈴を鳴らすとややあって扉が開かれる。
「はいよ。どちらさん?」
顔を覗かせたのはタケルだった。彼は物怖じする事なく、何食わぬ顔で男性を迎える。
「私はロンドレク・キデアと申す。故あってタケル・カミジョウ殿にお会いしたい。御在宅か?」
「タケルは俺だ。話なら中で聞くよ。」
「先ずは謝罪させて頂く。先日、当家の者が無礼を働いたようで誠に申し訳無い。」
談話室での対話はロンドレクの謝罪から始まった。彼の言う無礼とは昨日ギルドで男がウズメを侮辱した件についてだ。
「ああ、あれなら気にしないでくれ。もう謝って貰ったしな。」
「寛大なご処置に感謝する。」
僅かに安堵するロンドレク。見たところ相手は怒りを押さえ込んでいる様でもない。どうやら本当に終わった事として捉えているらしい。ここにくるまでに最悪、罵倒を浴びせられる覚悟までしていたので、これは僥倖である。
だからと言って心証は決して良くは無いだろう。使用人からの報告では激怒され、殺されかけたとまで聞いている。更にこれから此方は頼み事をしなければ成らないのだ。
「既に聞き及んでいるとは思うが、私はタケル殿の作る回復薬についてお聞きしたいのだ。よろしいだろうか?」
「ああ。構わないけど?」
意外だ。本当に噂に聞く程の効果がある回復薬ならば秘中の秘であるだろう。しかしタケルは驚く程あっさりと頼みに応じたのだった。もしや噂が一人歩きしただけで大した効果は無いのでは?と考えるロンドレク。
「件の回復薬だが、どの程度の効果があるのか教えて欲しい。」
「んー、そうだなぁ。死んでなければ大抵の怪我は治せるぞ。あと解毒。」
「成る程…。」
やはり噂は真実のようだった。この目で見た訳では無いが、そのくらいでなければ噂には成らないだろう。
「では、生まれながらに体に不自由が有る場合はどうだろうか?」
「……。例えば奇形とか?」
「うむ…。」
奇形という言葉がロンドレクの胸に突き刺さる。何故なら彼が回復薬に興味を持った理由が、孫の不自由な腕を治す為だったからだ。
「うーん。その場合は…」
腕を組み考え込むタケル。ロンドレクも無言で答えを待っている為、談話室は静まり返る。
「どうぞ。」
「あ、ああ。頂く。」
タケルの思案中、テーブルに紅茶が置かれた。運んできたのはリン。ロンドレクは彼女の美貌を眺めつつ茶を啜る。将来、自分の孫にもこんな美しい妻を娶らせてやりたいものだ。
「結論から言うと、回復薬じゃ生まれもっての奇形は治せ無いな。」
「やはりそうか。」
「だけど、他に治す方法ならある。」
「本当か!?」
テーブルを飛び越えんばかりに身を乗り出すロンドレク。
彼はこれまで孫の為に方々で治療法を探し回ってきた。高名な術者を呼んでの治療や秘薬と言われる薬の使用など、思い当たる手は全て試したが効果は無かった。最近では半ば諦めかけていたところだ。
そこへ来て漸く見えてきた光明である。沈着冷静なロンドレクといえど落ち着くのは無理だった。彼は鼻息荒くタケルへと詰め寄る。
「実は我が孫が生まれながらに片腕が不自由なのだ。それをどうしても治してやりたく、家臣に治療法を探させていたのだ。」
「先日の男もその一人か。」
「うむ。功を焦り自ら交渉に向かったらしい。重ねて謝罪する。」
つまりギルドで会った男の行動は、手柄を焦った上での独断専行。いや、暴走だった訳だ。
「報酬は幾らでも出す。どうか孫の腕を治して頂きたい。」
ロンドレクにとって孫は目に入れても痛くない存在である。その可愛い孫の腕が治るのなら、己の私財を投げ打ってでもタケルの協力を取り付けたい。
「幾つか条件が有る。」
「何だ?私に出来る事なら何でもするぞ。」
「治療に関する全ての情報を秘密にする事。もしもその情報が洩れてこちらが不利益を被った場合、相応の報いを受けて貰う。」
この話が世の中に広まると、タケルの元に怪我人病人が押し寄せてくるような事態に成りかねない。確かに気の毒だとは思うが、全ての人を救ってやろうと考えるほど善人のつもりはないのだ。
「…ちなみに相応の報いとは?」
「色々さ。先ず治した腕は元に戻す。他は程度で変わるだろうが、俺の身内に害が及ぶようなら…」
ゾワッ…
タケルの雰囲気が一変する。動きに変化は無い。先ほどと同じくゆったりとソファーに身を預けているだけだ。それでも周囲の空気は凍り付き、ロンドレクの頬をピリピリと撫でた。
「そちらの身内にも同じ目にあって貰う。」
ロンドレクは向かい合った男の視線に、この上なく危険な物を感じ取った。鋭利で寒気のするように冷たい眼差し。ただ寛いでいるだけだというのに、まるで首に刃を突き付けられているようだ。
「むう…」
目の前の若者が放つ殺気にも似たプレッシャーに圧倒され、額に汗が滲む。後ろに控えていた家臣達も同様だ。ゴクリと息を呑む音が聞こえる。
「貴様っ!ロンドレク様に無礼ではないか!」
「逸るな馬鹿者!」
タケルの殺気に当てられたのか、それとも耐えられ無くなったのか。家臣が武器に手を掛けた。ロンドレクは慌てて彼らを制止する。これ以上タケルの不興を買う訳にはいかない。孫の将来が掛かっているのだ。
「なっ!?か、体が!」
「動かない!」
ロンドレクが制止するまでもなく、家臣達は武器を抜く事はなかった。皆、口々に異常を訴える。彼らは身構えたまま動かない。いや、動けないのだ。
「やれやれ…ここは孤児院だぞ。物騒な物は仕舞っててくれよ。」
呆れ顔で紅茶を啜るタケル。落ち着き払った態度から、ロンドレクは彼がこの現象を起こしたのだと察した。
「…申し訳ない。家臣どもが失礼した。」
「気にしてないよ。それより話を続けようか。」
「う、うむ。条件は了解した。治療に関して詮索も漏洩もしないと誓おう。」
どうやらまだ交渉は生きているようだ。危なかった。せっかくの機会を家臣の勇み足でふいにするところだった。
「あとは報酬だけど…」
改めて交渉を再開する二人。治療費や日程など詳細を決めていく。
タケルに孫の治療を依頼する事に成功したロンドレクは、馬車に揺られ帰途に付いていた。
「全く…恐ろしい男だったな。」
「はい。まさか私もあれほどとは思いませんでした。」
同乗する付き人が相づちを打つ。
絶大な効果の回復薬に、一瞬で家臣達を制する魔法。そして周囲を圧倒する殺気。どれを取っても尋常ならざる人物である。
「道理でレイア様が重用される訳だ。」
タケル・カミジョウの名は以前から聞いていた。レイア姫の孤児院設立に新魔法の開発、ラサゾールの捕縛など彼の活躍ぶりは貴族の間でも注目の的である。
中には今の内に懇意になっておこうと目論む者も多い。キデア家もその一つだった。なので家臣からの報告で揉めた相手がタケル・カミジョウだと聞いた時は頭を抱えたものだ。しかし起きてしまった事は仕方無い。ならばこの目でタケル・カミジョウという人物を見定めてやろうと思っていた。
だが見定められたのは寧ろ此方の方だった。今になって考えればあの殺気による挑発と家臣の制圧は警告だったのだろう。条件を破れば報いを受ける。こちらにはそれだけの力が有るのだと。
はい、という訳でロンドレク・キデアの正体は孫を愛するおじいちゃんて事ですね。意外だったでしょうか?
まぁ、貴族って権力絡みで悪者にし易い立場ですが、それだけじゃ飽きがくるかと思ってこんなシナリオにしてみました。