19:2 - 久方ぶりの会話にて
「オイこらテメェ! 何そこの仕切りジロジロ睨んでんだ⁉︎ 分かってんだろうな、覗こうとか考えんなよ⁉︎」
奥の壁がちょうどよく見える角の上の座席で、番台兼男湯監視員のイスルギが声を張り上げた。ここには男湯と壁一枚隔てて女湯もちゃんとあるのである。番台の座る位置から男湯に向けてのみがプールの監視員の座席みたいに見渡せるようになっていて、つまりイスルギからは男湯の全てが筒抜けになっている。ちなみに女湯の監視は全くない。あくまで監視は“覗きの防止”のためであって、それ以外の非合法なことを今さらここで隠れてやったところで誰も気にしないからだ。
わざわざこんな設計にした理由というのは他ならぬ『治安維持』のためである。ウチの一派が男だけじゃないのは知っての通り。かといって女全員をマダム・バタフライ備え付けの風呂に押し込むのも“素人”の精神衛生上よろしくないし店側にも迷惑がかかる。そこであえて監視の目が行き届くアリアドネ号内に銭湯を作り、全員をまとめてここに通わせることで風紀が乱れさせまいとしたワケだ。公衆浴場が一つあれば覗き魔も“他では”騒ぎを起こそうとしないし、女側も人の出入りがアリアドネ号に集中するぶん身の危険が減る。それに何より番台に駆り出されているイスルギ自身の人望も一役買っていた。
で、壁一枚しか隔てていないということはつまり。
「え、アキもそこにいる? ……た、体調はどう? 無理してない?」
向こうにいるらしいラッシュの声におずおずと話しかけられた。こんな感じで会話することも(イスルギに睨まれはするが)可能だったりする。国籍が入り乱れる場ということで、こういうところで思わぬ使われ方をすることもよくあった。確かに日本人にはあまり湧かない発想ではあるが。
「……“周りより早く老ける”ってだけで今んとこまだそんな症状は出てない。それより、急に態度変えんのやめてくれって前にも言ってたろ……」
当たり前っちゃ当たり前ではあるが、病の発覚後は顔なじみともギクシャクしていた。会話も驚くほど減ったし、どいつもこいつも何つーか全体的に腫れ物に触るような扱いというか。そういう意味でも付き合いの浅いティートは話し相手として優秀だった。
「ちょっとアキ? あなたどのツラ下げてそんなこと言ってんのよ、こういう態度になるに決まってるじゃない」
「おいそっちベイファンもいんのかよ。てかお前までやめてくれ……」
「あなたサイコパスか何かなの? さすがに他人がどう思うかとか気にしなさい」
「あ? そういうの気にするだけ無駄だろーがよ……今までにそういうの身に染みてんだ」
俺が他人の目なんかを意図的に気にしないようになったのはこの病気に原因がある。“指定難病”なんてものに、しかも生まれ持った遺伝子が要因とかいうどうしようもない状況だとそりゃ周りなんて気にしてられないし、イザなってみて周りから向けられる好奇・哀れみの目なんて余計にやってられない。当然どうでも良くなるというものだ。
「き、気になってたんだけどさアキ。そんなビョーキだったんなら、というかそんなの関係なくアキって異様に射撃上手かったりケンカ強かったりしたじゃん? か、体が衰えてくのにそんな強い理由が、その、気になって……」
絵に描いたようなしどろもどろ、という感じでラッシュが尋ねてくる。そんな申し訳なさそうに切り出されても俺はどうしようもない。まぁ、ベイファンの言うように気にすんなっつってどうなるものでもないのは俺にだってわかるが、とはいえ今さら急に大昔に切り捨てたものを拾ってこれるワケもなかった。
仕方なく、俺はフォローも何もしないままに聞かれたことを語ることにする。
「それは病気ってか俺の経歴の話、元は自衛官だったんだよ。裏方の自衛“隊員”とかじゃなく、まんま戦闘要員。ジエータイってわかるか? 日本の軍隊なんだか何なんだかよくわからん組織。そこの高等工科出て一八で入隊して、だから一応訓練だけじゃなく実戦経験もある。けど二〇で症状出て、そんで辞めた。なんか何もかもどうでも良くなってな」
「どうでも、良く?」
壁越しにいかにも不思議そうな声が聞こえてくる。まぁ、このあたりは当事者にならんと分からんだろうなとか思いつつ俺は溜め息ごと吐き出した。
「へっ……俺がそもそもそんなとこ目指した理由は簡単で、“そうすりゃ大体は生きていけるから”。ガキん時に親がどっちも死んでてよ、しかも日本どころか全世界が七三〇年代からの大恐慌の真っ最中。だから、どこでも一人で生きていけそうで一番無くならなさそうな職業をガキの俺は目指したってワケだ。おかげで色々と、度胸とか徒手格闘とか専門知識とかは身に付いたわな。……けどそんな病気が発症したってなると、筋力も精神力もすり減ってく一方だわ周りに迷惑かかるわでおちおち勤務できねーし。で、クビにされる前に辞めたっつーか、逃げた」
「でも二〇のときってことはアキがいま二四歳だから三、四年前ってことだよね? アタシと爺ちゃんに会いにアメリカまで来たのが二年前。計算合わないよ」
こういう会話でのラッシュは妙に頭が回る、気がする。湯気で反響している壁越しの声が少し低くなった気がした。
「まだ話は終わってねーよ……俺が逃げた先ってのが“裏社会”だ。まぁ自暴自棄だったからな、今さら普通に生きる気力もなかったし、それで修羅場の経験を活かせそうでこの経歴出して苦労しなさそうな世界を選んだ。取り敢えずまぁ、熱中出来て現実忘れられて、それでいてパッと燃え尽きて死ねるような場所が欲しくてよ」
こう語りながら俺の脳裏に自嘲がよぎる。我ながらクズみたいな独白だ。だって、このレースに出た理由は……。
「成る程なぁ。それで極道関係からツテ作って、全国のサラ金からまんまとカネ持ち逃げしたってか、フザケやがって。そりゃ内側から“業界”知ってんだから、やろうと思えばあんま無理でもなさそうだけどよ」
背後から気の抜けた声がかかった。俺たちと同じく一っ風呂浴びに来たらしいケンゴだ。当然何も着てないので、筋肉質な背中からはみ出た派手な刺青の端がチロチロと首元や脇腹に飛び出しているのがよく見える。洞窟で見かけたイスルギの、襟元にかからないようデザインされた刺青と対照的だった。
「けど、ンな準備してまでこのレースに賭けてたって、こう言っちゃ何だけどアホくさ。カネ稼いだら、その財力で治療法でも探す気だったとかか?」
「……まぁ、似たようなモンか。自衛官になった動機自体が不純だったし、とにかく他人のために人生使うのがアホらしくなってな」
これは本当だ。自衛官なんて他者への奉仕の最たるものみたいな職業で、高校時代も訓練の毎日。親がいなくて苦労したぶん、もっと自分勝手に生きてみたかったというのもある。
「裏の界隈にいると“裏の噂”なんかもよく聞くようになる。で、このレースのこともそれで知って……まぁ、カネに目が眩んだワケだ。退屈せずに済みそうだったし、何よりやることが派手だったし。それでこの計画を思いついた。さすがにレース丸ごとここまで治安終わってるとは思ってなかったけどな、考えてみりゃ“情報源が裏社会”ってとこから疑うべきだったわ」
「いやそれはさすがに遅ェだろ。巻き込まれたオレらの身にもなれよマジで」
ケンゴが呆れ気味にこぼした。




